常國寺は温かい寺

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縁あって常國寺の本堂の山号額(世俗でいう看板)を書かせていただいた。
本寺は寛文年間に開山され、以来340年の歴史を重ねる真宗高田派の寺で、
現在は東京赤坂にある。
本堂の改修に伴い、山号額を新装することになった。
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書家でもない私にご依頼をくださった寺の英断には痛みいるが、
書を楽しんできた人間としては、ここで尻込みするのも辱い(かたじけない=面目ない)。
書も、文章と同様、自分を通過するとき、
受け手になんらかの刺激を与えるものでなければならない。
その刺激とは、新しさであったり、考えさせるものであったり、問いかけであったり、
温かい思想や感性であったり……。
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寺の山号額の書が、温かったり、ハッピーであったりする必要があるのかどうか、
などと迷っていてはいけない。
マイナスモチベーション系の書家なら、
その字を見ると死をイメージするほど個性的であってよい。
それが「作品」というものである。
が、プラスモチベーション系の文章家(書家とはいってませんよ)は、
常國寺の山号額によって、そこが温かい寺であることを伝えてほしい。
寺が温かく、ハッピーでなかったら、この世もあの世も、
真っ暗じゃぁございませんか。
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山号額と栄養士、または、健康支援者と、どういう関係があるの? って?
まあ、そうあせらずに。じゃあ、言いますが、
この寺の坊守さんは、管理栄養士の浅尾昌美さんである。
常國寺は、健康支援者のいる寺であり、亡き人の霊の支援者が控える寺である。
「坊守さん」がわからない? 
「ぼうもり」とは、お寺を守る人、浄土真宗では僧の妻をいう。 
常國寺の坊守さんは、精進料理教室の師範でもある。
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もうひとつ補足。
「マイナスモチベーション系」とは、あら探しや批判中心の、
テンションを低くするコミュニケーションを行なう系。
「そんなにお酒を飲むと寿命がちぢまりますよ」

これに対して「プラスモチベーション系」とは、
「お酒がお好きなんですね。人生と勝負している姿ですね」
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この「系」言葉は、いうまでもなく、行動療法の用語なんかではなく、
大橋の造語である。

さて、あなたは、どっち系かしら?

# by rocky-road | 2009-07-31 00:09  

16年間で学べなかったこと

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ロッコム文章・編集塾の遠距離クラス(7月19日)と、
「食コーチング」プログラムス主催、
食コーチングスキルアップセミナー、
「文章による食事相談をスキルアップする--
ヘルスサポートと文章表現」(20日)が終わった。
遠距離クラスは3か月に1回、
ブラッシュアップセミナーは食コーチング研修を
修了した人対象の3回シリーズ。
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遠くからの出張となる人が多いので、
1度に集中的に勉強をしよう、という方針で
2日間の集中講義となる。
2日間、立ちっぱなしの講義はそれなりに疲れるが、
受講者は、これに往復の旅が入るのだから、
私の疲れなど、たいしたものではない。

若さというのはものスゴいもので、
〝ついでに〟メイクに行ったり、アロマセラピーに行ったり、
着るものやバッグなどを買ったり……と、
秒単位のフットワークとなる。
全身を磨くとは、こういうことをいうのだろう。
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かつて(現在も?)、栄養士養成校で
「話し方や文章を学べ」「身だしなみを整えろ」などという
先生や先輩はほとんどいなかった。
10人が10人、「専門知識を身につけろ」「医学知識を身につけよ」だった。
「基本をしっかり」ということだろう。

しかしこのアドバイスは、ごもっとも過ぎてアイディアには欠ける。
こういう指導を受けた人の中には、
病院栄養士こそが栄養士の最高位のように受け取る人も少なくなかった。
一見、気のきいたアドバイスのように見えるが、
それぞれのタイプに合った進路があることには無頓着。
100年1日のごとき、マンネリ助言以外の何物でもない。

スポーツ選手に「専門技術を磨け」、自衛隊員に「武器の扱いに慣れろ」
とだけしかいわない言わない先輩や上官は、とても尊敬を得られないだろう。
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アメリカ滞在2年の友人に
「英語での日常会話くらいなら困らなくなっただろう」といったら、
強い調子で反論された。
仕事をしに行ったのだから、ビジネス英語には困らなくなったが、
日常会話はあらゆる方向からボールが飛んでくるので、
2年くらいでは、とても「どうにかなる」なんては言えない。
「トレンディドラマの話題になんか、まったくついてはいけませんよ」

そうだと思う。「専門」は、その現場、現場で覚えられる。
覚えるしかない。名三塁手も、一塁手にコンバートされたら、
そこで新しい局面に適応するしかない。
しかしそれくらいは、たいていの人にできる。
現場、現場に、新人を鍛えるシステムができている。

しかし、話し方や文章力、思考力、笑顔や身だしなみは、
一朝一夕には身につかない。
高校、大学では充分な時間がとれなかったとすれば、
いま、それをやるしかない。
人生100年を、6、3、3、4の16年間の基礎勉強だけで
乗り切ろうなんて、ちょっと人生を甘く見すぎている。
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遠距離クラスのランチタイムで、だれかが言っていた。
「パルマローザに入ると雰囲気が変わる人(輝きが増す人)が多いけれど、
いちばん変化が大きいのは病院勤務の栄養士かもしれない」と。
さらっと聞き流したが、なにか深い意味が隠れているような気がする。

念のために言っておくが、社会はみんなで支えるチームだから、
だれが偉くて、だれが偉くない、なんていってはいけない。
二塁手と三塁手とどちらが偉いか、などという議論は無意味だ。
どうしても、なにかを論じたければ、
「努力を続ける人は頼もしいか、涙ぐましいか、美しいか、
当然の責務か、上昇を続ける人か」
なんていうことではいかが?

# by rocky-road | 2009-07-24 22:52  

銀プラ、シワシワ。

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久々に銀座をゆっくりと歩いた。
よく耳にするように、銀座に限らず、街はどんどん変貌する。
世界的なブランド店が軒を連ねるようになった。

だがそれは、コンビニの商品列に数品、新商品が増えたくらいのもの。
そんなのを「変貌」などといってよいのか。
きょうは、変わっていなことばかりが目につく、ちょっと悲しい銀プラだった。
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変わっていないものの1つは、甘いもの店の「おかめ」。
昭和20年代から、しばしば利用している店だが、
いまはビルの中に入ったものの、
蔵王あんみつの味やおはぎの大きさは変わっていない。
厳しくいうと、「グリーン生あんみつ」はメニューから消えて久しい。
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文房具店の伊東屋で《クロス》のフェルトペンの芯を買った。
もう20年くらい使わずにおいたペンである。
その芯がいまも書けるのが不思議だが、
替え芯のストックがあるのは、もっと不思議。

日本は、筆記具の激戦国だから、次々に使いやすいものが出る。
そんな中で、けっして使いやすいとはいえないクロスのフェルトペンが、
替え芯を用意して、20余年ぶりの客が来るのを待っているというのは驚きである。
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今後を考えて、2本買っておこうと思ったが、
店員から「長く置くと蒸発するから、1本にしておいてはいかが?」といわれた。
これも銀座の商人魂とでもいうのか。
40代の店員から、それが感じられてうれしかった。

デパートやブランド店の男もの衣服のアイテムの変化のなさも、見事だった。
夏は綿か麻という常識が、たぶん100年は持続している。
70歳を過ぎた東京生まれの男が、その常識に絶望して、
シャツはポリエステル素材で色柄のバリエーションの多い女性ものに、
パンツ(ホントはズボンと書きたい)も、ブーツカットがきれいな女性ものに変えて久しい。
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司馬遼太郎さんは、文化と文明をこう分けた。
「文化」は、ちょっと不合理なところがある。重い思いをして御輿(みこしをかついだり、
山車(だし)を危なっかしく引いたり、襖(ふすま)をあけるのに、
わざわざ座ってあけたりする。精神性に軸足があり、だから、その広がりは限定的。

これに対して「文明」は効率や便利を優先し、それに一度触れた人は、
それを利用しないわけにはいかない。したがってその広がりは世界的。
文化の精神性に対して、文明は物質的だと。

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この説に従うと、男性の夏のシャツ素材は明らかに「文化」。
ほとんど効率を無視している。汗だく、ビショビショ、クタクタ、シワシワ……。
その汗くささに嫌悪を感じないのが文化なのかもしれない。
ところが、この文化、銀座や日本限定ではない。
世界中、夏のある先進国に共通している。
ということは、シャツは綿か麻というのは、世界的な文明のようにも見える。
しかし、この不合理さは、文化以外の何物でもない。

男ファッション業界のリーダーシップのなさを感じる。
「消費者ニーズ」「消費者の目線」……なにをいうか。
それは、アイディアや知恵のない者が口にする逃げ口上。
迎合や妥協はサービスとはいえない。
このコトバを口にする人間は疑ったほうがよい。
例外なくズボラか、弁解癖か、偽善者か、思考力不足か
……要するにアホである。

アンケートや市場調査などをする前に
みんなの心の中にある欲求を、自分の中に生じさせること、
「こんなものがなければならない!!」という、
「欲求不満」、カッコよくいえば「ないものねだり精神」を
モチベーションに変えながら生きてゆく。
そういうライフスタイルは、自分の心の声に耳を傾ける聴力から生まれるのだろう。
市場を活性化する商品も、もちろんそこから生まれる。

男ファッションリーダーの視線は、前を見ているようでいて、
実は左右を見ていたのである。
それが世界の男ファッションの100年ということか。

ここでまた、栄養士をはじめ、健康支援者の話に、一気に飛躍する。
新しい健康意識・食生活観・食育観はリーダーシップと直結する。
よいリーダーは、人々の声に耳を傾けるが、迎合はしない。
へつらうことは、もっとも非リーダー的な行動である。
ということは、「骨粗鬆症を予防するには、カルシウムをとろう」
「外食は控えめに」「お母さんはしっかり子どもの食育をしよう」
などという陳腐な言いようは、夏のシャツは綿か麻に限る、
と言い続けている男ファッションリーダーと同類である。

いや、それらを「リーダー」などと呼んではいけないのだ。

# by rocky-road | 2009-07-17 01:43  

いま、「問いかけ維新」のスタートライン

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NHKのラジオ深夜便で、
今は亡き司馬遼太郎さんの講演を聞いた。
「文章、日本語の成立」という演題のこの講演は1983年3月のものというから、
26年も前になるが、きわめて示唆に富んだ話だった。

そのポイントはこうだ。
明治維新は政治的、社会的な革命だけでなく、
文化的革命でもあった。
江戸時代の多くのものが捨てられ、新しい文化が生まれた。
日常語までもが新しく作られた。
父母の呼び方も地域によっていろいろとあったが、
標準語としては「お父さん」「お母さん」に変えられた。
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文章では、「です」「ます」という文体が生まれた。
国語教育というものがなかったので、
これも明治政府が作らなければならなかった。
文語体や漢文を見限り、現代文を作り出す必要に迫られた。
小説家は、自分の文章を生み出すために、
寄席に通ったりして文体作りを模索した。

こうして、現在、われわれが見る現代文ができあがった。
つまり小説を書く文章も週刊誌の記事も、基本的に同じ文体になった。
これは、大変に意義深いことである。
司馬氏は、このように新しい文章がみんなの共有財産になるのには
100年はかかる、と強調した。
具体的には、それは昭和30年代ではないか、というのである(厳密には80年くらい)。
昭和30年といえば、私の高校時代である。
日本の現代文は、そんな最近に成立したことになる。
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この講演を聞いていて、ふと思った。
食コーチングが基本スキルとしている問いかけコミュニケーションは、
明治時代どころか、つい最近まで、日本にはなかった会話技術ではないか、と。
心理カウンセリング的手法としてのカウンセリングは、
もう数十年、専門家によって活用されているが、
それは、みんなが共有する技術にまではなっていない。
治療目的のカウンセリングは、治療室に閉じこもる必然性があるからだ。

これに対して、社会生活や人生を活性化することを目的とする
問いかけコミュニケーションは、ずっとオープンであり、
だれにも共有されるべきスキルといえる。
生き方を示唆するスキルである手相や風水、各種占いは、
とかく断定を中心に会話を進めるが、
食コーチングの問いかけは、自発性を刺激する。
この違いは大きい。
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そう考えると、問いかけコミュニケーションは、
案外、類型の少ない会話技術であるように思う。
日本語会話には普通にあったコミュニケーションスキルではない。
現代日本には「維新」というほどの革命は起こっていないように見えるが、
もしかしたら「自分で自分の人生を決める」という自由さは、
過去の日本人の生き方からすれば、革命的な変革なのかもしれない。

それやこれや、なんらかの必要が、
こういうコミュニケーションスキルの誕生を促しているのだろう。
司馬説に従うと、
人のモチベーションアップを促す問いかけるコミュニケーションスキルが、
多くの人に共有されるのには100年かかるのかもしれない。
そうだとすると、
われわれはいま、「問いかけ維新」のスタートラインの上にいるのかもしれない。
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*注
 作家/司馬遼太郎(1923~1996年)
 『龍馬がゆく』『坂の上の雲』『街道を行く』など。 
 写真は、大阪府東大阪市にある記念館を訪ねたときのもの。

# by rocky-road | 2009-07-10 23:14  

写真表現力も人生の脚力強化に!!!

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岡山県栄養士会が開催した「食コーチング スキルアップセミナー」、
①「ワークショップ形式による ファッション表現力」(6月26日)
②「デジカメ 写真表現力」(同27日)の両日に参加した。
いずれも非言語表現力を強化する企画である。
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栄養士にしろ、その他の健康支援者にしろ、
業務の中心は言語コミュニケーションであるかのように
思い込んでしまうが、もちろん、ほかのあらゆる仕事と同様、
言語・非言語表現を、時と場合に応じて駆使しているはずである。
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衣服は、他者にメッセージを伝える以前に、
自分自身にメッセージを与える。
それが自分のもっとも身近な環境であり、
自分のアイデンティティをつくってゆく……、
影山さんのお話はそういう内容だった。
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非言語表現力は、スポーツ選手に必要なランニング力、
もしくは足腰の強化に当たるだろう。
栄養士養成校では、専門知識を教えることに追われるので、
とても基礎体力づくりにまでは手が回らない、ということだろう。

遅ればせながら、もう一度、からだをつくり直そう、というのが
食コーチングの考え方ではないか。
人によっては、年齢を理由に「今さら」と思うかもしれないが、
いま、しっかり走り込んでおくと、選手生命を延ばすことになるだろう。
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それにしても、栄養士が写真技術まで身につけておく必要があるのか。
こういう議論のとき、
職業の側から表現力や創作活動の必要性を説くのは適切ではない。
絵画や詩歌、写真が必要な職業とは……などと考えると話が小さくなる。
俳句や絵画、写真を楽しむ人は、学者にも政治家にも、実業家にも、
無職の人にも少なくはない。つまり職業にはあまり関係ない。
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栄養士は、料理を撮る機会が多い、ブログにきれいな写真を使える……
そういう動機も無意味ではないが、
もっと大事なのは、非言語表現力を強化すること、
および、自然や人を見極める視力、洞察力をつけることなどであり、
それを脚力として人生を走り続けることである。
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さて、今回のフォトセミナーは被写体が豊富だった。
ケーキ、マカロン、くだもの、野菜、パンなどのブツ撮り、
そしてお昼には、名物のバラ寿司をサプライズで出していただき、
これも格好の被写体になった。その演出はお見事。
これだけのものを準備してくださった主催者に感謝感謝。
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午後は、校庭(中国学園大学)に出て人物撮影。
集合写真も、デジカメの特性を生かして撮る方法をお示しした。
主催者側スタッフはセミナーの進行に慣れていて、
パワーポイントの操作、照明の点滅、外光の調整など、
きわめてスムースに進めてくださった。
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フォトセミナーの運営法について、私も学ぶことが多かった。
森惠子・岡山県栄養士会会長、
フリー栄養士で、食コーチングスキルアップセミナーのシリーズ企画を立案し、
運営の中心となっておられる道廣彌惠子さん、
当日の室内の運営を支えてくださった真鍋芳江さん(中国学園大学講師)、
金尾暢子さん(株式会社ヤクルト中四国支店)、
そして、1日目の食コーチング講義を担当されたあと、
2日目はフォトセミナーのほうで私をサポートしてくださった、
同志・影山 なお子さんに
心から感謝の気持ちを申しあげます。
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当日の夕、牛窓のホテル《リマーニ》に宿を取り、
大好きな海写真を堪能させていただいた。
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# by rocky-road | 2009-07-01 23:48