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2021328()からスタートした

栄養士のためのスキルアップセミナー

『文章コミュニケーション』

(サブ)

《各種メールから 非対面による食事・健康相談まで》」


3回が、

522()に終了した。

(主催/食コーチングプログラムス)


各回のテーマは次のとおり。

1回 「文章コミュニケーション」入門。」(328)

      1.「文章コミュニケーション」の種類とルール。

      2.メモから始まる人生の設計図。

      3.表記法、用字用語、補助符号、レイアウトの基本。

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2回 「対人関係を円滑にし、社会活動を活性化する

      「紙ベースのコミュニケーション」(418)

      1.見えない相手をどう想定するか。

      2.ハガキコミュニケーションの基本。

      3.手紙の形式と慣用句の例。

      4.ビジネスレター、事務文書の形式と表現。

      5.よい企画が、よい企画を生み出す。

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3回 「文章による食事・健康支援のステップアップ。」

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      1.食事・健康に関する調査表や食事記録をどうつくるか。

      2.メール、手紙、電話での食事・健康支援のあり方。

      3.身近なメディアで食事・健康支援を行なう場合。

      4.新聞・雑誌への投稿、執筆に備える。

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全3回の講義で伝えたかったのは、

栄養士、健康支援者が、

社会の健康環境を向上させるために活用したい

文章コミュニケーションの基本と応用である。

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近年は、特定保健指導が一般化し、

ここでは文章による支援も不可欠のものとなった。

栄養士という職業は、

対面しての、会話による支援に加えて、

メール、手紙などを使っての支援の機会もふえた。

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以前、

まだ特定保健指導が始まる前に、

「食生活カウンセラー」を養成し、

働く人たちの健康支援をする事業にかかわったことがある。

当時は、

栄養士にはカウンセラーとしてのトレーニングはなく、

しかも、メールも普及していなかったので、

肉筆の手紙の字が、ある程度整っていることが求められた。

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短期間にカウンセリングテクニックと

文章力と、それ以前に楷書のペン字の筆記力などを

強化しなければならず、

大いに手間取ったが、それでも支援効果は確認できた。

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当時は、ほんの数回の講習ののち、

即実践という急ごしらえの事業だった。

それに比べると、

今回の、食コーチングによる

文章コミュニケーション力強化プログラムは、

一定の基礎がある人たちが対象なので、

そうとうにハイレベルの内容になった。

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栄養士、健康支援者が

社会の健康度をあげるためには、

私的なメール、ハガキ、手紙のやりとりから、

職場などで発行する新聞や冊子に載せる文章、ホームページ、

そして願わくば、マスディアを通じて

健全な健康情報を広く、遠くへと流布させたい。

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これらのスキルやマインドは、

養成校在学期間や、大学院での勉強期間でも

とても身につくものではない。

どんな職業でも、

仕事として自然に身につくスキル以外にも、

専門職としての職業訓練によって

プロとしての実力と自信、誇りを身につけている。

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栄養士というプロが、

もっともっと広く社会に認知され、リスペクトされるには、

専門知識はもちろん、

言語的・非言語的コミュニケーション力を

強化し続けることが欠かせない。

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まともなメール、ハガキ、手紙、ビジネス文書が書けない者が

コミュニケーションが不可欠な健康支援の世界の第一線で

活躍するのは、かなりシンドイ。

養成校の教員たちは、

そのことをどの程度理解しているだろうか。

それは時間やカリキュラムの問題ではなく、

社会のニーズを感知する洞察力の有無の問題である。

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今回は、健康記事の書き方、

マスメディアに提供したい情報とはなにか、までは

お伝えできなかったが、

ひとくちに「文章」といっても200種近くはあること、

読み手の想定の仕方、

メディアからの低レベルの原稿依頼に対する対処法などについては、

お話しすることができた。

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ちょうど、このブログを書き始めたタイミングで、

元塾生から、地域の医療関係者の機関誌が送られてきた。

例によって、A4サイズの横書き、字詰めぎっしりの

カタい、カタいイメージの雑誌。

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小見出しゼロのベッタ、ベッタ記事が多い中、

彼女の2ページの文章には小見出しが5つ。

図や絵も入っているし、

そもそも上4分の1の余白がとってある。

「これだよ

彼女は、この雑誌の健康環境をだいぶ高めている。

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しかし、それにしても、

「いかに読みたくなくなるか」を追求しているのが、

多くのミニコミ紙・誌の現状。

医療関係の新聞も雑誌も例外ではない。

これが日本の現状。

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ため息も出るが、

変化の騎手になる可能性をモチベーションに、

もう一丁、ガンバルか、である。

こういう雑誌のデザイン、レイアウト、用字用語の更新に

栄養士が一役買う時代が、

ほんとうに、ホントウに、くるのであろうか。

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その答えは、あなただけが知っている。

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# by rocky-road | 2021-05-25 23:46 | 大橋禄郎 文章教室  

マスメディアが使っても、使いたくない日本語。

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「おっしゃるとおり」

先日、NHKの大河ドラマを見ていたら、

水戸藩の武士が幕府側の武士に向かって

「おっしゃるとおりです」と言うのを聞いて、

おもしろいと思った。

いま、はやりの言いようを、江戸末期にも使っていたのだ、と。

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時代考証ずみのシナリオだから、

当時も、そういっていたのかもしれないが、

妙に今風に感じられた。

なぜなら、「おっしゃるとおり」は、

現代日本における流行表現だからである。

つまり、

「おっしゃるとおり」のほうが、もちろん古くて、

いまの流行は、昔風の言い方の復活なのか。

もっとも、本気で当時のようにしゃべったら、

現代人にはほとんど通じないことだろう。

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ところで、

流行語としての「おっしゃるとおり」が、どうにもなじまないのは、

やや〝つくり過ぎ〟、慇懃(いんぎん)無礼に感じられるから。

ふだん、ロクに「ていねい表現」ができない者が、

そこだけが妙にまともになる。

なんでも知っている者が、素人の「正解」を評価するような態度、

つまり上から目線に聞こえる。

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従来は「そうです」「そう思います」「同感です」であった。

それらに比べれば、ずっとていねいになったのだから、

文句を言うところでもないが、

テレビなどで、初対面の人に対して

「おっしゃるとおりです」なんて言っているのを見ると、

「おぬし、なに様だ」という生理的反応が起こる。

努めて感染を避けたい表現である。

 

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「収束するか不透明です」

これは、NHKが常用する表現。

話しコトバとして言うなら「収束するかどうか」のように

……どうか」まで入れても、そうは時間はかからないだろう。

この省略表現は、

NHKのニュース原稿を書くスタッフ間に定着した表現のようだ。

加えて、「不透明」も不適切な比喩的表現である。

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「不透明」は視覚の及ばない状態をいうが、

事態の成り行きは、視覚ではなく、

「心の目」で洞察するもの。

〝不透明な〟塀の向こうは肉眼では見えないが、

事態の推移は、心の目をもつ人には見える。

それを「不透明」と言って逃げてしまうと、

洞察力の強化につながらない、

〝あきらめ〟表現になってしまう。

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確かに、「心の目」は百人百様だから、

公共放送としては主観的観測は示せない。

しかし、「見えません」と断定してしまわないで、

見極める必要くらいは暗示していただきたい。

昔は「予断を許さない」といっていたが、

そうとうに使い古したので、すでに捨てられた。

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であれば、「事態は流動的」「予測がむずかしい状況」

「急な鎮静化(または「収束」)は見通せない事態」など、

時間経過を表現するコトバを使う努力をすべきである。


ついでに言えば「透明性を求める」などと使う

「透明性」も、あまり使いたくない。

いかにも社会性があるかのように振る舞う、

お調子者のコトバ。

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「違和感」

「政府の対応に違和感を覚える」などと使う。

使い勝手のよさそうなコトバだが、

「シャッチョコバッタ」(鯱鉾)表現ながら、

要は「嫌い」「好きでない」と言っているだけ。

大人としては、どこに、どんな異論をもつのか、

それを提示するのがフェアでなかろうか。

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「注目を集める」

これもNHK発のおバカ表現。

「注目」は、目(視線)を注ぐのだから

わざわざ集める必要はない。

すでに集まっているのだから、「注目される」でいい。

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先例として

「関心を集める」が、ほぼ定着しているので、

それに便乗したのかもしれないが、

誇張表現であるとともに、不正確。


「早朝、海岸にたくさんのプラスチックゴミが

打ち寄せられていて、地域の人の注目を集めている」

という表現の場合、

「集める」という他動詞を使うと誤報になる。

なぜなら、

もしそうであれば、ゴミが、なんらかの意志をもって

「注目」を「集めた」ことになるから。

ゴミを擬人化するのはどうか。

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「集まった」(自動詞)

「集める」(他動詞)とでは、

意味がまったく異なる。

文法の基本中の基本となるところ。

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「逼迫」

「医療の逼迫」という表現を、

日本で最初に使った人、またはメディアは、だれか。

コロナが終息したら、

言語現象として研究してみるとおもしろい。


「逼迫」は『太平記』(1370年ころ完成。軍記もの)にも

「五体逼迫しければ……」などの記述があるというから、

立派な日本語。

しかし、現代の日本人で、

この字を書ける人は100人に1人もいないだろう。

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意味は

苦痛や危機が身にせまること。なやみ苦しむこと。

 ②事態がさし迫ること。

特に、生活がつまって余裕のなくなること。 

困窮すること」(広辞苑)


ということだから、

医療の現状に対して使うことは不適切ではないが、

もう少し、なじみのある日常語を使えたのではないか。

「満杯」「万床」「受け入れ不能」「パンク状態」

「機能不全」「マヒ状態」など、

いくらでも候補語があるだろうに。

「医療崩壊」も、ちょっとオーバーかも。

関係者の責任を問う立場の人なら、

「医療戦線離脱」「敵前逃亡」と言いたいかも。


まだまだ「使いたくないコトバ」はたくさんあるが、

キリがないのでここまでとして、

蛇足をひとつ。


2021414日づけで

1円切手のデザインが替わった。

「近代郵便の父」前島密翁の像が「ぽすくま」に。

前島さん、エライ人には違いないが、

現代社会には似合わないシブさ。

それがクマかパンダか、動物の絵に。

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ここ、日本郵便という会社にも

わかっていなプロチームがある。

1円切手は、消費税アップに対応して使う場合がほとんど。

ということは、ほかの切手と組み合わせて使うことになる。

浮世絵や近代名画などの記念切手に

前島さんというのは、

トータルデザインとしてなんとも気になっていた。

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ようやく更新と喜びかけたら、今度はクマである。

またまた浮世絵や近代名画とクマ。

これにシビレル人は、ありや否や。

郵便会社勤めの人が、

郵便積極的利用者ではないから、

仕方がないとは思うが、

消費税対応切手は、

抽象画、というより収入印紙のような模様にして、

どこに貼っても

メインの切手の邪魔をしないものにしてほしかった。

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さらに言えば、サイズも、いまのものより小さめがよいと思う。

そのことに気を配らなかったというのは、

日本の郵便関係者としての限界か。

切手にも、

いまはやりの「第三者委員会」などの制度があれば、

すすんで委員として参加したいと思う。


# by rocky-road | 2021-05-17 20:56 | 大橋禄郎 文章教室  

あしかがフラワーパークで藤を撮る。

4月29日、パルマローザ主催の恒例の写真教室。

今回は感染症のリスクを避けて、

アウトドア中心となる《あしかがフラワーパーク》とした。


いつものようには、コンテストを予定していなかったので、

ここでは、写真でその日を振り返り、

フォトテクニックを確認しておこう。


花を撮るは雨上がりがいい、といわれるが、

ときどき小雨のある、

つまり、プロがやるように、

霧吹きで花に水滴をつける必要のない

絶好のコンディションであった。

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さて、撮影会を控えて、

カメラの準備をいつごろから始めるべきか。

携行するカメラが複数のときとか、

特別に大事な写真を撮るときとか

(重大なイベント、フォトコン狙いなど)なら

遅くとも前日の夕食前にはテストを済ませておくが、

日帰りのピクニック程度なら、

まだ1人のうちの、行きの電車の中。


バックから出してスタンバイ状態に。

そんなとき、さっそく

車窓から見える田舎の風景を撮っておいた。

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みなさんと出会ってからは車内で。

ほかの乗客が写らないようにしてパチリ。

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《あしかがフラワーパーク駅》

先を急ぐ人は振り返らないが、

階段には藤の花をイメージした彩色がしてある。

集合写真には好適地。

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池にかかる橋に、みなさんに並んでもらって。

藤棚の下から1枚。みなさんとの距離は約10メートル。

集合写真というと、整列の間近で撮るのが普通だが、

カメラマンの演出力と、

モデルさんたちの理解があると、

風景を取り込んだショットが可能。


カメラはズームで望遠設定。

手ブレに細心の注意を。

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もっと離れたところからも1枚。

表情まではとらえにくいが、周辺風景を入れ込める。

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風景を生かした記念写真。

モデルさんは右手をあげるべきか、左手をあげるべきか。

これもカメラマンの責任範囲。

左手をあげると「この風景、いいでしょ?」

右手をあげると「私を見て!

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仲間と一緒に歩いていると、

風景写真は撮りにくいが、

そこは冷めた目で風景も鑑賞する余裕を。

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レースのカーテンのような流れのある藤の花を描写するには

やや下から、またはモデルに、やや下に入ってもらうと雰囲気が出る。

「花と並んで」や「花の前に立って」というのは定番中の定番。

モデルさんにはうれしいが、

カメラマンとしては、内心、「ワンパターンだな」

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満開の藤に囲まれながらも、

《ハンカチの木》に目がとまった。

こんなときは、全体を撮って、それからややアップを。

さらに解説掲示を撮っておくと、

あとで検索するときに楽。

(それにしても、掲示の用字用語が気になる。

「ハンカチの様に」は「……ように

「見える為付けられました」は

「見えるので、この名がつけられました」に)

以下、当日のスナップをアトランダムに並べてみよう。

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帰り、あしかがフラワーパーク駅で

電車を待っていたら、

やけにむずかしい字を書く「鑁阿寺」(ばんなじ)

ポスターが目にとまった。

後学のために撮っておいた。

驚いたのは、パソコンで「ばんなじ」と打ったら、

あっさりこの字が出てきたこと。

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みなさんと別れるとき、

ホームから、または車内から撮るのが

このところの慣例になった。

「気をつけて、お帰りを」

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# by rocky-road | 2021-05-08 21:58 | 写真教室  

講話・講義力で日本の健康度をあげる。


昨年321日から始まったシリーズセミナー、

『「食コーチング®」講師養成講座』が

2021425日をもって全12回が終了した。

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この講座の狙いは、

1.「食コーチング」の思想やコンセプトを理解し、

  どんな人にも的確に説明できること、

  かつ、そのスキルやマナーを公私にわたって実践できること。


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2.上記のスキルをベースにして、

  食や健康について、どんな対象者に対しても、

  講話・講演という形式によって伝えられる能力を高めること。

  (講話とは、数十分から1時間程度の、比較的小さなテーマの話)

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3.講話・講演のためのテキストのつくり方の基本と

  応用のスキルアップ。

  タイトルのつけ方、各項目の見出しの立て方、デザイン性、

  タイトルと各項目との一体感。

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  さらに、受講者の準備性を高めるために、

  導入部分に設ける「イントロクエスチョン」の

  設問力強化。

  (イントロクエスチョン=クイズ形式による本題への助走)

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4.講話・講演力の強化。

  表情、視線、発声、姿勢、あいさつ、身だしなみの実践。

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5.非対面(メール、手紙など)による食や健康支援の方法と注意点。

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6.講話・講演の依頼を受けたときの対応の仕方。

  そこから始まるテキストづくり。

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これらが1年間でしっかり身についたら

講話・講演会の大革命というべきだが、

もちろん、そうは問屋が卸さない。

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それでも、世間の、とくに食や健康関係者の講話・講演力は

かなり低いのが相場だから、

相対的に上位グルーブに食い込むことはできるかもしれない。

「今後、さらに自主トレに励めば……」

という前提条件はつくが。

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日本の食や健康に関する情報提供のレベルは、

けっして高いとはいえない。

「栄養バランス」というコトバは、

毎日、どこかで使っているだろうが、

その意味さえ定義されていない。

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したがって、

食品ごとに「これは目にいい」「血圧を下げる効果」

などと、薬のような効果を示す情報発信者が多い。

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さらには、

上記の情報発信者、提供者に、

「食コーチング」的なコミュニケーションスキルが

身についていない。

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栄養不足のリスクを指摘したかと思えば、

現状を確かめることなく

一方的に「こうしたほうがいい」と、

「おっかぶせ情報」を押しつけたり。

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そして、講話・講演スキルがなんとも低い。

アメリカから「スピーチ」というコトバが伝わったとき、

かの福沢諭吉さんは、

仏教用語であった「演説」というコトバを当てたが、

そもそも1対多数の形式による

「ひとりしゃべり」(司馬遼太郎氏のコトバ)の習慣は

日本にはなかった。

あえていえば、僧侶の法話くらいであった、という。

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そもそも日常のコミュニケーション力の低い人が、

突然、講話・講演がうまくなる、というわけにはいかない。

なんとかならないものかと、

私は、若いころから、講演やシンポジウムなどに、

しばしば出かけた。

講演やシンポジウムには読書とは違った、

ナマのリアリティがあり、そこに感動もあった。

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しかし、講演というパフォーマンスには不満があった。

声が小さい、メリハリがない、雑談的、服装がだらしない、

話のまとまりがよくない、話題が陳腐、

パワーポイントに寄りかかり過ぎなどなど。


そういう不満を緩和したくて

いろいろの人の講演会やシンポジウムに出かけた、ところもある。

どちらかといえば、関西系の人の講演が好きだった。

小田 実、小松左京、堺屋太一、司馬遼太郎。

話がカタすぎず、話題も豊かだった。

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『栄養と料理』の編集長時代、

食関係者の講義・講演ベタが気になって、

栄養士、食関係者向けの講演スキルの記事を企画したが、

企画会議で、上役の「まだ早い」との反対にあって

実現できなかった。


その上役は教授ではあったが、

私の基準では「講義ベタ」に属していた。

1985年ころのことである。

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それから35年たっているが、

状況は当時とほとんど変わっていない。

NHKラジオには、

「文化講演会」という長寿番組があるが、

よくこういう人選をしたものよ、というほどの

ひどい講師が少なくない。


だからこそ、

少なくとも「食コーチング」を学んだ人だけでも、

食情報の名発信者として活躍していただきたいと思う。

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講話・講演スキルを学ぶところや、その機会は、

そうそうあるものではない。

かつては、大学や大学院で、

教授が後輩に教えていたと思われるが、

いまは師弟関係がゆるくなったので、

そこまで踏み込むことはないことだろう。

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そもそも、大学や専門学校の教員ともなると、

組織的にスキルアップをする例は皆無に近く、

いちど教員になったら、

あとはその人任せになってしまっている。


いまは学生が評価をして、

それを学校側が教員に伝えたりしているようだが、

上下関係を無視した最悪の方法である。

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教育機関は、よりよい「情報商品」を販売するには

しっかり品質管理をして、

消費者のニーズに応えるべきである。

学生からの指摘はあってよいと思うが、

それ以前に、少なくとも講義スキルについては、

ベテラン教授が複数で評価するシステムをつくるべきである。

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今回の「食コーチング」講師養成講座の受講者は、

毎回、およそ30人の前でパフォーマンスを行ない、

表情から身だしなみ、話し方、テキストのあり方、

そしてもちろん、話の内容について

数回、チェックを受けた。

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この経験は、今後、セルフチェックのスタンダードとなって

各自の講話・講演力を支えることになるだろう。

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食と健康情報の鮮度、

「食コーチングマインド」の維持・強化、

それに講義パフォーマンスとなると、

そうとうにハードルは高くなるが、

高い目標があることは、幸せなことである。

生涯、向上を続けられるのだから。

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5年後、10年後の食と健康情報は、

格段におもしろくなっているはずである。

と、せつにせつに願っている。

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# by rocky-road | 2021-04-27 21:21 | 食コーチング師養成講座  

「いわゆる日本」は「なんか、こう……」。

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わが《ロッコム文章・編集塾》では

毎月クラスと遠距離クラスで、

『引き締まった日本語表現を心がける。』をテーマに

講じている。

それはつまり、

現在の日本人の言語表現が引き締まっていないからである。

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「なんか日本的というか……」

「なんていうんだろう……」

「見事というか、立派というか……」

「怖いっていうんじゃないけれど、コロナを恐れて……」

「もうそろそろ、旅行に出たいな、なんて思っています」

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語尾を濁すのは日本人の特性の1つだが、

その傾向がますます強くなっている。

発言に自信がない、

一言でバチッとキメられず、

類似語を同時に掲げて分散させる、

つまり、いつも逃げ道をつくっておく。

発言の語尾が内語的(心の中の発話)であるとともに

幼児的でもある。

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それが好ましいことかどうかは、

実は、もう少し様子を見ないとわからない。


言語社会学者の鈴木孝夫氏の

『日本人はなぜ英語ができないのか』(岩波新書)

によると、アメリカ人の言語行動は攻撃的だという。

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「自分が物事すべての基準であって、

相手のもつ異質性をば普遍からの逸脱、

不公正なルール違反と見て、ただちに攻撃に出ます」と。

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このことは、わが恩師、芳賀 綏先生(はが やすし)も

『日本人らしさの発見』(大修館書店)の中で触れている。

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「凸型文化はそこが違う。<コミュニケーション>とは

『相手を変化させること』だ、というくらい、

積極的にとらえています」

「凸型文化」(とつがた)とは、牧畜をして暮らしてきた人たち、

欧米人や一部のアジア人を指す。

動物を支配し、個々人が大草原を移動する。

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これに対して凹(おう)文化とは、

稲作によって生存し続けてきて、

それゆえに、協同が中心となる文化圏の人のこと。

水を中心にしているので助け合い精神が大きい。

自己主張を抑えて、集団としての調和を保つ。

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「東洋」と「西洋」という地形的分類は、

人間のタイプを分けるのには適さない場合があるので、

「凸文化圏」と「凹文化圏」とに分けて

その特性を把握しよう、という視点である。

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おもしろいことに、

『日本人らしさの発見』には、

いま話題のミャンマー人に対するこんな記述がある。

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「日本と同じ凹型文化圏と見るべきミャンマーは、

『住んでいる人たちの顔形もわれわれに似ていれば、

物腰・動作・ものの感じ方もよく似ている』

(山口洋一・寺井融著)『アウン・サン・スーチーは

ミャンマーを救えるか』)。」

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上記の本を引用して、芳賀先生はさらにこう述べる。

(ミャンマー人は)「国会で不満や不明の点があっても

飲み込んだように振る舞うのがマナーだ」

(反論などしないで、丸く収める)

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いま、そのミャンマーの人たちは、

攻める側も守る側も、

日本人とは大きく変わってきている。

戦闘モードに入ったとき、

人の表情は硬くなり、コトバも引き締まってくる。

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とすれば、

現在の日本人が、

「なんか、のどかなんだよね」

「なんていうのか、緩んでるんじゃないかなって、

思うっていうんじゃないけれど、なんか考えちゃんだよね」

なんていう話し方に、全国民がシフトしているとすれば、

平和の反映と見るべきで、

よい傾向なのではないか。

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と考えたいところだが、

世界にはコワイ表情をして、

キツイコトバを発する人がふえてきている、

という現実がある。

これに直面しつつも、

「なんか、それって、しようがないんじゃないのかな」なんて

長湯でのぼせてしまったような話し方をしていてよいのか。

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「ええ格好しい」の民主党、バイデン大統領も

最近、厳しい表情、厳しい表現をするようになった。

それは、ニコリともしない習近平のあの表情の反映だろう。

金正恩も、スターリンも、ヒットラーも、

独裁者というものは、

デスマスクのように無表情を保つことになっている。


ロッコム文章・編集塾は、

日本国の代表ではないし、政治結社でもないから、

世界のことはどうでもいいと思いたいが、

言語心理学的考察として、

こんなことを指摘しておきたい。

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少なくとも日本人は、緊張感が高まると

「大和コトバ」では間に合わなくなって、

「逼迫」「緊急事態宣言」「蔓延防止」「遺憾」

「ロックダウン」「オーバーシュート」「ステイホーム」

「ソーシャルディスタンス」などと

漢語やカタカナ語に頼ることになる。


戦時中、こんな文語調のラジオ放送が、

幼少期のわが記憶にかすかに残っている。

「東部軍管区情報、東部軍管区情報、

敵B2916機編隊が駿河湾上空を帝都に向けて侵入せり」

これも、戦闘モードに入った人間の表現のカタチである。

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一方、現在、テレビの一部のニュースキャスターが、

「いわゆる都知事が……」「いわゆる飲食店が……」

「要するにこの場合」「要するに黄砂が……」のように

文語的フレーズを病的に頻発するのは、

中身のない、軽薄なトークを見破られないための

いわば防具として硬直表現をしているのである。


これが無教養のカタチとは、本人も放送局スタッフも

まったく気がついていないところが、

ぬるま湯日本の珍現象である。

この大宇宙は、プラスとマイナス、

陰と陽、上と下など、

対比的に存在していることが改めてわかる。

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そして、日本人および大和コトバは、

やはり温暖、ゆるやか、穏やか、あいまいな風土に

適応してきているのである。

この「凹文化環境」を維持したいが、

一部ながらも強力な「無表情」「こわい顔」勢力が

上げ潮のように世界の国々の沿岸に打ち寄せてきている。

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これに足をすくわれないようにするには、

その前に、日本の大人としては

少なくとも「なんかこう……」「……じゃないかな」

「……っていうじゃないけれど」などのフレーズを

頻発しないように自制しよう。

それも生存のための

言語環境の改善点の1つであろう。

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# by rocky-road | 2021-03-31 15:46 | 大橋禄郎 文章教室