ハワイのラハイナ、いつかまた。

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去る7月8日、ハワイ、マウイ島で発生した山火事は、

強風にあおられてラハイナの街に広がり、

ほぼ全域を焼け野原にしつくした様子。

その焼け野原の映像を見て、

東京空襲のときの風景を思い浮かべた。

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というのは、

ラハイナの街は、ほとんどが木造であるらしく、

火災のあとが、文字どおり「野原」になっている。

この1年余り、

テレビで、しばしば見ることになる、

ウクライナの空襲後の光景とは大いに異なる。

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すなわち、木造の街は、

焼けるとビルなどの残骸が残ることなく、

黒々とした、まさに〝原っぱ〟となる。

それでも、東京大空襲の場合と大きく異なるのは、

ラハイナでは、自動車の残骸が限りなく多いことである。

1945年の東京では、自家用車を持っている人は皆無に近かった。

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車の残骸のことを除けば、

ラハイナの火災は、

1945年3月11日に、私が見た東京大空襲後の

本所、深川あたり(現在は墨田区の一部)の光景と類似する。

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ラハイナはアメリカ合衆国に属するが、

焼け跡が、78年前の東京を思い出させるとは

妙な感慨である。

(厳密にいうと、本所、深川では、

焼死した遺体があちこちに転がっていた)

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さて、大火前のラハイナ情報に初めて接したのは

いまから20年近く前のこと。

そこを訪れた海仲間の写真から、

その風情のある街並みに強く惹かれた。

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商店街にはアーケードが続いており、

あまり見かけたことのない観光地の風景に感じた。

あえて言えば、日本の雪国で見られる、

雪除けのアーケードを思わせる。

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もちろんハワイでは雪除けではなく、

強い太陽光除け。

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のちの知識だが、「ラハイナ」とは、

ハワイ語で「残酷な太陽」の意味とか。

いわば「暑くて暑くてカンベンしてくれよ」というところか。

しかし、日本の夏に比べれば、もちろんラハイナは超爽やか。

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こういうきっかけから、

2008年、2009年、2013年と、

続けざまに3回、訪れた。

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このページの写真は、それらの日々の記録である。

このうち、スノーケリングは2回だけ。

ダイビング雑誌の編集に長くかかわってきたが、

ダイビングスポットとしてのハワイの記事は

ほとんど扱ったことがなかった理由が

よくわかった。

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噴火か隆起か、

その歴史が浅いせいか、

沖縄など、サンゴ礁の海のように、

サンゴ砂の白いエリアが広がっていないので、

海底からの反射が少なく、水中景観は暗め。

海洋生物も豊富とは言えない。

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サーフィンが盛んなことでもわかるように、

ビーチに向かってくる波は強く、

そのうえ、引き波も強いし、水温も低め。

のどかに水につかっている海ではない、

というのが2回だけ観察した者の感想。

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今度の火災のニュースで知ったのだが、

この地にあった、日本人が建立した浄土院も消失したという。

テレビを見ていたら、

この寺の住職が、辛い現実を涙をこらえて語っていた。

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ちょうど10年前に訪れたとき、

1人で街歩きをしていたら、

たまたまこの寺に出会った。

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歴史的には日本の幕末から明治時代にかけて、

日本人の多くが移民したことは知ってはいても、

アメリカ国に属するハワイで

日本の寺に出会うのは意外である。

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妙に懐かしい感慨を覚えて、

当たり前のように門をくぐった。


同じ墓地に、墓石と十字架が交じって立つ光景は

もちろん初めて見るものだった。

ある墓石には、

熊本県の村、字までの住所があり、

「〇〇の妻、〇〇 三拾七才 二月三日 永眠」とある。

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別の墓石には、

「基督曰はく 我に従はぬ者は……」などと

とても墓石とは思えぬ文言が書かれていたりする。

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今回の大火では、

海の中に逃げた人にまで

火焔やガスが襲ってきたというから、

この墓地を見逃す可能性はうすい。

ここは1旅行者の感傷は控えて、

とにかくより多くの写真を示しておこう。

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# by rocky-road | 2023-08-31 23:25 | ラハイナ  

「放送天気予報」の表現力。

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テレビ、ラジオによる天気予報の担当者(予報官、アナウンサー)の

差し出がましい指示・命令姿勢が気になる。

「熱中症に気をつけてください」

「頑丈な建物に避難してください」

「不要不急の外出は控えてください」

「のどが渇いていなくても水分補給をするようにお願いします」

「(台風接近で)予定の見直しもお願いします」

少し前までは、「気象庁は、不要不急の外出は控えるように

呼びかけています」のように、

伝聞情報として伝えていたが、

発信の機会がふえるにつれて、

だんだん前面にしゃしゃり出てくるようになった。

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予報官やアナウンサーの分際、かつ第三者の立場で、

不特定多数の国民に、お願いごとをするなどは不遜である。

「分をわきまえろ」と言いたい。


実際には、個人的な見解ではなくて、

原稿にそう書いてあるのだろう。

災害が多く、警告をしたくなるのはわかるが、

下っ端の1担当者が、

みだりに「……してください」「お願いします」などと

相手かまわず、上から目線で指示をしてはいけない。

日本人は、もっと分をわきまえた国民だったはずである。

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こういうときは、

「熱中症に最大限の注意が必要です」

「安全のためには、水分補給は決めた時間ごとに行なう必要があります」

「外出は早朝か、夕方以降の時間帯を選ぶのも対策の1つです」

などと、必要な情報を伝えて、最終判断は相手に任せるのが

大人の対応というものであろう。


参考までに、

戦時中、アメリカの爆撃機が東京方面に向かっているとき、

ラジオでは、こんな警告をしていた。

「東部軍管区情報。敵ボーイング29/60機編隊が

駿河湾上空を帝都に向かって飛行中……

文末は記憶なし)



当時の放送は、専門の放送局員(日本放送協会のアナウンサー)が

軍の施設に赴いて読みあげたものと思われる。

爆撃による危険度は、いまの災害のレベルを超えているが、

それでも、馴れ馴れしく 

「避難してください」などと、余計な指示をすることはなかった。

(当時、小学2年生の筆者による記憶の範囲で)


人に「何々してください」とか「お願いします」とかと指示ができるのは、

当事者の管理下にあるエリアとか、

よほど親しい間柄とか、親近感を表わすときとか、

上下関係や立場がはっきりしている場合とかに限られる。

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自宅の前に「ここにゴミを捨てないでください」、

公共施設の当事者が「ここに物を置かないでください」

などと掲示するのは、

利害に関係する当事者として許される。


台風や猛暑は、

放送局や天気予報官は気象現象の当事者ではなく、

疑う余地もない部外者。

そいう立場を自覚せず、

情報伝達の1メッセンジャーが

……ください」「お願いします」と言い切るのは、

出過ぎた態度であろう。

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人間というものは、

自分の持っている情報の価値が高くなると

(相手がこちらの情報に関心を高めると)、

偉くなったような気になる(自分が一次発信者でなくても)。

二流以下の人間ほど、それが表情や態度には出やすい。

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天気予報官が、雨や嵐の情報を伝えるとき、

なんとなく顔が輝くのは、

相対的に「お困り情報」が〝ウリ〟になることを感じるからである。

野暮な奴ほど、それが顔や態度に出る。

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天気予報官が、国語への関心がうすいのはいいとしても、

マスメディアを通じて、

日本中に情報を発信する立場になった以上、

それなりのトレーニングを受けるべきだが、

どうも、その点に不備があるらしく、

しばしばヘンテコなコトバを造語する。

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最近では、「線状降水帯」などと言いだす始末。

なんと硬直した、シャッチョコバッタ造語だろう。

そもそも、「線状」なのか「帯状」なのか、どっちやねん。

「線」にも東海道新幹線や、国道27号線など、

そばで見れば、線はけっこう太いものだが、

それだって、地図上には細い線で示される。

「帯」は、確かに和服の帯のような形状だけではなく、

「帯びる」という動詞としても使う。

静電気を帯びたり、酒気を帯びたり、密命を帯びたり。

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「降水帯」とは、「降水」を帯びた雲のことを言いたいらしいが、

「降水」だなんていう日本語を、

気象学の世界では使っているのだろうか。

「こうすい」といえば、

日本人は「香水」以外は思い浮かばないはず。

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そんな四角四面の表現をせずに、

「細い線のような雨雲」「帯状の雨雲」と言えば、

日本人の子供から大人まで、日常会話の中でも使えるはず。

人類共有の気象を、私有化してもらっては困る。

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「降水帯」などといういかめしい用語が、

一定の組織の中を、

ノーチェックで、くぐり抜けて世の中に流布する、

そういうシステムが信じられない。

気象庁なのか、どこなのか、

なんとまあ、言語センスの低い組織であろうか。

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昔、「湾岸低気圧」というのを耳にした主婦が、

ずっと「弾丸低気圧」だと思っていた、と

テレビかなにかで語っていたが、

そうなってもやむをえない。

みんなが使う気象用語は、

もっと平易なものを目指すべきであろう。

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この際だから言うが、

「台風の進路」という言い方も適切なのか、疑う。

「子供の進路」「自動車の進路妨害」などというように、

「進路」は、主体性をもったヒトやモノが

自分の意志でどこかに向かう状態ではないのか。

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ところが、熱帯性低気圧(台風)は、

その内蔵するエネルギーの大小にかかわらず、

実際には、自分の行先を自分では決められず、

向かう先は、風任せ、気圧任せというではないか。

つまり、もともと進路など持たず、

川の流れのように、風に乗って流れたり、

気圧の縁に沿って流れたりするのだと聞いたことがある。

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沖縄周辺に流れてきた台風が、

そのまま大陸に向かうことなく

いきなり直角に近い角度で右折するのを見て、

一定の方向性をもった現象が、

なぜそんな不合理な動きをする理由がわからなかった。


調べてみたら、

そのあたりは偏西風の通り道で、

その風に乗って、いきなり東に流されるのだというではないか。

つまり川が道をふさぐように流れているので、

台風は、その水路(風向き)に巻き込まれて、

流れゆくだけのことらしい。

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「台風の進路」だの「上陸」だの「直撃」だのというのは

擬人化もいいところの過大表現であって、

正確には「台風の流路」(りゅうろ)であろう。

ぴったりの単語だと思うが、

残念ながら、そういう日本語がなさそうだ。

だからといって、「流亡」(りゅうぼう)や

「流転」(るてん)「漂流」などとすると、

わかりづらいだけでなく、意味も変わってくる。


ともあれ、台風というものは、

任侠映画や演歌の歌詞にあるように、

流れ流れて沖縄あたりに辿り着くらしい。

だとすれば、「進路」「進行方向」「北上」「迷走」などと、

方向について主体性をもった物体であるかのような

誤解を招く表現は避けるべきではないのか。

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「流路」「流浪」などではカタすぎるので、

島崎藤村の「椰子の実」や

秋元康の「川の流れのように」の中に

適当なフレーズがないかと探してみたが、

藤村は「流れ寄る椰子の実一つ」はいいにしても、

あとは「流離の憂い」「孤(ひとり)身の浮寝の旅ぞ」などで、

気象庁以上にカタい表現になってしまうし、

 ああ 川の流れのように おだやかに……」では

ちょっとのどかすぎる。


ともあれ、

そろそろ擬人化ネーミングを刷り込むのはやめて、

科学的にも国語的にも適切な造語か用語を探す努力はしたい。

大和言葉に沿って言えば、

「流れ先」「流れ道」「東流れ」「淀み」(停滞)「逆流」などとなるが、

川をそのまま台風用語に転用するのは安易かもしれない。

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「流行」はトンピシャリだが、これも先約があるから、

いまとなっては借り物になってしまう。

とすると、馴染みはないが「流路」「流進」「流動」「遊路」

などを登録するか。

私的には、

台風は「流路に沿って流動し、ときに迷流する自然現象である」と

認識するようにしている。

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気象のハナシはここまでにして、

もう1つ、「言語損壊罪」的表現を1つ。

NHKの放送では、

インタビューをした相手が自分の望みを表現して

「ぜひ、おいでいただきたい」「ぜひ召しあがっていただきたい」

と語った場合、すべて「ほしい」と翻訳するルールがあるらしい。

謙虚さを身につけぬままに

大人になってしまった人間集団がやりそうなことである。

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この翻訳によってどういうことが起こるか。

「ほしい」という、動物性むき出しのコトバが

あたかも「ていねい表現」であるかのように

無防備の視聴者に刷り込まれていく可能性がある。

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英語表現の「I want you」といった、本能マル出しの表現を

日本語には「持ち込んでほしくは……

いやいや「持ち込んでいただきたくはない」。

やはり、「言語損壊罪」という法律をつくろうではないか。

日本人が日本人であり続けるためにも……

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以上、お考えいただければ、幸いでございます。

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# by rocky-road | 2023-08-13 20:26 | 天気予報  

「早わかり」との再会。

管理栄養士の高田和子さん、吉田美代子さんが
監修した書物、『たんぱく質 早わかり』が
女子栄養大学出版部から刊行された。
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吉田さんは、かつて、
わがロッコム文章・編集塾に在籍していた方。
いまも、フリーの栄養士として
コンビニでの食事相談や
食と色との心理的・生理的関係を説くなど
広範囲にユニークな活動を続けている。
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今回の出版のことは、
ご本人から伺うまで知らなかった。
かつて私が勤めていた女子栄養大学出版部からの刊行
ということにとどまらず、
この「早わかりシリーズ」が、今から37年前の1986年(昭和61年)に、
私が企画したシリーズであるという点で
ここに吉田さんが登場するという因縁に深い感慨を覚えた。
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私とは接点のない後継のスタッフたちによって、
37年間も、1つのシリーズが継続しているのである。
企画というものは、その意味で終点はない。

当時の私は、『栄養と料理』の編集長と、
書籍編集長の兼務する時期もあって、
2課の編集長テーブルを行き来しながら、
このシリーズを企画し、推進した。

実務は外部のプロダクションにお願いした。
そのプロダクションとして、
竹内富貴子さんが運営していた≪カロニック・ダイエット・スタジオ≫や
藤原眞昭、勝子夫妻が運営していた≪群羊社≫などが
筆頭にあげられる。
このほかにも、プロダクションや専門分野の方たちのお世話になった。

話は遡って、
『栄養と料理』では、新年号と7月号には、
前任者からの継承で、別冊付録として
「献立カレンダー」(半年間の朝、昼、夕の献立表)をつけていたが、
1980年7月号に、
「市販食品・外食のカロリーガイドブック」という付録をつけてみた。
これが好評だったので、
この年の12月に、これを単行本として出版した。
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「市販食品・外食」は単行本としても好調と聞き、
翌1981年(昭和56年)の7月号に、
『毎日のおかずのエネルギー・塩分カタログという』付録をつけてみた。
これも後日、書籍として再登場させ、やはりヒットした。

営業部門の課長からは、
「付録としてつけたものを本にするというのは、
二番煎じ的で安易ではないか」と指摘された。
このときの私の反論はこうである。
「なに言っているの? もともと書籍として企画したものを
 雑誌の付録にサービスとしてつけたんただよ」
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女子栄養大学出版部では、
毎年1月に、『食品成分表』の年度版を発行していたが、
「ガイドブック」や「カタログ」などを「データもの」として
担当者間では仮称するようになっていった。
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親しかった営業課や制作担当のA氏からは、
「大橋さん、これからはデータものだよ」と励まされた。
A氏は、大手印刷会社から引き抜いた人物で、
印刷所の決定や用紙の手配をすることに堪能だった
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こういう内部事情の流れの中から
「『栄養と料理』/早わかりシリーズ」が生まれた。
1986年(昭和61年)10月に、
その第1号『食品の塩分早わかり』を刊行した。
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予想どおりの大ヒットで、
同年12月には『食品のエネルギー早わかり』を刊行した。
以後、『ダイエットのための食品選び早わかり』
『野菜300㌘のとり方早わかり」と続く。
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「早わかり」とは、
なんともひねりのない、俗な表現ではあるが、
「カタログ」や「ガイドブック」「便覧」などよりも、
気どりがなく、親しみやすいネーミングだと考えた。
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2023年6月に出た、吉田さんがかわった
『たんぱく質 早わかり』は、
シリーズ名を
「FOOD&COOKING DATA」というのを
シリーズ名としているようだが、
私の中では、まさに「早わかりシリーズ」の継続であり、
わざわざ英語表記をする必要はないと思う。
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ネットで検索すると、私が退職した後にも
『コレステロール、食物繊維、早わかり』
『腎臓病の料理のコツ 早わかり』
『栄養アップ カロリーアップのコツ 早わかり』
『糖質 早わかり』
『気になる脂質 早わかり』
などが刊行されているようである(発行順不同)
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以上、ヒット企画の歴史的秘話と、
人との意外なかかわり、というお話でした。
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話はガラリと変わって、
この2023年7月5、6、7日の北海道旅行の写真を
何点かアップしておこう。
昔(1975年)、根室沖や屈斜路湖などへの
スノーケリングの旅をして以来の、
48年ぶりの北海道である。
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何点かを披露して
今回はここまで。
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# by rocky-road | 2023-07-31 16:54 | 大橋禄郎 文章教室  

ゆる~くなり続ける日本。

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この4月に、新聞の人生案内欄に

「20代女性 夢がないのは変?」という相談が載った。

これについての回答者は、

大学教授でもある哲学者。

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相談内容は、いとこから「夢がないのはおかしい」と

言われて以来、もやもやしているという女性。

その親戚からは

「なにか目標を持たないとだめ」と、「軽く説教された」とか。

本人は「現実主義的なところがあって、

今日、明日を生きるのに精いっぱいです」とのこと。

これに対する回答の要点は、

「はたして夢を持って生きる必要があるのかどうか」と

相談者に寄り添う姿勢。

そして、「人間には、三つの時間の区分に分けて、

過去、未来、現在という3種類の生き方がある」という。

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そうなの?

生後1か月の乳児にも、御年100歳の高齢者にも、

主観的には、現在、過去、未来があるはず。

過去だけに生きている人、現在だけに生きている人、

未来だけに生きている人に

いままで会ったことはないが、

もしいるのなら、ぜひ会ってみたい。

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「3種類の生き方がある」とは、

哲学者の思考パターンがわからない。

この地球上の生物は、

春夏秋冬を前提にして、

まさに現在、過去、未来を生きている。

過去の経験があるからこそ現在に適応しているはず。

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サクラは春の開花のタイミングを考えて(?)繁栄してきたし、

キリギリスやリスは、冬に備えて食料を備蓄している。

現代の哲学者は、人間どころか、

生物学の基本がわかっているのだろうか。

ソクラテスの弟子のプラトンは、

目的に向かって生きる意味と、

かならずしも結果を求めない行動の意味を

対比的に論じている、と聞いたことがあるが。

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21世に生きる大学のセンセイが、

将来のある学生に

「夢はもたなくてもいい」などと語っていると思うと、

日本の将来に、ホント、夢を持ちにくくなる。

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もっとも、5月3日に新聞に掲載された意見広告は、

以上とは真逆に、「夢だけに生きている」人たちが広告主。

「人工衛星」と称するミサイルが領海周辺に落ちてきているのに、

防衛力は持たないほうがいい、と主張し、

しかも、日本が「大軍拡」を意図しているなどと、

ウソを承知で誇張表現を使う。

夢は必要だが、夢想、空想との区別はできる程度の思考力はほしい。

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国が低落する予兆は、いち早くコトバに現われる傾向があって、

その1つが、自国のコトバや伝統を尊重しなくなる。

「マイナ」だ、「ひもつけ」だ、「ジャンクション」だ、と。

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過去、現在、未来に生きているフツーの人間にとって、

NHKラジオの「子ども科学相談」という番組で、

質問を寄せた子供との通話が終わるとき、

進行役のアナウンサーが「ありがとうございました」とまとめる。

すると子供も、反射的に「ありがとうございました」と応じる。

かくして、子供には「ございました」が刷り込まれ、

日本語の「ありがとうございます」は遠のいてゆく。

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かつて、そのNHKも、

以前、受けた好意に対してお礼をいう場合も、

「謝意」(感謝の気持ち)は、いまも続いているのだから、

「〝ありがとうございます〟が適切」と放送していたのである。

「先日は、お中元、ありがとうございます」(×「ありがとうございました」)

のカタチである。

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とはいえ、日本中をカバーする新幹線も航空会社も

「本日は新幹線をご利用いただきまして……

「本日はご搭乗いただきまして……

「ありがとうございました。」と、

とっくのとうに、過去形で表現している。

デパートもスーパーも、同様。

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が、気骨のあるスーパーもあって、

某スーパーは、上からの厳命で、

「ありがとうございます」を守っているという。

やっぱり、夢は持とうではないか。

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伝統的な、やや「ぶった」(偉そうな振りをする)コトバを

なんとか使おうとする例もあるが、

トレーニング不足、基礎勉強不足のために、

むしろ、だらしのない、お笑い表現になってしまう例を、

TBSテレビ、「ひるおび」という番組で学ぶことができる。

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前にも、このページで書いたことがあるが、

このタレントあがりのキャスター、

「いわゆる」「要するに」を連発し続けると、どうにも止まらない。

そもそもこの用語、語彙の豊かな著述家が、

いろいろの現象を、別の表現で端的に示すときに用いる。

そのため、「カケダシ」(初心者や未熟な人)は、

背伸びしたくて、しきりにこの表現を使いたがる。

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言語心理学の研究対象として、

このコトバから始めるフレーズに法則性はあるのか、

しばしば観察しているが、

ただの口癖なので、法則性はゼロ。

思いつくままに冠しているだけ。

「いわゆる大谷」「いわゆるウクライナ」

「要するにワグネル……」「要するに洪水」

(言われなくても大谷は大谷だよ!!

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自分では、気の利いたことを言っているポーズとして

連発するが、かえって教養の低さが引き立つ。

スタッフは、ミーティングのときなどに

それを指摘することはないらしい。

意外にチーム力の低い番組のようである。

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公共の施設を破壊したりすると「器物損壊罪」で

罰せられるが、

それならば、自国語を損壊させてはいけないという

「言語損壊罪」という法規があってもいいのかもしれない。

現行犯逮捕はむずかしそうに思えるが、

かならずしも、そうでもない。

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1つの番組の中で、「いわゆる」「要するに」

「ありがとうございました」を5回以上使ったら、

×ポイント1点、10点になったら逮捕……とか。

「表現の自由」と「言語損壊による社会的リスク」とを

どう天秤にかけるか、その議論だけでもおもしろい。

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中国の報道官の、ニコリともしない厳しい表情と用語、

北朝鮮の浪曲のような節回しのニュース番組、

そこには上り調子の国のコトバの緊張がある。

日本は、その時代を80年前に終えた。

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歴史は、振出しに戻って、繰り返すことはできない。

くやしいが、「もう、ダメなんじゃないカナ?」

「衰退に向かうんじゃないカナ?」

「成熟社会っていうんじゃないけれど、仕方ないじゃない?」

「国の方向性が定まらないっていうんじゃないけれど、

先が見えなくなっているんじゃないカナ?」

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せめてせめて、個人としては、

そういうカッタルイ話し方をしないように

気をつけることである。

「要するに」それは、予算のいらない「国防」である。

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# by rocky-road | 2023-07-03 09:47  

食と健康の新情報をどう発信するか。

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今年も、私のバースディに合わせて

パルマローザ主催の「スペシャルセミナー」を

開催していただいた。

(2023年6月4日 終日。横浜市技能文化会館。

ちなみに当方、1936年6月5日生まれ)

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演題は

いま、栄養士には、どんな〝情報発信力〟が

求められているか。」とした。

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一般論として、

情報は、あとからついてくるのが通常のカタチ。

たとえば、まず、ケモノが歩く「ケモノミチ」があって、

そこをヒトが歩くようになり、

それが、いつのまにか木道になり、

さらに、いつのまにかアスファルト舗装がされたりして、

やがて国土地理院の地図にも登録される。

ここに至って、正式に情報化される。

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食や健康に関する情報も同じ、と言いたいが、

〝現状〟が〝情報化〟されるのは

ケモノミチが地図に登録されるのよりも

ずっとずっと時間がかかる。

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つい先日の新聞では、

ある大学教授が、

健康の定義として、WHO(世界保健機関)のものを使っていた。

すなわち、

「健康とは、単に病気がないとか、虚弱でないとか

というだけでなく、身体的にも、精神的にも、

かつ社会的にも完全な状態をいう」

という、アレである。


この定義は、1946年のものだから、

77年前の「健康」解釈である。

この定義の弱点は、

ヘレンケラーやスケボーに乗ったケニー、

「五体不満足」と自ら名乗った

乙武洋匡(おとたけ ひろただ)さんも

活躍時代において「健康」ではなかったことになってしまうこと。

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これを現代の大学生が学んでいると思うと、

「光陰矢の如し」とはいうものの、

時代というものが、いかにゆったりと流れているかがわる。

コトバの定義は、時代によって、場所によって、

人によって変わって当然である。

ある定義に不備を感じたら、その人が更新すればよい。

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そういう理由で、「健康」の定義については、

20年ほど前に、大橋が更新した。

「健康とは、日々の思考や行動の自由度が

個人の中で比較的高く、心身に著しい不安や苦痛、

重篤な病気がない状態」

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さて、スペシャルセミナーで演題とした

「情報の発信力」の話。

この「情報」というコトバも曲者(くせもの)で、

国語辞典では、とても満足できないので、

これも大橋流に定義してみた。

ここではそれは省くが、

要するに「情報」とは、

有形・無形のメディア(媒体または記号)によって

運ばれる、というもの。

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飲食店で注文した料理を待つとき、

「ずいぶん待たせるな」と感じさせたり、

「畑に食材を採りに行ったのかな?」と想像させたり、

「よほど手の込んだ料理なのだろうと」期待させたりする。

この場合、「時間」という「無形のメディア」が、

上記のような情報を運んだことになる。

時間は、時計があれば有形ともいえるが、

時の流れや、待ち遠しい心や、苛立つ心は無形である。

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なんていう話になると、

またまたコムズカシイ話になるので、

演題のメインテーマである

「栄養士に求められる情報発信力」に限って

話を進めよう。

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「情報発信力」とは、簡単に言えば、

話題を作って、人に伝える能力のことである。

「きょうは、晴れましたね」

「あら、お出かけ? お買いもの?」

「ご興味があれば、1日に何をどれだけ食べればよいか、

目安の1つをお伝えしましょうか」

などの声かけは、話題力であり、情報発信力の一端である。

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「いつも、お召し物がステキですね」

と、周囲の人から、しばしばいわれる栄養士は、

情報発信力があるといえる。

情報は非言語的にも発信可能である。

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そうであれば、

「あの人、いつも暗い表情ね」

「いちいち突っかかってくるので、イヤになっちゃう」

と、陰口される人にも、

それなりの「情報発信力」はある、ということになる。

確かにそうだが、

その情報は、アンヘルシーで、アンハッピーな

マイナス情報でしかない。

これは、世の中が求めていない情報を

発信している悪しき事例である。

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ここで話がハイジャンプして、

「スペシャルセミナー」から1週間後に開かれた

「食ジム」第121回の話に(これって「情報の高飛び力」?)。

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ここでのテーマは

「栄養士の社会貢献として、

マスメディアに参加するということは どういうことか。」

(食コーチングプログラムス主催

2023年6月11日 かながわ労働プラザ。

座長/佐藤由起子さん

アドバイザー/影山なお子さん 大橋)

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この話し合いでは、食や健康関係の「有名人」をあげてみたり、

同じく食や健康に関して影響を受けたりしたメディアについて

話し合った(テレビ、教科書、書物、新聞、雑誌など)。

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「スペシャルセミナー」の「情報発信力」と、

「食ジム」の「マスメディアへの参加」とは、

図らずもセットのテーマである。

したがって、けっしてハイジャンプをしたわけではなく、

隣の部屋に移った程度の移動である。

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最初にあげた「健康の定義」のように、

70年も前のものを使っていてはダメ。

であれば、定義や概念もどんどん更新して

社会に提示すべきではないか。

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私が関係するセミナーでは、

「健康の定義」も「健康の3大要素」も、

「幸福の定義」も「栄養バランスの定義」も

更新してきているし、

「食には栄養補給以外の多くの意味があること」や

「余暇活動」と「予暇活動」の違いなども

提案ずみである。

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が、それらは、いまだに社会の財産になるどころか、

栄養士、健康支援者の99%は、

「聞いたこともない」という状態。


2020年に

『栄養士のためのライフデザインブック』

(医歯薬出版刊 大橋監修 影山なお子編

本体定価3200円)を世に問うたが、

いまだ「社会貢献」には、ほど遠い。

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マスメディアは全方向に目を向けているから、

小さくてホット情報には気がつきにくい。

それ以前の問題として、

人は多分に心の目(この場合、体験から生まれる視力、

すなわち記憶)によってモノを見ようとするから、

経験のないものの存在には気がつかない。

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早い話が、自分好みのものにしか見えない。

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ということは、

こちらからメディアに向けて働きかけなければ、

あちらは、まったく関心を示さない。

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いや、1回や2回のアプローチでは、

気配さえ感じられない。

「それくらいわかっているのなら、

さっさとやればいいじゃん?」

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そうなんです。

わかっているようで、ポカンとしていること、

あるわけですよ。

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「スペシャルセミナー」と「食ジム」とが

続いたおかげで、

そのことが改めて意識にのぼった。

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では、どうアプローチするか、

狙いをどうつけるか、

どれくらいの期間を想定するか……

時間と知力と体力を要するアクションだが、

やらにゃぁしょうがないでしょう。

それって、「社会貢献」だし、

歴史への参加だからね。

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やりましょう。

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といった、メディア情報は、

かなりの頻度でオープンにしているが、

これもまた、

人は経験で身につけた視力でしかモノを見ないから、

100回や1000回の発信では効果は望めない。

ま、とにかく、やりましょう。

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# by rocky-road | 2023-06-14 23:26 | パルマローザセミナー