ヘルス映像学会 発足か。

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パルマローザの写真教室は、

今年で16年を数えた。

栄養士、管理栄養士が16年間、

写真撮影のトレーニングを続けている例は

世界にどれくらいあるのだろうか。

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世界は広いから、

登山だの、ボウリングだの、カラオケだの、

専門以外の余暇活動を続けるグループは

少なからずあるはずで、

そのことによるモチベーション、健康向上の効果は

想像以上に大きいものがある。

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であるならば、

「栄養士と写真撮影」にはどんな意味があるのか、

それを証明する必要があるだろう。

幸か不幸か、

いまのところ、そのことに気づいている人は、

あまりにも少ない、いや皆無に近い。

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しかし、「食と健康」と「写真」との関係は、

5秒も考えればわかること。

その第1は、料理や献立の写真の利用。

記録として撮っておく、

それを献立表やチラシに使って

利用者(生徒・保護者、病院、各種施設)に

情報として提供する。

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栄養士に限らず、

食にかかわる職種は、

写真を活用する機会が多いことは明らかである。

いやいや、そうではない。

写真を使う必要のない職業など、

実際には、この世に「ない」と言い切っていい。

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総理大臣、農林水産業、弁護士、税理士、

交通機関の従業員、教員、刀鍛冶、

美容師、理髪師、医師、軍人、

スーパーマン、ウルトラマン……

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しかし、現実には、

写真の活用法に気づかない、

または撮影技術がない、

人や業種が圧倒的に多いと、きたもんだ。

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いまは、100人中99人が

スマホカメラを持っているという時代である。

ほうっておいても、その活用法が広がりつつあり、

それが個々人の身体機能の発達、維持、向上に

深くかかわっていることを示す研究報告が

遠からず発表されるはずである。

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ただ、心配なのは、

飲酒経験や、コーヒーを飲む習慣が

「成人病」のリスクではなく、

むしろ、メリットになるという研究のように、

とかく飲食物の成分のほうに原因を求める傾向があるから、

写真撮影の場合にも、

うっかりすると、

そのメリットを小さくとらえる可能性がある。

(ここでは、意味あって「生活習慣病」という用語は避け、

あえて「成人病」とする。理由は後日、ここで)

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因果関係を、対症療法的に、

小さくとらえるもう1つの事例としては、

カラオケが健康上のメリットとして、

「肺活量」が云々と、述べる医師がいた。

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どうも「娑婆」(しゃば)やライフスタイルについて

知識も思考も経験も少ない研究者は

その要因を浅薄にとらえる傾向がある。

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で、以下は、写真撮影の習慣が、

人間の心身の健康にどれくらい有効か、

という仮説である。

いつか、健康論として参考にされる日がくることを予想して、

述べておきたい。

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ちなみに、昔の著名カメラマンは、

こんな名言を残している。

「写真はフットワーク」

「写真はスポーツである」

「写真はコトバで(口で)撮る」

(モデル撮影など。「いいよ、いいよ、

いっそ、そのシャツ、脱いでみようか」)

「写真は、現在・過去・未来を撮る」

「水中写真はダイビング技術で撮る」

「水中写真は〝待ち〟である」

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以下、「写真健康論」を。

1.まず、わが持論、

「好奇心」は、内的に自然に生じるのでなく、

その情報を人に伝え、受け入れられたときに、

生まれたり強化されたりする。

近年、事件があると、

かならず「スマホカメラマン」が、

報道担当となって現場の状況を発信する。

「知らせたい」「知らせられる」という動機が

好奇心を募らせるのである。

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2.流動する世界の様子を、

静止画像として記録する意味。

カップに注いだミルクの表面に

1滴が落ちたとき、

その表面のミルクは王冠のように跳ねる、

その瞬間を撮ったカメラマンがいた。

物理現象の、なんという美しさ。

(いまは、撮影方法まで、ネットで知ることができる)

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日常生活では、

事故を起こして逃げ去る車のナンバーを

証拠写真とした一発写真。

路上で交通ルールについて口論中、

道端の棒を持って向かってくる相手の写真を撮って、

警察で証拠品として提示したために

一転して自分が絶対有利になった一発写真。

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すなわち写真は、数秒後に起こる現象・事象を

予測したり決定したりする能力を発達させることになる。

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3.俯瞰ポジション、反対側のポジションからの視点。

人間は、飛行機を発明する以前から、

鳥の視線で地上を見ることができた。

そこから地図が生まれた。

そしていまは、自撮りシャッターや自撮り棒、

さらにはドローンを使って、

山頂やエントツの上、万里の長城の上に立つ

自分や自分たちを撮ることができる。

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あるいは、橋の上に立つ自分たちを、

橋の向こう側から撮る……

居ながらにして、向こうから見た自分を想像する、

脳内に、別の視点をもつ意味は、

動物としての感受性、人間としての客観性、

言い換えれば、

「心の目」をもつことによる

認知機能上の利点は計り知れない。

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4.美意識、構成力を強化する効果。

異なる視点をもつことの、もう1つの利点は、

角度により、位置により、

独自の美的・構成のおもしろさを発見できること。


主たる被写体と背景、周囲の景観、事物との関係を

オリジナリティのある構図として記録することで、

広くて深い視野をもつことができる。 

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5.自分の人生の歴史をジャンルごとに保存する意味。

私の例でいえば、

写真歴が続くにしたがって、

いろいろのホルダーが生まれる。

「Rocky ヒストリー」「食ジム」「エンパル」

「シーズン」「横浜風景」「パルマローザ」

「水中写真」「沖縄水中」「能登水中」「半水面」 

「料理・食品コレクション」「花コレクション」「写真教室」

「ロッコム文章・編集塾」「広島コミ研」「ブログ素材」などなど、

写真のホルダーだけで80項目ほどになった。

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年ごとにカテゴリーをふやしてゆくことは、

認知機能の活性化につながることだろう。

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6.ネーミングによって言語表現を刺激する効果。

これは一般的には知られていないが、

フォトコンテストに応募するときは、

タイトルが必要になる。

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ネーミングは、作品の質とは無関係だが、

コトバとは無関係な神羅万象を

短いフレーズで表現することは、

言語能力や発想力を大いに刺激する。

これは俳句や短歌にも通じる。

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写真が言語能力を刺激することを

認識している人は少ないが、

フォトコンに応募したり、メディアで発信いたりする人は、

この能力を棚から降ろす必要に迫られる。

昔、著名なコンテストで大賞を取った作品に

「餌場」とのタイトルがついているのに

なんとも淋しい思いをした。

海に出ていたサケが、

産卵のために激流の川を遡上して、

小山のてっぺんにある淀み(よどみ)で産卵し、

そこで最期を迎える。

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が、自然界の厳しさは、

命が尽きるサケを狙ってタカのような

中・大型の鳥たちが集まってきて、

サケの亡骸をむさぼるシーンを現出する。

それを半水面で撮った(上にタカ、水面下に死んだサケ)、

すばらしい努力作品である。

が、それを「餌場」とネーミングしてはいけない。

人間が仕掛けた「餌場」などではなく、

食物連鎖の、リアルで切ない光景である。

ここは「旅路の果てに」 「天に昇る日」

とでも、してほしかった。

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写真は、非言語的分野と思われがちだが、

前述のホルダー化も含めて、

なかなかどうして、言語的な要素も少なくない。

自慢ではないが、

「第29回 よみうり写真大賞」で1席を得た

私の作品のタイトルは「わんマンショー」である。

この1作については、タイトルも、受賞に貢献したと

深く深く思っている。

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7.いうまでもないが、

写真はコミュニケーションのツールとしての存在価値は高い。 

設置カメラやドライブレコーダーの普及で、

ますますその価値は高まっている。

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こうした一連の写真撮影習慣が、

個々人のモチベーションを高め、

それによって居場所がふえる、

それが、

自他の健康度をどれくらいあげるものかは、

いくら強調しても、しすぎることはないだろう。

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「ヘルスコミュニケーション学会」があるならば、

「ヘルス映像学会」というものも

あってもよい。

いま、設立を宣言するか、

もう少し地固めをしてからにするか、目下、思案中。

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とすると、パルマローザの写真教室は、

健康支援者にとって、

パイオニア的イベントであると言えるだろう。

反発を覚悟で言うが、

「写真の撮れない食関係者は

表現力という点では2流以下」

と言われる日が、遠からず、くることだろう。

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# by rocky-road | 2023-05-05 17:29 | 写真教室  

ムツゴロウさんとの、かすかなご縁。

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ムツゴロウさん(畑 正憲/はた まさのり)が、

2023年4月5日に他界されたという。

海を通じて知り合い、

わずかながらも接点があったので、

その思い出を書いておこう。

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最初の出会いは……とは言っても、

直接は会うことはなく、

香港への取材旅行に、別々の日程で出かけた。

水中造形センターが、

『海と島の旅』という雑誌を創刊することになり、

その取材のためである。

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創刊号の発行は1978年(昭和53年)4月、

創刊は私の提案による。

私は外部スタッフとして、

創刊号の構想やプロデュースを担った。

この号を飾る企画の1つは、

当時人気のムツゴロウさんを連れ出して

香港の水族館でイルカと泳いでもらう、

というものだった。

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香港の現地機関とのタイアップという交渉も進んで、

万事GOだったが、

私は本業(女子栄養大学出版部勤務)との関係で

ムツゴロウさんより先に香港に入り、

ダイビング取材をして、先に帰るという

すれ違いのスケジュールとなった。

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しかし、その前後にお会いすることになり、

以後、何回か、

食事をしたり、彼が宿泊中のホテルを訪ねたりした。

当時から人気者だったから、

歓談目的の食事中にも、

周囲の人からサインを求められたりしていたが、

ムツゴロウさんは快く受けていた。

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ホテルのサイドテーブルで原稿を執筆中、

彼の目の前に何かのポスターが張ってある。

鏡を覆うためにご自身で張ったのだと言う。

「そこまで原稿に追われる辛さ」という話題を出したら、

こんな話をしていた。

「才能がある人は、気が向いたときに書けばいいけれど、

ボクのように才能のない者は、

ない知恵を絞って絞って、絞り出さないと

なかなか書けないものですよ。

その中に1本でも、モノになるものがあればいい。

志賀直哉みたいに、晩年になって、

ほとんど書けなくなってしまうのは、

途中で休んでしまうからですよ」

この話は、大いに参考になった。

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ちなみに、「ムツゴロウ」とは、ハゼ科の魚。

海の干潟に生息し、砂地を這ったり跳ねたりする。

上目遣いに周囲を見渡す姿は、

確かに彼が自称するように

ムツゴロウに似ている。

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彼は、寝床で執筆するとき、

腹ばいになり、

布団を頭までかぶった格好になる、

その姿が魚類のムツゴロウに似ている、と思ったという。

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いつ、どこであったか、

ムツゴロウとしか思えない、

大きな箸置きを見つけたので、

それを買って、彼に贈った。

使ってくれたかどうか、その後、どうなったか、

想像もつかない。

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次の接点は、1982年。

『マリンダイビング』(水中造形センター発行)の、

恒例の「水中写真コンテスト」でグランプリを

いただいたとき、審査員は

村上 龍(作家) 畑 正憲(作家) 舘石 昭(水中写真家)

の3氏であった。

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ムツゴロウさんのコメントはこうだった。

「この人、さすがにキャッチフレーズ(タイトルのこと)の

つけ方がうまいですね。それと、この作品は、

奇をてらったものではなく、ごく平凡な風景を

さりげなく撮って表現力を持たしていますね。

だから見ていて見飽きないし、

多くの人に愛される作品ではないかと思います」

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調子に乗って、作家、村上 龍氏の、

私の作品についてのコメントも。

「ひと口にいうと印象派の作品みたいですね。

ドキッとするような作品ではないけれど、

壁に貼っていつまでもながめていたくなるような作品ですね。

今回のコンテストの中では、

一番見飽きないすばらしい作品だと思います」

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グランプリ受賞と同じ年の1982年、

私が編集長を務める『栄養と料理』の4月号から、

ムツゴロウさんの新連載、

「ムツゴロウの食物誌」が始まった(1年間)。

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第1回のタイトルは「闇鍋」(やみなべ)。

こんな内容のエッセイである。

日本政府の要請で夫について来日したアメリカ人女性。

しばらくして夫は他界。

奥さんは1人日本に残って、

関西のある海辺に住んだ。

日本に骨を埋めるつもりで、

料理教室を始めたりして、

地元の若者たちと仲よくなった。

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ときには、酒の肴にと、

ラム(子羊)だのメンヨウだのを持ち込むと、

夫人は、難なくさばいてステーキにしてくれた。

しかし、ある青年が、カスミ網で

スズメを捕獲して(いまは法律違反の捕獲法)持ってきたときには

強い拒否反応を示す。

「これ、いけないネ。ダメ。ああ 神さま」

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漁村のこと、クジラも食べる。

これについても、彼女は拒否。

「いけないネ。ツヨークいけないこと。

あつーい血が、鯨には流れてるネ。

それ殺す、いけないネ」

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青年が反論する。

「そんじゃ訊くけど、ミセス・ナンシーは、

よくまあ牛肉を食べるね。

牛には、その、あつーい血は流れていないのかな」

「それ、違いますネ。牛、神が許した食べものネ」

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あるとき、漁師の青年が、

時化(しけ)に遭って亡くなった。

彼女は大粒の涙を流して泣き続ける。

青年たちは、彼女を慰めるために、

「闇鍋」の会を催す。

「ヒジョーにおいしいですネ」と、彼女は喜ぶ。

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彼女がトイレに立ったとき、

1人の青年が小声で話す。

なべには、時化で打ち上げられたウミガメを入れたんだ、と。

ふだん、ウミガメはダメと言っているのに、おいしいと言った。

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別の1人が、それについて論じる。

「なにせ人を食ったババアだよ」

親しみをこめた言い方だったが、

手を洗っていたナンシー夫人、

それを耳にしてしまった。

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この話は、

ムツゴロウさんが、ナンシーさんから直接聞いたという。

「お墓に持っていきたい秘密の話だけど」と前置きして、

人肉を食べた罪を告白する。

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彼女は、闇鍋に入っていたウミガメの肉を

人間の肉だと、思い込んでいたのである。

アメリカ人には、

日本語の「人を食ったババア」の意味はわからない

(「人を人とも思わない」という意味)。

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ムツゴロウさんは、このエッセイを、こうしめくくる。

「何十年も信じてきた彼女の罪の意識を

笑いとばしていいかどうか分からず、私はクククと

笑いを噛み殺すだけで精一杯であった。」

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連載エッセイ「ムツゴロウの食物誌」は、

その後、1年続くが、

ムツゴロウさんは、動物愛好者として

ますます人気者になっていった。

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ダイビング雑誌との縁もなくなっていった。

ムツゴロウさんとの縁は、

その程度のものだが、

後日、こんな縁も知った。

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彼がエッセイに関心をもったのは、

北 杜夫の『どくとるマンボウ航海記』だとか。

それを書写して、

ユーモアタッチの文章のトレーニングをしたという。

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これは私も同じである。

軽妙な文体を身につけようと、

私の場合は、北杜夫のほか、

小田 実の『何でも見てやろう』、

山口 瞳の『江分利満氏の優雅な生活』

(えぶりまん)、

フランスのユーモア小説などを書写した。

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書写は、

スポーツ選手にとってのランニングのようなもの。

動物王国の盟主・ムツゴロウ氏も、

しっかり足腰を鍛えていたのである。

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87歳の訃報を知って、

わずかながら、楽しい人と接点があったことを

うれしく思う。

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今度、『栄養と料理』の現役スタッフから聞いたのだが、

私が退職後、

『栄養と料理』の2015年11月号にも

ムツゴロウさんは、インタビュー記事で登場していた。

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だれが担当したか、詳しくは知らないが、

私の最初の企画と関係があるのか、

まったくの偶然なのか。

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動物好きの作家と『栄養と料理』、

海の旅と動物作家、

どれも、ほとんど縁がないが、

無縁を有縁に変えるのが

編集という仕事の大事に点である。

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そしていま、こうしてムツゴロウさんとの縁を

温めている。

さて次は、いつ、どこで?

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# by rocky-road | 2023-04-07 23:14 | ムツゴロウさん  

『生きる』タイミング。

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影山なお子さんが立ち上げた映画鑑賞会の第2回は

イギリス映画『LIVING』であった。

(黒澤 明の『生きる』を、

カズオ・イシグロ氏が、リメイク脚本で完成させた作品)。

栄養士が、なぜ映画観賞会をつくって

定期的に映画を観ることの意味は?

……なんて考えるのは野暮中の野暮。

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映画も、書物の輪読会(大学ではゼミの1形式)と同じで

複数で観ると、1人とは違う視点が加わる。

映画に見方の方法論など必要なく、

観たいように見て、好きなように解釈すればよいが、

人の見方を参考にすることの意義は大きい。

大学にある「映研」(映画研究会)には、

映画を多角的に観る場としての意味がある。

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映画とは、フィルムおよびコンピューターに

記録された作品を鑑賞するもの、

と考えがちだが、

実際には、

それを観る人たちも、その作品に参加するのである。

1人で観るか、複数で観るか、どんな人と観るか、

映画館の前方で観るか、立ち見をするか、

ポップコーンを食べながら観るか、

ビールを飲みながら観るかによっても、

作品の解釈は違ってくる。

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動物の反応は、内的・外的環境によって、

大きく変わるものである。

感じ方、認知のレベルや深さ、思考、解釈、評価……

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それだからこそ、

世の中には、観た映画の感想や解釈の違いで

キッパリと縁を切った友人、先輩と後輩、仕事関係、

恋人、夫婦、親子は少なくないはず。

映画を「総合芸術」と呼ぶ人がいたように、

観る側も、その「総合」にそれとなく参加させられるのである。

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さて、イギリス国籍のカズオ・イシグロ氏は、

黒澤作品を、実に忠実にリメイクしている。

1950年代頃までは、

(たぶんイギリスでも)がんは死の病だったし、

健康観や医療への関心が今日ほど高くはなかったから、

怖いものには近寄りたくなかった。

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そのせいか、症状の程度を示すシーンも、

治療や服薬など、医療的なシーンなどは完全に省かれている。

(「がん」はかな書き。

「ガン」とすると、「夕陽のガンマン」になるから)

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というわけで、

この映画を、制作意図どおり、

いわば文学作品またはヒューマンドラマとしての感想を

もつ人が多くて当然である。


「死を悟った人間の生き返り方」

「真に生きることは、長生きすることとは限らない」

「人は熱しやすく冷めやすい。故人の業績を評価しても、

時間が過ぎれば、

次のがん患者を生み出す仕事振りに戻る」などなど。

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(現代的に)「いまも昔も、生き方がわからず、

ボーっと生きている人はいる」と感じた人も多かろう。

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しかし、健康論として観た人は多くはないだろうから、

その観点からの感想を書いておこう。


主人公の「予暇活動」のない、

職場と家との行き帰りだけのライフスタイル、

妻とは死別、息子夫婦と同居する冷たい家庭環境、

同僚とのコミュニケーションが少なく、

市民からのプレッシャーも弱い職場環境……

これらが、「がん」の発症リスクの伏線になっている。

(いまならフレイルや認知症もプラス)

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「ライフスタイルを見直そう」などという、

マジメなテーマをちらっとでも出すと、

文学作品の価値は急落する。


ここは、自分の生き方などを投影させないで、

「ゾンビ」とあだ名された(黒澤版の志村 喬の場合は「ミイラ」)、

夢遊病者のような主人公の敗者復活戦が見せ場に

没入するのが、制作者に対する素直な向き合い方かもしれない。


映画を視た翌日、『読売新聞』(2023年4月2日)に

「『8000歩』週1~2日、健康への第一歩」

という記事が載っていた。

京都大学と、カリフォルニア・ロス校のチームが

行なった研究結果だという。

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上記の頻度と量を歩いている人は、

10年後の死亡リスクが14.9%低くなる、という。

以前には、別の機関が、

酒を2日に1合飲む人、コーヒーを1日1~3杯飲む人は、

それ以上飲む人、または、まったく飲まない人より

死亡リスクが低かった、という研究発表があった。

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「研究」というのは、

選択したテーマのデータ中心になるので、

8000歩、歩く人、酒やコーヒーを飲む人が

どういうライススタイルなのかの調査はできない。

そのため、研究者自身でも、

酒やコーヒーに、健康にプラスとなる成分が

含まれているかのように早合点してしまう。

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大事なのは、酒やコーヒーを適度に飲む人、

週に2回くらい、1日8000歩ほど歩く人は

どういう価値観、人生観、食生活、

交友関係、「予暇活動」などを持っているのか、

その内容、つまりライフスタイルのほうである。

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人生観、価値観、家族関係、仕事、友人、

読書習慣、食習慣、食事内容などを

数千人に対して、

細かく調査することはできないから、

どうしてもピンポイント調査になってしまう。

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しかし、映画「LIVING」の主人公、ゾンビ氏の生活を見れば、

この1作だけでも死亡リスクはわかる。

してみると、

被験者の選び方に偏りがなければ、

10人か20人か、その程度のデータでも、

それなりの成績が得られるはず。

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映画は、

そんなことまでは言ってはいない(念のために)。

1950年代も現在も、

人の生きる目的は、そんなに変わってはいない。

しかし、地球上で見れば、生き方はさまざま。

1人にいくつかの生きるタイミングがある。

ウクライナやロシア、ミャンマー、その他の地域には、

死ぬことで生きる人が後を絶たない。

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しかし、地球の人口の過半数は、

ゾンビやミイラのように、

最初から死んだまま生き続けている。

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ヒトもまた、生きるタイミングを、

どこかで見失う動物である。

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映画『生きる』は、

何人の人を、生き返らせるのだろうか。

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# by rocky-road | 2023-04-03 23:07 | 大橋禄郎 文章教室  

人の人生にかかわるプロとして。

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「食ジム」 第119回が

2023年3月12日に終わった。

テーマと、プロットは以下のとおり。

どんな集団の中でも、栄養士として、一個人として、

輝きを放つ存在になるためのアクションプラン。

     座長/ 影山なお子さん 

              アドバイザー/大橋                       

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1.ここだけのハナシ、子供のころ、「かわいい」「カッコいい」

  「あなたイイ人ね」などなどと、人から言われた経験。

   (いつ、どんなとき、だれに……

2.私が、おしゃれや身だしなみ、話し方など、人格形成をする

ことに目覚めたころ、その必要を感じたとき。

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3.今まで会った人物の中で、スタイル、身だしなみ、話し方、

立ち居振る舞いで感心した人をあげるとすれば……

   (パルマローザ関係者は除く)

4.いま、改めて、栄養士の社会性強化が必要と思われる

1~100のポイント。

5.「輝き」のある大人として生涯を送るための99のポイント。

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人間の輝きとはどういうものか。

会場では、次のように定義した。

「思考、協調性、将来への方向性、そのための努力、

行動力、表現力、リーダーシップ、品格、表情、身だしなみ、

マナーなどの利点が、一定の集団の中で際立つ状態」

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一般名詞の「輝き」は、

「光できらきらすること。立派で、はなばなしいこと」(広辞苑)

となるように、どこかに「キラキラ」や

「立派さ」があることが前提となる。

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今回、119回のコンセプトは、

人の健康を支援する栄養士としては、

「健康」を「カタチ」として示し、

支援を受ける者が、その目標を定めやすくするためにも、

「際立つ存在」でありたい、

それを「輝く」というコトバで表わした。

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かつての栄養士像の一面である、

「白衣姿」「ソロバン片手」(古いね)

「マジメだけど地味」「食事は栄養素をとることだけが目的」

というのでは、ナミの栄養士止まりで、

とても輝くことはできない。

イントロダクションとして、

子供のころ、どんなことで人から称讃を受けたかを

披露していただいた。つまり「輝き」の別表現である。

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日常生活で、自分がほめられた話を公開する機会は

めったにないことだが、

自身のここまでの軌跡を

自慢話としてではなく、

歴史的事実としてたどることの意味は、

けっして小さくはない。

それは、自身のライフスタイルやアイデンティティを

自覚し、強化することにもつながるはずである。

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人の人生に深くかかわる(左右する)職業として、

一般には、

医師(とくに産科)、助産師、教員、思想家、作家、

神職、僧侶、牧師などがあげられるが、

栄養士を含む健康支援者は、

好むと好まざるとにかかわらず、

「人生にかかわる職業」に

参入する存在になりつつある。

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……などと言っても、日本中の栄養士の99%は、

「なんのこと?」と思うことだろう。

しかし残りの1%未満のうち、さらに一部の、

「食コーチング」の講義を受けた栄養士であれば、

健康支援とは、1日にどんな栄養素を摂取すべきか、

という問題にだけかかわっている職業ではなく、

食事や食生活の生物的・物質的・精神的環境としての

ライフスタイルにも目を向けるべきことを知っている。

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このページで、再三、強調しているように、

英語の「ライフスタイル」は

「生活習慣」だけを指すのではなくて、

生き方や人生観をも含む「生き方の姿勢」をいう。

栄養補給も充分に人生にかかわるが、

それはおもにボディという、

マシーンの性能を補強するのが目的。

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しかし、「食事」となると、

まずは、時刻、場所、食器、同席する人、

見た目のよさ、おいしさ、味覚的・栄養的なバリエーション、

季節感、食べる人の作法、話題など、

人間性を左右する要素があまりにも大きくなる。

その意味において、

食事は、健康を支える手段にとどまるものではなく、

人の生きる目的にもなっている。

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子供のころ、

「人は生きるために食べるのか、

食べるために生きるのか」などという

珍問答を楽しんだものだが、

いま思えば、

「生きるために食べる」に近いが、

改めていえば、

「輝いて生きるために食べる、

そして、どう食べるかによっても

人生の豊かさ、すなわち輝き度は変わる」

となるだろうか。

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「桜の下で一杯やりたい」

「ホテル最上階ラウンジで食事をしませんか」

「子供食堂で働くことにした」

「イタリアで回転すし店を開業する」

などなどは、

「食べるために生きる」姿であり、

押しも押されもしない「人生の目的」の

重要な部分でもある。

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栄養士は、その名称ゆえに「栄養指導」が

仕事であるかのように自らが錯覚しがちだが、

どんな職種にあっても、

栄養士としての基本的スタンスは、

おいしい、豊かな食事、それがある食生活によって

過不足のない栄養素とエネルギーの確保であり、

さらには、「心の栄養」の補給を図ることである。

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「心の栄養」とはなにか。

それは、

豊かな人生を送るためのモチベーションであり、

理念であり、一定の目標であり、

人との交流の基礎となる協調性や寛容性、

肯定的な態度などを支える「情報」ということになる。

それらが備わったとき、

その人は、一定の集団の中で「輝く」はずである。

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食生活は、

以上のような資質を育む最適、最強の場である。

その場を確保し、

そのレベルを維持・発展させるプロの1人が

栄養士であろう。

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インターネットで検索すると、

「食育アドバイザー」「食育インストラクター」

「健康運動指導士」「音楽健康指導士」

「健康管理指導士」「フードコーディネーター」

「フードスペシャリスト」などなど

際限もなく、健康関連の「資格」のいろいろが出てくるが、

どこで、どんな活動をしているのか、

一般人が接触する機会はそう多くはない。

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それらのプロが、

今後、活躍の場を広げることを願うが、

いろいろのルートがありながら、

にわか仕込みでは、

「健康とはなにか」という哲学と、

その地盤となる食生活のいろいろのスキルを

身につけるのは容易ではない。

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ここは100年の歴史をもつ「栄養士」が、

「日常茶飯事」の重要性を示しつつ、

その先にある心身の健康のあり方をリードするのが

いちばんムリがない適役ということになろう。


そこで、まとめとして、

「栄養士の社会性強化が必要と思われる

1~100のポイント。」の

いくつかをあげておこう(ここは消去法で)。

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*だれからも「地味」「暗い」といわれない。 

*表情が暗くない。 *いつも伏し目がちではない。

*髪がぼさぼさではない。 *声が小さすぎない。

*「清潔感がない」などとはいわれない。

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*猫背、うなだれ立ち、よたよた歩きをしない。

*身だしなみに無関心ではない。

*ていねい表現がいい加減ではない。

*話の趣旨があいまいではない。

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*親しくない人などに上から目線の話し方をしない。

*約束を破ることはない。

*外出や、人との接触を避ける傾向はない。

*会食、外食が嫌いではない。

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*メール、ハガキ、手紙のやり取りを

する相手がゼロでも、少なくもない。

*食事は栄養素をとることと思い違いをしていない。

*健康について、人に説明するのが苦手ではない。

*お尻が重い、億劫タイプではない。

*夢や希望を失ってはいない。

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これもあげだしたらキリがない。

そして、栄養士であることと、

輝きのある社会人であることとは、

大きな違いはない。

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さあ、栄養士よ、

人の人生にかかわる職業に参入する自覚をもとう。

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# by rocky-road | 2023-03-16 22:25 | 「食ジム」  

パルマローザの20年を想う。

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2023年2月26日、

パルマローザが発足20周年を迎え、

記念パーティにお招きいただいた。

ご無沙汰している方々とお目にかかれる

うれしい機会ともなった。

みなさん、一様にフレッシュなのは偶然ではなく、

この会にかかわる人たちの人間力にほかならない。

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当日、講話の機会をいただいたので、

30分程度のお話をさせていただいた。

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その内容をたどりつつ、

パルマローザというグループの魅力を

文字にしておこうと思う。

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パルマローザの特徴の1つは、チームワーク。

こういうイベントを行なうときの

それぞれ役割分担が見事。

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昨年末に企画され、日時、場所、当日のご案内、

プログラムや記念冊子の編集と進行、

当日の役割分担――司会、写真撮影、ご案内、

当日のごあいさつ、スライドショーの制作と上映などなど、

20年間のトレーニングとキャリアのお陰で、

適任者のキャスティングがすぐにできてしまう。

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他の栄養士組織と比べることはないと思うが、

イベントのバラエティ、頻度、進行のスムーズさ、

参加者の参加意識の高さ(表情、身だしなみ、

役割の自覚など)において、

日本の、いや世界中の栄養士組織と比べても

トップグループに入ると思う。

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そこで、パルマローザの20年を振り返ってみよう。

人生は、横断歩道を渡るのと違って

そこには白線が引かれていないし、信号もないので、

いま、どの辺を歩いているか意識しにくい。

それだからこそ、このように自分の歩んで来た道を

ときどき振り返ることには意味がある。

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ただしそれは、昔を偲んで

懐古の情に浸るためではなくて、

あしたからの方向を確認することにある。

パルマローザは、今後どんな方向に向かってゆくのか、

自分の人生は、ここからどういう道を選ぶか、

そんなことを考えるよい機会にもなる。

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パルマローザが発足した2002年という年は、

どういう年であったか、

過日、データをチェックしてみたら、

この年、当時の総理大臣、小泉純一郎氏が

北朝鮮の当時の首脳、金正日(ジョンイル)と会談して、

拉致の事実を初めて認めさせ、謝罪をさせた。

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それを受けて、「今年の漢字」は「帰」となった。

翌2003年には、拉致された5人が帰還した。

人さらいの国が、現実にいまも存在するのである。

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スポーツの世界では、

イングランドの人気サッカー選手、ベッカムが来日したし、

2月にはアメリカのソルトレイクで冬季オリンピックがあった。

ホットニュースは、

10月に、ノーベル賞をお2人同時に受賞したこと。

小柴昌俊氏 東京大学名誉教授

田中耕一氏 島津製作所社員)

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出版界では、こんな本が出版された。

『声に出して読みたい日本語』(斉藤 孝著)

『生き方上手』(日野原重明著)

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2月26日という日は、

私には、87年前(1936年)の、

日本陸軍の青年将校によるクーデターを連想させる。

私が生まれる4か月前の事件だが、

自分の生年の事件ということで記憶が残る。

そして、

元巨人軍の長嶋茂雄氏は、

2月20日生まれ。

2.26事件の6日前とのこと。

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アメリカでは、

マーガレット・ミッチェルの

『風と共に去りぬ』が出版されて

大ベストセラーになった年でもある。

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さて、パルマローザがスタートした

20年前の2002年(平成14年)に戻ると、

この歳の平均寿命は、男78.32年、女85.23年だったが、

8年後の2020年(令和2年)には

男81.64年、女87.74年となっている。

18年間で、女性は2年以上、男性では3年以上も

延びたことになる。

20年間にはいろいろと変化が起こる。

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人生は長生きすることが目的ではないが、

寿命が延びたということは、

それだけモチベーションが高まった、

別の言い方をすれば、

人々がますます人生を楽しむようになってきた

という側面がある。

パルマローザの20年間というのは、

充分に中身の濃い年月といえる。

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アメリカの認知症の研究では、

認知低下が早めに見られる人と、

そうでない人との違いの1つは、

元気なときの行動範囲や人づきあいだという。

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人間のような集団行動をとる種は、

協同行動をとることによって

モチベーションを高めるところが大きいので、

当然といえば当然だろう。

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だからといって、人生は認知症対策とか

健康寿命を延ばすとかのためのものでもない。

結局のところ、楽しむこと、愉快に生きることが

いちばんの目的と考えていいのではないか。

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最近は、「自分らしく生きたい」などという

流行語または流行思考の人が目立つが、

地球上に「他人らしく」生きている人など

成りすまし犯人以外にはいないはずだから、

無意味な陳腐表現である。

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あえて言えば、

役者は、「その人らしく生きる」ことに精進している。

それだって、人々を楽しませるという

立派な使命を果たしている。

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世間に向けて「自分らしく生きる」などと広言するのは、

よほど肝っ玉の小さな、

無知で傲慢な人間である。

傲慢の理由は、

自分は自分1人で生きていると思っているところ。

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ローマの哲学者・キケロ(紀元前の人)の言として

「友情は幸福感を向上させ、悲しみを半分に、

喜びを倍にする」というのがある。

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過日(221日)の「日本テレビ」で、

「記憶」に関する脳学者が3人出演する

1時間番組を放送していたが、

喜怒哀楽は記憶に残りやすい、

そのうちでも、楽しいことや「エピソード記憶」は

残りやすいという話をしていた。

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楽しい記憶は生存に必要で有利だから、という。

そういう記憶の集積(マインドセット)が

個性だとのこと。

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楽しい記憶の集積が

人生を豊かなものにする、

そうだとすると、

このパルマローザで、

大小いろいろのエピソードを重ねて、

豊かなマインドセットをする、

要するに楽しい記憶の山を積み重ねていくことは、

快適で愉快な人生を歩んでいることの証拠の一面であろう。

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# by rocky-road | 2023-03-03 23:40 | パルマローザセミナー