世界的長寿国で浴衣セッション。

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大半が浴衣姿の栄養士が、

「日本が世界的長寿国である理由」について

1日かけて、語り合った事例は、

地球の現在・過去、未来の歴史において皆無であろう。

こういうイベントを開くこと、開いたことも

日本が、世界のトップクラスの長寿国であり続ける

理由の1つになりそうだ。

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2022年8月7日(日)1030分~1730分に行なった 

「食ジム」の第112回のご報告。

テーマは

「日本が、世界的長寿国である理由を

栄養士として、どのように理解し、

その知識をどう生かしてゆけばよいか」

(開催地/横浜にある神奈川近代文学館)

座長:米澤 須美さん

アドバイザー:影山 なお子さん、大橋 

(詳細は、パルマローザのホームページ「結果報告レポート」にも)

「活動結果レポート」パルマローザ 影山なお子 (palmarosa.jp)

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健康長寿は、

1つ2つの学問分野だけの研究で促進できるものではなく、

まさに「学際的」なアプローチが必要になる。

そのことが広く認識され、

近年、これに関する学会などが次々に生まれている。

「公益財団 長寿科学振興財団」(1989年設立)

「財団法人 世界健康長寿学会」(2014年発足)

などはその一例。

このほか、歯科など、医療分野別の学会や組織もある。

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まだまだ、いくつもの組織が存在するだろうが、

だからといって、

健康長寿に関する栄養士に課せられている社会的使命は

少しも存在価値を小さくするものではない。

栄養士は、「日常茶飯事」など、生活習慣の現場から

健康長寿を促進するという、まさに最前線を担いうる。

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むしろ、あまたの学会に対して、

「食ジム」形式の話し合いのノウハウを

教えてあげたいくらいのものである。

それによって、どれほど人々のライフスタイルに関与できることか。

広報誌を出したりシンポジウムを開いたりすれば

この道の権威や一流っていうものでは、けっしてない。

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さて、「食ジム」では、

日本が世界的な長寿国である理由について話し合った。

(こういうプロセスも、教えてあげたい!!)

少し整理してあげてみよう。

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日本人の気質。

*マジメ(この定義、むずかしい)

*人に迷惑をかけることを強く避ける。

*きれい好き。

*強い好奇心

(世界の食材や料理を取り込む/カレー、ラーメン、ステーキ)

*自然に対する敬虔な気持ち。身のまわりに八百万の神。

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地理的条件。

*四季があり、気候が温暖。季節の変化に応じた生活のバリエーション。

*水に恵まれ、食用植物の栽培に有利。

*水浴、風呂がいつでも、どこでも。

*海にも山にも食材豊富。(魚介類、海藻、果実、山菜、薬草)

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国情

*外国の侵略を受けにくく、同胞意識が強くなり、

独自の文化をゆっくりつくりあげた。

*「お上」の方針によく従い、士農工商によって各層とも収入が安定的。

*識字率が高く、教育が行き届いた。

*保健・衛生政策などは海外の情報を取り入れ、普及した。

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生活・食習慣

*入浴習慣の普及により清潔が保たれている。

*畳生活。洋室でも靴や下駄では上がらない。

*米飯を主食とする食事パターン。

  「おかず」が不可欠。それによって食品のバラエティ。

米飯食で満腹感が生まれ、

おかずの極端な多食が防げる(肥満割合が低い)。

*一汁一菜~三菜など、献立のカタチにこだわり、

かつ、銘々食器を固定したため、

家族ごとに食事の質と量が保たれている。

箸は、形状・大きさの異なるどんな料理にも適応可能。

それによる料理のバリエーション。

(フォーク、ナイフは定着しなかった)

*季節ごとに料理のカタチを変え、季節の食材を食する習慣。

季節の行事の多さ。

(単調にならない生活。バランス、バリエーション感覚の向上)

*朝、昼、夕の食事時刻を守る習慣。

「朝食らしく」「夕食らしく」など「らしさ」の尊重。

*食材への感謝と大事にする習慣。「いただきます」「ごちそうさま」

*食事マナーを大事にする。

「ながら食い」「おどり箸」「残食」の禁止など。

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精神性

 *「人に迷惑をかけない」「自分勝手は許されない」など、

   周囲を気づかう生活習慣は、無理や著しい偏向を抑止する。

 *ていねい表現、ごあいさつ表現のバリエーション。

   「おっしゃる」「申しあげる」「お暑うございます」(気候にも「お」)

「お出かけですか」「ご笑味ください」「つまらないものですが……

 *親族への気遣い。

   「ご先祖様に申しわけない」「〇〇家の恥となるようなことをするな」

   「親の顔に泥を塗るな」 (セルフコントロール能力)

 *遠くに武士道(負けず嫌い、潔さ、公明正大=フェア、強い信念)

 *コミュニティ重視(常会、村祭り、道普請=共同作業、無尽、町内会)

 *人脈(同郷、クラスメイト、先輩・後輩、同期、歓迎会、

送別会、年賀状・暑中見舞い)

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このようにあげていくとキリがないが、

これをどのようにエビデンス化するかである。

厳密にやろうと思ったら、

1人に対して1年間くらい密着する

フィールドワークが何例も必要になる。

同時に、海外の長寿国の事情も調べて比較検討することも必要。

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食ジムでは、

思い浮かべる元気な長寿者として、このような人があげられた。

黒柳徹子(敬称略、以下同じ)、瀬戸内寂聴、三浦雄一郎、

香川 綾、アイリス・アプフェル、ドナルド・キーン、

高野悦子、森 光子、日野原重明、金さん、銀さんなど。

 (冗談で大橋禄郎の名があがったが、

86歳の小物の若造の出る幕ではないと、固くカタクご辞退申しあげた)

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ここであげられた方々は、

基本的にすぐれた才能を持ち、ゆえにモチベーションも高く、

さらに、周囲から引き立てられる機会が多いため、

ますますモチベーションが高くなるという

好循環を体現した方々である。

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しかし、モチベーションさえ高ければよい、というものではない。

昭和の芸能人、著名人のうち、

いまからすれば短命だった人も少なくない。

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知らない人も多いだろうが、

榎本健一(エノケン 65歳)、古川ロッパ(57歳)、

笠置シズ子(かさぎ/70歳)

そして、

石原裕次郎(52歳)、美空ひばり(52歳)、

手塚治虫(60歳)

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この人たちの場合は、

高すぎるモチベーションのために、

過労や多食、ストレスを増大させて「戦死」してしまう。

「モチベーションに殺される」という、残念な事例である。

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さて、「食ジム」の話に戻ろう。

このセッションの終わりは、

栄養士、健康支援者として、

これからの「人生100年時代」に、

どのように健康支援者をしてゆけばよいか、

それを今後とも追究し続けるということだった。

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またまたいうが、

栄養、運動、休養だけでは、100年間を生きるには設定不足。

どうしても、ストレスコントロール、よい人間関係の維持、

そして生きがいの強化と持続。

医師は、主として故障したマシンの補修・修繕に追われがちだが、

稼働中のマシンの性能を持続させるのは栄養士。

そこで不可欠なのは「生きがい」の持続と強化。

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ただ、この「生きがい」は正体不明。

人それぞれの「心」の中にある。

孤独を生きがいにする人もいれば、

祖国ウクライナに戻って、母国の人と共に戦うことを選ぶ人もいる。

後者の生きがいは、死ぬことを選ぶことにもなりうる。

それは特異な例として、

一般的には、日々がハッピーになること。

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そのハッピーの基本中の基本は、

おいしいものを、おいしく食べること、

しっかり眠ること、

仕事にしろ、遊びにしろ、ごろ寝にしろ、

やりたいことを、そのときどきで実現すること、

これぞ、どんな生きがいにも欠かせない要素。

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栄養士は、動物の基本的欲求に関与するという点で、

人の生きがいを左右する職業である。

「栄養バランス」をしきりに説いて、

とうとう世界1の長寿国になるまで、あと押しを続けてきた。

メデタシ、メデタシ。社会的使命は十二分に果たした。

お疲れさまでした。

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だが、人生100年時代は、

全員が100歳になることを保証する時代というわけではない。

なんとか9万人近くが100歳になるらしいが、

まだまだこんなもんじゃない。

その先は、「栄養バランス」と、適度のモチベーション。

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そこで食ジムでは、

栄養士は、からだの栄養補給に加えて、

心の栄養補給にかかわる必要がある、という結論を得た。

ほかにそういう職種があるのか。

スポーツトレーナー、エアロビトレーナー、保健師、

ヨガインストラクターなど、いくつかがあるが、

1日3度の食事に関われるのは栄養士を置いてほかにはない。

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「心の栄養士」の誕生である。

「心の栄養」とはなにか。

とりあえずはモチベーションであろう。

「心の栄養」「心の栄養士」の定義にまでは

セッションは至らなかったが、

よい宿題ができた。

奇しくも、この828日から始まる

「モチベーションを高める言語アプローチ 3回シリーズ」で、

この問題について一定の結論を出すことができそうだ。

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# by rocky-road | 2022-08-12 23:24 | 「食ジム」  

カナカナゼミの鳴く季節。

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広辞苑第7版で、助詞の「たり」を引いてみると、

「1.動詞の連用形に付いて『たりたり』のカタチで、

動作の平行・継起することを表す。前が撥音のときは

『だり』」となる。」(以下、略)

(「だり」型例=「飲んだり、噛んだり」/大橋)

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このほか、「笑ったりしてはだめ」や

「さあ、どいたりどいたり」などの用法もあるとする。

また、江戸時代の人情本には、こんな用例もあると。

「力になったり、なられたり」

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1つの動詞を普通形と受け身形に使う用法は

現代社会でも普通にある。

「買い物に誘ったり誘われたり」

「親切をしたり、されたり」

「ほめたり、ほめられたり」

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ところが、現代日本語の日常表現では、

江戸時代の用法とは異なる。

普通名詞の1つ1つに「たり」をつける。

伝統のある用法というよりも、

比較的、いや、かなり新しい、そして普及度の著しい用法である。

「コロナであったり、ウクライナであったり」

「スーパーであったり、駅ビルであったり」

「玉ねぎであったり、キャベツであったり」

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文法は、人が歩いたあとにできる「地図」だから、

人やケモノの歩いたあとに「道」として登録される。

このことは、すでにこのブログでも何回か書いた。

辞書は、国語の模範的使用法を示すのではなく、

これまでに辿ってきた道のりを示す。

辞書に登録されていようが、いまいが、

話したいように話し、書きたいように書く。

それがのちに「辞書」に登録される。

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しかし、それでも、

「たり」が動詞につくという文法までは変えることができず、

「コロナ」(名詞)のあとに「ある」という動詞をくっつけて

「コロナであったり(「ある」という動詞の連用形)、

ウクライナであったり」というカタチにする。

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従来の名詞をそのままで言えば「コロナやウクライナ」

「スーパーや駅ビル」などとシンプルに、

端的に表現できる。

そこをわざわざ「であったり」とする言語心理とはなにか。

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それは、名詞を2つ並べるだけではインパクトが弱い、

そこで「であったり」と、動詞の連用形をつける。

こうすることで、11語の印象が強くなる。

江戸時代の「力になったりなられたり」や、

たとえば、「自粛を求めたり求められたり」

「水をかけたり、かけられたり」

とは使い方が異なる。

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用語のインパクトを強める、この話し方からは、

控えめ表現を好む日本人には珍しく

表現への意欲が感じられる。

すでにスラング(卑語)から引っぱり出して、

完全に日常語にした「ヤバい」にも、

よくも悪くも、この攻めの姿勢が感じられる。

(昔は世を憚る商売や不良が使うコトバだった)

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しかし、こうした攻め表現は、

割合からすればごく一部で、

日本人の日常会話は、

全体としてみれば、いよいよゆるくなってきている。

自分の感情を表わすのにも、

「とても、うれしいかな、と思う」

「大いに名誉と思えるんじゃないかな、と……

「ちょっといやかな

などと、確信をボカして、あいまい表現をする。

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専門家が、自分の得意分野のことを語るのにも

「感染のリスクを徹底的に

抑え込む努力をすることじゃないかなと思います」

「高齢者のたんぱく質不足は、体力低下にとどまらず、

認知機能の低下の要因にもなる、

言えるんじゃないかな……

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このほか、

「好きっていうんじゃないけれど、毎日食べています」

「それは人を侮辱するというか、とても傷ついています」

自分の使ったコトバを自分で打ち消す、

この度し難い、腰の引けた表現。

もはや謙虚というよりも狡猾な煙幕表現にほかならない。

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日本各地で、

地面や道路の陥没、山崩れなどが起こっているが、

かつて小松左京が描いた地質的な「日本沈没」ではなく、

信念やモチベーション低下による

「日本陥没」が、すでに日本中で始まっている。

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過日の参議院員選挙における各党のスローガンを見ると、

「決断と実行」(自民党)

「日本を、前に。」(公明党)

「自由と平和。まっすぐ、つらぬく。」(日本共産党)

などで、これらも、モヤモヤとしている。

(平和が話し合いで維持できるのなら、

ロシアとウクライナへ行って、戦争を止めてこいよ)

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こういうあいまいなスローガンを掲げる政党を

「弱腰」「あいまい」と指摘することはできるが、

それ以前の問題として、

こういうスローガンを受け入れる国民がふえている。

これぞ国民の精神的地盤沈下が進行している実態である。

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この現象は、

コトバから地盤沈下が始まるというよりも、

モチベーションが低下した国民の心が、

「コトバづかいの、ゆるさに現われる」という順序になる。

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ゆるいといえば、

先日、月刊誌『婦人公論』の新聞広告に、

ある雑文家の「転倒騒ぎで友のありがたさに気づいた」

という記事のタイトルが載っていた。

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「おやっ?」と思ったのは、

この人物、2018年に『極上の孤独』という本を出し、

「友達や知人は少ない方がいい。」と言っていたからである。

ところが今度は、

その少ない友達に助けられたという話らしい。

たまたまスーパーで雑誌を開いたら、

夫が転倒し、このとき友人に助けられた、

というレポートである。

そこでまた、「おやっ?」である。

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彼女は、同じ年に『夫婦という他人』という本も出しているし、

それ以前には、

『家族という病』という本を出しているらしい。

『夫婦という他人』では、

「分かち合えない」「分かり合えない」のが夫婦、だと言っている。

そこまで冷たい考え方をするのであれば、

「他人」の夫が、転倒しようがなにしようが、

知ったことか、と応じるのかと思ったら、

なんと「少ない方がいい友達」に助けてもらったという。

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だから軽々しく孤独をすすめたり、

家族や夫婦を病気の原因にしたりなど、

他人呼ばわりするものではない。

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チヤホヤして育てられ、

仲間と交わる機会が少ないままに成長すると、

世間知らず、人間知らずの未熟な大人ができあがる。

年を重ねても分別は身につかず、

言いたい放題の、やっかいな、ただのオバサンになる。

そういうご仁がベストセラー作家だという。

笑うしかないが、そんな本がヒットする社会こそ、

まさに「極悪の悲劇」「極悪の地盤沈下」である。

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モチベーションが下がっている国民というのは、

事程左様に弛緩度が高まるばかり。

国というものは、人間がつくるものだから、

1個人と同じような行動をとる。

若いときは、さんざんバカをやって(近隣を威嚇したり侵略したり)

迷惑をかけたりするが、

そのモチベーションが治まると、

にわかにおとなしくなる。

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もともと控えめな凹文化圏の日本国は、

元のあいまいタイプに戻って、

「かな?」「かな?」と、カナカナゼミ(ヒグラシ)となって、

〝ひがな〟むなしく鳴き続ける。


凸文化圏のアメリカの場合は、

モチベーションの向け先を失って、

「ミートゥー」だ「分断」だ、といって、

内部や過去から「敵」を見つけ出している。

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いま、国として青年期を迎えているのは

中国、ロシア、韓国などなどである。

モチベーションの高い人間は、

いろいろの意味で表情が輝く。

中国やロシアの政府関係者の表情というものは

「闘う人間の輝き」を放っている。

二コリともしない。まさに無表情。

「輝き」は「笑顔」とは限らず、戦闘モードの輝きともなる。


あの顔が、ほほえみに変わるには、

あと100年は、かかるだろう。

その間には、かならず「バカをやる」

あちこちに迷惑をかけて、

そののち、自滅するか、勝者となって

温厚な大人の顔というものを知るのか。

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では、

モチベーションの落ちた国のそれを

アップする方法はあるのか。

ある。

ずいぶん遠回りにはなるが、

個人のモチベーションを高めるしかない。


「人は、自分は、なんのために生きているのか」

その答えを得るためには、

とにかくいろいろの刺激を与えることである。

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1日の中でも、居場所を変える、

インドアからアウトドアへ、そして公共の場へ。

出会って向き合う対象を多くする。

人間以前に、植物、動物とコミュニケーションをとる

(水やり、なでる、スケッチ、撮影もその1例)、

そして、行動は「動」と「静」(たとえば読書や執筆)のミックス。


要は、動きながら考え、考えながら動く、

そういうことであろう。

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# by rocky-road | 2022-08-01 13:05 | 大橋禄郎 文章教室  

食シーンを撮らせたら栄養士。

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「食ジム」 第111回は、次のテーマで行なわれた。

「『食シーンを撮らせたら栄養士』といわれるような

フォトテクニックを、どのように磨けばよいか。」

(2022年7月9日 座長/楠崎聡子さん

 アドバイザー/影山なお子さん 大橋)

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進行ブロットは、

1.私が気に入っているお料理、献立、食品写真。
自作、他作の実例プレゼンタイム。(各自持参)

2.私が食シーン(料理や献立ほか)を撮影するとき

気をつけていること。

3.撮影技術があることは、どういうメリットがあるか。 

  (人から頼まれた、ほめられたなど)

. ステキな写真を撮るための基本と秘訣。

(演習)「この写真にタイトルをつけてみましょう」

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ここでいう「食シーン」とは、食材、料理、献立、会食、

そして、それらの畑、農園、漁場など。

タイトルで大いに力んでいるが、

それくらいの気構えで臨むべきテーマである。

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なんといっても、食シーンの撮り方について

1日かけて論じ合うグルーは世界広しといえども、ないはずだし、

ましてやそれが健康支援者となれば、「絶対にない」だろう。

その目的はもちろん、食シーンを通して自他の健康度をあげること。

美しい食シーンを見て健康を害する人はいない。

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パルマローザ・ブラッシュアップセミナーとして、

2007年4月から年1回プラスαのペースで写真教室と、

そこで撮った作品のコンテストを続けているから、

メンバーの入れ替わりはあるにしても、

サークルとしてのスキルアップはしっかり続けている。

だからこそ、今回の「食ジム」のような話し合いができるのである。

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みなさんからは、写真撮影スキルが役立っている事例が紹介された。

「人から写真をほめられた」「話題づくりに役立った」

「広報係の仕事を任された」

そして、高齢者施設に務める人は、こんな話を披露してくれた。

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元カメラマンの入居者は、いまは認知症ではあるが、

カメラの話になるとシャキッとすると。

使い慣れないコンパクトカメラでも、

シャッターを切るときは手ブレなどがないとか。

まさに、写真を愛好することも、健康を助長する。

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今回の食ジムでは、食シーンのあり方や撮り方に

話のポイントを置いた。

写真にも撮影技術論と鑑賞論があるが、

技術論といえども、鑑賞力と同時進行のようなところがある。

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よい写真、好きな写真を意識的に見てきた人、

周囲に写真好きがいて、写真を撮ってもらったとか、

写真論を聞かされたとか、そういう経験を持つ人は、

一般論として、撮影の腕は低くはないはず。

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「これを撮ろう」と思ったとき、

脳内では、過去に見た写真の記憶がアウトプットされる。

(脳内にイメージが浮かぶこと)

順序としては、過去の類似の経験が先にあって、

その記憶があるから、雑多な視界の中から

「よい被写体」を見つけ出すことができるのである。

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今回の「食ジム」では、最初に

「私が気に入っているお料理・献立・食品写真。


自作、他作の実例」をプレゼンしていただいた。

どんな写真を選ぶか、どんなプレゼンテーションを行なうか、

それも撮影スキルの向上につながるだろう。

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課題どおりであれば、なにを語ってもいいわけだが、

写真の同好会などでは、決まって技術論になる。

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「このシャッターチャンスを狙った」

「鳥の飛ぶ姿をヒマワリに重ならないようにローアングルで撮った」

「料理もそうだけれど、みんなのうれしそうな表情がテーマです」などと。

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が、「食ジム」は、カメラマンの集まりではないから、

まさに「想い出」や「おいしかった体験」

などのコメントがほとんどだった。

やむをえないが、いつか、写真技術論を闘わせたい。

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ところで、名画や名曲には「晩鐘」とか「落穂拾い」とか、

「乙女の祈り」「ムーンライトセレナード」とかのタイトルがつけられている。

情報の発信先が狭く、限定的であった時代には、

自分でネーミングすることは少なく、

注目されるようになって、後世の人がネーミングするようになった。

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絵画や写真、音楽ように非言語的ジャンルでは、

タイトルは必要ない。

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見た風景、アッと思った瞬間を

描いたり、成型したり、音符で記録したりする。

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したがって、制作者には、かならずしも言語的才能は求められない。

それでも、いや、それだからこそ、非言語芸術に集中できる。

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しかし、言語系カメラマンの端くれとして、

または脳科学部外者としていえることは、

映像や音楽の制作中にタイトルをつけるなり、

近くの人に「こんな絵を描きたいんだよね」

「この気持ちを曲にできないかな」

「日本中にある、ご神体といわれるような巨木を撮り続けたい」

などと話すことは、けっして制作の邪魔にはならない。

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名画や名曲に、あとからタイトルをつけるのは、

識別の必要からであろうが、

タイトルによって記憶の残存率が大いに異なる、

その点も軽視したくない。

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数々の写真展を見てきて実感するのは、

カメラマンたちが、自作のネーミングに、

いかに苦手としているかということ。

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その実態は「悲惨」というほどである。

が、それでも、タイトルをつけてみることはムダにはならない。

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撮影中は、無心に被写体に迫っているように見えるが、

ときどきファインダー(いまは液晶パネル)をのぞきながらも

ふっと、タイトルが浮かぶことがある。

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その状態でシャッターを切ると、「できあがりがいい」

というものではないが、

散漫な写真になるということでもない。

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「どっちやねん? なら、タイトルを念ずること意味あらへん」

……そうには違いはないが、撮影へのモチベーションアップ、

「写真とはなにか」を哲学する思考回路をつくる意味はある。

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こんな話、おそらく今日まで、

写真雑誌には載ったことはないだろう。

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しかし、コンテストで、タイトルが悪いので

ランクを下げられたり、落選したりという例はなくはない。

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そういうことを考えて、

「食ジム」では、何点かの写真を示して、

みなさんにタイトルを考えていただいた。

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初めての試みなので、その結果を書くことは控える。

いまは種まき、いずれは花が咲くことだろう。

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さてここで、

大橋作品への自らのネーミング例を示して、

本日の打ち止め。

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「話せばわかる。」

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「わんマンショー」

(第29回 よみうり写真大賞/第1席)

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「イワシの春」

(『マリンダイビング』第11回 グランプリ)

ちなみに、水中生物を撮ったときは、

原則として種名をタイトルに入れることにしている。

自然界の生物名を示すことは

社会の自然リテラシーをあげることになるから。

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# by rocky-road | 2022-07-13 21:40 | 「食ジム」  

健康行動としてのフォトブックづくり。

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いま、パルマローザ関連のイベントごとに

フォトブックの制作が全開中。

旅やセミナーなど、

多種多様なイベントが終わると

かならずと言ってよいほど、

結果報告としてのフォトブックができあがる。

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制作するほどに編集テクニックが磨かれてきていて、

プロの目で見ても

文句をつけようがないほど完成度が高くなっている。

編集テクニックとはなにか。

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冊子(「ページもの」という)には、

もちろん起承転結がある。


旅なら、列車や飛行機に乗り込むあたりから始まって、

旅の終わりは、夕陽や解散場面などを配するのが定番。

しかし、このように時系列的、単純な配置は

当たり前すぎておもしろくない。

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16ページものにしても30ページものにしても、

制作者のテーマ・イメージが先にあって、

それに沿って配置すると

その人なりの物語ができあがる。

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世にある「ストーリーもの」には、

「起承転結」とか「序破急」とかといった

進行法の原則があるように、

「ページもの」の場合も、ゆるやかに始まって、

真ん中あたりで盛りあげる(「転」や「破」)。

そして、ゆるやかにエンディングへ。

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次の原則は、

左ページ、右ページにふさわしい写真を選ぶこと。

「ページもの」の編集用語では、

冊子は、綴じ目を「のど」と呼び、

開く側を「小口/コグチ」と呼ぶ。


ついでに言えば、上を「天」、下を「地」と。

各ページの写真の絵柄は

「のど」を向いていることを原則とする。

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飛行機や船の進行方向は、

「のど」を向いていることが原則。

人の顔の向きや視線なども「のど」向きに。

「小口」のほうを向いている人や動物の顔は

「逃げる絵」などと言われ、NG.

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……なんていうことを書いていると

話が長くなるので、

編集スキルの解説はここまでとして、

パルマローザにおけるフォトブックについては、

主宰者・製作者/影山なお子さんは、

こういう、うるさいルールを

ほとんど身につけて実践している。

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プロの編集者といえども、

絵や写真のページ構成に関しては

絶望的に無頓着な人が少なくない。

その編集センスは、

仕上がった雑誌や書物を

パラパラっと数秒めくればわかる。

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写真のプリント業界では、

以前、「フォトブックコンテスト」

というイベントを企画したが、

いつの間にか立ち消えになった。

写真の1点1点の評価に加えて、

「ページもの」としての評価が求められるのだから、

キャリアのあるカメラマンといえども

的確に対応しきれないところがあったのだろう。

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つまりそこでは、

美術的センスに加えて、文学的センスが必要になる。

美術的いうのは、動いているものを静止させて、

そこに美を見出そうというジャンル。

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これに対して文学系や音楽系は、

単体の美術性に加えて

連続性の中に

美やドラマを見出そうとする。

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静止と連続の同時進行。

ずいぶんややっこしい才能を

引き出そうとしたものである。

人間は、そういうややっこしい生物なのである。

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そういえば、

かつて私が運営していた「水中8ミリフェスティバル」や

「水中映像サークル」(現在も後輩が継続中)も、

美術性と文学性、音楽性を楽しむ人の集まりだった。

「スライドショー」は、15分の時間内に

スチール写真(静止画)を配置して

音楽に合わせて映写する。

もちろん、タイトルもエンドマークも必要。

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100人くらいの観客に対して

スライド映写機を操作する発表者の手が

震えているのを何度も見た。

アナログゆえの、美しい緊張シーンである。

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パルマローザのフォトブックの場合、

他の追随を許さないのは、

現地での取材力。

サークルだから、

参加者の表情や身だしなみも

しっかり押さえておかなければならない。

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服装によって立ち位置(配列)を変える、

バッグの持ち方、足の組み方などにも

あれこれとチェックが入る。

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どんな風光明媚な旅行地でも、

ボケっと歩いていては平凡な写真しかとれない。

いまや「集合写真のパルマローザ」と

言われるくらいに(だれが言ってるの?)、

「集合側」(これ新語かも)も

撮られ方がうまくなった。

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100メートルも先の橋の上に並んだグループを

周辺風景を最大限に生かして撮るなどというのは、

プロのカメラマンにもそうそうできることではない。


「集合側」も、

「ダークダックス」的に(古いね)、

半身重なって撮られる、なんていう

遠島罪にも匹敵する平凡なポーズをする人は

ほとんどいなくなった。

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「写真は口で撮る」

「写真は足で撮る」などなど、

プロカメラマンの中には、

名言を残した人がいるが、

いまのパルマローザの集合写真は、

まさに、口で撮り、足で撮っている。

つまり演出力とフットワーク。

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イベントがあるのでフォトブックができるのか、

フォトブックを作るためにイベントを行なうのか、

どちらが先かわからなくなるほどに、

先頭を競り合う関係になってきている。

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制作者にとってはもちろん、

フォトブックを手にする人にとっても、

心身の活性化の一助になることだろう。

見る楽しみ、人に見せる楽しみ、

旅やイベントの内容を説明する楽しみ……

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フォトブックの弱点は、

文字情報を収載するページや、

そのためのシステムがないことだが、

それも利用者側のアイディアで

克服できそうである。

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すなわち、文字情報を写真に撮って、

映像化してしまえばいいのである。

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そのほうが、

ナマの手書きの書体が映像化されて、

文化的な価値が出るというものだろう。

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いま、父や兄が残した古いアルバムや、

自分のアルバムから

残したい写真をデジタル化しつつあるが、

100年後には、

こういう作業はまったく必要がなくなる。

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なぜなら、

複数の人が、同じフォトブックを

共有しているのだから。

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これを「家の宝の希少価値が下がる」

と考えるのか、

「歴史を複数の人が共有することができる」

と考えるのか。

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「ヘルスコミュニケーション」的に

考えるならば、

もちろん、後者のほうが、

人類にとって利点は大きい。

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フォトブック作りも、

健康行動そのものである。

「フォトブック制作者のためのセミナー」

の開催は、時間の問題である。

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# by rocky-road | 2022-07-07 15:40 | フォトブック  

そうめんから細々と記憶が……。


626日(日)、アクションクッキングが終わった。

(主催/食コーチングプログラムス)

昨年に続き、2回目の講師担当。

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メニューは昨年同様「そうめん」

今回のタイトルは「猛暑に冷風 ほそぼそと……

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冷やしそうめんの1パターンで

さほどのオリジナリティはないが、

冷やし中華や冷麺からの連想ではない。

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寝たきりの妻の朝食として

いかに食べやすく、かつ、適度に食材を載せられるか、

ということを考えていくうちにこうなった。

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そうめんは1~3分と加熱時間が短く、

ヘルパーさんのベッドまわりの仕事終了のタイミングにも

合わせやすい。


手を充分に伸ばせない病人のために、

麺は半分に折って短くする。

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半熟卵はダイソーの器具をフル活用して

レンジで140秒(2人分)、

第2群はしらす干し、

または魚肉ソーセージを小口切りして散らしたり

ときに夕べの刺身を数切れ載せたりする。

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第3群は、にんじんのシリシリ、湯煎トマト、

かぼちゃの薄切り(チン加熱)などを

そのときどきで適当にあしらう。

少しピリピリ感を出すために刻みショウガを振ったりする。

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汁は、前日、みりんとめんつゆで作ったものを

冷蔵庫から出すだけ。

出す直前にごまだれを少々。

汁にも多少のバリエーションを。

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当然、数日で飽きると思っていたが、

これが意外にも、調理人ともども、そうではない。

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のど越しがいいので、朝の1食として食べやすく、

1椀でバランスも図れるしで都合がよい。

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かくして、介護・調理人の定番朝食となった。

すでに1年以上続けているが、

途中から、こんな考え方をするようになった。


寝たきりで、日時の観念がない病人にとって、

そうめんによって「朝」を感じることができるとすれば、

それはそれで利点であろうと。

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文字どおりの介護食ながら、

食のプロのみなさんに味わっていただくことは、

いつか、どこかで

お役に立つことがあるかもしれないと考えて

ご披露させていただいた。

恐れ多いことではある。

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しかし翌日、そのプロのお1人から

肯定的なご評価をいただいた。

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そのメールには、

日々の教室や執筆、講義などの間に

料理作りも楽しんでいてよろしい、ともあった。

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そして、

「竹槍?! 事件のときも奥様のお夕食の

白滝を買う途中でしたね」との一文が。


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「竹槍?」

1年半前の悪夢の記憶がよみがえった。

夕食のおかずに白滝を加えることを思いついて

近くのスーパーへ自転車を飛ばした。

そのとき、対面から来た自転車と正面衝突しそうになった。

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「左側通行をしなさい」と注意したら、

その男(40歳代か)、なにやらわめき始めた。


「何か言い分があるのか」と尋ねたが、

大声で叫んで話にならない。

「黙れ、少し話をしよう」と言ったが、

聞く耳を持たない。


「お前、年金生活者だろう」などと、

それなりに的を射たセリフも口にしたが、

とても話し合いにはならない。


黙らせるつもりで、

歩道の縁の植え込みにあった竹の棒を持って

構えたたら、いつの間にかスマホを取り出して

その雄姿を撮りおった。

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そして「警察に来てもらう」とわめく。

望むところと、パトカーを待った。

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当然、交通ルールの話になると読んでいたが、

どっこいどんでん返し。

彼の写真が証拠となって、

こちらが図らずもロシアの侵略軍になっていた。

2人は別々のパトカーに乗せられて所管の警察署へ。

約2時間、署員約6人と次々と話し合ったが、

交通ルールの話ではなく、

暴力を振るったかどうかということがテーマに。

相手は別の部屋にいて直接対決はできない。

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ここで警察のキメぜりふ。(初体験だから知らんけど)

「そうやって頑固になっていると

お互いにあしたの朝まで、

こうやって押し問答を続けなければならない。

ここは大人になって謝ってしまいましょうよ」

所持品は財布の中まで

全部、トレイの上に出されて点検された。

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昭和時代のケンカは、

当人同士が闘って決着をつけるものであった。

第三者に割り込まれることを恥としたものである。

ところがいまは、相手の写真を素早く撮って、

警察を味方につけるというのが流儀らしい。

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件の料理のプロが指摘した「竹槍」とは

このときの竹の棒のことである。

これは竹槍ではなく、「竹棒力」である。

警察でのやりとりの結果は、「前科」にはならなかった……

とだけを書いて、あとは省く。

興味はむしろ「竹槍」

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昭和20年8月15日、

学童疎開中の宮城県の鳴子温泉で玉音放送を聞いて

敗戦を知った。

小学3年生になったばかりの9歳だった。

「アメリカ軍は日本人を地球上から1人もいないようにする」

と、上級生から聞いていて、

男子は竹槍を作って山にこもって、最後まで戦い抜くと。

そして、草を相手に実戦訓練開始。

しかし、1時間もしないうちに、先生がやってきて、

「そんなことはないから、みんな宿に戻りなさい

ここで武装解除を余儀なくされた。

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訓練不十分ながら、

その竹槍を実戦に使うところにまでいったのは

あれから、およそ80年後ということになる。

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訓練の効果があったのか、なかったのか……

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ともあれ、2時間後、パトカーに送ってもらって

トラブルの現場まで戻った。

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もし自転車が盗まれていたら、

警察に責任をとってもらおうと思っていたが、

カギのかかっていない自転車はちゃんと存在していた。

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もちろん閉店間際のスーパーまで走って

白滝を買うことができた。

そのときの料理がなんであったか、

それが思い出せないのがくやしい。

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そうめんにも白滝を入れたことはあるが、

夕食だったから、そうめんではないはず。

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竹槍で演習をした鳴子では、

野生の蕨(わらび)や蕗(ふき)を

炎天下、採取作業をさせられたり、

東京に戻ってからは、焼け野原で蒸しパンを作ったり、

新聞紙1枚でご飯を炊いたり……などがあって、

大人になってからは、その経験を生かして、

スノーケリングツアーのキャンプ生活では

飯盒(はんごう)炊飯や料理の焚火係を独占したりと、

思えばわが人生、

「食」との関係が浅からずある。

そんな思い出が竹槍の節々からあふれ出してきた。

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アクションクッキングで、

「新聞紙で1升のご飯を炊く」

という企画がないのが残念。

場所もないし、ブリキ缶もないし、

その必要もないことは重々わかってはいるが。

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いまは「五目そうめん」を15分で仕上げられる

2020年代の幸運を細く、細く、

しかし深く深く感じている。

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# by rocky-road | 2022-06-28 22:33 | アクションクッキング