師になりたくない先輩たち

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前回書いた「師弟」の話を、もう少し続けてみたい。
先生と生徒との関係は、1対複数だが、
1教室全員が「弟」かというと、そういうものでもないし、
先生にしたって、師と仰がれたくはないと、心底思っているらしい人もいる。
だから、先生と生徒、先輩と後輩は、
機械的に師弟関係にあるとはいえないわけである。

「もし、キリストが2人いて、2人で1つの仕事をするとしたら、
どちらかがリーダーとなり、もう1人がサブに回らなければならない」
そんなたとえ話をして、
スノーケリングにおけるバディシステムを説明した時期がある。
バディシステムとは、2人1組のチーム、
ダイビングの前、最中、終了後、互いに相手を支えるシステムである。

スノーケリング中、1人が浮上してくるときは、
「1人は水面で待っていて、アイコンタクトで笑顔を表わせ」と、
そこまで伝えて、互いの心身の安全性を高めた。
しかし、いざ1つの決定をするときには、メインリーダーに従え!!
2人のキリストは、ここにつながる。
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家庭における夫婦も同様。
「理論的に正しいから」と、2人のキリストが主張を始めると、
事態は泥沼化する。
バディシステムには、それを抑止する機能がある

さて、栄養士の世界にどのくらいの師弟関係があるかは知らない。
一時期、栄養士のことを「ダメだダメだ」と叱咤激励する
〝おっさん師〟が存在して、いつの間にか栄養士のほうも、
「私をぶって!!!」状態になっていた。

そんないじめられっ子を救うのは同性の師や先輩であるはずだが、
どうも栄養士の師や先輩たちは、
弟子に限らず、年下の人に対するコトバづかいが悪い。
横柄(おうへい)、身内とよそ者との態度が大きく違う、公私混同……など、
好ましくない先輩が持っている好ましからざる要素をすっかり
持ち合わせている人も少なくない。
引っ越しの手伝いをさせる、自分の子の面倒を見させる……。
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栄養士の社会進出を阻んでいるのは、
同性の師や先輩である可能性が考えられる。
「ヘルスサポーターの師や先輩のためのお行儀セミナー」を
何回か続けると、若い栄養士の視界はパッと開けるだろう。
優先順位からいったら、
「特定保健指導セミナー」なんかよりも
ずっと上位にある問題ではあるまいか。

# by rocky-road | 2008-09-07 08:15  

あなたの師弟関係は?

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愛読誌『文藝春秋』の9月号で、
「日本の師弟89人」という大特集をやっているので
少しずつ読み始めている。
「師弟」からは、古くさいイメージを描く人も多かろう。
それは、このコトバが単に師匠と弟子
(または生徒)のことを指すだけではなく、
師が弟子に期待し、弟子が師を尊敬し、
それを互いに誇りに思う関係をいう場合が多いからであろう。
菊田一夫と森光子、松下幸之助と中村邦夫(現松下電器産業会長)
などの関係は、確かに従来型の師弟関係に近いかもしれない。
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しかし、これでも師弟関係といえるのかな、と
首をかしげたくなる関係もある。
自分の処女作というべき本の書評を書いてくれたことに感謝し、
以後、師の主催するシンポジウムに参加しているうちに、
「敬慕」する気持ちになったという。
が、師と「出会ったのは」という書き出しで始まる文章
(「お目にかかった」でしょ?)は、
師を「さん」づけで呼び、いわば世話になった人への
いくらか深い感謝という程度の文体で書かかれている。
つまり、よくいえば親しげ、悪くいえば馴れ馴れしい。
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古いイメージの「師弟関係」を好まない人は、
こういう薄くてドライな師弟風の「イマドキ関係」もあると、
少しは安心するがよい。
こんなのに「師」と呼ばれたくない、と
読んでいて思えてくるが、
師も師で、そのことにあまり迷惑を感じていないらしい。
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話は少し変わるが、
わがスノーケリングピープルは、満30年記念のツアーとして
伊豆の中木というところへ行ってきた。
スノーケリングクラブには「師」はおらず、
「師弟関係」はありえないが、
30年、あちこちの海に旅をし、
イベントを続けてくると、互いに学び合って、
専門知識や技術を共有する関係ができあがる。
怪しげな師弟関係よりもずっと実のある
フレンドリーなシステムが持続する。

パルマローザも、現在、そういうシステムづくり、
ネットワークづくりへの道を歩き続けている。
30周年記念の日には、どんなイベントが企画されるのだろうか。

栄養士の世界には、
これまで育成型の師弟関係はあまりなかった。
そうだとすると、パルマローザは、
サークルという点ではスノーケリングピープル型だが、
勉強会やセミナーも実施しているので、
大学での研究室機能に近いのか。
さらにセンスアップと勉強、
そして社会進出志向……その目標はとても大きい。

これは大学に見られる師弟関係どころではなく、
1911年に平塚らいてふが結成し、野上弥生子、
岡本かの子らが参加した「青鞜社」(せいとうしゃ)ではないか。
もしそうであれば、
人材の宝庫になるのは10年、20年先か。
ケチな師弟関係とは大きく違う、
「同志」の結束を誇る、価値ある存在になるだろう。

# by rocky-road | 2008-09-01 10:16  

マニュアル アニマル

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私の「文章・編集塾」では、毎月宿題を出しているが、
7月に出した宿題「好きなコトバ 嫌いなコトバ」が、
この8月、各クラスごとに提出されつつある。
その中に、こんなエピソードが紹介されていた。

病院で順番待ちの番号カードを渡されたお年寄りが、
「4番という番号は縁起が悪いから嫌いだ」と、駄々をこねた。
それに対応した保健師が「ヨン様の4でしょ」と一言。
これでそのお年寄りは収まったとか。

この対応法は、たぶん日本中で採用されるだろう。
世界のナベアツではないが、
4のつく数字のときには「ヨン様」が登場する。
かくして「死に番回避マニュアル」ができあがる。
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               ↑アニマル大橋が手がけたマニュアルの一部

何を隠そう、私は天下のマニュアルアニマルである。
人に何かを教えるとき、行動や手順を定型化したがる。
箇条書きを多用し、その序列を重視する。
長年手がけてきた料理書や雑誌のレシピは、
正真正銘のマニュアルである。
フライパンに、にんじんを先に入れるか、
卵を先に入れるかは重要な問題である。

よい人間関係の保ち方、UFOの信じ方、
破局が近い恋の修復法まで、
世にマニュアル化できないことはないと思っている。
影山 なお子さんの『食コーチング』
(食事相談が変わるコミュニケーションスキル)
(医歯薬出版(株)刊)も、
もちろん食事相談のマニュアルである。
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               ↑『ニコノスⅤフルガイド』の中の大橋担当ページ

しかし、どんなにすぐれたマニュアルでも、
活用する人の熱意と創意工夫の余地は残している。
楽器の教則本をいくら読んでも、
ピアノやウクレレは弾けるようにはならない。
「3の倍数のときアホな顔をし、5の倍数のとき人を探す」と、
ナベアツさんがいうとき、
そのマニュアルに従う人は、
独創的なアホ顔ができなければならないし、
人を探す振りをリアルに演じられなければならない。

すべてはマニュアルどおりにはいかない。
それは百も承知、
だからこそ、マニュアルアニマルの生存動機は
永遠に尽きないのだ。

# by rocky-road | 2008-08-20 23:31  

生き物から食品へ

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珍しく、魚屋にタカベが出ていた。
日本列島の太平洋側では、夏から秋にかけて、
どこの海でも見られる魚だが、
漁獲量が少ないせいか、最近、東京ではあまり見かけない。

海の中で見ると、背から尾にかけて黄色いスジが走っていて
観賞魚といいたいほど美しい。
海の中をタカベが泳ぐのを見て「おいしそう!」と
叫んだ女性がいる。1度ならず2度までも。
偶然か必然か、2人ともミセスであった。

生きている魚を食品と見る、そのオバサン感覚が許せない。
「動物園でウシを見ておいしそういうのか!!」と、
憤然と詰問した。
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日本列島では、生物としての魚が、
食品となる瞬間が日常風景として見られる。
すし屋でいきなり手振りの鐘が鳴り出して、
「いま、アジをおろしています。ご注文をどうぞ!」
と、板さんが叫ぶ。
水槽に泳いでいる魚をとり出して、
その場で調理をする。

が、半分生きている魚をうまいと思うのは、
自分の舌に忠実でない人の言である。
本当のうまさを知っているのかね?
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石毛直道氏は、英語の「cook」というコトバは
火熱(ママ)を含むので、日本料理を代表する刺身は、
cookのカテゴリーに含まれない、
と不満げに書いている(『食卓文明論』中公叢書)。

刺身のうま味を知っている日本人は、
まだ身が生きていて、コリコリした歯ごたえのものを
「うまい」なんぞと、それをいっちゃぁ、おしまいよ。

生き物が食品に変わる瞬間を見ないのが
人間の品格であり、食物連鎖の一端を担う
生物たちへの思いやりである。
ウシやブタが食品に変わる瞬間を
見たいという人は少なかろう。

遊びとしての魚のつかみ獲り、
活き作り、躍り食い、ハンティング……、
そういうことは密室でやってほしいと思うのだが、
いかがなものだろう。

1.写真はタカサゴというサンゴ礁の魚。
  タカベはデジタル化していないためご紹介できず、失礼。
2.撮影中の大橋
3.ミナミイスズミとスノーケラー

# by rocky-road | 2008-08-17 09:10  

いざ、鎌倉!!

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けさ、ゆうパックで新刊本が届いた。
『野菜の達人 レシピ』
日本文芸社編、B5変型のハンディな料理書。
構成はフレンチ、イタリアン、
中国、日本、ベトナムの料理人が
担当する30ページ、
後半の90ページは高橋幸乃さんが
受け持っている。

この春、わがロッコム文章・編集塾の塾生の1人、
高橋さんから「書籍の料理制作の依頼があったけれど、
どう対処しようか迷っている」と相談を受けた。
フードコーディネーターで、
ネットで食関係の情報提供の仕事をしている人だから、
この程度のことに対応できないはずはない。
「なにも迷うことはない。イージス艦に乗ったつもりで
やりなさい。いくらでも応援するから」と励ました。

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出版プロデュースとは、
企画からプロジェクトチームの編成までを請け負う仕事だが、
今回のケースは、後方からの援護射撃にとどまる。
とはいえ、いつ援軍出撃の命が下るかわからない。
が、案ずることもなく、
彼女は仲間の援助を得て、2か月足らずで
128ページ本をさらりとやり遂げた。
突貫作業で銭ハゲができたといっていたが、
申し分のないできばえである。

b0141773_222208.jpg実用書専門の出版社だけあって、
社内にしっかりした編集者がいるらしく、
初登場の料理研究家をうまいこと使いこなした。
著者名が出ないのは残念だが、
実績には違いない。

自分で売り込まないかぎり、
めったなことでは本の依頼などない。
一生に2度とないチャンスを逃す手はない。
少なからずの慎重派の彼女だが、
どうやらそれは、世をはばかる仮の姿らしく、
なんということもなく100点ほどのレシピから
料理づくりまでを受け持った。
見返しにサインを頼んでおいたら、
何回か練習をしたのち、「恵存」と毛筆の書を書き込んで、
ようやく送ってくれたのである。

こうしたケースは、だれにもあるとはいえない。
それならば、自分で企画して売り込めばいい。
版元には優秀なプランナーがいると思うのは錯覚である。
近年、編集者教育が不十分で、
どこの版元にも、そうそう優秀なプランナーなどいない。
未来の著作者には、「専門分野は自分こそ最高のプランナー」
という自負が必要。
よい企画は、自分で売り込まないと、向こうからはやっては来ない。

いずれにしろ、「いざ鎌倉!!」(わかるかな?)に備えて、
適応力やファイトという「槍」(やり)を
いつも枕元に置いておきたい。

# by rocky-road | 2008-08-13 21:51  

耳で見る、倉敷

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岡山での講演後、少し時間をつくって、
地元の人に案内をしていただき、
市内で行なわれていた「うらじゃ踊り」と、
倉敷見物をしてきた。

「うらじゃ」とは、「鬼だぁ!」という意味の方言とのこと。
各地の夏祭りのつきものとなりつつある、
よさこい型の踊りである。
アップテンポの民謡(?)とチームごとの衣装が特徴。
そして踊り手は若者から少年・少女まで。

夜中まで踊り続ける、エキサイティングな祭だが、
踊り手が進行方向ではなく、
見物人のほうに向いて踊る、
という方式に温かさを感じた。
観客も音楽に合わせて手拍子を打つ。
ローカルな風景というべきか、
祭の先進的なスタイルというべきか、
教えられることが多かった。
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倉敷では、
たまたま写真を撮らせてもらった男性の話術に、
無抵抗に引きづられた。
町並み研究所のようなものを
考えているという人なのだが、
「あのお店は何屋さんかご存じですか」
「伊豆の松崎は知っていますか」と、
まずは問いかける。

ザルや熊手を売っている店なので、
「荒物屋さんでしょ?」と答えると、
「そう。それを知っている人は少ない。
若い人は雑貨屋さん、さらに若い人は
ホームセンターといいます」

問いかけコミュニケーションの威力を
再認識させられるガイドぶりであった。
けっしてガイドを頼んだわけではなく、
むしろ急いで写真を撮って、
帰りの新幹線に間に合う見込みだった。
が、この「行きづりガイド」から離れられなくなり、
2筋分の道を一緒に歩くことになった。

その土地の知識だけではなく、
各地の古い街並みについての知識、
倉敷を訪れる人の県民性など、
矢継ぎ早に話題が続く。
それはそれは、ただ者ではない見識なのだが、
適度に問いかけてくるので、会話が成立し、
けっして知識を押しつけられているとは感じない。

コミュニケーションの達人は、
どこにでもいるものである。
私の倉敷初体験は、
「問いかけコミュニケーションの街」と
いう印象を残しそうだ

# by rocky-road | 2008-08-08 08:06  

テールライト(尾灯)で前方を照らす。

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岡山県栄養士会のお招きで、
同栄養士会「生涯学習研修会」の1コマを担当させていただいた(8月3日)。
演題は、「栄養士のQOLを高める表現力  ≪文章力・写真力を中心に≫ 」

地域の栄養士会がこういう企画をすることは
栄養士の社会的進出への意欲の一端を示すものであろう。

『栄養と料理』編集長時代、「栄養士のための講演術入門」
という企画を提案したことがあったが、
上層部との会議の席で
「まだ早い」と却下させられたことを思い出した。
それからおよそ25年。

時代の流れを早いと感ずるよりも、
むしろ時代は「大河のようにゆったりと流れる」と
感じることが多い私にとって
25年後に関連テーマの再現を見たとしても、
さほど驚くことでもないが、それでも
「ようやくそんな時代がきた」という感慨はある。

もっとも、時代背景は異なっていて、
いまは、特定保健健診に見られるように、
「未病」の人をサポートするとなると、
「治療」とか「予防」とかというキーワードにあまりインパクトがないため、
「心身の健康」とか「人生」「幸福」「自己実現」とかの
抽象語の使用頻度が増えてくる。

「たんぱく質は1日に70グラム」「一汁三菜」といった、
数値化できる概念ばかりでは、
人のモチべーションを高め続けることはむずかしい、
ということだろう。

健康、人生、幸福などは、
「いま」よりも、もう少し先の方向でピントが合うコトバである。
これらの概念は、目で見たり、手で触れたりすることができない、
つまり、コトバがあってこそ存在する情報群である。

栄養士が文章表現力、つまりはコトバ表現力を学ぶということは、
人を後押ししながら、車のテールランプによって、
なんとかその人の半歩先の足元を、
うっすらと照らしてあげるようなものである。

この研修会の進行をしてくださった
冨田加代子氏(岡山県立大学保健福祉学部 栄養学科准教授)が、
まとめのごあいさつの中で、
「岡山からも情報発信をしていきたい」と述べておられたことが
印象に残った。
この着眼点もまた、将来的に、クライアントの半歩先の足元を
照らすことになるのだろう。
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# by rocky-road | 2008-08-05 01:14  

ゾウは鼻が長い。

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栄養士を対象とする講演会やセミナーで、
どんなテーマのときにも、
栄養士の社会進出を促す要素を入れることが多い。
「社会進出」にもいろいろあるが、
肩書きや経済的豊かさ、名声などをイメージしてのことではない。
栄養士の資質をがもっと社会に反映されるように
アクションを起こしてほしいと思ってのことである。

「在宅栄養士」というコトバが、
いまも使われているのかどうか、
全国的な事情はわからないが、
「在宅文学士」や「在宅経済学士」などといったら
世間の人は笑うだろう。
資格の有無よりも、いま、または将来、
なにをし、なにをしようとしているのか、
それが問題であろう。

社会への貢献という点では、
たとえば「食事バランスガイド」のような、
実効性のないシステムが流布するのを
止めることができなかった責任の一端は、
やはり栄養士の怠慢にある。

「ゾウは鼻が長い」という構文を知っていると
「キリンは首が長い」という文章も作れる。
しかし、モモンガという動物を知らないと、
鼻が長いのか、首が長いのか、
なにと比べたらよいのかさえ、わからず、
文章そのもを組み立てられない。

日々の食事をメニュー単位で管理しようというのは、
「ゾウは鼻が長い」というような構文を覚えれば、
モモンガのことも、フンコロガシこともわかる、
といっているようなものである。
単語(食事の場合は食材)を知らなければ、
食事の体系は整わない。
できあいのものしか選べないというのは、
なんとも窮屈な発想である。

人はとかく、自分の専門を他人にやさしく教えようとするとき、
相手の理解力を過小評価する。
年は若く、人生経験も不十分で、
知力も低めに見積もる。
レベルの低い者に合わせることも、
登山などでは必要だが、
人々の意識を高めようとするとき、
無気力、怠惰、思考力不足の者に合わせるようとすると、
周辺の者にバカが移る。
幸い、そこまでのバカは実存せず、
それは関係者の空想が生み出した
バーチャルリアリティである。

「食事バランスガイド」は、1人暮らしの男性をイメージした、
と開発者の1人が講演会で語っていたが、
自分で食材を買わない人をイメージしたのでは、
日本人のあらゆる階層に末永く活用してもらうわけにはいかない。
関連官庁は、例の「1日30食品」の失敗を繰返したことになる。

このケースは、ひとりの栄養士だけの問題ではないが、
世間知らず、人間知らず、情報発信の原則知らずの食関係者が、
少なからずかかわっていたはずである。
膨大な国家予算を使いながら、
たぶんこれは普及することはない。

栄養士の社会進出とは、
こうした国家的なヘルスプロモーションにかかわり、
継続的に国民の健康向上にかかわること、
それも1つのカタチである。
栄養士は「栄養士」によって自分を縛ってはいけない。
もっと先の先まで見通すアタマを鍛えよう。
 

# by rocky-road | 2008-07-25 15:45  

アロハ、着るか着られるか。

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梅雨が明けて、アロハシャツの季節である。
各地でハワイアンフェスティバルもおこなわれる。
が、本当のところをいうと、
アロハは日本の真夏には向かない。
Tシャツの上にレーヨン生地のシャツを羽織るには、
高温多湿すぎる。

アロハ通は、アロハは素肌に着るべきで、
下にTシャツを着るなんぞは邪道である、という。
ハワイを中心に考えれば、そうもいえるが、
風通しがよいとはいえないレーヨン生地が
汗でぬれる背中にベタリとくっつく不快感は
ヒートアイランドの都会に住む者にしかわかるまい。
ハワイが「常夏の島」なら、
近年の日本の大都市は「常(とこ)炎熱の島」である。
とても「アロハ!」などと涼しくあいさつをしている場合ではない。

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アロハ歴30余年、
日本のビーチおよび東京のアロハ通にいわせれば、
アロハを着るのは東京なら4月下旬くらいから梅雨明けまで。
北海道はいざ知らず、真夏のビーチは、
けっしてアロハの世界ではない。

が、対策はある。
薄地のポリエステルのアロハを見つけることである。
もちろん、そのようなものを見つけるのは、
ビーチに落としたコンタクトレンズを
見つけるほどにむずかしい。
素材に加えて、デザインのレベルも問わなければならない。

例によって例のごとしで、日本のアパレルメーカーは、
故郷に帰ったお父さんが、
西瓜割りのときに着るホームウエアくらいの後追いイメージしか描かない。
アロハの素材はレーヨンというのは固定観念だし、
ハワイ流こそ本道と考えるのも、
衣服の地域性との関係で考えれば偏見である。
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もともとアロハは、ハワイに渡った日本人が
和服地で作ったのがルーツだというから、
それだったら、レーヨンだって邪道である。
しかし、森羅万象、どこから発祥しようが、
それが別の地に根付くときは、
その土地なりの解釈が加わる。
それが文化の柔軟性であり、創造性である。

とはいえ、アロハ地に麻を混紡させたりする
このところの日本流にはついていけない。
アロハを着たことがないド素人の発想である。
洗濯したとき、このクソ暑い季節に、
だれがアイロンをかけるというのか。
「自分でやる」と断言する男は、希望的観測をしても1割だろう。
男の妻依存体質からの脱却は、衣服の管理から始めねばならぬ!!

ときあたかも、横浜でもハワイアンフェスティバル。
ポリ(エステル)のアロハをバッグに2~3着丸めこんで、
乗り込んでやろうか。シワひとつできるもんじゃない。
これが、アクティブで自立を志向する男の
服装ライフというものである。
写真
上 ピンクのアロハ 沖縄
中 去年のフェスティバルで ポリ地 ややアロハ柄から離脱
下 綿生地のアロハ 文章編集塾・塾生のみなさんと

# by rocky-road | 2008-07-22 11:19  

食事相談に「ヘタうま」はない。

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妻の知人が絵手紙をやっていて、
ときどき作品を持ってきては批評してほしいという。
筆軸の先端を持って、ヨロヨロとした筆致で書く流派である。
きちんとした字で書くと師匠に叱られるという。
「ヘタでいい、ヘタがいい」をキャッチフレーズにする例の手法。

特異な筆の持ち方ゆえに自由がきかない、当然ヘタになる。
絵や書にコンプレックスがある人にとって、「ヘタでいい」は、
どれほどモチベーションアップにつながることか。
今日の絵手紙ブームは、
このキャッチフレーズから始まったといっていい。

それは承知しているが、
「ヘタがいい」といわれると、首をひねらざるを得ない。
「ヘタでいい」と自分を慰めるのは可愛いが、
「ヘタがいい」と開き直られると、
「ナヌ?!」と、身を乗り出したくなる。
ヘタがいい人に、もっとヘタに書く方法は
教えようがない。
あえていえば練習などしないことだ。
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そもそもヘタとはなにか。
「物事に巧みでないこと、なまじっかなこと」などと
『広辞苑』はいうが、いまひとつおもしろくない。
では、「不慣れや未熟のために
人々が考えるレベルより劣ること」
というのはどうだろう。
これだと、アート系がいう「ヘタうま」の説明はつく。
「ヘタ」も、熟練すると「うまい」に変わる。

食事相談には「ヘタがいい」や「ヘタうま」はあるのか。
ヘタな食事相談担当者には
クライアントがつかないから、存在しえない。
「ヘタうま」のほうはどうか。

指示や指導でクライアントに迫る「指導型」から見ると、
クライアントの自発性をたいせつにする
カウンセリング型食事相談は、
なまっちよろくてヘタに思えるかもしれない。

しかし、「急がば回れ」の格言どおり、
長い人生、いずれ持続的な結果が出るから、
けっきょく「うまい」ことになるだろう。
食事相談における「うまい」と「ヘタ」とは、
基準が、いま変わりつつある。 
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★絵手紙は筆者の作品

# by rocky-road | 2008-07-13 06:38