外食は、人類をさらに幸せにする。

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ゴールデンウイークの真っただ中に設定された

「講話・講演におけるテーマ力を引き出す。」の

終日2日間にわたるセミナーが終わった。

54日、5日 横浜市技能文化会館)

もともとは、1030分程度の講話依頼を受けた人から、

どのように対応するものかと、

相談を受けたことがきっかけで始まったこのシリーズ、

あっという間に第4回にまで至った。

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栄養士、健康支援者に限らないが、

講話(ここでは5分~20分程度の小規模の講演のこと)や

講演(演題のついた30分以上の中・大規模のもの)

をする機会は、そうそうあるものではない。

それでも、栄養士は、その機会が多いほうではないだろうか。

しかし、その割にはトレーニングの機会がない。

そこで、影山なお子さんの≪食コーチング プログラムス≫が

開催したという次第。

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今回は、「テーマ力を引き出す」がテーマ。

講話や講演は、報告や説明とは違って、

聞き手の印象に残る考えや提案、思想、感性の提示がほしい。

自己紹介は、基本的には自分の属性を説明することである。

氏名、所属、その会との関係、

場合によっては出生地、出身校、趣味など。

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しかし、意識の有無は別にして、

テーマ性のある自己紹介をする人はいる。

「……それできょうは、こういうことを目標にして

この会に参加しました。

それは『5人のいい人とお知り合いになる』ということです」

このフレーズを入れることで、

この人の自己紹介は、みんなの印象に深く残るだろう。

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今回のセミナーは、演習中心。

栄養士を対象とする講演会で

「『外食はなるべく控えましょう』

という食事相談からどう脱却するか。」が課題。

参加者にプロット(筋書き。構想)と、

テーマを考えてもらって、

それをプレゼンテーションするというもの。

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かなりの苦戦が感じられた。

テーマ以前に、プロットのところでつまづいてしまう。

イントロ部分で、同じようなことを

複数の項目でいおうとする傾向、

どう答えを聞くつもりなのか、

聴衆に問いかける形式になる傾向などがうかがえた。

項目のダブりや問いかけ型は、

どちらも、言いたいこと、

さらには着地点が見えていない状態を現わしている。

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それを実感しての講師の反省。

プロットのコツは、そう簡単に身につくものではなく、

少し先を急ぎ過ぎたかもしれない。

「起承転結」や「序破急」など、

いろいろの柱の立て方(つまりプロット)があるが、

このトレーニングをもっとやっておく必要がある。

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プロットは、講話、講演に限らず、

少し長い、または重要な手紙、

論文、各種文章、動画の編集などにも必要となる骨組みである。

2本、柱3本、柱4本……。

内容と分量によって、柱の数は違ってくる。

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「『外食はなるべく控えましょう』という

食事相談からどう脱却するか。」についていえば、

1.なぜ、「外食は控えましょう」といってしまうのか。

2.外食はほんとうに健康によくないのか。

3.食事のよしあしの評価基準。

4.外食を否定しない栄養士像。

こんなプロットを立ててれば1時間~3時間程度の

講演はできるだろう。

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では、講演のテーマはなにか。

それはたとえば、

「人類の歴史は衣食住を分業する歴史でもある」

としたらどうだろう。

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家を自分で建てる人は少なくなったし、

衣服を自分で作ったり繕ったりする人も激減した。

では食は?

食も、とっくに分業が始まっていて、

それゆえに

人類はさらにアクティブに

さらに楽しみを広げ、

そして健康寿命を延ばすことになるだろう。

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# by rocky-road | 2017-05-07 23:37  

春は名のみ……♪ ♬

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従兄が89歳で他界したため、

通夜と葬儀のために、

新潟県長岡市にある自宅に行き、

その後、通夜と葬儀に参列してきた。

自分では覚えていないが、

20年ぶりの訪問だとか、

向こうでちゃんと覚えていてくれる。

いつも法事のときに出かけていくようだ。

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さかのぼれば、

小学生の低学年の時代、ここに疎開していた。

田園地区で、戦争がどこで起こっているのか

まったく感じられない地域だった。

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もっとも、

昭和19310日までの東京空襲を体験し、

「いよいよ」ということで

ここに疎開したのである。

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疎開中に、今度亡くなった「いとこ」からは、

いろいろと田舎暮らしを学んだ。

マムシの捕らえ方、殺し方、皮のはぎ方、

串の刺し方、いろりでの焼き方、

イナゴの生食の仕方などなど。

だからどうした、という話でもないが。

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こういう生活がよほど性に合ったらしく、

戦争が終わってからも、

しばしばここを訪れた。

そのため、父の実家とはいえ、

東京生まれの私だけが、

いちばん多く、ここを訪れたことになる。

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それはさておき、

このところ姉や兄、いとこの葬儀が続き、

その長男たちの法事のあいさつを聞いた。

「商売柄」というヤツで、

無意識的に「あいさつ」を評価をしてしまう。

その範囲でわかったことは、

父親のリーダーシップや表現力、

気働きなどが、息子のコーディネート力や

「あいさつ力」に少なからず影響を与える、

という傾向である。

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親族の法事のあいさつなど、

トレーニングする機会も場もないから、

ぶっつけ本番にならざるを得ないが、

それでも、親の言動は子に伝わっていて、

あいさつのできる親の子は、

それなりに形がいい。

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以前、友人の母親が亡くなったとき、

彼は母親の略歴を、クールな、

しかし、その生きざまに対する敬意のこもった

実に味のあるあいさつをした。

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一般論として、

故人となった男性の経歴は、

詳細に語られることが多いのに対して、

著名人ではない「母」や「妻」の経歴は、

ほとんど語られることはない。

しかし、その友人は、

そういう常識を破って、

参列者に対して見事な謝辞を述べた。

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これには大きな影響を受けて、

義母の葬儀のときに、自分でも試みた。

取り込んでいるときに、

義母の経歴を聞き取ったり確認したりするのは

楽なことではないが、

故人に対する敬意は示せたと思う。

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実の姉兄の葬儀の話に戻るが、

このとき、喪主の長男が、

実弟である私に

ひとこと求めてくれたのはありがたかった。

というのも、元気なころの姉の声を

留守番電話に入っていたテープからとって、

小型ラジオを用意して持って行ったからである。

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こちらから言い出す前に、

喪主から声掛けがあったのは自然でよかった。

準備をしておけば、

「チャンスはむこうからやってくる」

と、いつか、だれかに聞いたことがあるが、

確かにそうだと思った。

20秒、姉の声をみんなで聞いた。

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この4月は、

知人ではないが、

親しみを感じていた2人の方が亡くなった。

お一方は、上智大学名誉教授の渡部昇一氏。

1970年代以降、『文藝春秋』や『諸君!』誌上で

氏の論文を読み続けてきた。

ごく最近も『WiLL』5月号で読んだばかり。

知識の点でも考え方の点でも

大きな影響を受けた論客である。

1930年(昭和5年)生まれ、

2017417日没、86歳。

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もうお一方は、ペギー・葉山さん。

ジャズシンガー。

私がいまも愛唱する「爪」「学生時代」などを歌っていた。

近くの寺が毎年開催する「桜コンサート」にも

来て、歌ってくれたのは数年前である。

2017412日没、83歳。

合掌。


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# by rocky-road | 2017-04-27 22:08  

きょうも、ダイビングシーズン。

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毎年4月初旬は、ダイビング関係の2つのイベントがある。

この状態は少なくとも34年間に及ぶ。

「これからはダイビングシーズン」などというのは

部外者の言、または「ときどきダイバー」の言。

休日中心に活動をしてきたから、

元旦をはさんで、

年末・年始に海に入ることは珍しくなかった。

ダイバーにとって、

「ダイビングシーズン」は1年中である。

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少し余裕が出てくると、

日本の季節に関係なく、

いま夏の国に出かけて行って潜った。

? 夏を追いかけて ♪」である。

ご来光を海外の海で見ることはしばしばあったが、

日本で見るほどの感興はないことを知った。

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47日、8日、9日の3日間開かれる

「マリンダイビングフェア」は、

水中写真コンテストの作品発表展、

プロカメラマンのトークショー、

ダイビング関連機材の展示会、

世界のダイビングスポットのブース展示などがある、

華やかなイベントである。

(東京池袋のサンシャイン/文化センター)

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ここで気がついたのは、

フォトコンテスト入選作品のタイトルに

「擬人化型」が激増したこと。

「擬人化型」とは、

被写体となっている生物の立場でネーミングすること。

「きれいでしょ?」「何、見ているのよ」「仲よくしようよ」

などと、生物がしゃべるパターン。

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このネーミングは、かつては女性に多かった。

しかし、今回見ると、男性応募者にも多い。

ここからうかがえるのは、

生物の名や生態を検索するという

トレーニングができていないこと。

おそらく図鑑を持っていないだろうし、

インターネットで調べる発想も根気もない。

そして、もしかして「草食系男子」の増加。

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水中写真は、「ネイチャーフォトグラフ」

というジャンルに属する。

この場合は、生物の個体名を入れたい。

自然への興味、自然をたいせつに思う心は、

そこから始まる。

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大橋作品 「イワシの春」

17回 水中写真コンテスト グランプリ

昔、水中写真作品の好ましいネーミング論を

『マリンダイビング』誌に何回か書いたことがある。

ダイビング雑誌には、

そのようにして、

読者をリードする責任がある。

が、いまや、編集部にはその必要を感じる人間が

いないのだろう。

さて、415日には、

久々に「水中映像祭」に出かけた。

私が何人かの友人に

共同発起人になってもらうことをお願いして立ち上げた

水中写真の勉強会を中心とするサークルである。

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スタートは19834月。

1回の「水中映像祭」を開催してから34年になる。

私は第20回まで運営してきた。

後継者を育てた覚えはないが、

みんながあとを引き継いでくれて、

そこから数えても13年になる。

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スライドショーという発表形式は、

当時の日本では一般的ではなかった。

持ち時間5分の中で、

3080枚のスチール写真を

一定のストーリーに組み立て、

プロジェクターにセットし、

自分の直感的なタイミングで絵を送っていく。

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一種の演奏である。

あらかじめ用意したBGMやナレーションを使って

海の美しさ、生物の生態、旅の体験などを

映像表現してゆくのだが、

緊張して、プロジェクターのボタンを押す指が

震える人も少なくなかった。

自家用のプロジェクターを持っている人はいないので、

会の機材を使っての練習日を設けて、

晴れの「映像祭」に備えた。

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それがいまは、パワーポイント時代。

自宅で整えたデータを持ってきて

パソコンにセットするだけ。

そういう時代、つまりこの十数年間、

私は、この方式で作品作りをしていないが、

しばしの局外者となって鑑賞して感じるのは、

機材や発表システムは発達しても、

コンテンツ、つまり作品の質は、

そう飛躍的に進歩はしていない、ということ。

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現役時代は、「テーマが大事」と言い続けてきた。

数十枚のカット、つまり「点」を並べると、

なんらかの意味、テーマを求められるようになる。

「で、なにを言いたいの?」

映画を見てきた人の報告、

コンサートに行ってきた人の報告、

講演会に行ってきた報告、

どの場合も、ひととおりの流れを説明すると、

「で、どうだった?」と、感想を求められる。

極論すれば、その「求められるモノ」がテーマである。

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もっとも、最近は、映画のストーリー、

コンサートのおもな楽曲、

講演会の講師名、演題さえも

正確に伝えられない人が多い。

せめてしばらくは、

プログラムくらい持ち歩けよ!!!

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が、「第34回 映像祭」では、

テーマという点では、

大半の作品がクリアしていた。

「海はきれいだった」だけではテーマにならない。

「タコはこんなふうに擬態する生物である」

「海中の生物の色彩は、どんな光学的理屈で

人間の視界に入ってくるものであるか」

これがテーマである。

「京都の紅葉は真っ赤っか。水中にも赤い生物がこんなに」

さて、これがテーマになり得るか。

評価が分かれるところだろう。

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かつては、スチール部門、

8ミリフィルム部門、

ビデオカメラ部門と、

3つにパート分けをしていたが、

いまは、スチール(静止画)と動画とを

1作品の中で自由に使えるようになった。

表現の幅はそれほど広がったが、

人間の表現力はたかが知れている。

それを実感できることは、

失望ではなく希望である。

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まだやるべきことはゴマンとある。

それが希望でなくてなんだろう。


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# by rocky-road | 2017-04-17 14:03  

「民度」の捨て方、拾い方。

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過日、近くのJR駅構内のゴミ箱に、

大きな紙袋を押しこもうと苦戦している女性を見かけた。

なんとかゴミ箱に押しこんだと思ったら、

今度はビールの缶を2個、

それに清酒の5合びんを1本を、

「ペットボトル」「缶」の回収箱に押しこんでいる。

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状況を察したので、

「それ、みんな、電車の中で

あなた1人が食べたり飲んだりしたものなのですか」と

声をかけてみた。

「そう」と、彼女は答えて、

こちらに注意を向けることなく作業を続けている。

「ちょっと、顔を見せて」と私。

顔半分をこちらに向けた。

「それだけ飲んで、顔にはまったく出ませんね」

「そう」と無表情に彼女。

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50歳代の人だろうか。

家庭のゴミを駅の構内に持ってきて

捨てていこうという魂胆が一目でわかる。

彼女は咎められているという認識を持つまいと 

まったくひるまず、無表情を保つ。

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そこで、

「あなたは、肝臓も強そうだけど、

心臓はそれ以上だね」と言ってみた。

今度はさすがに「そう」とは言わず、

足早にホームに向かって走っていった。

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いまから50余年前の

196410月の東京オリンピックの前年、

国鉄(当時)の山手線車内で

酔った男2人が、座っている女性のひざに

代わる代わる腰を下ろすのを見かけた。

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1人で2人の男を相手にするのはムリだと思ったので、

近くにいた自衛官に声をかけた。

「やめさせたいので手伝ってほしい」と。

が、彼の答えは冷たい。

「制服を着ているのでそういうことはできないんです」

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なぜか私は納得して

(国は守れても1人の女性の安全は管轄違いで守れない)、

車掌に伝え、駅員に伝え、ラチがあかないので、

けっきょく、東京駅の鉄道公安室に駆け込んで、

状況を説明した。

と、そこにいた公安官の答えは

「相手は動いている電車の中だから

つかまえられません」であった。

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この顛末を新聞の投書欄に投稿した。

それが新聞に出た日、

鉄道公安室長が、

私の不在のわが家にやってきて、

謝罪していった。

なんと、ショートケーキ30個を手土産に。

オリンピック開催を控えて

「公徳心」を高めよう、

という運動が盛んになっていたころである。

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あれから50余年、

そして戦後、70余年、

長い間、日本人の「民度」の正体を見てきたので、

駅の構内に家庭のゴミを捨てていったり、

構内に自転車で入ってきたり、

駅のトイレの洗面所で

髪を洗う若者を見かけても、

驚くほどのこともない。


むしろ、

こうした大人の甘え行動は

日本ののどかさを示す「原風景」なのかもしれない。

が、しかし、

その「のどかな国」日本は

「地下鉄サリン事件」によって、

無差別テロの不名誉な先進国になってしまった。

ソフトターゲットを狙うテロにしてみれば、

こういう「ゆるい民度」の国は

狙いやすいのかもしれない。

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と、思いたいが、そうはいかない。

ニューヨークでもロンドンでも、

パリでもサンクトペテルブルクでも、

そして、バリでもマレーシアでも起こった。

テロの起こり方、起こし方に法則性はない。

思想や宗教、民族、格差、貧困、支配と被支配……

どんな論法ででも理屈は作れるが、

多分に後づけの解釈や理屈である。

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確かなことは、

それが人のモチベーションであること、

凶器には、火薬や武器、毒ガス、自動車、

飛行機などを使うこと。

つまり文明が生み出した道具を使う。

文明は、道徳心や公徳心を否定したがるのか。

そんなことを考えつつ、

渋谷のスクランブル交差点を渡るときには、

どんなタイミングでテロリストを発見するか、

あるいは、いざというとき、どう避難するか、

ハリネズミのように気張って歩いている。


だというのに、

そんなスクランブル交差点のド真ん中で、

ウエディングファッションの2人が

記念写真を撮っている場面にぶつかった。

スクランブル交差点は、

外国からの旅行者にとって

すっかり観光スポットになっているのを

改めて感じた。

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5分もすれば警察官が来て、

スクランブル・ウエディングを中止させる、

だろうと思ったが、ずっと続いていた。

「ゆるい民度」の国から、

「ゆるい民度」の国にやってきて、

交差点のド真ん中で「誓いのキス」をする風景は、

なぜか許せる光景だった。

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「あなたのドレスはきれい、

きっとハートもきれいなんでしょうね」

と声をかけずにいた自分を

ほめてやりたいと、思う。

「粋」の文化の後継者にはなれないが、

「野暮」を避けたい文化の後継者としての自負は、

ひょっとして、いくらか残っているのかもしれない。

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ちなみに「民度」の定義。

「人民の生活や文化の程度」(広辞苑)


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# by rocky-road | 2017-04-05 16:36  

信仰も健康も……。

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ロッコム文章・編集塾の塾生から

宿題として提出された文章に、こんなものがあった。

その人は、ある宗教組織の病院に勤務しているが、

そこのトップ(外国人)が

職員に向けて出すメールによるメッセージが

まったくの信者向けであるため、

信者ではない職員は違和感を覚えるという。

その病院での勤務者は、

信者であるかどうかは採用条件にはなってはいないという。

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この事情を書いたあと、

彼女は、こうした一方的な情報提供の仕方は、

栄養士がクライアントに対して、

一方的に栄養のたいせつさや健康の意義を説くのと似ている、

としている。

人のふり見てわが身を正せ、というわけで、

彼女は、栄養士として、そうならないよう、

コミュニケーション力を磨いていこうと、

年頭の所感として文章に書いていた。

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さて、320日に、

私は、横浜で、パルマローザ主催の輪読会を担当したが、

ここでは、栄養士会のリーダーが書いた文章を

「ワケアリ文章」の事例として2本を示した。

内輪の機関誌の記事とはいえ、

いや、内輪だからこそ、

何を言いたいのかがわからない、

救いようのない文章を平然と書くことができるのだろう。

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よくも悪くも「情報化時代」が続き、

また、Eメールの普及の効果も多少はあって、

国民の文章力は、わずかに底上げされつつある。

少なくとも、印刷媒体に関しては、

いわゆる「悪文」を見つけるのがむずかしくなった。

が、大学の「紀要」とか、学会誌とかは、
依然としてガラパゴスで、

「悪文収集家」を喜ばせずにはおかない

正真正銘の悪文が生きながらえている。

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多くの人は、文章力を評価するのに

「文才」というコトバを使う。

このコトバは曲者で、

文章力はあたかも生まれつきの才能であるかのように錯覚させる。

人間にとって文章表現力は

きわめて後発の能力、

したがって、生まれつきとの関係はうすく、

すぐれて学習力を要する能力である。

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しかもその能力は、

ひとくちに「文章力」とくくることができないくらいに

それぞれ、ジャンルごとにポイントが異なっている。

「ジャンル」とは、

日記、手紙、ハガキ、エッセイ、解説、論文、詩歌、広告、

レポート、事務文書(さらに依頼書、注文書、わび状など)、

諸届、小説(さらに純文学、中間小説、大衆小説などなど)、

そして、Eメールやブログなどのことで、

これらは大きく分けても200以上のジャンルとなる。

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それぞれのジャンル間には大きな差異がある。

事務文書の文章と、小説や詩歌のそれとの違いは、

相撲とレスリング、サッカーとベースボールほど、

といっても過言ではないくらいのものである。

だから、それぞれのジャンルに共通する文才などあるはずもない。

手紙が書けない小説家や学者、

ノンフィクションは書けても、
論文が書けないライターがいても、

少しも驚くことはない。

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さてそこで、

最初の「宗教」と「栄養」の話に戻ると、

どちらも目には見えないものを対象としている

という点で共通している。

「栄養素は顕微鏡で見られる」というかもしれないが、

その生理作用は目には見えない。

神を見た人は少なくないが、

神がもたらす精神的効果は目では見えない。

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見えないものを語る人の宿命として、

見えないものを「見える化」する

コミュニケーション力が求められる。

神の場合は、
古来、絵画や彫刻などによって具現化されてきた。

阿修羅や弥勒菩薩の穏やかな表情から、

安らぎを得る人も多い。

それとても、信仰を持つことで得られる幸せを

コトバで説明する必要に迫られるはずである。

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栄養や健康の「見える化」の場合は、

スポーツシーンであったり、
子どもが無心に遊ぶ姿だったり。

が、それらには弥勒菩薩ほどの霊験はない。

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けっきょく、栄養効果や健康は、

印象的なコトバ、美しいコトバで

それを語るしかない。

信仰も健康も、

人々がそれへの関心を弱めているとすれば、

それは、自分の専門を語れない担当者の責任である。

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日本人は、いつのまにか、

世界一の長寿国になった。

そこへ向かってひた走ったわけでもないのに。

とはいえ、「偶然にそうなった」という解釈では、

それにかかわってきた人の尽力に対して失礼だろう。

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どんな事情であれ、その地位は、守るに値する。

「生」とは、なんだかんだいっても、感動の収集活動だから。

その経験は、あとから来る地球上生物のために生かしたい。

それをバックアップする一員が健康支援者だとすれば、

コミュニケーション力すなわち、発話力、文章力、

基本のところでは表情、身だしなみなどを、

磨き続ける必要がある。

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輪読会で使った悪文を書くような先輩が、

健康支援者たちを引っ張っている以上は、

後輩たちは、よほどがんばらないといけないだろう。

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# by rocky-road | 2017-03-24 17:52  

本家の「栄養バランス」事情。



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「栄養のバランス」とは、

なにをもって評価するか、

この点については、

自分のセミナーのときには

確認ポイントとしてしばしば話題にしている。

栄養士は、クライアントに対して

「栄養バランスに気をつけて」といえば、

責務を果たしたような気になるが、

なにをもって「バランスがとれている」といえるのか、

指導している本人がわかっていない場合が多い。

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ところが、

かつて編集にかかわっていた雑誌の最新号を見ると、

この雑誌も、栄養のバランスを

わざわざあいまいにしているのである。

「栄養バランスごはん」という特集を組みながら、

「ごはんは茶わん1杯」

「肉や魚は片手くらい」と、

1食分の目安量しか示していない。

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毎号、巻末のページで

「四群点数法」を解説しているのに、

どのページも、それにはノータッチ。

もはや「四群点数法」はお飾りになってしまった。

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この大学の創設者であり、

「四群点数法」の考案者である

香川 綾先生から数えて3代目ともなると、

あの画期的な「食の地図」を

継承しようという意欲を持つ者もいなくなる、ということか。

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文化や文明には停滞や後退はよくあることとはいえ、

食事の指針というものが、

こうも普及しないものかと、慨嘆する。

先進国の多くは、国民の健康を考えて

なんらかのガイドラインを提示しているが、

ほとんどの場合、普及していない。

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スマホだのカーナビだの

歩数計だのヘルスメーターだのと、

情報や体内環境をキャッチする

機器の発達はめざましいが、

毎日食べる食事の質と量に関しては、

人類はかなりアバウトにできている。

集団的管理はできても、

自己管理はできない、

それが新人類から数えて20万年間の

現実というものであろう。

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「それでも世界でトップクラスの長寿国なんだから

まあ、そうカタいこといわなくても……」

という意見もあろうが、

これが終点であるはずはなく、

これからも人生の質と量の充実の道は続く。

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つまり、人生は長引かせることが目的ではなく、

充足感を感ずる期間をより長くすることが目的である。

そう考えたとき、

1日に、なにを、どれくらい食べるか、

という食事の指針も

目的意識を自覚するうえでのモチベーションとなる。

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このページにも、

「四群点数法」の群別と、目安量を掲げておこう。

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# by rocky-road | 2017-03-13 00:55  

セミナーを渡る風。

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226日(日)、広島で

コミュニケーション研究会 ひろしま≫、

35日(日)、石川県能登で

ロッコム文章・編集塾/能登教室

1週間に2つのシリーズセミナーが終わった。

広島での講義は

文章表現に映像表現を応用する

能登での講義は

いつも、鮮度の高い『食と健康情報』を

提供するための7つのポイント

どちらも、1日かけての講義であった。

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いずれも日帰り出張はキツイので、

前日泊となるが、

主催者の計らいで、

自分では計画できない

陸の旅をするよい機会になっている。

「旅」といえば「海への旅」を優先してきた者には、

遅ればせの「陸の旅」の貴重な機会となっている。

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広島では、

宮島へ渡って、厳島神社を遠望し、

やはり海を背景にシカを撮ることに熱中した。

なんのことはない、

これも海への旅ではなかったか。

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石川県能登への旅は

北陸新幹線のおかげで金沢経由のルートができた。

金沢では、今回も「ひがし茶屋街」をリクエストして、

案内していただいた。

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伝統のある町では、

看板などで見る手書き文字に目が行く。

パソコンには入っていないはずの

味のある書体、

それを書くプロがいる町の奥行を強く感じる。

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今回は、あれこれのスナップ写真をお目にかけたい。

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広島と石川、
東京から見ると、
時計の9時と11時の位置にある見当だが、
両教室の交流もあって、
能登の人が広島に、
広島の人が能登へと、
ツアーとセミナーに参加してくれることもしばしば。
今回も、そういうことがあった。

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そしてしばしば、
ここに横浜勢、名古屋勢、東京勢が加わることがあることも
忘れてはならないだろう。

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日本が狭くなったのは、

交通機関の発達ということもあるが、

人のモチベーションが

世界を狭くしている面がかなりあることも、

見落としてはなるまい。

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# by rocky-road | 2017-03-07 22:45  

うまく育った「私」と「あなた」

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去る2
19日に開かれた第53回「食ジム」では、

栄養士・健康支援者における『子育て』のいろいろ

 (美しい関わり方)

というタイトルで、終日、話し合った。

会場 横浜市技能文化会館

アドバイザー 影山なお子さん 大橋禄郎

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内容は

1.私の育てられ方--親のこんなところに感謝したい。

2.「親の顔を見ちゃいました!」 バッド子育ての現場レポート

3.日本人の子育て食育--①ここが問題 ②ここが誇り

4.栄養士・健康支援者の考える「子育てのあり方」

5.「子育て」の評価基準を設けるとすれば……。

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1~3については、各自の発言が続いたが、

4~5については時間切れで

軟着陸とまではいかなかった。

むずかしいテーマであっただけに、

むしろ、みんなで考えてみたかった。

やむを得ず、私なりの感想を述べたが、

充分ではなかったので、

以下にまとめておきたい。

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「4」の栄養士・健康支援者の考える「子育てのあり方」

については、当然ながら、

食と健康に軸足を置いての論になる。

ということは、端的に言えば「食育論」である。

「食育基本法」には、目標はあるものの、

「食育」の定義がないため、

土俵のない取り組みが続いている。

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それは、地引網体験も、芋掘りも、

田植えも、稲刈も、

魚市場や青物市場見学も、食品メーカー見学も、

「食育」ということになる。

将来、一次産業に従事させることが前提なのか、

社会科への横滑りなのか。

挙句の果ては

中高年対象に「寝たきりにならないための食育」として、

料理教室が開かれたりもする。

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「食育」とは、知育、体育、徳育の連想から、

子どもの心とからだを培うために、

家庭での食教育を強化することが目的だったのではないか。

しかし現状では、

食育は家庭に戻ることはなく、

学校や業者任せになりつつある。

ここで注目すべきは次の点。

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女性の社会参加の結果として、

食の外部化(外食、中食、調理済み食品)により、

家庭での「団欒」(だんらん)の機会が減り、

食卓を通じての情操教育がしにくくなった、

そこで「食育」が大事、

として「食育基本法」を作った。

その狙いは、

家庭での「団欒」の復活にあった。

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ところが、その「食育」は学校任せになり、

さらに、

学校を通して

専門コーディネーターへの発注となった。

気がつけば、「食育」も外部化していた。

当時から、予測していたとおりになった。

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子どもが親と食事をする機会が減った、

その事実を認める視点があるならば、

「食育」が空論になることは予測できたはず。

そう推測できたから、

子どもから「食事力」を引き出すほうが

現実的ではないのか、と言い続けてきた。

いつ、どこで、どう食べようと、

自分にプラスとなる食事を選ぶ力、

食べる力を引き出すのである。

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3歳児の食事力、10歳児の食事力、

20歳の食事力、70歳の食事力。

どれにしても、気力、体力、記憶力、

欲をいえば、努力や精神力、学力があるといい。

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「食事力」とは、

ヒヨコが孵化した直後にエサをついばむように、

哺乳動物が生まれてすぐ、母親の乳を飲むように、

それは本能的な能力であるとともに、

知力や学力、経済力をもって支える

社会的能力でもある。

つまりは、人間の一生を支える能力、

それが「食事力」である。

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それほど基本的な能力を表わすコトバなのに、

「食事力」が国語として定着しなかったのが不思議。

英語ではどうか、ドイツ語ではどうか。

人類は、そんなコトバを作っていなかったのだ。


であるとするならば、

栄養士・健康支援者の育児論の軸足は、

「食事力」強化に置くことであろう。

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さて、

5」の「『子育て』の評価基準を設けるとすれば……。」

つまり、子育てがうまくいったかどうかを

どういうタイミングで評価するか、である。

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細かく区切れば、1
歳児の子育て、

2歳児の子育てとあって、

その延長で20歳時の子育てというところまで、

評価ポイントは移っていく。

とはいえ、

子を、どう育てようが、親の守備範囲、

「他人からどうこう評価されたくない」

というのが親のホンネだろう。

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しかし、成人式の式典で、

大酒を食らって、

壇上で暴れだすような「子」を持ったら、

「子育てがうまくいった」とは言い難い。

あるいは、小・中学生で自殺をされてしまったら、

「子育て成功」とはいかない。

どんなに外圧(イジメなど)があったとしても、

子に自殺されてしまったら、

先手を打てなかった親の負け、

そう自己評価するしかあるまい。

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それを学校や社会のせいにしているようでは、

親自身の「育てられ方の失敗」と

評価されても仕方がない。

子どもの自殺を学校や友人のイジメのせい、

というところだけをクローズアップし続けると、

自殺者は、その時点で「勝者」になってしまう。

「死んで恨みを晴らす」「身の潔白を示す」は

日本の伝統的思想。


ただでさえナイーブな少年・少女時代のこと、

死んで「勝者」になる選択をする可能性は高い。

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イジメで学校側やイジメたほうをイジメることは、

自殺の促し効果をつくりだす、という側面を持つ。

「なにが悪いって、自殺する者は卑怯、敗者、

次の自殺者へのけしかけ」

という価値観を植えつけない限り、

この連鎖に終点や減少は望めない。

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子が親を越えてよくなったり、

悪くなったり、いろいろの方向を探るのが

「適応」と「進化」のカタチというものだろうが、

いまの世の中が「よい」とするならば、

「適者生存」という結論になる。

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人間の社会活動の範囲では、

子の行動の大半は親や大人の反映。

子どもがダラシナクなるのは、

親や大人の影響か学習によるもの。

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とすると、「大人は子育ての成果」である。

四六時中、スマホをのぞき込む大人には、

自分が「子育て失敗の事例」なのか

「子育て成功の事例」なのか、

自己評価する時間も問題意識も

思考力もない。

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みんながアホになる状態、

それは、復元力を生み出す1プロセスともいえる。

大宅壮一氏が、テレビの普及時代に

「テレビによって一億総白痴化する」と

指摘したが、いま、テレビを見る人の数は激減している。

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鴨長明は、「ゆく川の流れは絶えずして」といって、

人生や社会は2度と元に戻ることはない、としたが、

もっと大きく見るならば、

世の移ろいは、寄せては返す波の繰り返し。

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長明さんは川しか見ていなかったが、

海は地球上の湖だから、

ツボの中で水はあっちに行ったり、

こっちに行ったりの繰り返し。

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テレビによる「白痴化」を免れた人類は、

今度は、スマホによる「白痴化」の波にさらされている。

「子育て」の成功・不成功は、

その社会の、ある時点での「大人」の生き方を

どう評価するか、という問題になるだろう。

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厳密にいえば、その評価対象は個人でしかない。

ということは、

この世は、子育て失敗の結果と、

子育て成功の結果とが共存している集合体であって、

相互補完をしつつ継続している、

ということになろう。

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個人的対処としては、

従来の「人様に迷惑をかけないように」は

標語化しすぎて実効性がないから、

各自がバージョンチェンジを図らなければならないだろう。

*人のモチベーションを下げないように。

*街を汚さないように。

*マスメディアのターゲットにならないように。

*人を排斥したり差別したりしないように。

*使わないお金を持ち過ぎないように。

*ブログでわけのわからない論を展開しないように。

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などなどのように、

子どもへの徳育を進めるには、

親側、大人側のほうに、

そのつどキャンペーンテーマを変えるだけの

準備性が求められる、ということだろう。


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# by rocky-road | 2017-02-23 16:29  

ネットワークをどう温めるか。

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サークルにしろ学会にしろ、NPOにしろ、

ホームページを見ると、

記事が更新されていないものが少なくない。

「箱もの」と同じで、

作るときはがんばるのだが、

それを維持するのはむずかしく、

空洞化してくる。

イベントなどの活動もそれに比例する。

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そうなる理由の上位は、

役員を順番制にするからである。

創設期の役員は、

ゼロから出発しただけに、

意欲もエネルギーも十二分にある。

しかし、3年、4年とたつと、

役員の交代を考えるようになる。

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このあたりから、

創設メンバーのコンセプトがあいまいになり、

パワーも下がってくる。

情熱も経験もトレーニングもない

押しつけられ役員としては、

組織を活性化するどころか

持続することさえおぼつかない。

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ビジネスの場合には、

それを保持しないことには

自分たちの生活が成り立たないから、

創設者が退いたとしても、

手を抜くことはできず、残った者ががんばって、

組織をなんとか維持することにる。

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ほんとうは、学会だって、サークルだって

「情報」という、

金銭には代えられない貴重な「価値」が

得られる場だから、

人々の関心をもっと集めてよいはずだが、

そうはならず、すぐに「開店休業」状態になる。

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その理由は、

提供する情報には鮮度と、

香辛料の数倍という刺激が必要だからである。

なにしろ、フツ―の人は、

情報の値踏みが不得手だ。

情報が、心理的エネルギー源であり、

生存に不可欠なものであることを

ホモサピエンスとして数十万年たっていながら、

人類の98%は気がついていない。

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同時にまた、

「情報ステーション」(情報を提供する場)

というものも、

商品と同じようにパッケージが大事。

商品のクオリティが第一条件だが、

その価値を高めるのは、パッケージ。

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情報ステーションのパッケージに当たるものは

会場となる建物のルックスではなく、

主催者の求心力。

つまり情熱であり、人間性であり、

コミュニケーション力であり、企画力であり、

ファッションセンスであり、

コーディネート力であり、持続力でありと、

あまりにも多くのパッケージが必要となる。

いま、パッケージとはいったが、

実は、それら自体が情報でもある。

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情報ステーションをの活性し続けるには、

数年で交代する役員方式ではなく、

少なくとも5年、

欲をいえば10年以上を任期とするか、

1人のリーダーが

命ある限り、ずっとリーダーを続けるかである。

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私の経験でいえば、

私が立ち上げたサークルは、

20年間運営を続け、

そこで後輩にバトンタッチした。

バトンタッチの技術というよりも、

あとを引き継いだ人たちががんばったために、

33年間、いまも活動を続けている。

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結果論でいえば、創設者時代を経験し、

それを引き継ぐ準備性があったからこそ、

持続できた、ということもできる。

数日前に、今年のイベントの案内が届いた。

「第34回 水中映像祭 水中のスライド&ビデオショー」

415日(土)と。34年間、継続している。

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一方、石川県能登では、

20143月に開講した

「ロッコム文章・編集塾 能登教室」が

4回のペースで続き、

この3月で12回目になる。

このケースでは、

能登の経験のあるリーダーが、

優れた企画力と推進力で立ち上げ、

いまに至っている。

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すでに別のネットワークの運営経験もあって

そのコーディネート力は一級品。

自己流のワンマン運営ではなく、

メンバーを引き立てるし、

各地に出かけて行って情報を仕込んでいる。

そのフットワークとパワーが

持続性のあるネットワークを支えている。

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広島では、

能登のネットワークを参考にして、

有志で「コミュニケーション研究会 ひろしま」を

201412月に発足させ、

こちらも3年目、

3クールに入っている。

ここでも文章、編集を学ぶことを中心に、

栄養士のコミュニケーション力や

食コーチングなどを学び続けている。

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日本の、または各地の地域のネットワークでは

会員不足やイベントへの参加者数が減り続けていて、

それが大きな問題点になっていると聞く。

その理由は、以上に述べたとおり。

ということは、

現状では改善は望みにくい。

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これを一部の役員のせいにするのは当たらない。

企画が平凡で、

役員の求心力不足が一因であることは確かだが、

ほかに替わる人がいないのだから仕方がない。

大きな労働組合では、

報酬を払って「専従」の役員を置いている。

それでも組合員の参加意識はあがらないというから、

救いようがない。

それはつまり、

日本人というものが、

とことん自発的な組織プレーが苦手であり、

したがって、システムづくりに進歩がない、

ということである。

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なにしろ、

衣服を選ぶのに「一生着られる」という、

ケチと更新嫌いが合わさった価値観を持つ国民である。

72年もの」のビンテージ憲法を

床の間に飾ったまま

ハタキさえかけないくらいのことは

当然といえば当然である。

ちなみに、スイスでは、

1892年に制定された憲法が、

2016年までの124年間に

「国民イニシアティブ」という制度によって

318件について改正が発議され、

203件について国民投票が行なわれ、

22件が改正されたという。

(『世界一豊かなスイスとそっくりな国ニッポン』

 川口マーン恵美著による。 講談社)

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文化というものは、

人を真似てすぐ身につくものではない。

が、近くの県でがんばっている人がおり、

活性化しているネットワークがあることを

知っていながらジッとしているとしたら、

それは怠慢か、人生の放棄というもの。

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健康支援者とは、

究極的には、食や健康をベースにして

人のモチベーションを高める仕事。

そういう職業の人が、

自分のモチベーションさえあげられないとなると、

果たして健康支援者という職業を

この先、続けることができるのか。


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# by rocky-road | 2017-02-12 23:35  

「四群点数法」人口はどれくらい?

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去る1月28日、
元の勤務先である女子栄養大学で、
食と健康情報の鮮度を高めるための
7つのポイント
」と題して
4時間弱の講義をさせていただいた。
経過は、
影山なお子さんのブログにくわしい。
http://palmarosa.exblog.jp/
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この講義の7つのポイントの中には、
「栄養バランス」の基準の1つとしての
四群点数法」について私見を述べた。
この大学は「四群点数法」の発祥地であり、
いま、その講義を担当する先生もおられるので、
いわば「釈迦に説法」にはなるが、
むしろ、だからこそ、
通り一遍ではない普及と
そのための熱意の増強を願いたかった。
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世の中には、いろいろの計器が普及している。
体重計は、いまやヘルスメーター、
体組成計などと呼称を変え、
体脂肪率からBMI、骨格筋率、基礎代謝などが
測れるようになった。歩数計もしかり。
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ところが、1日に、なにを、どれだけ食べるか、
という指針は、世界はもちろん、
日本国内にも普及していない。
ヘルスメーターで「結果」を測るのに、
その「原因」となる食品のほうは測るどころか、
指針さえ持たない人が多い。
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当日のアンケートの中には、
四群点数法」が普及しない理由を
説明してくれている記述がいくつかあった。
1つには、「女子栄養大学のもの」
というイメージが強いこと、
そして、教育現場では
「三色食品群」や「6つの基礎食品」が主流であること、
などをあげてくれていた。
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「三色」や「6つの基礎食品」のように、
量の単位が示されていないものを
食生活でどう活用するのか、
これを普及している人は、
まちがいなく、それを実行していない人であろう。
魚や肉、卵が必要とあっても、
どれくらいとればよいのかがわからなければ、
実行できるわけがない。
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少し話題を変えてみよう。
カメラに「オートフォーカス」機能がついてから久しい。
被写体にレンズを向ければ、
自動的にピントが合うシステムである。
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しかし、この機能も万能ではない。
走っている人や、飛んでいる鳥、
泳いでいる魚は、
その場にとどまるのは一瞬だから、
オートフォーカス機能を使っても、
数千分の1秒の瞬間にピントを合わせることはできない。
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こんなとき、置きピンというテクニックを使う。
ランナーが通るであろう地点に
あらかじめピントを合わせておいて、
ランナーがそこを通過する瞬間、
厳密にいえば、
その「瞬間」の数百分の1秒前にシャッターを切る。
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しかし、鳥や魚の場合は、
「通るであろう地点」は予測できないから、
たとえば1メートル目前に来たときにシャッターを切る、
と決めておく。
この場合、約1メートルという目測を瞬時に行ない、
そこに仮のピントを合わせておいて(半押し)、
そのまま被写体に向けてシャッターを切る。
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こういうトレーニングは、
水中カメラで何万回とくり返した。
当時、水中カメラには
オートフォーカス機能がついていなかったから、
水中で40㎝、60㎝を目測する必要があった。
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目測40㎝をからだに覚え込ませるには、
被写体ごとに目測するのではなく、
40㎝先のものだけを撮ることに徹する。
カメラは、いつもピント40㎝に固定しておく。
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これを座標軸にしておくと、
それより近いか遠いかが、すぐにわかる。

四群点数法」とは、
食生活における座標軸である。
スタンダードといってもよい。
これを元にしていると、
卵を2個食べた日は、その日に限って、
それ以上は食べないようにする、という方針が立つ。
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計器類がこれだけ発達、普及した時代に、
日々の食生活をコントロールする
基準のスタンダートが普及しないというのは、
人間の悲しい性(さが)というしかない。
食を情緒的な対象としておきたいという
深層心理によるところがあり、
一方に、「三色だ」「6つの基礎食品だ」という
セクショナリズムがある。
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以前、『話を聞かない男、地図が読めない女』
という本がヒットしたことがあるが、
食に関しては、『地図を持ちたがらないヒト』
と言い切ってもよいのかもしれない。
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前述のセミナーでは、
そうではあっても、
それを普及させ得なかった関係者にも責任がある、と述べた。
私もその1人から逃れようとは思わない。
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女子栄養大学の非常勤講師をしていたころ、
学生に、「四群点数法」を解説するパンフレットを、
成人男性向き、小学生向きに作りなさい、
という宿題を出したことがある。
彼女たちは、もう30歳代、
四群点数法」を実践している人の割合は、
どれくらいのものだろう。
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その予測は、悲観的である。
しかし、現実には、
実践している人が数万、数十万、数百万(?)は
存在しているはず。
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ボブ・デュランのように、
「その答えは、風に吹かれて、風に吹かれていんだよ」
などと、風任せにしてはいけない。
計画的な旅をするのであれば、
地図を持って旅立つほうが、
目的に対する達成率は高いはず。
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地図は、
計画性、論理、知性などを強化するもの。
だとすれば、
四群点数法」の普及度の停滞は、
論理や知性のバックアップ不足によるところが
あるのかもしれない。
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# by rocky-road | 2017-02-04 23:37