問いかけが生み出す発見や夢と希望。


新春の18日に行なわれるパルマローザ主催の新春セミナー、

演題「講話・講演・講義を楽しくスタートするために

『イントロクエスチョン名人』になる。」

1030分~1730分 横浜市技能文化会館

に向けて準備中。

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これにちなんで、

2022年度も、ますます頭の回転をよくしていただくために、

まずは、こんなクエスチョンを考えてみた。

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次の1~4の文章の内容について、

「イエス」と思うものに「〇」を、「ノー」と思うものに「×」を

書き入れてください。


1.(  )「ありがとうございます」というお礼のコトバが

     いま、「ありがとうございました」に置き換えられつつある。

     放送局などが頻繁に使っていることが大きな原因と思われる。

     この分では、年賀状に「明けましておめでとうございました」

     と書く人がふえるのは時間の問題である。

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2.(  )年賀状や喪中のごあいさつの文面に

     句点( 。)を打たない表記法が定着した。

     いただいた年賀状や喪中のあいさつのうち、

     印刷された文章に句点を打ったものが30%以上ある人の場合、

     自分を「教養人とのつき合いが多い人」と

     評価してよい。

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3.(  )子供のときから多くの試験を経てきているが、

     試験はまさにクエスチョン。

     ここから学ぶべきは、

人の設問に答えるばかりでなく、

自分に設問し、自分で答えを考えることを習慣にすることである。


*雑煮の餅は2つにとどめておくべきか、

いや、ここはハイエナのプライド、3つと行こう。

*今年の目標はなにか。

*けっきょくワタクシ、どこへ向かってどう生きるのか。

 

 4.(  )年賀状に「コロナ禍」を話題にする人は、

最近、交流していない人か、

話題の少ない人の傾向がある。


以上で「イントロクエスチョン」は終わり。

世界広しといえども、

講演のマクラに「イントロクエスチョン」を設ける演者は

ゼロか、多くても10人というところか。

そして、「イントロクエスチョン」をメインテーマとした講演は

まちがいなく世界初であろう。

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さて、過日行なわれた、

食コーチングプログラムス主催の

「食ジム」第105回について。


テーマは

専門性の広がりを、

日本の栄養士に、どう伝えてゆくか。

20211225日 横浜市技能文化会館)


経過は影山なお子さんのブログ・

「スタンバイスマイル」に

くわしいので、

ここでは、「栄養士の専門性」について

私見を述べたい。

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一義的には、

管理栄養士、栄養士の資格を得るための

知識や技術であるが、

栄養士の仕事の現場はさまざま。

まずはそこに適応することが先決。

資格とはまったく無縁の職場も少なくない。

「こんなの、栄養士の仕事じゃない」

といっていては、その職場にとってはお荷物になるだけ。


俗に「お給料分はちゃんと働いている」というが、

自分の給料分しか働かない者ばかりであったら、

その職場も、自分自身もつぶれる。

年金の積み立て、各種保険の支払い、

後輩や他セクションとの共同など、

給料の何倍も働いているからこそ、

職場も地域も国家も成り立っているのである。

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どんな職場にいても、

いや休職中であっても、

「食を通じて人の健康と幸せを支える」という

「専門性」と職業的使命は果たせるはず。

いつ、どこでも、

人や社会に貢献できる「専門性」という点では、

文学部や経済学部、法学部などよりも

守備範囲は広い。


弁護士に、この案件の判断のヒントを示すことはできないが、

夕食のメニューの相談には乗れるし、

趣味について聞いてあげることはできる。

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パチンコマニアに、

必勝法をアドバイスすることはできないが、

近くにおすすめの外食店があること、

そこのメニューの利点を示すことはできるし、

「パチンコの楽しさ」を5つあげてもらうことはできる。

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問いかけは、

まさに健康度と幸福度をあげる、

栄養士の専門的スキルである。

(全国の栄養士の大半は、それがわかっていないが)

不肖・大橋禄郎は、文学部卒の健康支援者である。

こういうルートもありうるのである。

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さて、前段の「イントロクエスチョン」の答え。

1.(×)「お晩でした」があるから、

     「おめでとうございました」の可能性がゼロではないが、     

      向こう30年くらいなら、それはないだろう。

     謝意はいま現在もあるのだから

かつては「ありがとうございます」が主流であった。

NHKも、その立場をとっていたが、

いまは昔の物語。

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2.(〇)句点の有無と教養の程度とは直結はしないが、

     句読点をきちんと打つ人は、

     文章表現にこだわりと責任をもつ人と考えてもいい。

     大橋としては「〇」としたい。

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3.(〇)設問は、宇宙の大きさ、未来の風景をも

     イメージすること、映像化することを可能にする。

     「鳥のように空を飛べないだろうか」

     「世界中の人と、たったいま、お話ができないだろうか」

     そう考えた人が飛行機を生み出し、

     翻訳機を生み出したのである。

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4,()心の中では思うことがあるが、

     ここは「」、ボカシておこう。

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全問正解の人、「おめでとうこざいました」

いえ、「おめでとうございます」

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2022年も楽しい年にしましょう。

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# by rocky-road | 2021-12-31 19:01 | パルマローザセミナー  

スノーケリングという健康のカタチ。

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6月のパルマローザ主催のスペシャルセミナーのとき、

私の誕生日のお祝いとして、

パルマローザとその関係の方々から、

「沖縄ツアー」をプレゼントしていただいた。

恒例となった、うれしいプレゼントである。

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今年も、出立は12月になってしまったが、

2日から6日まで、

沖縄本島の瀬良垣島(せらがきじま)と

那覇に滞在する旅行が実現した。

同行してくださった栄養士が10人、

にぎやかな旅であった。

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この旅のメインイベントは

みなさんとのスノーケリング。

しかし、これが土壇場まで隠しテーマであったことは

あとから聞いた。


主催者の影山なお子さんによると、

あまり早くから公開すると

冬のスノーケリング体験にビビる人が出る可能性があるので、

直前まで伏せておいたのだとか。

スゴイ読みである。

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幸い、直前の告知ながら、

不参加に切り替える人はなく、

予定どおりの全員参加となった。

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全行程の振り返りは省くことにして、

スノーケリングについて書いておこう。

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私がスノーケリングを始めたのは1964年だから、

今年で57年目になる。

親友の誘いに応じて、

クラブ設立の手伝いをした。

28歳のときだった。

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規約づくり、新聞による会員募集、

会員名簿の作成など、会の土台づくりに参加した。

当時は幹事として会員になった。

会の名称は《東京潜泳会》(とうきょうせんえいかい)。

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当時、日本では「スノーケリング」というコトバは知られておらず、

「素潜り」といった。

それ以前からマスク(当時は水中メガネ)や

足ひれ(いまはフィン)を使って遊んでいたが、

1964年を私のスノーケリング元年としている。

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当時は朝日新聞や産経新聞などの

読者欄で会員募集をすることができた。

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すぐに会員が集まり、

10人、20人とふえていって、

5~6年後には70人にまでなった。

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この間、発起人の畠山八朗は、

海とは関係のない事故で他界し、

以後、別の1人と私とで

会の運営、発展を促進した。

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当時の規約では、

新会員は水泳で200メートルを泳げることとし、

実際にプールに行ってチェックをした。

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それくらい、泳力を重視し、

マスクのかけ方、スノーケルの使い方、

フィンの使い方などのトレーニングをした。

ウエットスーツを購入できない会員も少なからずいて、

水温8度くらいの正月の海に

肌着姿で入る人もいた。

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「素潜り」はいかにもダサいと感じるようになり、

アメリカ語に従って、

「スノーケリングの東京潜泳会」と

名乗るようになった。

当時、ダイビング雑誌『マリンダイビング』や

海洋雑誌『海の世界』に

連載記事を書いていたので、

「スノーケリング」はすぐに広まった。

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ダイビングは「マリンスポーツ」ではなく、

「地の果てから始める、もう1つの旅」であることを

雑誌で主張し、「旅」というポジションを得た。

「スノーケリング」(シュノーケリングではなく)というコトバは、

『マリンダイビング』誌が用語統一を図ったときのものである。

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こういう経験を重ねてきた者からすると、

現在の沖縄での、

いきなりフル装備(ウエットスーツ、マスク、スノーケル、フィン)で

海に出てゆくという体験ツアーの大胆さには

驚きというよりも恐怖を感じる。

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が、その大胆を可能にしているのは、

発泡スチロールのライフベストの普及にある。

現地のガイドが「潜るほうがむずかしい」といっていたが、

まさに「おっしゃるとおり」

わざわざウエイトベルトを送っておいた「昔ダイバー」が

アホに思えた。

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初スノーケリング体験というのに、

こちらが構えるカメラに向かって手を振ったりVサインで応じたり、

その余裕に感心する。

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「みんなで渡れば怖くない心理」というのは、

こういうものなのだろう。

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57年目にして、まだスノーケリングを教えるのか」と

人生の足踏み状態を少しばかり憂いたいと思っていたが、

それはまったくの杞憂であった。

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さっきも書いたが、

身の安全を保障する器具が発達し、

それに呼応して、

インストラクションスキルも進歩した。

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かつてのように、危険を想定し、

慎重に、慎重にと、トレーニングしていた時代は

そうとうに遠くにいってしまった。

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それと、

健康支援者たる栄養士の健康意識。

前向きに適応する準備性とチームワークが

初めてづくしのスノーケリングを

このように楽しいものにしたのだろう。

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世界中の栄養士が、

かようにスノーケリングに適応する、

というわけにはいかないことは言うまでもない。

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「健康をカタチにする」という思想を

完全に自分のものにしている結果として、

こういうことになるのだろう。

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海からも、

スノーケリングからも

栄養士さんたちからも

まだまだ学ぶところは多い。

それを体感した沖縄5日間の旅であった。

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# by rocky-road | 2021-12-23 00:12 | 沖縄  

愛をこめて、ご自愛ください。

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わが《ロッコム文章・編集塾》では、

10月に、こんな宿題を出した。

「私が愛する日本語、気に入っている表現法

というテーマで一文を書いてください。」

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この出題にそって塾生からは600字のエッセイが提出されたが、

ここでは、「わたしが愛する日本語、表現法」の

単語またはフレーズだけをご紹介しよう。

(クラス、順序などランダム)

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「うららか」

「さわやか」

「紡ぐ」(つむぐ)

「ご自愛ください」

「いい夢見てね」

「とんでもないことでございます」

「おかげさまで」

「愛をこめて」

「ごめんください」

「恐れ入ります」

「かしこまりました」

「申しわけございません」

「雨」各種(春雨、梅雨、時雨、氷雨など)

などという具合に、

ていねいなあいさつコトバが多かった。

大和言葉の伝統や、相手を思いやる気づかいが

若い世代にも受け継がれ、

いまも、しっかりと生きていることがわかってほっとした。

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なかには「ふんどしを締めてかかる」

なんていう、勇ましいのもあった。

確かにこれも純然たる日本語表現である。

この表現を若い女性があげたのには面食らった。

ご本人は、気合を入れるとき、

「エアふんどしを締める」のだとか。

「エアふんどし」イイネ。

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ちなみにこのパソコン《ウインドウズ》では、

カギかっこ(「 」)なしで、「ふんどし」と入力すると、

赤のアンダーラインのチェックが入る。

パソコンの中では、「ふんどし」は死語になったようだ。

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さて、

上記のような母国語への愛着の反映として、

戦後から今日まで、

「カタカナ語の乱用が気になる」

「日本語が危ない」「コトバが乱れている」などとして、

カタカナ語(かつては外来語といった)の

多用、乱用を嘆く声が、

昔は新聞で、いまはインターネットで公にされている。

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戦後、しばらくは、

お化粧用語やファッション用語が

やり玉にあげられることが多かった。

メイクアップ、アストリンゼント、モイスチャー、

アンコンジャケット、プレタポルテ……

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なのに、スポーツ(当時は野球)用語やチーム名には

文句をいう人はほとんどいなかった。

「近畿グレートリング」「東急セネターズ」「阪急ブレーブス」

スクイズ、スチール、ランニングホームラン……

チェックを入れる人の多くは男だった、

ということだろうか。

いまは、パソコン用語で迷う人が多いのではないか。

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外来の文化や文明をとり入れるとき、

それを指すコトバがついてくるのは当然のことだが、

日本人は、国外の文化や文明を

とり入れる熱心さという点で、

類まれな国民であったため、

外来語の割合が非常に多くなった。

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それ以前のこととして、

日本人は、文字そのものを輸入し、

それを土台にしてカタカナやひらがなをつくった。

以来、3種の文字を日常的に使い続けている。

その中で、カタカナは

外来語を日本語化するのに使い勝手がよいと、

フル活用されている。

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当然、ものの考え方や書き表わし方が

中国の影響を受けることになり、

平安時代にはそれを「唐めく」(からめく)といった。

現代風にいえば、「中国かぶれ」か。

最初はよい意味であったそうだが、

しだいに悪い意味になったという。


「西洋かぶれ」「アメリカかぶれ」と同様だが、

漢字にしろ英語にしろ、

いまや「かぶれ」の段階を通り越して、

血となり肉となって

日本語、そして、日本人を支えている。

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(楽屋の話/私は、カタカナ、コトバ、ダメなど

いくつかの日本語をカタカナ書きしている。

紙面のデザイン性、読みやすさによる。

ただし、カラダ、ハダカはなじめない)

さて、続けよう。


欧米では、外来語をどのように表記しているか、

くわしくは知らないが、

通常使う文字、たとえばアルファベットに対して

カタカナに当たる文字はないので、

外国語の表記は、「 」で囲ったり、

書体を変えたりするのが現状だろう。

文章の中に、そういう部分が頻繁に出てきたら

さぞや読みにくいだろう。

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しかし、その心配は無用か。

日本語のように、外来語の割合が多くはないだろうから、

〝 〟つきの語や、書体替えのスペルが

文中にやたらに多くなることはなく、

読みづらいということにはならないはず。


これに対して、わが国の場合、

日本語にカタカナ語の比率が高いのは確かだが、

だからといって、それを

「氾濫」だの「乱用」だの「日本語が危ない」だのといって

騒ぐことでもない。

むしろ、世界中の言語を

カタカナで表記すれば、

一瞬に日本語にしてしまう、

という特性をもっと喜んでいい。

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社会言語学者の鈴木孝夫氏は、

漢字を「テレビ型言語」(表意文字のこと)

カタカナ、ひらがなを「ラジオ型言語」(表音文字のこと)

と呼び、それらを使い分けることは

日本人にとってたいへん有利だとしている。

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「バーゲンでパソコンをゲットしたので、

古いノートパソコンはリサイクルショップに

引き取ってもらって……」などと

話したり書いたりしても、

日本語は(日本語文法は)びくともしない。

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「コトバが乱れている」というとき、

その意味を深く考えて指摘する人は少ない。

外来語の使用量がふえることや、

「寝れる」「食べれる」などの「ら抜きコトバ」が

ふえることは、けっして「乱れ」とはいえない。


それは「変化」であり、表現の幅の広がりである。

コトバはコミュニケーションの道具だから、

道具は多いほうが便利であり、

つねに使いやすいように改良(?)される。

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少なからずの国語学者は、

「ら抜きコトバ」は

「読める」「書ける」「歌える」「走れる」など、

「可能動詞」への移行期ではないか、と見ている。


とはいっても、「ら抜きコトバ」は

大正時代に登場したそうだから、

変化が終わるまでに、

つまり定着するまでに100年近くも

かかっていることになる。

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「ヤバい」(不都合である、危険である)というコトバが、

「よい」「ステキ」という、

肯定的意味に使われるようになるのに

30年(?)もかからなかったことを考えると、

「ら抜きコトバ」への抵抗はそうとうに強いことになる。


カタカナ語を省いて

「マクド」「エアコン」「インフラ」

「エンタメ」「コスパ」などとすることにも

抵抗する人は少なくないが、

こういう流儀も日本語の包容力、底の深さと

考えればいい。

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ここでも、道具としてのコトバが、

使い勝手がよいように作り替えられ、

時代とともに摩耗し、

角が取れてくるという現象が見られる。


しかし、その一方で、

「おいしい」「違和感を抱く」「うれしい」

と言い切ればよいところを、

「おいしいというか……。」

「違和感というか……。」

「うれしいというんじゃないけれど。」と、

手間のかかる表現をする人が

圧倒的に多くなっている。

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こうした多様性のある国民性、

言語表現力を、

安易に「乱れだ」「氾濫だ」

と決めつけないで、

言語現象として観察し、分析する探究心を養いたい。

ただし、

新しいコトバや言い回しを

無防備に取り入れることまでは、すすめられない。

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いま、氾濫中の新表現の一部に

……そんな中」「……こんな中」

「あしたにかけて……」「北海道から東京にかけて」

(NHKのテレビの天気予報)

「違和感」「安心・安全」などがある。

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使用する道具には、

その人のセンスが現われる。

ブランド品を選ぶときの慎重さをもって、

きょう使うコトバ、いま使うコトバを選びたい。


ここは「フンドシを締め直して」行こう。

「愛をこめて」「ご自愛ください」


# by rocky-road | 2021-12-01 13:21 | 大橋禄郎 文章教室  

栄養学は冷凍品なのか。

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ダイソーさんのポーチドエッグ器を使い始めてから、

そして、朝食の「そうめん定食」が日常になってから、

卵の消費ペースが早くなった。

1パック10個が、5日でなくなる。

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これがもっともゆっくりのペースであって、

昼か夜に卵を使ったりすると、

さらに補給ペースをあげる必要に迫られる。

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4群点数法の実践者であれば、

2人家族として普通のペースというべきだが、

現実には、1週間1パックというのが、

いつのまにか通常のパターンになっていた。

言い訳ではないが、

牛乳は、しっかり2点(熱量点数/160kcal)以上は

とってはいるものの……である。

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食事摂取基準の1日の栄養素、エネルギー数値を

食品の分量に置き換えて実践しやすくしたのが

4群点数法」ではあるが、

それでも、完全実践のためには、

相当の信念と実践力が必要である。

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ヒトは、自分に必要な栄養素を

過不足なくとることができない生物であることを

認めることから始める必要がある。

だれがいったか、

「人間のからだは、必要な栄養素を

自然に欲するようにできている」

などの珍説は、

よくよくヒトがわかっていない、

栄養学がわかっていないヤツの妄想である。

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ところが、

このところ、よく耳にするのは、

フレイル対策とやらの講習会や勉強会で

栄養士や保健師が

食生活では良質たんぱく質をとることをすすめる、

というハナシ。

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悪いことではないが、

1日の食品の摂取量を示すことはまずない。

「サバ缶には……」「カツオのお刺身は……

などなど、例によって例のごとく、

量を示すことなく、

ただ各食品のたんぱく質含有量を示すパターン。

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それはまさに「栄養学のガラパゴス化」

100年以上も進化を止めて、

ガラパゴスゾウガメのように、

のっそりのっそりと歩いている感じ。

いや、歩いていればまだいい。

栄養学と市民の間は、

フリーズ状態。

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栄養学に限らず、

医学も法学も経済学も、

一般人に、その学問がどういうものか、

端的に説明する勉強は、たぶんしていない。

しかし栄養学は、

万人が、きょう、何を食べればよいか、

それを伝えることを求められる学問でもある。

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養成校では、すぐにでも、

人々が、日々、何を、どれだけ食べればよいかを

栄養素ではなく、

食品の量で人々に伝えるコミュニケーションスキルを

しっかり教えるべきである。

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そうなったとき、

4群点数法以上の方法が見つけられるのか、

たぶん、ムリだろう。

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そういう基本的なことがわかっていない人たちが、

きょうも日本の各地で、

「フレイル対策にはサバ缶を……」と

市民を困らせていることだろう。

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いま求められているのは、

フレイル対策を語る講師たちへの

指導法の教育であろう。

ところがそもそも、

そのための講義法を教える講師がいない。

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それでは、「 今の世の中、

右も左も真っ暗闇じゃございませんか 

(鶴田浩二、「傷だらけの人生」)

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それでは悲しいから、

パルマローザか食コーチングか、

ロッコム文章・編集塾かに

任せてもらうしかないだろうか。

人々のため、日本人のため、

アクションが必要だろう。

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# by rocky-road | 2021-11-07 23:04 | フレイル  

銀河系の仲間たち。

新聞の書籍広告で、

『孤独にならない老い方』

(高田明和著/成美堂出版)

という本に目が止まった。

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「孤独」や「断捨離」をすすめることが

長く流行している時代に

久々に(いや、たぶん初めて)、

孤独が健康寿命のリスクになることを

前提とした内容の本が出たようである。

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資料価値ありとみて、さっそく購入した。

期待どおり、

「第1章 思い出と語らって生きる」

「第2章 家族のきずなを温めて生きる」

「第3章 1人を楽しんで生きる」

「第4章 友と再び出会って生きる」

「第5章 心を乱さずに生きる」

「第6章 愛の力を見直して生きる」

(以下、省略。全9章)

などと、人間の共立共存習性を肯定する新刊である。

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著者の高田氏は浜松医科大学の名誉教授。

1935年生まれの医学博士とのこと。

「人は本来、1人です」などの、

平凡な、私の嫌いなフレーズもあるが、

この本のコンセプトは、

孤独を嘆く人を救うことにあるようなので、

黙認することにしよう。

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「人は本来、1人」という言い方が嫌いなのは、

「あたりきしゃりき」のことを、

大の大人がもっともらしく語ろうとする、

その〝したり顔〟がいやなのである。

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これに類するのは、

「戦争はいけない」

「平和がいちばん」

「原爆はいけない」

などのフレーズである。

当たり前のことをもっともらしく言うことで、

自分のポジションを得ようとする、

その安易さ、横着さ、ときに偽善者ぶり、である。

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ほんとうに「いけないこと」ならば、

「そのために、何をすべきか」

次のアクションを示すべきであるし、

自分もアクションを起こすべきである。

唱えるだけで成就するのは、信仰である。


もっとも、そうした信仰を仲間と共有し、

みんなで運動として続ければ、

少なくとも本人のモチベーションにはなるから、

「無意味なことはやめたほうがいい」

とまではいってはいけない。

信仰の自由である。

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健康論として見れば、

「〇〇はいけない信仰」は

協働仲間がいる限りは、

孤独にならない生き方であり、

だれもが実行可能な生涯現役のカタチとして

それなりの存在意味はある。

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「戦争はいけない健康法」

「平和がいちばん健康法」

「原爆はいけない健康法」

いずれも、到達点がはっきりせず、

手段もシンプルで、結果は出るようで出ず、

そのあいまいさゆえに、

持続性のある健康法として評価できる。

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上記の本を、

『孤独のすすめ』や『極上の孤独』『健康という病』

『夫婦という他人』『ひとりで生きる』

『あした死んでもいい 片づけ』

などという本を書いた能天気著作者に読ませたい。

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孤独や断捨離、終活などといった

マイナスのモチベーションを

なぜ人に押しつけるのか。

それを社会心理学的に見ると、

やるべきことが見つからないから

ということになる。

そんな人でも、

自分の持ち物を捨てることくらいならできる。

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日本人が「他律的国民」であることは、

古くから指摘されている。

周囲の人や外国の動きを見て自分の方向を決める。

いまは、世界の警察だったアメリカが

パワーダウンし、

余った心的エネルギーを国内で燃焼させようとしている。

リベラル派が好きな「差別反対運動」も

終点のない信仰のようなものである。

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その他律的国民が、

いま、周囲の国から攻め始められているのに

気づかずにいるのは、

「〇〇はいけない信仰」の影響だろう。

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さて、

人種差別、男女差別、貧富による差別……

それらに反対するあたりまでは、わからないこともないが、

ひととおり地面を平らにし終わると、

今度は、身長の長短、居住環境の是非、

出身校の評価、ルックスの良否など、

次のテーマを探し求めるに違いない。

しかし残念ながら、

人間に、いや、生物に、いや物質に

差がないものなど1つもない。

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日本も、さっそくアメリカの影響を受けて、

似たような議論を始めている。

人類が、100%個体差をなくし、

平等になる日がくるとすれば、

それは大宇宙が消滅する日である。

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話を戻そう。

孤独を楽しんではいけない。

しかしそれは、

1人で瞑想すること、思考を深めること、

読書をすること、1人で墓参をすること、

1人旅をすることなどなどを

否定するものではない。

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孤独からの誘惑を感じている人は、

まずは、愛する対象を見つけることである。

想い出、古いアルバム、庭木、野生の動植物、

ペット、仕事、遊び、旧友、〝現友〟、神や仏……

それが生きるモチベーションである。

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体調を崩して、自分では動けない人も、

介助する人たちに、

それなりのモチベーションを与えていると、

考えてしまおう。

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神羅万象を愛することは、

自分に使命を与えることにもなる。

それは健康法ではなく、

ヒトとしての社会に対する義務である。

その結果として、健康がついてくる。

愛すること(使命)があって健康がある。

この順序が大事である。

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断捨離だの終活だのは、

一種の敵前逃亡である。

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ここで一句。

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 銀河系宇宙のすみの蛍狩  (小檜山 霞)

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# by rocky-road | 2021-10-29 21:54 | 大橋禄郎 文章教室