《食コーチングプログラムス》主催の
「映研」の第9回に参加した。
〝映画研究会〟の名を汚さないためにも、
しっかり研究内容(鑑賞論)を書いておこう。
鑑賞したのは、フランス映画『落下の解剖学』。
このタイトル、
内容をうまく要約していて、かつ、
集客力を高めるネーミングとは思えないが、
原題の「Anatomies d'une chute」の直訳らしい。
「Anatomies」(アナトミー)は解剖学という意味以外に
「分析」とか「(人体の)部位」とかの意味もあるとのこと。
「邦題」(和名のネーミング)がうまい日本のこと、
タイトルを、もう少し客が集まりそうなものにできなかったのか。
『転落の深い穴』『落ちゆく運命の亀裂』『君たちはどう落ちるか』
わが映画鑑賞史には、「法廷もの」は少なくはない。
古くは、芥川龍之介の短編小説『藪の中』を映画化した
『羅生門』(監督/黒沢 明 1950年)も、
設定は平安時代ながらも、
大きく、くくれば「法廷もの」に含まれるだろう。
殺人現場を見た通行人の証言が、
それぞれ食い違うハナシである。
さて、今回の「解剖学」は、
フランスの小高い山の上にある別荘風の家の主人が、
自室の3階から落ちたのか、落とされたのか、
家の近くで亡くなっている。
事件か事故か。
それを審議する裁判と家族関係が映画の中心。
映画は、他殺説と自殺説を並行して進むが、
フカフカに積もった雪の上にダイビングをして
死のうと思う人がいるのだろうか、
と自問しながら他殺説の裁判に参加することになった。
上映時間が152分(3時間弱)とはいかにも長い。
当然、途中で休憩はあると思っていたが、
それはなし。
トイレ休憩もないままに、
スピーディーなテンポと、迫力ある議論によって、
あっという間にエンディングまでもって行かれた。
映像的には大きな動きや変化はない、
ドキドキするような映画的なスリリングシーンもなく、
もっぱら丁々発止の議論のリズムと表現力の豊かさ。
会話そのものが十二分にスリリングである。
このシナリオを書いた人の気力と体力、
構成力と持続力、修正力に引きつけられた。
手書きの時代であったら、
これほど濃密でテンポのある文章を書くには、
軽く10年や20年はかかってしまうだろう。
いや、そこまで気力を維持できないことだろう。
なぜか録音されていた夫婦げんかのやりとりシーン、
法廷での検察、弁護人、証人、容疑者の発言、
主人公が書いた小説の内容など、
会話の中だけに存在するシーンながら、
相当な下準備がないと書けない。
いや、画面に変化をつけることよりも、
会話の中にドラマを生み出す方法を選んだ。
夫婦げんかの話の中に、
妻に同性愛キャリアがあり、
夫もそれを知っている……などという
なんともややっこしい、
伏線となるエピソードまで、しっかりと用意する必要があった。
ファーストシーンの、積もった雪の上に
男が血を流して倒れている場面では、
難聴の私でも耳をふさぎたくなるような大音響のBGMが流れる。
ふと思った。
ここは、雪を踏むキシキシという音が入るくらいの静寂のシーンでしょう?
この静寂の中からドラマを始めるべきではないのか?
だが、これも映画の展開を予測する演出だった。
まんまと作者に裏をかかれた。
バカデカいBGMは、
このドラマの意味のある主要な場面なのであった。
悪いクセで、すぐれた作品に出合うと、
その作者の国籍と、日本人とを比較したくなる。
「ここまで濃密なシナリオを、日本人は書けるだろうか」と。
すぐれた芸術や映画は、
知力やアイディアだけではできあがるものではなく、
気力と体力が不可欠である。
『落下の解剖学』の制作者は、
この点で見事にタフであると思う。
夫婦げんかのシーンでは、
「さすがにフランス人は夫婦げんかまで論理的だ」
と思うフレーズがたくさんあるが、
それでも、自分が完成できなかった小説のアイディアを
妻にあげたところ、
妻は、それに自分の創作を加えて完成し、出版して成功する。
十二分に理屈っぽい夫婦ではありながら、
夫は、そのことに難癖をつける。
作家としての自信喪失、妻へのコンプレックスなどが
このドラマの伏線にもなっている。
「夫婦げんかは犬も食わない」といわれるが、
これは世界に共通しているようである。
久々に、映画を観終わってから
腹に力が入った気がした。
若いころは、西部劇や戦争映画を観たあと、
そういう心理状態になった。
殺人の犯人を捜す映画であり、
ほぼ全画面が議論するシーンだが、
知的な議論は、活劇もののような爽快感を感じる。
ミステリーも、ときに健康増進効果があるようだ。
# by rocky-road | 2024-03-08 18:46 | 『落下の解剖学』