講話・講義力で日本の健康度をあげる。


昨年321日から始まったシリーズセミナー、

『「食コーチング®」講師養成講座』が

2021425日をもって全12回が終了した。

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この講座の狙いは、

1.「食コーチング」の思想やコンセプトを理解し、

  どんな人にも的確に説明できること、

  かつ、そのスキルやマナーを公私にわたって実践できること。


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2.上記のスキルをベースにして、

  食や健康について、どんな対象者に対しても、

  講話・講演という形式によって伝えられる能力を高めること。

  (講話とは、数十分から1時間程度の、比較的小さなテーマの話)

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3.講話・講演のためのテキストのつくり方の基本と

  応用のスキルアップ。

  タイトルのつけ方、各項目の見出しの立て方、デザイン性、

  タイトルと各項目との一体感。

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  さらに、受講者の準備性を高めるために、

  導入部分に設ける「イントロクエスチョン」の

  設問力強化。

  (イントロクエスチョン=クイズ形式による本題への助走)

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4.講話・講演力の強化。

  表情、視線、発声、姿勢、あいさつ、身だしなみの実践。

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5.非対面(メール、手紙など)による食や健康支援の方法と注意点。

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6.講話・講演の依頼を受けたときの対応の仕方。

  そこから始まるテキストづくり。

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これらが1年間でしっかり身についたら

講話・講演会の大革命というべきだが、

もちろん、そうは問屋が卸さない。

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それでも、世間の、とくに食や健康関係者の講話・講演力は

かなり低いのが相場だから、

相対的に上位グルーブに食い込むことはできるかもしれない。

「今後、さらに自主トレに励めば……」

という前提条件はつくが。

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日本の食や健康に関する情報提供のレベルは、

けっして高いとはいえない。

「栄養バランス」というコトバは、

毎日、どこかで使っているだろうが、

その意味さえ定義されていない。

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したがって、

食品ごとに「これは目にいい」「血圧を下げる効果」

などと、薬のような効果を示す情報発信者が多い。

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さらには、

上記の情報発信者、提供者に、

「食コーチング」的なコミュニケーションスキルが

身についていない。

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栄養不足のリスクを指摘したかと思えば、

現状を確かめることなく

一方的に「こうしたほうがいい」と、

「おっかぶせ情報」を押しつけたり。

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そして、講話・講演スキルがなんとも低い。

アメリカから「スピーチ」というコトバが伝わったとき、

かの福沢諭吉さんは、

仏教用語であった「演説」というコトバを当てたが、

そもそも1対多数の形式による

「ひとりしゃべり」(司馬遼太郎氏のコトバ)の習慣は

日本にはなかった。

あえていえば、僧侶の法話くらいであった、という。

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そもそも日常のコミュニケーション力の低い人が、

突然、講話・講演がうまくなる、というわけにはいかない。

なんとかならないものかと、

私は、若いころから、講演やシンポジウムなどに、

しばしば出かけた。

講演やシンポジウムには読書とは違った、

ナマのリアリティがあり、そこに感動もあった。

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しかし、講演というパフォーマンスには不満があった。

声が小さい、メリハリがない、雑談的、服装がだらしない、

話のまとまりがよくない、話題が陳腐、

パワーポイントに寄りかかり過ぎなどなど。


そういう不満を緩和したくて

いろいろの人の講演会やシンポジウムに出かけた、ところもある。

どちらかといえば、関西系の人の講演が好きだった。

小田 実、小松左京、堺屋太一、司馬遼太郎。

話がカタすぎず、話題も豊かだった。

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『栄養と料理』の編集長時代、

食関係者の講義・講演ベタが気になって、

栄養士、食関係者向けの講演スキルの記事を企画したが、

企画会議で、上役の「まだ早い」との反対にあって

実現できなかった。


その上役は教授ではあったが、

私の基準では「講義ベタ」に属していた。

1985年ころのことである。

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それから35年たっているが、

状況は当時とほとんど変わっていない。

NHKラジオには、

「文化講演会」という長寿番組があるが、

よくこういう人選をしたものよ、というほどの

ひどい講師が少なくない。


だからこそ、

少なくとも「食コーチング」を学んだ人だけでも、

食情報の名発信者として活躍していただきたいと思う。

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講話・講演スキルを学ぶところや、その機会は、

そうそうあるものではない。

かつては、大学や大学院で、

教授が後輩に教えていたと思われるが、

いまは師弟関係がゆるくなったので、

そこまで踏み込むことはないことだろう。

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そもそも、大学や専門学校の教員ともなると、

組織的にスキルアップをする例は皆無に近く、

いちど教員になったら、

あとはその人任せになってしまっている。


いまは学生が評価をして、

それを学校側が教員に伝えたりしているようだが、

上下関係を無視した最悪の方法である。

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教育機関は、よりよい「情報商品」を販売するには

しっかり品質管理をして、

消費者のニーズに応えるべきである。

学生からの指摘はあってよいと思うが、

それ以前に、少なくとも講義スキルについては、

ベテラン教授が複数で評価するシステムをつくるべきである。

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今回の「食コーチング」講師養成講座の受講者は、

毎回、およそ30人の前でパフォーマンスを行ない、

表情から身だしなみ、話し方、テキストのあり方、

そしてもちろん、話の内容について

数回、チェックを受けた。

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この経験は、今後、セルフチェックのスタンダードとなって

各自の講話・講演力を支えることになるだろう。

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食と健康情報の鮮度、

「食コーチングマインド」の維持・強化、

それに講義パフォーマンスとなると、

そうとうにハードルは高くなるが、

高い目標があることは、幸せなことである。

生涯、向上を続けられるのだから。

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5年後、10年後の食と健康情報は、

格段におもしろくなっているはずである。

と、せつにせつに願っている。

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# by rocky-road | 2021-04-27 21:21 | 食コーチング師養成講座  

「いわゆる日本」は「なんか、こう……」。

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わが《ロッコム文章・編集塾》では

毎月クラスと遠距離クラスで、

『引き締まった日本語表現を心がける。』をテーマに

講じている。

それはつまり、

現在の日本人の言語表現が引き締まっていないからである。

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「なんか日本的というか……」

「なんていうんだろう……」

「見事というか、立派というか……」

「怖いっていうんじゃないけれど、コロナを恐れて……」

「もうそろそろ、旅行に出たいな、なんて思っています」

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語尾を濁すのは日本人の特性の1つだが、

その傾向がますます強くなっている。

発言に自信がない、

一言でバチッとキメられず、

類似語を同時に掲げて分散させる、

つまり、いつも逃げ道をつくっておく。

発言の語尾が内語的(心の中の発話)であるとともに

幼児的でもある。

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それが好ましいことかどうかは、

実は、もう少し様子を見ないとわからない。


言語社会学者の鈴木孝夫氏の

『日本人はなぜ英語ができないのか』(岩波新書)

によると、アメリカ人の言語行動は攻撃的だという。

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「自分が物事すべての基準であって、

相手のもつ異質性をば普遍からの逸脱、

不公正なルール違反と見て、ただちに攻撃に出ます」と。

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このことは、わが恩師、芳賀 綏先生(はが やすし)も

『日本人らしさの発見』(大修館書店)の中で触れている。

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「凸型文化はそこが違う。<コミュニケーション>とは

『相手を変化させること』だ、というくらい、

積極的にとらえています」

「凸型文化」(とつがた)とは、牧畜をして暮らしてきた人たち、

欧米人や一部のアジア人を指す。

動物を支配し、個々人が大草原を移動する。

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これに対して凹(おう)文化とは、

稲作によって生存し続けてきて、

それゆえに、協同が中心となる文化圏の人のこと。

水を中心にしているので助け合い精神が大きい。

自己主張を抑えて、集団としての調和を保つ。

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「東洋」と「西洋」という地形的分類は、

人間のタイプを分けるのには適さない場合があるので、

「凸文化圏」と「凹文化圏」とに分けて

その特性を把握しよう、という視点である。

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おもしろいことに、

『日本人らしさの発見』には、

いま話題のミャンマー人に対するこんな記述がある。

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「日本と同じ凹型文化圏と見るべきミャンマーは、

『住んでいる人たちの顔形もわれわれに似ていれば、

物腰・動作・ものの感じ方もよく似ている』

(山口洋一・寺井融著)『アウン・サン・スーチーは

ミャンマーを救えるか』)。」

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上記の本を引用して、芳賀先生はさらにこう述べる。

(ミャンマー人は)「国会で不満や不明の点があっても

飲み込んだように振る舞うのがマナーだ」

(反論などしないで、丸く収める)

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いま、そのミャンマーの人たちは、

攻める側も守る側も、

日本人とは大きく変わってきている。

戦闘モードに入ったとき、

人の表情は硬くなり、コトバも引き締まってくる。

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とすれば、

現在の日本人が、

「なんか、のどかなんだよね」

「なんていうのか、緩んでるんじゃないかなって、

思うっていうんじゃないけれど、なんか考えちゃんだよね」

なんていう話し方に、全国民がシフトしているとすれば、

平和の反映と見るべきで、

よい傾向なのではないか。

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と考えたいところだが、

世界にはコワイ表情をして、

キツイコトバを発する人がふえてきている、

という現実がある。

これに直面しつつも、

「なんか、それって、しようがないんじゃないのかな」なんて

長湯でのぼせてしまったような話し方をしていてよいのか。

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「ええ格好しい」の民主党、バイデン大統領も

最近、厳しい表情、厳しい表現をするようになった。

それは、ニコリともしない習近平のあの表情の反映だろう。

金正恩も、スターリンも、ヒットラーも、

独裁者というものは、

デスマスクのように無表情を保つことになっている。


ロッコム文章・編集塾は、

日本国の代表ではないし、政治結社でもないから、

世界のことはどうでもいいと思いたいが、

言語心理学的考察として、

こんなことを指摘しておきたい。

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少なくとも日本人は、緊張感が高まると

「大和コトバ」では間に合わなくなって、

「逼迫」「緊急事態宣言」「蔓延防止」「遺憾」

「ロックダウン」「オーバーシュート」「ステイホーム」

「ソーシャルディスタンス」などと

漢語やカタカナ語に頼ることになる。


戦時中、こんな文語調のラジオ放送が、

幼少期のわが記憶にかすかに残っている。

「東部軍管区情報、東部軍管区情報、

敵B2916機編隊が駿河湾上空を帝都に向けて侵入せり」

これも、戦闘モードに入った人間の表現のカタチである。

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一方、現在、テレビの一部のニュースキャスターが、

「いわゆる都知事が……」「いわゆる飲食店が……」

「要するにこの場合」「要するに黄砂が……」のように

文語的フレーズを病的に頻発するのは、

中身のない、軽薄なトークを見破られないための

いわば防具として硬直表現をしているのである。


これが無教養のカタチとは、本人も放送局スタッフも

まったく気がついていないところが、

ぬるま湯日本の珍現象である。

この大宇宙は、プラスとマイナス、

陰と陽、上と下など、

対比的に存在していることが改めてわかる。

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そして、日本人および大和コトバは、

やはり温暖、ゆるやか、穏やか、あいまいな風土に

適応してきているのである。

この「凹文化環境」を維持したいが、

一部ながらも強力な「無表情」「こわい顔」勢力が

上げ潮のように世界の国々の沿岸に打ち寄せてきている。

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これに足をすくわれないようにするには、

その前に、日本の大人としては

少なくとも「なんかこう……」「……じゃないかな」

「……っていうじゃないけれど」などのフレーズを

頻発しないように自制しよう。

それも生存のための

言語環境の改善点の1つであろう。

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# by rocky-road | 2021-03-31 15:46 | 大橋禄郎 文章教室  

坂を上り続ける、おおぜいさんに。

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孤独や「独り」(ひとり)を肯定的にとらえる書物が

バカ売れする時代がずっと続いているのを見ながら、

わが国の社会背景について考えているが、

先日、またしても、『ひとりをたのしむ』という書物の

新聞広告を見て、改めて考えてみた。

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1つは、新刊本だというのに、

広告で「200万部突破!」と謳っていること、

まさにバカ売れである。


この作家は、

3年前(2018年)には『誰かを幸せにするために』

という本を同じ版元から出していて、

これも185万部突破だという。

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さらに翌年の2019年には、『ひとりで生きる』という、

今回の『ひとりをたのしむ』と類似の本を出している。

これも「195万部突破!」だという。

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合計で580万部、すごい部数である。

どれくらいスゴいかがわからない人のために、

筆者が印税として受け取ると思われる金額は

5億円を超えることになりそうだ、と指摘しておこう(税込)。

(定価の10%=90×580万部)

そのたくましい執筆力と稼ぎ高に驚嘆する。

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部数の件は後述するとして、

まず注目したいのは

『ひとりで生きる』『ひとりをたのしむ』という、

「お1人なぐさめ型」と

『誰かを幸せにするために』のような

「人との関係性尊重型」の本を

1人の作家が短期間に出すという現実。

この作家の立脚点にも驚く。

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どの本も、新聞広告による情報でしかないが、

『誰かを幸せにするために』については、

雑誌で関連するインタビュー記事を読んで、

「いいこというな」と感じたことを覚えている。

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まさに「誰かのため」は、

人が輝くための最大のモチベーションである。

その他の、能天気「おすすめ作家」たちと比べて、

救いがある、と思ったものだが、

20213月に至って、やっぱり「ひとり」を楽しみだした。

「ブルータス、お前もか」である。

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日本は、独裁国家ではないから、

「ひとりをたのしむ」自由があってもよいが、

心身の健康維持・向上を促すためには、

人とのネットワークのたいせつさを指摘する論述もあって、

両方のバランスをとることが望ましい。

400万もの人が「ひとりをたのしむ」ことに

関心をもつ社会というのは、

けっして健康度が高い状態とはいえない。

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ここで思い出すのは、

カウンセリングの創始・普及者の1人といわれるC・Rロジャースと、

哲学者のマルチン・ブーバーという人との対談の話である。


斎藤 環著『心理学化する社会』(PHP研究所 2003年)で

紹介されているその部分を要約すると、

ロジャースが、1人の人間に寄り添い、

人間の無限の成長の可能性を語ったのに対して、

ブーバーは、それを批判して、

「人間とは、世界と現実的に接触し、真にきり結ぶ存在なのだ」と説く。

つまりは、いろいろの人との「出会い」、

その中から自分の立ち位置を見出してゆくものだ、と。

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日本の「ひとり志向」に戻ると、

実際には、本を買わない人のほうが多いから

「ひとりたのしむ派」はその10倍と予測しても

まだ控えめの推定かもしれない。

仮に「ひとりたのしむ派」4000万人だとすると、

日本人は3人に1人は、その派といえる。

成熟社会の現実とは、こんなものである。

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「ひとりをたのしむ派」と「家族や仲間とたのしむ派」との

健康度、幸福度を比較したエビデンスは見つからないが、

フレイル対策、認知症対策としては、

人とかかわるほうが有利であることは、

かつて話題になった「孤独死」などの例や、

引きこもりの人の現状からも予想できる。

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500万もの読者をもつ作家に、

縁者や友人、知人が少なく、

没頭する仕事や余暇活動がなかった経験が

ほんとうにあるのか。


1冊書けば、200万部、

「いっちょ、あがり」という、裕福極まりない著名人に、

「ひとりをたのしむ」ことをすすめる資格があるのか……、

答えは、迷うことなく「ノー」である。

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いうまでもないが、

200万の読者を待たせて、

黙々と、1人、執筆に向かう状態は「ひとり」ではないし、

孤独とは無縁の状態である。

そういう人間が、

「ひとりをたのしむ」ことや「孤独」をすすめることは、

明らかに「そそのかし」であり、

その健康上の実害は、有害薬物以上に大きく、広く、深い可能性がある。

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「孤独そそのかし」作家に言いたい。

「お主らが自信をもって語れるのは、

人に囲まれてきた人生が、いかに健康で幸せなものか、

それを実現させるには、どんな行動が望ましいか、

どのようにビジョンを描き、どのように努力を重ね、

どのように人間関係をたいせつにしてきたか、ではないのか」と。

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かつては町内会も無尽や青年団、消防団、民芸会などが盛んで、

むしろ、孤立することのほうが、むずかしかった。

ところがいま、「生き方自由」の時代になったがために、

そして、デジタル化によって、

かならず「どこか」につながることができるようになったために、

現実には、ますます「ひとり度」は高くなっている。

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「おひとり」のすすめや、断捨離、ものを捨てる、

人を捨てることのすすめは、

情報や外界との接触を遮断するのことのすすめでしかない。

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作家に健康論を求めるのは、確かに筋違いではあるが、

不幸を回避する行動様式であれば、

「餅は餅屋」の道理に沿うのであって、

作家のお仕事ではないか。

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では、「お2人以上」のすすめは、

だれが論じればよいのか。

少なくとも、『脳の毒を出す食事』なんていう

いかがわしい本を出す、お調子者のドクターはお呼びでない。

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幸いにして、日本には、

1990年に設立された日本行動科学学会というのがある。

これに属する研究者に、

社会活動と健康との関係を示す研究成果を

発表していただきたいと思う。

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人生は、坂を下りて終わるのではなく、

坂を上りつつ終わるものである。

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わが大橋予暇研究所の仕事も、

これからである。

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# by rocky-road | 2021-03-07 23:10 | ひとりを楽しむ  

健康な「話し合い」のカタチ。

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「食ジム」の第95回が終わった。

2021220日 1017

 横浜市技能文化会館)

タイトルは以下のとおり。


「特定保健指導から見えてきた

日本人の食生活のカタチ。」

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座長/三上聡美さん

アドバイザー/影山なお子さん 大橋

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【プロット】

1.私の食体験、あの人の食行動――至福の瞬間、絶望・絶句の瞬間。

2.食生活において「ああ、日本人でよかった!!

  と感じる瞬間は、こんなとき、あんなとき……。

3.「あの人の健康状態(よいにつけ、悪いにつけ)は、

  食生活によるところが大きい」と思われる事例。

4.日本人が平均寿命において、

  世界の上位を維持しているのには、これだけの理由がある。

5.日本人をもっと健康にするために、

  いま、栄養士に何が求められているか。

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いろいろの職種の人たちを通して

日本人の食生活を観察できる栄養士さんたちの

観察や体験を聞くことができるのは意義深い。

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健康支援を職業にする人に限らず、

どこの職場にも「絶句型」の食行動をする人はいると思うが、

健康支援を本業とする人の場合、

自身は、人と歓談しながら食事をすることが苦手な人が

比率的に多いような気がする。

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お昼に、同僚といっしょに食事をしたがらない、

同席していても、ほとんどしゃべらない、

コロナ禍以前から「黙食」を好む人は少なくなかった、

そんなお話を聞くことができた。

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ここでは、プログラム「5」の

「日本人をもっと健康にするために、

 いま、栄養士に何が求められているか。」について

補足をしておこう。

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プログラム「4」とも関係するが、

日本人の平均寿命が高いのは、

「食生活+α」の要素があることを

肝に銘じておく必要がある。

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世界の長寿国の食事は、ひとくくりにするほど単純ではない。

プロの研究者でも、一定の地域を調べただけで、

「大豆製品がいい」「豆腐は長寿の源」などと

ほんの一部の食品だけに長寿の理由を求めてしまう。

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栄養学や疫学研究では、

生物学や民俗学、民族学系で行なわれている

フィールドワークが大原則になっていない。

食事調査票を渡して、

「これに記入しておいてください」などとやっていたのでは

本当のところがわかるはずもない。

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起床時刻、就寝時刻、食事時刻と回数、

食事のときの会話の量や話題、

排便や洗顔、手洗い、運動の頻度や、その時刻、時間、

日々の楽しみ、生きる意味、信仰の有無、

価値観などなと、

少なくとも「健康の6大要素」(栄養、運動、休養、

ストレスコントロール、人間関係、生きがい)について

自分の目で観察しない限り、

本当のことはわからない。

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もちろん、政治、経済、文化、教育、人口密度、

健康行政など、地政学的位置も無視はできない。

コロナウイルスの感染状況を見ると、

遺伝的要素も、予想以上に大きいのかもしれない。

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そんなところまで手を伸ばしていたら、

100年生きても結論は得られない……。

だからこそ、

いろいろの分野の研究を援用して(「学際的」という)

理論をつくっていく必要がある。

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とりあえず、そのような余地を念頭に置くことは、

健康支援の「質」を高めることになるだろう。

地球のすみずみまで見渡せるようになった時代に、

栄養学だけでモノを考えていたら、

見えるものまで見えなくなってしまう。

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「食ジム」関連で、蛇足の話をしておこう。

東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の会長、

森喜朗氏が、同委員会の臨時評議員会での発言によって

辞任することになったが、

「臨時評議員会」というのは、

シンポジウムのように公開の会議なのだろうか。

たぶん、そうではないだろう。

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ちなみに、「食ジム」は公開可能のディスカッションの場、

いわゆる「会議」とは似てもおらず、別物である。

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会議というのは、非公開、内密が大原則である。

だからこそ、自由な発言ができ、

脳内に嵐を起こす「ブレーンストーミング」ができる。

どうしようもないダメ・ダメ発言も、

そのダメ・ダメ度ゆえに、対抗するタフ発言を誘発する。

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会議での発言が、

その日のうちに部外に漏れてしまうようになったら、

政治や軍事はもちろん、あらゆる組織の会議など成り立たなくなる。

企業戦略、商品開発、人事、犯罪捜査、各種審査などなど。

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今回のトラブルで学ぶべきは、

ジェンダーの問題と同等、またはそれ以上に重要な、

会議のルールをしっかり守ることであろう。

それが組織を守り、国を守り、

結果として自分の命を守ることになる。

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会議は、その内密性ゆえに

自由な戦場になりうる。

命をかけるに値する戦場であるからこそ、

そこからは計り知れない成果が得られるのである。

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「会議の健康度」を、もっと高めたい。

「日本人は秘密を守れない」という悪評を

いくらかでも払拭するするためにも。

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# by rocky-road | 2021-02-23 22:09 | 「食ジム」  

コロナ禍の次は「戦禍」かも。

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コロナウイルスの災禍は、

人類に、そして人それぞれに

いろいろの教訓を与えているが、

私にとって、もっとも大きな教訓は、

「備えなければ憂いあり」ということ。

(「備えあれば憂いなし」の反対)

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予防ワクチンの開発は、

現在のところ日本は完全に立ち遅れている、らしい。

日本の開発事情を伝える報道は、不思議なほどにない。

コロナ感染者を毎日伝えるのと同じくらいに、

ワクチンの自国開発状況は、かなりの情報価値があると思うが、

マスメディア側には情報提供の意志はまったくないらしく、

伝えるのは外国の開発事情ばかり。

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競争に負けたり、生産過剰になったり、

副作用が出たりした場合のリスクの問題なのか、

それ以前に、そもそも開発能力の著しい低さなのか、

そのあたりの情報がまったく伝わってこない。

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日本での開発を促すためには、

「〇〇製薬はいま△▽の状況」などと、

伝えてもいいくらいだ。

開発中の製薬会社前にテレビカメラを据えて、

毎日、レポートをすれば、どれだけ話題性があることか。

ワクチンを開発しないのであれば、なぜそうなのか、

製薬会社の人にインタビューすればいいのに。

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いやいや、

実は「嵐の前の静けさ」で

極秘裏に製薬会社のいくつかが、

完成1歩直前というところに来ていながら、

逆転の1発を狙って、

あえて沈黙を守っているのか、

そんな可能性にも期待をしたい。

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そのような発想は楽観論そのものであって、

現実はそれどころではなく、

開発競争のスタートラインにもつけず、

「人の弱みにつけ込むのはよくない」という、

いわば武士の情けが働いて、

報道機関は、あえて視線をそらせているのかもしれない。

成熟社会期に入った日本および日本人は、

現状突破のモチベーションを失っていることは確かだ。

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いずれにしても、

この現状を重く重く受け止めるべきである。

コロナウイルス対策の問題にとどまるのではなく、

今後、日本に起こりうるいろいろの災禍を想定すべきである。

視線をそこに向けなければ、

コロナ禍から、なんの教訓も得なかったことになる。

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宇宙には何億、何十億という流星があって、

地球から観測できるシシ座流星群だけでも、

1時間に数万個だという。

大宇宙から地球目がけて飛来する流星もあるはずで、

巨大流星が地球に落下すれば、地球は、ほぼほぼ全滅。

天体観察をする人の中には、

そういう想定をして観測を続けている人もあるとも聞いた。

何億年に1回の確率だとしても、ありうることである。

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しかし、流星の落下や、コロナ以外の感染症の流行に比べて、

はるかに確率が高いのが「戦禍」である。

すぐ近くに、世界のリーダーになろうとする国が現われて、

高いモチベーションを露わにしている。

領海を広げ、それを既成事実にしようとし、

そこに入ってくる者を攻撃してもよい、

という法律を作ったし、

実際、軍事力を日増しに強化している。

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この状況を

のちに振り返ったとき、

「あの時点で、すでに戦争は始まっていたのに」

などと、後悔しないことを祈るばかりである。

公海を「自分の海だ」と主張することは、

制海権の固定化そのもので、すでに戦闘行為である。

外へ外へと膨張を続ける中国は、

国際舞台に躍り出たころの日本の状況と重なるところがある。

もっとも、そのころの日本だったら、

身近な国のそんな横暴を黙って見ていることはなかった。

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中国の覇権傾向は、コロナの襲来と違って、

一挙手一投足まではっきりと見えている。

(コロナだって「武漢発」とわかっていた?)

武漢でコロナウイルスが広がった段階で

ワクチンづくりを始めていればよかった、と

いまならだれもが言えるが、

そのときは、地球人のすべてが、な~んも考えてはいなかった。

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戦禍抑止も、コロナワクチン同様、

アメリカに頼りきっているが、

いまのアメリカは、自国内がザワザワしていて、

とても日本のことなど構ってはいられない状況。

それでなくても、アメリカ国内には中国系の諸組織が、

がっちり根を張り巡らせていて、

バイデン政権になってからは、さらに勢いづくと見る人が少なくない。

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ということであれば、

日本のマスメディアは、

製薬会社を取材するチームと、

防衛省を取材するチームを編成して

コロナワクチン開発状況と、

中国の日本進出と、それに対応する状況を、

それこそ日報として、連日、国民に情報を伝えるべきだろう。

それ自体が、ワクチン対策、「戦禍」対策になる。

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自衛隊は、この状況に対処していないはずはないから、

秘密を隠すことは承知のうえで、

「そこをなんとか」探ってみたい。

もちろん、ホームページからはなにも得られない。

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もっとも、そういうことは、いかにも間接的な、

遠回りのアクションであって、

いまこそ、コロナが怖いか戦争が怖いか、

緊急事態世論調査でも行なって、

国民を「平和ボケ」から覚ましておく必要がある。

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あきらめの早い日本人にとって、

敗戦というのは致命的ショックとなったようである。

1回負けると、もうどんな理由であれリターンマッチはなく、

「戦争はいけない」となって、思考が停止してしまう。

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それをアメリカの占領政策のおかげだという人がいるが、

それよりも、

世間体を気にする「他律的日本人」の側面という要素のほうが大きい。

「戦争はいけない」「平和がいちばん」といっていれば、

「いい人」に見えるから、ゆるく生きていけるのである。

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一方、中国は、これまで世界から軽んじられてきたし、

それ以前から、しばしば国内で戦争を繰り返してきているので、

「平和がいちばん」と考える人も多いはずだが、

リーダーになる人は別で、

国内を静かにまとめておくためにも、

今度こそ、世界のリーダーになろう、

マスクやコロナワクチン、医療技術、

そしてカネと軍事力によって拡大を続ける。

けっしてめげない、強心臓の人たちである。

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香港はすでに一国二制度を反故にされて、

中国の支配下にされようとしているし、

次は台湾、そして尖閣諸島がターゲットである。

かれらには「平和的に」「根気よく話し合って」という発想はない。

コロナ予防ワクチンの日本開発をあきらめたとしても、

「戦禍」を避ける対策、

「虐待」や「排除」を避ける対策は

すぐにでも始める必要がある。

「戦争はいけない」と言い続けてきた人は、

結果として、

「戦争に巻き込まれよう」「他国の支配下に置かれよう」

「自由を束縛されよう」と主張してきたことになる。

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「戦争は日本だけが起こすもの」

「太平洋戦争は日本だけの意思で起こった」

「平和憲法を守っていれば戦争は防げる」と

本気で思っている幼い大人たちは、

実は戦争を誘発する「危ない人たち」である。

なぜなら、そういう感性こそ、

攻める側にとって申し分のない条件である。

そこへ「コロナ」である。

いまは絶好のチャンスと見ていることが、

かれらのアクションの1つ1つから読み取れる。

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緊急事態宣言の延長は、

世界の危機であることに加えて、

日本の危機であることの再宣言と受け止めて、

視線をコロナウイルスの向こうに見えるものにも

向けようではないか。


# by rocky-road | 2021-02-03 21:36 | 新型コロナウィルス