海から見るオカの世界。

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久々に、

ダイビング関係のいくつかの恒例イベントに

出かける時間が得られた。

行ったかいがあって、

いろいろと刺激を受けた。

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毎年4月は、

東京近辺のダイビングシーズン幕開け季節である。

厳密に言えば、

いまどきのダイバーは、

世界中で「いまが夏」または、

「いまが流氷の季節」の海に

出かけていくことができるので、

1年中がシーズンである。

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しかし、それではメリハリがないので、

丘の上世界の習慣に従って、

春から初夏くらいにかけて、

シーズンの開始と考えるようにしている。

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出かけたのは、次の3つのイベント。

1つめは「海で逢いたい」グループによる

23回目の写真展。(東京都・大崎)

2つめは「マリンダイビングフェア」

 (同、池袋サンシャインシティ)

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3つめは「第36
回 水中映像祭」

 (同 江東区文化センター)

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このほかに、スペシャルイベントとして、

45年前から2年間、

西伊豆の海底9メートルに存在した

海底ハウスを語る会にも参加した。

以上の体験から

感じたことの1つを書いておこう。

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改めて感じることだが、

文明や文化は、

右肩上がりに進むとは限らない、ということ。

停滞や逆走もあるし、

消滅も、もちろん、ある。


「海で逢いたい」グループと、

「マリンタイピングフェア」では、

応募された作品、または、

「フォトコンテスト」に入選した

海関係の傑作写真が展示されていた。

被写体のバリエーション、

撮影技術の目覚ましい向上を強く感ずる。

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ところが、作品のタイトルが稚拙すぎて、

失笑を超えて暗い気分になった。

共通するのは、

被写体の生物名を検索することなく、

つまらないネーミングによって

安易に、または低俗化している点。


「海は美しい」(ロク=いま気づいたのか!

「海中は色鮮やか」

「魅せられて」 (古い歌謡曲だ

「キラキラ」  (幼稚園児か

「満点の星空」

「赤い惑星」

「お見合い」

「ひゅん!」 

「回って回って」 

「ゴチャッと」 (アンタのお脳がね

「はい!ポーズ」 (いまどき、陸でも言わんぞ

「コンニチハ」 向こうは人間を恐れているよ

「銀河鉄道」

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水中写真は、

芸術性以前に科学性(生物学などを中心とした生態学)を

担っているとともに

未開のエリアへの探検的・旅行的な発見が

大きな動機の1つとなる。

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したがって、

水中で撮った写真は、

それがどういう生物なのか(学名までは求めないが)、

どういう行動の瞬間なのかを

撮影者および発表者には

説明責任がある。

その自覚は微塵もなく、

「キラキラ」や「ひゅん」「ゴチャッと」などと

ネーミングする。

芸術性はおろか、成人の言語能力さえ疑われる。

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ガマンがならないのは、

自称「プロ」と称する人間の

「古い手法ですが、好きな1枚(笑い)」

というタイトル。

小さなウミウシを、

水面直下で撮影した1点だが、

被写体が水面の裏側(陸上から見たとき)に

反射している作品。

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およそ公共性はなく、

仲間内の冗談みたいなネーミング。

少なくとも公共施設で写真展を開くからには、

その生物の名くらいは示して、

見物者に一定の情報を伝えたい。

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昔、あるイラストレーターのダイバーが

「ダイバーはバカばっかり」とほざいて

私の全面的反論を誘ったことがあるが、

あれから約半世紀、

ひょっとしたら、

あのイラストレーターの言は

まんざら的外れではなかったかもしれないと、

こちらをグラつかせるほどのおバカぶりである。

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この責任はどこにあるのか。

それはコンテストの主催者である。

写真が傑作でも、

ネーミングの悪い者は落選とする、ということは

実際にはしにくい。

だから、事前に「ネーミングのあり方」を

教育しておく必要がある。

たとえば、

*タイトルには被写体の生物名を入れること。(種名でもよい

*ネイチャーフォトであることを自覚する。

*生物を無意味に擬人化しないこと。

 (×「こっちへ来ないで」×「どちらさんですか」)

*海を宇宙に置き換えないこと
(×「満天の星空」×「赤い惑星」)

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かつて、このようなことを

ダイビング雑誌に寄稿して説いたことがあった。

いまは、そういう人がいないのか、

水中写真の発表に関する基礎知識およびマナーに関しては

野放し状態であるようだ。

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ある写真展で、

唯一安心できたのは、

正真正銘のプロカメラマン、

大方洋二氏の作品とネーミング。

「ニシキハギの縄張り争い」

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ここには魚名があり、行動の説明がある。

多くのインチキ・ネーミングでは、

魚が向き合っていると

判で押したように「お見合い」「見つめ合い」とやる。

が、自然界はもう少し厳しい。

お見合いどころか威嚇や対立、

ときには捕食である。

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不勉強な者や思慮の浅い者に

ネーミングの機会や文学性を与えると、

「〇チガイに刃物」くらいに危ない。

自然界の真実を誤って伝える、という点において。

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次に、

「水中映像祭」は36年前に

私と数人の有志とで始めた水中写真のサークルが

毎年1回開くイベントである。

私は第20回までかかわってきたが、

以降も有志各位の尽力で続けられている。

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作品は私の時代とは

比べものにならないくらい進歩しているが、

なんとも入場者が少ない。

500人入るホールにおよそ40人。

12時間のイベントを

昼の部と午後の部とに分けたことが一因としても、

空席があり過ぎて寒々しい。

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ここまで入場者が減ってきたら、

会場をもっと小さいところに変えるべきだが、

それ以前に、

なぜこれほどまでに入場者が減ったのかが問題。

参加者激減の理由は、当事者に直接伝えるとして、

ここでは別の大きな問題について書いておこう。

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万物は経年変化が避けられない。

建造物なら、陽光や風雨による劣化、

組織なら、コンセプトのあいまい化、

リーダーシップの低下、

モチベーションの低下などなど。

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栄養補給は、

組織にも思想にも必要で、

それを怠ると萎えてしまう。

司馬遼太郎は、

「小説はフィクションに分類されるが、

思想もフィクションですよ」と言った。


「マリンスポーツ」としてのダイビングは

フィクションであった。

ダイビングに「スポーツ」性を感じず、

そのカテゴライズに大橋は強く反対した。


いまはレクリエーションダイビング、

または海と島への旅、

またはフィッシュウォッチング、

そして水中撮影の被写体探しなどが

中心となった。

が、私が提案して創刊した『海と島の旅』も、

『マリンフォト』も、

いまは廃刊になった。

栄養を与えられない思想は、

けっきょく「フィクション」として消える。

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陸の世界で言えば、

先祖を慈しむ思想、

国を愛するメンタリティーはどうか、

そしてそして、

食育やスローフード、

あるいはコーチングや行動療法はどうか。

だれかが栄養補給をしているのだろうか。

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もちろん、「食コーチング」とて例外ではない。

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ダイバーのあり方について

私に多くのヒントをくださった工藤昌男さんに

『海からの発想』という著書があるが、

この桜の季節に、

海のイベントに参加したことによって、

いろいろの発想法をいただくことになった。

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# by rocky-road | 2019-04-08 19:52 | 大橋禄郎  

メディア・リテラシーの磨き方。

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大人のための文章教室「ロッコム文章・編集塾」は

2003年に開講し、今年で16年目になる。
当初は、岡山県や三重県、千葉県などから

通ってくれる人もいたが、

1回のペースで東京まで通うのはご苦労が多い、

と思われたので、

2008年に、

年に4回、1日かけて集中講義を行なう

「遠距離クラス」を、

おもに横浜で会場を見つけてもらって開講した。

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講義内容は、毎月クラスと同じだが、

毎月クラスと遠距離クラスとの

両方を受講する人もいて、

そういう人によると、

メンバーが異なると、

強弱のポイントに差が出て、

雰囲気はだいぶ違うと言う。

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遠距離クラスには

「近況報告」のコーナーを設けて、

各地の話題を提供していただいている。

このコーナーは毎月クラスにはない。

近況報告も

表現力強化の演習の一環として重要だから、

毎月クラスでも行ないたいが、

2時間授業の中では時間的にキツイ。

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近況報告では、

職場の話、講演会に参加した感想、

ご自分が運営する料理教室の現状、

雪が凍ってアイスパーンになっている道を

何回か転んでやってきたなど、

鮮度の高いローカルな話には惹きつけられる。

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当初は、1人で10分以上かけて報告をする人もいたが、

「あえて何分以内」と注文はつけず、

「これくらいの人数のときは、

1人がどれくらい話せばよいか、自分で判断して」

として、時間配分を各自に任せたら、

それぞれテーマを絞って

コンパクトにまとめられるようになった。

その前進ぶりは見事。

要領のよい報告スキルは、一生の財産になるだろう。

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遠距離クラス、毎月クラスとも、

このところは、

以下の宿題に、みなさん苦労している。

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 【出題】

 最近の新聞記事、テレビ・ラジオ番組の中から

 1つをとりあげ、(情報のまとめ方などについて)論じてください。

 10行で内容の概略、残りの20行で論評を

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この宿題の前段階として、

「メディア・リテラシーのセンスアップ」

という講義を行なった。

「リテラシー」については、

『ウィキペディア』で次のように定義している。

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 (英: literacy)とは、原義では「読解記述力」を指し、

 転じて現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)

 適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」

 という意味に使われるようになり、

 日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。

 ちなみに、古典的には「書き言葉を正しく読んだり

 書いたりできる能力」と言う限定的に用いられる時代もあった。

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そして「メディア・リテラシー」については、

大橋はこう定義した。

 「(おもに)テレビ、新聞、雑誌など、

 マスメディアによってもたらされる情報を正確に理解する能力。

 『正確』とは、個々の情報の理解力にとどまらず、

 情報提供者の意図、個々の情報の因果関係、

 その情報の影響、時代性などを含む。

 あえてデジタル情報は、ここでは除外する。(大橋)

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講義では、メディアを通じて伝えられる情報は、

無限にある「真実」のごく一部であり、

厳密に言えば、

「真実」は、

11人の認識以外のところにはない。

したがって、

メディアで「真実」を伝えることは最初から不可能。

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かと思えば、意図的にある情報を

伝えないことをもって

情報発信者の意図を示す報道姿勢もある……

という話もした。

自分たちが好まない情報は、

ほかのメディアが報じても、

自分のところでは無視する、

などということは普通にある。

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こういう講義に沿った宿題だから、

論評はメディアの情報提供の仕方について

問うものであった。

が、課題では、

前述の( )内の「情報のまとめ方などについて」

を入れておかなかったので、

メディアの情報提供についての論評ではなく、

中身そのもの(記事に登場する論者の意見や

施策の是非など)に入り込んでしまい、

情報提供のあり方について論ずるものは、

1割にも達しなかった。

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最初のクラスの反応を見て、

あくまでも「情報の提供の仕方」

についての論評であることを補足したが、

2回目も惨敗だった。

出題内容がうまく伝わらなかった責任を感ずるが、

メディアのあり方について論ずるという

経験も情報もほとんどない、

というのが、

現在の日本の状況であることを

認めざるを得なかった。

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つまりは、

テレビ、ラジオの視聴者、

新聞、雑誌の読者の大半は、

内容について楽しんだり、

うんざりしたりはするものの、

制作者または編集者の思想、センス、

姿勢などに視線を向ける習慣がなく、

寛容に受け入れる傾向がある。

われわれは、そういう風土の住人ということだ。

とは言え、

メディアのあり方を論ずる雑誌は少なからずあるし、

新聞でも、月々の雑誌の論調を紹介する記事はある。

しかし、

それを読むのは「専門家」と思われがちなのだろう。

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メディアの利点・弱点を見抜く能力の強化は、

メディアにミスリードされないため、

または、

自己防衛のためというばかりではなく、

けっきょくは、

自分の立ち位置、

これから向かう道への選択眼を磨くことに有利。

メディア・リテラシーは、

つまるところ、

自分の人生の方向を読み解く能力にもなる。

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現在、宿題の再提出待ちのタイミングだが、

あえて、

テレビ番組を論ずる一例として、

NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」

という番組について、

ゆる~く論評してみよう。

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 【番組の概略】

 1995年から始まった、笑福亭鶴瓶主演の

 「ぶっつけ本番」番組。

 おもに芸能人がゲスト出演し、

 そのゲストが望む地域を訪ね、

 鶴瓶とゲストが最初は一緒に、

 途中から分かれて、

 それぞれが出会った家族と語り合う。


 【論評】(肯定的に論ずる例)

 芸人鶴瓶による、出会った人への話しかけ、問いかけ、

 インタビューは、プロのアナウンサーや記者でも

 かなわないほどの超一級。

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 テレビでは、事前に準備しておいて、

 いかにも「ぶっつけ本番」に見せる細工が大半だが、

 この番組では、ときに収録を断られる場面、

 放送には不適切な発言、

 訪問を受けた人たちの狼狽、 

 ガラスなどに反射する取材風景などを

 あえて写すことなどから推測して、

 「やらせ度」は比較的低いと見る。

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 とは言え、ゲスト出演の芸能人に

 インタビュー力を求めるのはムリで、

 2人が現地で別々の行動をとるとき、

 ゲストのほうの言動にじれったさを感じる。

 制作者は、それもたぶん読み込み済みで、

 鶴瓶の老練ぶりと、芸能人のドギマギぶりの対比で

 むしろ視聴者を引きつけるのかもしれない。 

などとするのかな?

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ともあれ、

大人の文章教室は、

句読点の打ち方や

敬語の正しい使い方などのところで

足踏みしているわけにはいかない。

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「人は文章で考える」であり、

「編集は豊かな人生のプログラムづくり」である。

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# by rocky-road | 2019-03-31 22:40 | 大橋禄郎 文章教室  

「健康」が見えてきた、かな?

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コミュニケーション研究会 ひろしま≫開催のセミナー、

.「食コーチング」提唱から16年。

  いま想うこと

  (講師 影山なお子さん)

  20193月9日() 終日

2.記号としてのモノ、衣服、スタイル

  --その意味と活用--

  (講師 大橋禄郎

  同年3月10() 終日

  (ともに広島県三原市 市民福祉会館)

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この2つのセミナーが終わった。
ここでは、2日目のセミナーについて

少し補足しておこう。

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この世に存在するものすべてに記号性がある、

という講義をした。

地球に人間がいなくても、

動・植物はもちろん、鉱物も、

昔っから記号性を持って存在している。

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それは大宇宙のデザインにほかならない。

植物は、色や形、香りや発光性などを

記号として使って動物を惹きつけ、

地球上に分布している。

チョー後発の人類は、

こうした豊かなデザインに囲まれれることによって、

知性や感性を発達させてきた。

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モノがそこにある、ということは

「記号性を持つ」ということと同義である。

空気もアミノ酸も、

裸眼では見えないが、

それでも人間は「ある」ことに気づいて、

それを記号化し、共有物とした。

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衣服は、記号そのものである。

人類の一部は、

いまもって裸体をさらして生活をしているが、

それでも、鼻や首、手首や足首にリングを巻いて

なにかをアピールしている。

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衣服の第一目的は、

かならずしも身体を外界から守ることではなく、

時と場合によっては、

記号による情報発信こそがおもな目的となる、

ということか。

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健康支援者が

なぜ記号について学ぶ必要があるのか。

それは、「健康」という、目には見えない、

いやもともと実体のないものを

扱うことで商売をする仕事人だからである。

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健康も病気も、

元気も強気も弱気も、

指さすことができない現象である。

それらが見えるのは、

それぞれを記号化して、

つまりコトバに置き換えて認識するからである。

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健康支援とは、

見えないものをコトバにしてゆく作業である。

生きがい、希望、健康、協調、寛容、友好……。

それらのコトバを多く持っている者、

適切に使うことができる者には、

好ましい健康支援を行なう可能性がある。

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その一方で、

あえて言語記号にしないままに、

健康情報を発信して効果をあげる時と場合もある。

それが表情であり、微笑であり、

姿勢であり、歩き方であり、仕草であり、衣服である。

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今回、強調したのは、

自分が発信する記号情報の発信先は、

他者とは限らず、自分自身でもある、ということ。

「自分とのコミュニケーション」は、

記号をたくさん作り出した人間ともなると、

その頻度はハンパない。

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「あしたは5時に起きよう」

「あの渋い顔、この会議を低調にしているようだ」

「母に、あそこまで言うべきではなかったかも」

などなどの自問自答は、

自分とのコミュニケーションそのもの。

脳内にプログラムを生み出すこと(アウトプット)にほかならない。

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無表情、地味過ぎる衣服で

人に健康の大切さを説く者は

自分とのコミュニケーションが不完全である。

「地味過ぎる」とは、

たとえば、灰色、茶、カーキ色、

あるいは迷彩色系などのアウターを着ること。

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聞けば、「カーキ」とは、

ヒンディー語で「土ぼこり」のことだというではないか。

別名「枯草色」、

戦時経験者に言わせると「国防色」、

当時の定義では「帯青茶褐色」だとか。

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ついでに言えば、日本語には

灰色、茶色、カーキ色などの固有の語はない。

赤や白、黒のように、独自の名称は持たず、

「灰」や「茶」(お茶)、「土ぼこり」などの名を借りた、

仮の名である。

これって、幸いなことかも。

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いずれにしろ、

21世紀の先進国で、

こんな色を身につけることは、

ほこりっぽい、冴えないライフスタイルを

自分に刷り込むことにほかならない。

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≪コミュニケーション研究会 ひろしま≫の

次回の講義は今年7月21日である。

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このとき、

彼女たちの衣服記号がグレードアップしていなかったら、

今回の講義は失敗ということになるだろう。

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# by rocky-road | 2019-03-22 23:19 | 大橋禄郎 文章教室  

海底ハウス、あの日、あのとき。

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昔、西伊豆の三津浜(みとはま)の沖にあった

海底ハウスの廃墟(残骸)が、

同地の水深18メートルの海底で見つかったと、

「朝日新聞」のデジタル版が報じていると、

マナティーズの山崎由紀子さん(以下、山ちゃん)

から連絡を受けた。(いまも見られる)

海底ハウスは、水深9メートのところにあった家。

1974年にオープンし、2年後の76年にクローズした。

クローズのおもな理由は、

そこを訪れた人が、家から水面に戻るとき、

フリーアセント(肺の中の、圧力のかかった空気を

排気しながら浮上すること)を怠り、

死亡したため。

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そういうことがないように、

われわれはプールで練習をしてから出かけた。

40年以上前のことなので、

そこを訪問した人は少なくなっている。

そこで、このハウスのことを語り合う会を開きたい、と

山ちゃんが提案した。

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3月7日、東京都千代田区永田町にある

≪永田町オーシャン≫という、

ダイバーが経営するレストランに出かけた。

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山ちゃんから連絡を受けたので、

昔のログブックを探したら、

すぐにそのページが出てきた。

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1回目は1975(昭和50)222日~23日。

2回目は1976(昭和51)43(閉鎖の年)

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3回目は閉鎖後の1979(昭和54)
このときは、すでに送気が止まり、

水没した状態のハウスを、

設計者の田中和栄(かずひで)さんと一緒に

外から眺めた。
田中さん(のちに故人となった)は、

「こんな姿は見せたくない」と言って

私たちを案内してくれた。

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海底ハウスには縁の下から入る。

素潜りで行って玄関(縁の下)から入り、

「海底の水面」に顔を出す。

そこは地上と同じ空間である。

ウエットスーツを脱いで、

カプセルで運んでおいた服に着替える。

暖房もあるので、2月の海底でもそれほど寒くはない。

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ハウスでは、コーヒーも飲めるし、

カレーライスをいただくこともできた。

ログブックには、

東京のだれだれに電話した、と記録してある。

窓の外には、まだ中に入って来ない仲間や、

スクーバダイバーが見える。

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トランプもオセロゲームもあって、

そこで楽しむこともできた。

今見ると、

1人の女性に想いを寄せていた男が、

ドサクサまぎれに、

彼女の肩に手をかけているではないか。

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この写真は、2回目のときのもので、

1回目に撮った動画(当時は8ミリフィルム)

映写機ともども海底ハウスに持ち込み、

海の中にスクリーンを立て、

窓越しに映写したのである。

世界で最初で最後の海底映写会ではなかろうか。

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1976
年の何月だったか、

新聞社から電話が入り、

海底ハウスが閉鎖されたことを聞いた。

それについてのコメントを求める電話だった。

その新聞が見つからないが、

「世界的に貴重な海底居住の家がなくなるのは残念」

というようなことを言った。

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さて、永田町のパーティでは、

そのとき撮った8ミリフィルムを

DVDにコピーしたものを映写した。

参加者の1人から、

「こういう映像はユーチューブに

投稿してはいかがですかね」と言われた。

確かに「海底に家を作ろう」と考えた人、

それを実現した人がいたこと、

そういう夢に満ちた時代であったことを

人々に知っておいてもらうことは意味があるだろう。

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# by rocky-road | 2019-03-12 23:31 | 海底ハウス  

「お笑い系作家」の孤独ジョーク。

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作家にも「お笑い系」というタイプがあって、

大いに笑わせてくれる。

ちなみに「お笑い系作家」は、

ユーモア小説の作家とは違う。

ユーモア作家は

静かな語り口ながら

読者をにゃりと笑わせようと、

こちらの反応を読んで仕かけてくる。

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クァレスキの『ドン・カミロの小さな世界』や

ジェロ―ム・K・ジェロームの『ボートの三人男』

北 杜夫の『ドクトル・マンボウ航海記』

山口 瞳の『江分利満氏の優雅な生活』

畑 正憲の『われら動物みな兄弟』

などには、

かつて大いに笑わせてもらった。

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「ドクトル・マンボウ」にはこんな一文がある。

(以下、記憶による大意)

「目には眼力というものがあるから、

じっと見ていると、その部分になんらかの変化が生じる。

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そのため、フランスのルーブル美術館には、

眼力によって名画から剥離する絵の具の粉を

チリ取りで掃き取る専門の係員がいる。

とくに剥離が多いのは裸体画の床である」と。

では、お笑い系作家とはどういうタイプか。

最近では、「孤独」を人にすすめて儲けている作家。

そのご仁が、新聞社が主催する講演会に登場するという。

いわく「孤独を楽しむ極意を語る」

先着500人、受講料1,800円也。

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大真面目に、やや憂いを含んで

孤独を売りまくっている現実に、

思わず笑いがこみあげてくる。

孤独を人にすすめる人が、

500人もの人を集めてはいけないし、

そんな話を聞くために

孤独好きの人は、そんなところへ出かけてはいけない。

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この作家、雑誌やラジオなどでも

しきりに孤独をすすめている。

「〝孤独〟と〝孤立〟は違います」と言う。

では、『広辞苑』はどう定義しているか。

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「孤独=①みなし子と老いて子なき者。(太平記)

 ②仲間のないこと。ひとりぽっち。」

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「孤立=他とかけはなれてそれだけであること。

 ただひとりで助けのないこと。」

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どこが違う? 同じようなものではないか。

さらに言う。

「孤独は、人と交わらないことではない。

でも、人と会うとき、

この人たちとは自分がどう違うのか、

それを確認するとよい」(大意)と。

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なんていやな奴だろう。

仲間というのは心を開いて打ち解けるから

仲間意識が生まれるもの。

人を見て、自分の特徴を確認するような奴と

親しくなろう、などと思う者はいない。

したがって、

そんな奴は、確かに孤立して、孤独になる。

そういうのを「極意」というのか。

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それにしても、

作家とは思えないほど、

コトバの使い方や解釈がラフである。

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この作家、超多忙で、その理由を

近著『作家のおしごと』という本で公開している。

小説、作詞、講演会、対談、インタビュー、

連載、推薦文、解説、紀行文、ロシア文学。

とても孤独を楽しんでいる余裕などない。

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念のために言うが、

1人でするデスクワークは孤独とは言わない。

読書をする状態を孤独とは言わない。

1人暮らしをしていても、

数百万のファンを持つ作家を孤独とは言わない。

1人旅も、1人での入浴も、

それだけでは孤独とは言わない。

この作家、なんでもこなすので、

孤独の経験など、ほとんどないはずである。

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心配なのは、

そういう「思いつき孤独」「ご商売孤独」によって

ミスリードされる人がふえる可能性。

件の講演会に集まる人は、

孤独でないような気がする。

「知的孤独」(思考の対象とする)

「孤独ぶり愛好家」と言うべき人が

過半数を占めるのではないか。

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ヘルスプロモーション(健康促進行動)の観点から言えば

孤独のすすめは、喫煙のすすめ、深酒のすすめ、

塩分多量摂取のすすめ、肥満のすすめ、

粗食のすすめなどと同じくらい、

反健康的、反社会的な誘導である。

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各地域で、

健康寿命を延ばすために、

または認知症の発症を遅らせるために、

地域の人たちに

人と交流させたり、

頭を使わせたり、

運動量を増やしたり、

動物と過ごさせたりしている現状を

この作家は考えたことがあるだろうか。

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しかし、このご仁は、

今後、ますます調子づいて

「孤独をすすめ」を拡散させるだろう。

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こうした事例から学ぶべきは、

人は齢をとれば分別がつく、

見えないものが見えてくる、

などということはない、という事実である。

この作家、80歳代半ばという。

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なのに、自他の区別がつかない。

毎日、執筆や講演の依頼があり、

生きている間には使いきれないほどの収入があり、

さすがに、「作家のおしごと」に

少々うんざりしている自分と、

身寄りがなく、天涯孤独の人や、

気質的に人と交われない人との区別がつかない。

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これは高齢による認知機能の低下などではなく、

どんなに見当違いの思いつきであっても

そこそこ商売になることを

50余年の作家業によって刷り込んできた、

特異なキャラクターの思い上がり以外の何物でもない。

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講演会の当日、

別の集まりがあって、会場に行けないのが残念。

いや、講演を聞く気などまったくない。

そうではなくて、

入場者を観察したい。

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性別、年代、

連れ立ってくる人、

1人で来る人の割合、

表情などを観察したい。

主催者にお願いしたいのは、

入場者の「孤独度」「ライフスタイル」などを

推測できるアンケートの実施である。

いやいや、

ひょっとしたら、

そういう情報集めのための企画なのかもしれない。



# by rocky-road | 2019-03-02 23:37  

大きな声で、ゆったりと。

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2013年1月27日に始まった

パルマローザ主催の「輪読会」(りんどくかい)は、

この回(2019年2月17)で14回を数えるに至った。

輪読は、大学などでは、

少数のゼミなどで行なうことがあるし、

自主グループが、それぞれの本を持ち寄って、

読み合うこともある。

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「輪読」とは、

1人ずつ、リレー式に数ページを読むこと。

「輪」は、「回る」「回す」という意味。

そのメリットは、「一所懸命」に集中できること、

いま読んでいるところを「見失ってはならじ」と、

懸命に目で追うことになる。

指導者または参加者のコメントや問いかけによって、

行間や背景まで読み込むことができること、など。

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今回のテーマは「食文化の前後左右」。

食文化関係の本を読むのはこれで3回目。

1回目は「食文化に視点を持つ。」(201610)

2回目は「日本人の食文化史を振り返る。」(20178)

そして今回。

この回では初めて海外の食文化の記述を読んだ。

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「手食をめぐる作法」は、

『アジアの食文化』という本の一部で、

スリランカの人たちが

手で粥やおかずを食べる様子を細かく記述している。

民族学や民俗学、文化人類学、動物行動学などなどでは

「フィールドワーク」(学術的な現地密着調査)

基本中の基本と位置づけ、

現地の人(ときには動物)と生活を共にして

長期間、観察記録をする。

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今回、テキストに選んだのは、

上記のスリランカ人の手食文化、

もう1冊はタイの北西部に居住する

「首長族」(通称「カレンニー」)

かれらは、ミャンマーでの紛争を避けて

長期的な「難民」となってそこで暮らしている。

そんな不安定な地域にも、

「フィールドワーカー」は入り込んでいる。

ちなみに「首長族」とは、

首に金属のリングを幾重にも巻きつけるので、

首のつけ根や肩が沈み、首が長く見えるから、とか。

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日本の食文化に関するテキストは、

「幕末京都町人のくらしと食」

呉服屋である水口屋の主が

2代にわたって38年間、日記を書き続けた。

この日記から食関係の記録に注目した

島崎とみ子氏の論文である。

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もう1冊は、社会学の世界から

「外食産業」の歴史を

各種の資料からたどったレポート

(加島 卓氏執筆)

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そして、

健康支援者や栄養士が

日常的に視野に入る『フードファディズム』

(食と健康との関係を過大に結びつける考え方)

著者の高橋久仁子氏は、

日本で最初にこの概念を紹介した人。

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高橋氏がそこまでのいきさつを述べた

冒頭部分を輪読した。

それによると、

1991年に『Nutritionand Behavior』という本に出会い、

それを和訳して『栄養と行動 新たななる展望』

というタイトルで出版した。

これが「フードファディズム」という概念が

日本に広まるきっかけになったという。

behavior」は態度、習性、生態などの意味。

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原著のタイトルも、訳本のタイトルも

けっして見事とは言えないが、

それでも内容がよかったのと、

高橋氏が粘り強く発言したことによって

日本で知られるようになった。

(とはいっても、まだまだ知る人は少ない)

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原著者の名は示されていないが、

1章 序章の書き出しの部分なかなかシビれる

(高橋氏訳)

「ネアンデルタールの狩人と

20世紀のアメリカ人のように

異なる集団にあっても、

人々は自分達が食べる食物は行動に強力な影響を与えると、

一貫して信じている」

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フードファディズムの本質が

軽妙なフレーズでバシッと示されている。

こういうフレーズがさらりと出てくるところが

アメリカ人(? または欧米人)って、すごい。

こんなタッチで序文を書いてみたい。

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ところで、

輪読会のよいところとして、

前述のように、

多様な種類の書物に出会える、

深読みができるなど、メリットが大きいが、

忘れてならないのは、

音読による一体感や

音読を聞く者にとっての癒やし効果。

スラスラと読むことが

「うまい読み方」ではない。

内容に沿った、

耳に入りやすい速さで、

穏やかに、温かく、わかりやすく……。

音読力は、本人および人類の健康度をあげるはず。

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お経も、音読することで、ありがたさが増し、

その意味もわかりやすくなる。

次回には、

音読理論をまとめて、

前置きに講話でもしようか、と思う。

「けっして判決文や差し押さえの通告書のように

冷たく読んではいけません」

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すべての小中学校の先生に申しあけます。

「けっして、スラスラ読んだ子を

ほめすぎないようにしてください。

つっかい、つっかいでも、

味わいのある読み方をする子をほめてください」と。

次回は、小学生のように、

または法事ののときのように

全員で音読するのもいいかもしれない。

困るのは、会場を選ばないと、

近隣からクレームが出る可能性。

いずれにしても、

輪読文化は

もっと大事に持続したければならない読書法である。

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# by rocky-road | 2019-02-24 00:08  

「食文化」がお好きでしょ?

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パルマローザ主催の、

定例の輪読会のためのテキスト選びが終わった。

題して「食文化の前後左右」

(2019年2月17日(日)横浜市関内ホール)

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読みたい本は無限にあるが、

健康支援者が、あえて読んでおきたい書物の1つは

「食文化」関連のものだろう。

人は栄養素で生きるよりも先に、

食習慣で生きている。

そのフィールドに立たないと、

健康支援をするための

コミュニケーションそのものが成立しにくい。

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いわゆる「栄養素士」は、

食文化への無関心や無知が生み出すもの。

その弱点をカバーする必要から

糖質だカルシウムだ、骨粗しょう症だと、

相手の関心外の話題を強引に持ち出して

攻めまくることになる。

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今回、予定しているテキストは、

1.「食の文化を知る事典」(岡田 哲編)

2.「幕末京都町人のくらしと食」

  (島崎とみ子 筆)

3.「手食をめぐる作法」(渋谷利雄 筆

  『アジアの食文化』から)

4.「外食 セルフサービスの空間と時間」

  (加島 卓 筆 『現代文化への社会学』から)

5.『フードファディズム』(高橋久仁子 著)

6.「難民について調査する」

  (久保忠行 筆 『衣食住からの発見』から)

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とかく「文化」というと

伝統文化に目が行きがちだが、

文化は地球上で現在進行中である。

今回は日本の過去の食文化以外の、

世界の、そして現在の食文化についても学ぼうと思う。

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今回のブログは以上。

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1つ加えると、

石川県能登で活躍されていた

谷口佳津子さんが他界されてから

この2月10日が1周忌になる。

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写真を飾って毎日のように語りかけているので、

いま改めて行事を行なう必要を感じないが、

すぐれたリーダーであったことが、

日がたつほどによくわかる。

いかに多くの人に、

いまも影響を与え続けているか、

という点において。

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なお、今回使った写真の多くは、

≪アクションクッキング≫

バレンタインスイーツレッスンに続けて行なった

撮影会のときのもの。

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場所は、東京都文京区にある

≪ホテル 椿山荘 東京≫(ちんざんそう)の庭園。

参加者のみなさんを撮った。

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# by rocky-road | 2019-02-15 00:05  

あなたの5年後は?

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ロッコム文章・編集塾の毎月クラスでは、

「私の5年後」を構想する宿題や、

「私にとっての平成時代」をまとめる宿題を出すなど、

前を見たり、うしろを振り返ったりする機会が続く。

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「私にとっての平成時代」の課題を発表したら、

いくつかのクラスから「わぁッ~!」と

声があがった。

過去と未来を巧妙に組み合わせた宿題に

感動してくれたのではなくて、

難儀そうな出題に嘆息しただけのこと。

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平成の30年という歴史を600字にまとめる、

そこには手際のよい要約力と

その人らしい視点が求められる。

「わぁッ~!」には、

実のところ「いっちょ、やたるわ!!」という

気合いや雄たけびも籠っているのかもしれない。

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提出の早いクラスの原稿を見ると、

これがなかなか泣かせる。

未提出クラスもあるので、

くわしくは書けないが、

塾生の多くにとっては

社会へのデビュー時代であったり、

人生の大半を占める

波乱万丈の時代でもあったりする。

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ちなみに、私にとっての平成の30年は

勤めを退職したあとの「あっ」という期間である。

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出題される側にとっては、

「これまで生きてきた全人生を語れ」

といわれてもまとめにくいが、

「平成時代」と期間を限定されると

いくらいかは、まとめやすいはずである。

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近年は「70年代」「80年代」などという

西暦に従う言い方が主流になりつつあるが、

和歴(元号)のほうがイメージをまとめやすい……と思うのは

昭和初期以前生まれの人の感覚なのか、な?

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西暦のように

10年刻みのほうがコンパクトだし、

計算もしやすい。

欧米人は2000年もの間、

それで不自由なくやってきているのだから、

慣れの違いだけかもしれない。

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しかし、である。

『言語の脳科学』(酒井邦嘉著 中公新書)

という本によると、「失読失書」という障害があるそうで、

それは、生まれつきや、一定の年齢に達してから、

覚えている字が読めなくなったり、

書けなくなったりする障害だという。

欧米では人口の510%もの患者がいて、

学校教育の問題になるという。

その要因の1つとして、

表音文字が疑われているらしい。

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そういえば、『日本人の品格』で知られる藤原正彦さんは、

アメリカの若者には、

night」を「nite」と書く者がいる、

と雑誌で書いていた。

日本人でも「灰皿」は読めても

「はいざら」は読めなくなる障害があるという。

漢字は、覚えにくい反面、

一度覚えると忘れにくいという。

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メリハリのない1990年、2000

といった数字に愛着を抱くためには、

60年=小学校入学、

70年=転居、

80年=結婚……のように、

なんらかのイベントや記号と

結びつけて記憶することになるだろう。

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少し寄り道をしたが、

わがロッコム文章・編集塾では、

開塾(平成15年 2003年)以来15年間に

1本計算で、

少なくとも180本の宿題を課したことになる。

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長期に通っている人は、

100本以上の宿題を書いたことになる。

「大人は勉強しなすぎる」

という思いから始まった当塾としては、

塾生各位の潜在ニーズに少なからず

応えてきたと思っている。

あなたの5年後は?_b0141773_22172009.jpg

ときどき、

「講義(テキスト)のテーマがよく尽きない」と

指摘されるが、

みなさんの宿題の文章の中に

課題がぎっしり詰まっている。

たとえば、

「私の5年後」を構想する宿題では、

将来、本を出したい、という人が何人かいる。

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これを夢に終わらせないためには、

そのための考え方やアクションプランを

テキストにして講義することになる。

社会人は、大学生と違って、

すでに「将来」へ足を1歩も2歩も踏み入れているので、

すぐにでも着手したいことが多い。

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お笑い芸人(にしておくのは惜しい人)「パックン」こと

パトリック・ハーラン氏が

ラジオでいいことを言っていた。(要旨)

「夢を持つということは、野球の試合みたいのもの。

夢は、9イニングで結果が出るにしても、

1イニングから攻撃が始まる。

点を取ったり取られたりしつつも、

それは9イニングまでの、

試合に決着がつくまでのプロセス」だと。

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多くの人にとっては、

試合はすでに始まっている。

とにかく打席には立たねばならない。

「野球はゲタを履くまでわからない」と、

昔の人はよく言った。

つまりは、9回裏の最後の打者が

ボールカウント「ツースリー」(いまは「スリー ツー」の順)

になっても、まだ勝敗は決まらないものだ、と。

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当塾としては、

ゲームセットになるまでは、

講義や宿題においてはビシビシ投げ込んで、

塾生を追い込んでいこうと、しきりに思う。

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5年後に、だれが、どんな本を

出版していることだろう。

そのためには、

すでにでもプロットを立て始めなければならない。

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# by rocky-road | 2019-02-03 22:22  

「健康」のリテラシー。

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恒例のパルマローザ

新春ブラッシュアップセミナー」が終わった。

2019119日/日曜日)

演題「『健康軸』で考える、人、社会、モチベーション。」

(横浜市技能文化会館)


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このところ、「健康」の環境性、思想性、

モチベーションとしての意味などについて

考えることが多い。

食生活雑誌時代の仕事は

「健康」がメインテーマであったが、

故・豊川裕之先生の講演で、

「健康は目的ではなく手段ではないか」という

予期せぬ目標を示していただくことになった。

以来、「健康とは何か」は、

私にとっての哲学的テーマとなった。

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セミナーでは、

健康環境とはどこまでを言うのか、

それをみなさんに問いかけた。

結論を先に言えば、

宇宙が膨張を続けている限り、

健康環境もまた無限である。

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少なくとも、

WHOが1946年に提示したような、

「単に病気がないとか、虚弱でないとかというだけでなく、

身体的にも、精神的にも、社会的にも完全な状態」

なんていう狭いものではないことは確かである。

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今回は、健康環境のほんの一部に過ぎない

日本という国の健康度、非健康度や、

思想の健康度、マスメディアの健康度

という尺度を示してみた。

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たとえば、資本主義と社会主義との健康度、

右翼と左翼の健康度、

愛国的日本人のメンタリティと

反日的日本人のメンタリティの健康度、

新聞の健康度、テレビの健康度、雑誌の健康度、

一神教の健康度、多神教の健康度、

極上の孤独愛好者の健康度、

極上の組織プレーを楽しむ人の健康度などなど。

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もちろん、

どちらかに軍配をあげるような野暮は避けた。

健康は、けっきょくは個体差。

人それぞれである。

平均寿命が短い国、貧しい生活の連続、

言論の自由が許されない国にいても、

自分の健康度を良好と感じている人は

少なからずいるはずである。

ハングリー精神には

それなりの健康性はある。

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セミナーで、

健康環境というものが

いかに広く、いかに流動的で、

いかに不確定であるかをお伝えできたとすれば、

それで充分だと思う。

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いまは、もっぱら医療的チェックが

健康度を測るスタンダードになっているが、

そこにとどまるのではなく、

いろいろの基準を設定して、

健康度を複合的に見てゆく必要がある。

体重や食事の内容だけで

健康度を評価することは、

うっかりすると、

その他の「健康の芽」を摘んでしまうことにもなる。

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「健康のリテラシー」を深めることが、

このセミナーでのメインテーマであった。

『健康という病』とか、

『極上の孤独』とかの、

いわば「健康無知」の本が売れる国では、

少なくとも健康支援者が、

「健康」を読み解く能力を

もっともっと高めていく必要がある。

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「健康」のうれしいことは、

人の健康を促すことは、

自分の健康度があがるという点であり、

健康が生きる目的ではなく、

人生を楽しく、有意義に送るための

手段であることを

心から理解することになる点である。

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# by rocky-road | 2019-01-23 12:59  

白い水仙と灯台の物語。

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水仙には思い出がある。

ある年の正月、

見知らぬ女性から絵ハガキが届いた。

そのハガキの写真は爪木崎である。

読むと、

私が連載中の雑誌に書いた

「白い爪木崎」という文章に共感して、

伊豆半島の先端にある爪木崎に来た、

いま、そこで絵ハガキを書いている、と。

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関西在住の人とかで、

『海の世界』という、その雑誌を読んだという。

船員向け、船好きの人向けの雑誌であった。

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連載記事について

少し前置きをしておくと、

当時、私が所属していたスノーケリングクラブでは、

毎年、正月はどこかの海に出かけた。

爪木崎には何回か訪れている。

そこには灯台があって

海の中からそれを見るのは、

なかなかの風情であった。

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もう1つの見どころは、

灯台の下の海岸に自生している水仙である。

正月前後のシーズンには開花し、

周辺を白い花と香りとで華やがせた。

連載記事は、そこを訪れたときの話である。

その年は開花が遅れていて、

私たちが灯台下で潜ったときには

まだほとんど開花していなかった。

旅から帰って数週間後、

弁当箱よりやや大きめの段ボール箱が届いた。

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あけると水仙の花の部分約20センチのものが

20本ほど入っていた。

爪木崎の民宿の娘、小学6年生の弘美ちゃんが

水仙を摘んで送ってくれたのである。

当時は宅配便はなく、小包だった。

「おいでになったときは咲いていなくて

残念でした。

いまごろ、ようやく咲いたのでお送りします」

という手紙が入っていた。

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水仙は、しおれてしまっていた。

しかし、コップに水を張って挿すと、

すぐに、あの水仙の表情になった。

写真に撮って、礼状と一緒に送った。

冗談に「今度は白い灯台を送ってください」

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この話を読んだ、関西在住のK嬢が、

同地を訪れて、そこからハガキを書いてくれた。

当時は、版元に電話をすれば、

筆者の住所などあっさりと教えてくれた。

彼女は、私の住所と、

そこから絵ハガキを書くというプランを持って

「白い爪木崎」への旅に出た。

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この連載は「ニッポン海底散歩」というシリーズで、

1回ごとに1か所の旅先をエッセイタッチで書いた。

1年12回の予定であったが、

継続の依頼をいただいて18回の連載となった。

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これにも後日談があって、

宮城県在住の読者が、

私の全連載をコピーして

1冊の冊子にして送ってくれた。

自分の連載記事は、その1冊に収まって

いまも書棚の貴重資料となっている。



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「白い爪木崎」のKさんとは、

いまも年賀状のやりとりが続いている。

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そうか、

今年は新年早々、2回の水仙への旅が続いた。

(葛西臨海公園、千葉県岩井の富山=とみやま)

このブログに使った写真をプリントして、

Kさんに送ってあげることにしよう。

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# by rocky-road | 2019-01-14 22:01