フォトコンテスト、入選発表。

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パルマロー主催の

写真教室(2024年4月29日)の成果のアカシとなる

フォトコンテストを、ことしも行ないました。

今年は、インドアでレクチャーを行なったり、

ランチをしっかり楽しんだりしたため、

結果として、撮影時間が少なくなりました。


そのため、撮影地は大桟橋周辺に釘づけとなり、

撮影チャンスが時間的にも地域的にも

狭まったように思います。

懸念していたとおり、

「銀賞」「金賞」に値する作品は見つけられませんでした。

これは、明らかに主催者側の反省点、

お詫びします。


とはいえ、作品の評価は、

歴史に恥じないようにせねばならず、

心を鬼にして選考しました。

その結果、今回は「金、銀、銅」のランキングで

銅賞」が最高位とならざるを得ませんでした。

以下、各作品について講評をします。

          選者 大橋禄郎


銅賞

佐藤由起子さん (東京都)

「くじらの背中、第6区、爆走。」

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選評

被写体におんぶをしない、自分なりの切り取り方を

評価したい。一見、絵としては暗いが、

中央に走る子を収め、

大きなステージのカタチを〝表現〟している。

日ごろの構図勉強の成果か。

タイトルはダラダラとした説明で不可。

マイ・ステージ」くらいに、さらっと行きたい。



銅賞

高藤 法子さん(山口県)

「たくましさは両者引き分け」

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選評

シーサイドに特設されたボリタリング用の壁を

登りきる直前の2人を、よいタイミングでスナップショット。

ここがシーサイドだとわかるように撮るには、

右側に見えたはずの海を入れると、

赤レンガ付近の臨場感が出たろうが、絵の迫力は弱まる。

判断のむずかしいところ。

タイトルは、見たまんまで、かつ説明し過ぎ。

平和な戦い」「人生、どう争うか」はいかが?



佳作

奥村 花子さん(東京都)

「誰よりも高く!!

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選評

おなじみのジャンプ写真。

ジャンパーのポーズ、カメラアングルがいい。

だれもが感じるだろうが、カーディガンが顔を隠したのがおしい。

こういうときは、すぐに撮りなおす根性が必要。

バックの人(しゃがんでいる人も)がいないタイミングを

選べなかったか。

タイトルの「誰よりも高く」は、絵の内容に合っているのだろうか。

私と、みなとの未来」とかは?



佳作

甲斐和恵さん(神奈川県)

「眠らない港町」

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選評

手ブレしやすい夜景を、適切な構図で撮っている。

海面の反射の写し込みもうまくいっている。

もう少しマイナス補正をすると、

空の青みが消えて、〝夜らしさ〟が際立ったかもしれない。

タイトル、そのとおりなのかしら?



佳作

影山なお子さん (神奈川県)

「『ハマ』を支える観光産業 復活」

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選評

社会派的報道写真としての価値はある。

複雑な地形をジャストフレーミングで切り取っている。

「きれい」や「ほほえましい」が選考基準になりがちな

巷の写真教室後のコンテストでは、損をしたかも。

タイトルも報道写真そのもの。

もう少しシンプルに「にぎわい復活 大桟橋」では?


―――――――――――――――

その他の応募作品


岩田 博美さん(神奈川県)

Mon~

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選評

被写体の動作、タイトルの意味、

どちらもわからない。

親子は争っているようにも見えるし、

抱き上げようとしているようにも見える。

これを撮った理由を知りたい。



三奈木博文さん (東京都)

「お休み」

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選評

ほほえましいショット。

この子の将来のためにも、

プリントして保存しておきたい1点。

コンテスト用の「作品」にするには、

もう〝ふた息〟ほどユニークさを出したい。

タイトルも、まったく力んでおらず、

一緒に眠気を誘ってくれる。



永野幸枝さん(千葉県)

「パパとママの佳き日」

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選評

怖い写真、または淋しい写真だ。

ベビーカーが海に落ちそうだし、

育児放棄の両親が、

わが子をここに置き去りにしたのか。

タイトルからも判断ができない。



米澤須美さん(東京都)

「春宵の空中散歩」

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選評

ロープウエイで空中散歩をしている様子を撮ったらしいが、

ワゴンが闇に溶け込んでしまって見えない。

手前のツツジ(?)の露出に合わせたら、

ワゴンは消えてしまうだろう。



三奈木麻弓さん(東京都)

「ランドマークは、私のもの」

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選評

なんとも不完全なトリック写真ではなかろうか。

ラウントマークタワーを手のひらに乗せている、

というトリックのつもりなのだろうが、

その前にパネルがあって、

そのことさえ表現できていない。

「作品」にはほど遠い。

タイトルも美しいとは言えない。



三宅理江子さん(神奈川県)

「ハマ風」

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選評

港の風景として作品化はされている。

バックのベイブリッジの収まりもよい。

曇り日のフラットな風景の中で

旗の赤が効果的。

ただ、作品とするには、

主役級の〝何か〟がほしい。



奥村春弥くん

「蝶の旅立ち」

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選評

動きの速いチョウをジャストピントで撮った意欲がいい。

花とチョウを表現するには、

もっと近づいて、バックの道路やガードパイプを外す。

そのためには右側から狙うとよかった。



――――――――――――

以下の作品は、

応募期間を過ぎたため、選考対象とはせずに、

作品と講評だけを追加します。  

この場合は「選評」ではなく、「講評」にしました。



田中 里実さん(広島県)

タイトル

「狙う!決定的瞬間」


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講評

撮影中のカメラマンの真剣な様子は

コンテストの応募作品によくなる。

少し離れたところから観察するクールな視点は、

カメラマンスピリットを感じさせる。

作品としての味を出すには、何を撮っているかを示す必要がある。

動物か、子供か、モデルさんか……

その対比から作品としてのおもしろさが生まれる。

タイトルは、「狙う」か「決定的瞬間」か、どちらか1つでいい。

そして、カメラマンとは〝決定的瞬間〟を〝狙う〟のが基本。

感嘆符のあとは1字あけて、右に傾けよう()。

「狙う 決定的瞬間」



深津惠子さん(東京都)

タイトル

「なぜかデジタルが好きな二人」

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講評】  

写真論としては「何を撮りたいか、テーマを示せ」

ということになるが、バラバラ感も立派なテーマになりうることを

教えてくれる作品。見事に現代社会を切り取って作品化している。

応募期間内に出せば、佳作以上に選ばれたか。

やや露出オーバー。

タイトルで作品を説明してはダメ。

ここは「世界は私のために」または「一人ぼっち」


# by rocky-road | 2024-05-15 22:19 | 写真教室  

健康をどこまで「カタチ」にできるか。

ことしも、ゴールデンウィークはイベント続きで

モチベーションを高めつつ過ごすことができた。

4月29日は、パルマローザ主催の写真教室(神奈川労働プラザ~大桟橋)。

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5月3日は、食コーチングプログラムス主催の

「健康をカタチにする栄養士のための身だしなみセミナー」

(ブティックアシダ銀座)

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5日は、食コーチングプログラムス主催の「食ジム」

(横浜開港記念会館)。 

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6日は、わが「ロッコム文章・編集塾/遠距離クラス」

(横浜開港記念会館) 

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以上のうちから、

5日に開催された第129回「食ジム」について

振り返っておこう。


当日のテーマは、            

栄養士として、「健康のカタチ」を

周囲にどのように示していけばよいか。

座長 岩田 博美さん

アドバイザー 大橋/影山なお子さん

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このテーマは、いわば《食コーチング》のオリジナルで、

いろいろの活動のベースになっている。

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「成人病」が注目されるようになった1960年代あたりから、

見た目にはわからない〝隠れた〟病因を標的に、

「早期発見・早期治療」が叫ばれた。

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この原則に、いまも変わりはないが、

健康度のチェックは、

医学検査による以外には策がないかのような錯覚を

多くの人に起こさせる結果にもなった。

いわばシフトのし過ぎである。

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従来の、自己判断や、

周囲の人の、見た目の判断は、「必要ない」とは、

だれも言ってはいないのだが、

見た目の判断は、

なんとなく感覚的で、非科学的な考え方のように、

思い込む反作用が起こった。

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あのころから、およそ60年、

「生活習慣病」のハードルを越えかかっているときに、

今度は、認知症やフレイルというハードルが

行く手に置かれていることに気がついた。

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「成人病」を「生活習慣病」と言い換えたときから、

健康行動――そう、「健康のカタチ」は

重要なポイントの1つになっていたのだが、

「ライフスタイル」というコトバになじみのうすい人たちは、

シンプルに、

「塩分のとり過ぎに気をつけよう」

「コレステロールに要注意」

「動物性脂肪のとり過ぎが心配」……

そしてついに、

「食の洋風化を抑えよう」のように、

話を各論に持っていった結果、

「なんとなく栄養障害」というところに着地してしまった。

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この視点はそうとうに強固で、

いよいよ視界に入ってきたフレイルや認知症をも

「栄養障害」という先入観で見るものだから、

「たんぱく質だ、サバ缶だ」という話になってしまう。

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大橋は、

「人生100年時代は、

人生を持て余す人がふえる時代」と見ているが、

だからこそ、

食生活と並行的に、ライフスタイルの見直し、

改善が必要になってくる。

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「ライフスタイル」とは、シンプルに言えば、

「健康のカタチ」を整えることにほかならない。

そこで、「食ジム」の席に戻ろう。

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今回の「食ジム」のプロットは、以下のとおり。

. 「あなた、若いね」「あなたって健康そう」と言われた事例――

あのとき、そんな場面で……。 

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. 「いかにも元気がない」「人のモチベーションを下げる」

そんなタイプの表情、身だしなみ、言動……あれやこれや。

. 「明るさ」「元気」「健康」をアピールする私の流儀。

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4.「健康のカタチ」を左右する10αのチェックポイント、

総点検

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「食ジム」に参加する人たちは、

「若い」「健康そう」と言われた経験は豊富だから、

みなさん、

いきいきと、その経験を複数例あげていた。

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*服装の色や柄から「若い」と言われた。

*半袖姿のときに「若い」と言われた。

*30代のとときに「大学生?」と聞かれた。

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*職場でかかってきた電話に出たら、

 「若い人じゃダメ、上の人と替わって」と言われた。

*歩き方が速い、若々しい。

*ダブルワークで早朝、深夜の仕事をしていると伝えると、

 だいたいの方から「若いね」と言われる。

*久しぶりに実家に戻ったとき(地方)、

 私の服装を見た親戚たちが「私にもこんな若いときがあった」と言われる。

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その一方で、

「元気がない」「人のモチベーションを下げる」タイプの人と

出会った(出会っている)事例報告も少なくない。

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*無表情な同僚。

*声が小さい人。

*朝のあいさつをしても反応の弱い上役。

*人に問いかけない、自分の話ばかり……

*遠出の旅行をしない。

*人の話を取って自分の話にすり替える。

*人の行動に干渉したがる友人。

*会話の内容がいつも変わらず、家族の話ばかり……という人。

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では、みなさんは、

自分の「明るさ」「元気」「健康」をどうアピールしているのか。

さすがは学習の成果が明らかで、披露に限りがないほど豊富。

全国の健康支援者に分けてあげたい流儀ばかり。

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*笑顔、あいさつ、声かけ、問いかけは、

 日常行動の1つ。

*約束した時刻を守る。

*予定を変更しない、ドタキャンをしない。

*軽やかに歩く。足を引きずって歩かない。

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*後ろ姿も美しく。

*TPOに合わせた服装選び。

*写真を撮って共有する(アルバム、ハガキ、フォトブック)。

*公の場でも、ときに、ちょっぴりプライベートの話も。

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最後に、「健康のカタチ」を左右するチェックポイントを

みなさんであげてみた。

以下は、それを中心にして大橋がまとめると……

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*考え方(思想)や感性、態度――建設的。肯定的。協調性。向上心。

謙虚。親近感。行動力。ユーモア感覚(発する、受ける)……

*身体(ボディ)――清潔感。姿勢。体型。立ち方。歩き方。食べ方……

  (×猫背、顔や髪、からだをいじるクセ)

*表情――バリエーション。ほほ笑み。笑顔。穏やか。温かみ。視線。

  (×無表情。内心を顔に出す。視線を逸らして話す)

*身だしなみ――顔や髪のメンテ。24時間、TPOに合った服装。

TPOに合ったコーディネート。アクセサリーなどの合わせ方。

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*言語行動――TPOに応じた声量で話す。滑舌は適正。

話の内容に論理性がある。一定のボキャブラリー。

問いかけを有効に使う。複数の人との話し合いへの適性。

話題力がある。司会・進行がでする。

   (話しグセがない/アノー エート ……かな。流行語を使い過ぎない)

   書く習慣……メモ。ノート。ハガキ。手紙。メールほか。

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*食べ方――定刻の食事。箸や食器の持ち方。箸の使い方。

  噛み方(おいしそうに食べる。音を立てない)。場違いな話をしない。

  献立の立て方。食事のマナー。

*仕事――仕事を大事にする。自分の役割を自覚して働く。

仕事上の人間関係を大事にする。後輩を育てる。

働き過ぎない。

*予暇活動――定期的・継続的な活動がある。運動習慣。

   つねに活動仲間がいる。レクリエーションを楽しむ習慣。

などなど。

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ここでも押さえておきたいのは、

「健康のカタチ」にこだわるのは、

生活習慣病やフレイル、認知症予防のためではなく、

それが人生を活性化し、

人も自分も楽しい日々を、ずっとずっと続けるためである。

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いや、順序は逆で、

人生を楽しんでいる人は、

「健康のカタチ」がよく、美しく、そして、長くカタチが崩れない、

ということになるだろう。

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# by rocky-road | 2024-05-12 23:35 | 「食ジム」  

イッペン、オッペンハイマー

影山なお子さんが主宰する映画研究会

7回目では、

クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を

リクエストして、鑑賞する機会を得た。

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オッペンハイマーは、第2次世界大戦時、

原爆開発チームの中心的な物理学者。

個人名がタイトルになっているので、

この人の伝記または人物論かと思ったが、

内容は、戦中から戦後にかけての

アメリカ社会の重要な一端を

ドキュメンタリータッチで描く、物語というよりも

叙事的作品(叙事=事実、出来事をありのままに述べること)。

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マンハッタン計画(原爆製造計画の暗号名)をなぜ急いだか、

それは、ドイツもソ連も開発中であったこと、

(一説に、日本も一部の研究者が着手していたとか)

そして、

戦時下のアメリカにも共産主義者は少なからずいたこと

(オッペンハイマーの1人目の妻も2人目の妻も共産党員)、

戦争末期から戦後にかけて、

彼らを排除するマッカーシズム(赤狩り)が吹き荒れたこと、

上院議員が、あたかも検察官のように

〝アカ〟と疑われる人物への追及が

いかにヒステリックであったか、

などなどに軸足を置いているため、

かなりテンポの速い展開ながら、

3時間にも及ぶ長編映画になっている。

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これは、戦後生まれのアメリカ人にとっては、

勉強になる映画であろう。

オッペンハイマーの〝自伝〟や〝人物論〟ではないので、

彼が、自分のかかわった核爆弾が、

いかに残酷な兵器であったかを悩み、苦悩する姿などは、

ここではメインテーマにはなってはいない。

したがって、

日本人にわかりやすいタイトルをつけるとすれば、

『原爆開発の内幕』ということになるだろう。

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現代に生きる日本人のヒントになるのは、

核爆弾がいかに危険な兵器であっても、

それを作った動機を考えると、

今後も、

いずれ、これを使う必然的な理由を

考え出す人間が現われることだろう、という点。

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現に、ロシアのウクライナ侵略では、

原子力発電所への攻撃が懸念されているし、

日本の施設でも、テロの標的になりうることが想定されている。

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映画には、

「原爆をどこに落とすか」と議論するシーンがある。

京都を文化的価値のある場所だから、と

避けようとする場面があるが、

歴史の浅いアメリカ人の歴史観の一端がうかがわれる。

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もちろん、

避けるほうに選別された地域はいいが、

選別されなかった地域の不幸は言うまでもない。

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一方、東京空襲などでは、

ほぼ無差別的に爆撃を行なっている。

核兵器でなければ、場所を選ぶ必要はないのか、

あとからは、なんとでも言えるが、

戦争状態に入った国の人々の思考は、

こんなふうに、時々刻々、場所や立場によって

変わるものである。

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人間には、永遠に〝冷静〟でありうる判断など、

できはしない、ということか。

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実際に、

中東地域の戦争やテロでは、

宗教的、文化的遺跡を、こともなく破壊してしまう現実がある。

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それと比較すると、

80年余り前のアメリカには、

それなりの余裕もあった、とも言えようか。

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映画では、上院議員による公聴会の様子が

これでもか、というくらいに描写されるが、

ここも学びのシーンと言えそうで、

アメリカ人の「議論力」の強さに脱帽する。

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そうだ、この点は少し前に見た、

『落下の解剖学』にも通じる。

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あの映画は、夫を殺したのは妻なのか、

それとも、事故か自殺かで論じ合う

いわば裁判映画でもあった。

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『オッペンハイマー』でも、

公聴会のシーンに迫力があり、

ここがメインテーマか、と思わせるほど力を入れている。

欧米人は、コトバによる戦いも嫌いではないようだ。

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映画界は、

アニメや特撮ものだけに向かっているわけではなく、

人間同士の、狭い空間でのやりとりを

テーマとする方向性も捨ててはいないようである。

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日本の映画界はどうなっているのか不案内だが、

なにはともあれ、

こういう理屈っぽい映画を観る人が少なくないのは、

うれしいことである。

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夢と希望を持つならば、

発射され核爆弾を抱えたミサイルを

完全に迎撃するか、

抑止することができるシステムを

研究し、開発する人物が、

きっと現われるはずである。

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そして、そのシステムの開発秘話も、

いずれ映画化されるだろう。

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タイトルは

イッペンモ ハイラセネー

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# by rocky-road | 2024-04-24 22:13 | オッペンハイマー  

日本句読点学会から、各種事例のご報告。

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メディアの伝える「紅麹」情報には、

「麹」という字の表記には、

バラエティがあることを教えてくれるという側面がある。

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読売新聞は旧漢字()を使用中。

NHKは新漢字の「麹」を使う。

知人からの情報によると、

毎日新聞は「こうじ」とひらがな書きをしているとのこと。

「紅麹」の商品パッケージ本体は新字体のようである。

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読売新聞に電話をして、なぜ旧字体なのかを尋ねた。

回答は「商品の最初の登録は旧字体だったので、

それに従っている」と。

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新聞(ニュースペーパー)は、

〝現在〟を伝えるのだから、現状に従っては?

とすすめたが、しかるべき返事はない。

ならば、『文藝春秋』の「藝」は旧字体だが、

紙上では「芸」にしているではないか、

と指摘したが、これにも、しっかりした回答なし。

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さて、ここからは句読点および、用語、表記法の話題。

過日のJR電車内の広告に、こんなのがあった。

「なんで、私が……」「早大に。」と列挙するおなじみの広告。

ここでは、各キャッチに「。」が打ってあるが、

本文のほうには「。」はなし。「、」も少なめ。


話しコトバのつもりなら、句読点をしっかり打ちたい。

それに、「なんで、私が」……「医学部に。」という場合、

自問しているフレーズなのだろうから、

「(なんで、私が)医学部に?」のように「?」で締めたほうがよい。

なんで予備校なのに、句読点をしっかり使えないの?

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同じく車内広告。

松下幸之助さんの長期にわたるベストセラー。

いまさら、なんですが、ここも願わくば「道をひらく。」と

したいところ。


読者からの「声」にも、もちろん「。」を入れたい。

もう1つ、注目したいのは、

「何度も何度も読み返してほしい座右の書」というフレーズ。

売り手側の押しつけがましい、尊大な表現。

バックに松下さんがいると、こうも上から目線になるものか。

そして、「ほしい」は、

いまや、日本語のていねい表現として定着したようである。

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しかし一方では、しっかり表現している人はいる。

銀座で見かけた酒場ののれん。

「ぎん天。」と、きた。

店は混んでいたのでインタビューはできなかったが、

ただ者ではない経営者の言語センス。

近々、改めて訪ねてみたい。

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いやいや、黙って入って、一杯飲めば、

いくらでもコンセプトを尋ねられるではないか。

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世の中、当学会から表彰したい「アニマル」(兄マル)は少なくない。

以前、ビールの缶に《微アル、誕生。》と表示して

わが学会から絶賛された(?)《アサヒ》は健在で、

新聞の全面広告で、

「アルコール分が、0.00%が、面白くなる。」とやった。

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「面白く」は気に入らないが、

しっかり「マルってる」のがうれしい。

メーカー自身なのか、デザイナーなのか、

そうとうな「アニマル」と見ている。

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やはり新聞広告で〝マルってる〟のはアリナミン製薬。

「5つの効く」をアピールする新聞広告で、

カギカッコの下にも「。」をつけている。(「効く」。)

変則的だが、その心意気を買いたい。

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新聞ではないが、

西松建設は、建設中の現場を覆う仮の塀ながら、

しっかりマルっている。

そこにこだわるのは看板屋さんなのか、

西松建設なのか、

なぜか、関係者の誠意が伝わってくるから不思議である。

地盤固めはバッチリ、か。

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そうやって、みなさんがんばっているのに、

文章を売っている新聞社の表記は旧態依然。

とにかく「。」や補助符号を使いたがらない。

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見出しに「。」を使わない主義なので、

語尾が、とかく体言止めになる。

こんなことを100年以上も続けているのである。

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一部の雑誌が、

見出しやタイトルに「。」をつけ始めたのは

1980年代の後半ではないか。

当時、広告では普通に「。」を使っていた。

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『栄養と料理』で〝さえ〟(?

タイトルに「。」を入れていた時期がある。

「マルを入れたい」と言ったら、

校正担当の、その道00年のベテラン女性から

「私も永年、校正の仕事をしてきたけど、

タイトルにマルを入れるなんて聞いたこともない。

そんなことできません!!

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編集長としては困ったが、

何回も頭を下げてお許しを乞うた。

すんなりとはいかなかったが、

なんとかマルく収まった。

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あれから40年余り。

いまだに新聞はタイトルに「。」をつけない。

ようやく、ときどき補助符号を使うようになったが、

不慣れというのは悲しいもので、

リーダー罫(……)のカタチがなんともショボイ。

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「お母さんとお父さん どこ」

とするこの見出しでは、

当然、末尾に「?」を入れて、

「お母さんとお父さん どこ?」と

すべきだろう。

それを、ノーチェックで通してしまうとは、

恐ろしい習性と言うしかない。

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「恐ろしい」というのは、けっして誇張表現ではなく、

新聞の将来を考えての懸念である。

文字にもセンテンスにも〝表情〟がある。

1行が12~14字と短いのも、

新聞が考えた、読み手の負担を減らすための表情である。

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見出しに「。」を使わない表現法も

新聞が選んだ伝統的な〝表情〟である。

が、時代は変わって、

句読点のない見出しは人間味にも、温かみにも欠ける。

(ネット上の句点省きの風潮には、ここでは触れない)

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紙面の視覚的冷たさは、

記事制作者との〝合わせ鏡〟の関係となって、

書き手の冷たさを誘発する。

新聞記者に偉ぶった、冷たさを感じることと、

見出しの句点を使わない流儀とは、

遠く、遠く、しかし、確実につながっている。

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新聞が、部数を減らすことなく存続し続ける気なら、

もっと、話題、コトバづかい、発想などに

人間味、温かさを滲ませることに

真剣に取り組む必要があるだろう。

「マルを軽視する者は、マルっきりダメ」

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句読点、および各種補助符号は、

明治以降、欧米の影響で生み出し、使い始めたものだが、

そここにも、

日本人の文章表現に関しての心づかい、人へのやさしさ、

そして合理性の反映がある。

この文化に誇りと喜びを持たずにどうするか。

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蛇足ながら、

パソコンには、補助符号があまりにも少ない。

責任の所在はわからないが、

かつて印刷時に自由に使っていた

膨大な文字や記号のバリエーシンが

跡形もなく消えた。

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そのことを、雑誌や出版が指摘しないのは不思議。

文字表現の幅の狭さは、

50年前に戻ってしまったのである。

「!」(感嘆符、びっくり記号)のカタチが悪すぎるし、

縦書きのとき、「」右に傾けることができないのである。

だれだ、表現の自由なんて言っているヤツは?

「もう、表現の自由なんて、とっくに失われているよ」

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# by rocky-road | 2024-04-10 17:52 | 日本句読点学会  

歳を気にする、これだけの理由。

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去る3月10日に開催された

「食ジム」 第128回、

テーマ「年齢にこだわりすぎる日本人の世代観を

栄養士の立場で改善するためには、

どのようなアクションがあるのか。

(座長/山同紀子 神奈川技能文化会館)

このテーマに沿って、日本人と年齢観について考えておこう。

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話し合いの項目は次のとおり。


1.「聞かれてもいないのに、

自分の〝歳〟を口にする人」「歳の差にこだわる人」

「歳のことを話題にしたがる人」……といえば、

まず頭に浮かぶのは……「あの人」や「この人」!!

2.①日本人が歳にこだわる理由をいくつあげられるか。

②それでも利点は……。

では難点は……。

3.歳を気にしない人といえば、この人。 

  その人から、どんなことを学べるか。

4.日常生活や、健康支援の場面で〝歳〟の話題が出たとき、

どんな対応をすればよいか。

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このテーマ設定のコンセプトは、

年齢に過度にこだわることを、

プラス/マイナスで天秤にかけたとき、

多分にマイナスに働く、という前提による。


後述するが、人生100年時代ともなると、

還暦だの古希だのといった概念は、

新幹線の乗車券を東京から大阪まで買ったのに

目的地前の、

静岡や名古屋あたりで途中下車することを

すすめる結果になるのではないか。

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年齢を話題にする文化は、

日本に限らず、ほぼアジア全域に広がっている。

そのルーツは中国にある。

中国の十干十二支(じゅっかん じゅうにし)、

1か月を10日間という単位で3つに区分すること(上旬、中旬、下旬)、

子、丑、寅,卯(ね、うし、とら)など、

年代を12の動物単位にして表わす暦(こよみ)の発案。


2100~2200年前の時代としては

先端的な学術的、科学的な思想であり、知見であったから、

アジア全域に広がったのも当然である。

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そのうえ、2000年以上たったいまも

〝現役〟として、立派に通用しているのである。

アジア人にとって、

これぞ、世紀の大発見であり、

行動の原点となる人生観にもなっている。

その利点としては、

1歳でも年長の者を敬う思想が定着し、

人々に自制的、抑制的なライフスタイルを植えつけた。


この価値観は、家庭から大小のコミュニティ、

さらには、広く社会全体にまで浸透し、

家庭から地域、さらには、国の秩序の維持に役立っている。

この点は、欧米の能力主義とは対照的である。

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礼儀正しい行動様式は、

たどっていけば、

「年齢を気にする」文化の延長線上にある。

……というようなことは、

こういうテーマで話し合う機会がないと、

なかなか思考の対象にはなりにくい。

(儒教の裏打ちはあっただろうが)

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しかし、その一方、「年功序列」のシステムが定着し、

「抜け駆け意欲」や、ギラギラした野心を抑制するほうに作用し、

独創的な思考やシステム、発見・発明が

生まれにくい社会を生み出した。

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食ジムでの話し合いでも、

年齢に関しては、みなさん、たくさんの体験や事例を持っていて、

話題は尽きない。


*初対面の人から、最初に年齢を聞かれる。

*しばらく話し合ったあとで、「40代と思っていたけど30代なのね」

*保護者会のときに集まったお母さん方から、まず歳を聞かれる。

*年長の男性は自分から歳を〝名乗る〟傾向がある。

*人のうわさをするとき、年代を話題にする。

*職場では歳の話は出ないのに、

トイレなどで(油断していると)「あなた、おいくつ?」

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日本人の多くは、話題づくりを苦手とするが、

その原因は、年齢を話題にするあまり、

話題づくりの能力が発達しなかったことにあるのか、

いやいや、もともと話題づくりがヘタだから、

歳の話題に逃げるようになったことにあるのか、

これは「鶏が先か卵が先か」の議論で、

結論は出しにくい。

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なにはともあれ、

アジア人が、欧米諸国とそれなりに共存しているのだから、

「十干十二支」が致命的なリスクにはなっていないことは

認めなければならない。


それどころか、

災害時に互いに助け合う協調性や

公共の場や物品を壊したり汚したりしないマナーは、

多大なメリットと考えるべきであろう。

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もっとも、年長者を敬う文化は、

日本人の場合、「親方日の丸」的体質、

つまり「長いものには巻かれろ」

という価値観を生み出したところもある。

そして、アジアに独裁国家が少なくないのも、

「権威に弱い」文化が根元にあるからだろう。

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さて、栄養士・健康支援者にとって、

年齢は、どういう意味を持つのか。


前述のように、

60歳未満の〝青年〟に

「もう、オレも、今年還暦だから……」

などと言わしておくのは、

目的を果たさずに途中下車をする

いわば、「食い逃げ行為」のようなライフスタイルを

助長することになるから、

ここは、なんとかブロックする必要がある。

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少し前に、このページにも書いたが、

88歳の能天気人間が、

新聞の人生案内欄に「終活の教科書はないか」

などと、第三者に意見を求める投稿をしていた。


別の日、この欄には、

20代の女性から、

「自分は現実主義で夢がない、夢はもったほうがいいか」

との投書があった。

これに回答した哲学教員が、

「夢はもたなくてもいい」と、答えていた。

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この現状は、

人生を持て余している者がいかに多いかを

如実に物語っている。

米寿を迎えた高齢者も、

大学生に哲学史を講じる教員も、

「人生の使い方」が、

まだよくわかっていないようである。


21世紀の日本には、

人生100年時代を迎えながらも、

個人または国家の方向性が定まっていない、

という、悲しくも恐ろしい現実がある。

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だからこそ、栄養士・健康支援者の出番なのである。

「年齢を気にする人が多い」

「歳に関する話題が好き」という文化を逆手にとって、

年齢のデノミネーション(単位切り下げ)を促進すればいい。

そのための基本知識として、

次のことを自分のものにしておくことである。

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*「十干十二支」は、2200年前の暦学によるものであること、

当時の中国の平均寿命はわからないが、

おそらく30~50歳の範囲であろう。

その時代だからこそ、

還暦(60歳)や古希(70歳)、米寿(88歳)に

深い意味と価値があった。

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それから2000年以上たった現代日本の

「人生100年時代」に当てはめると、

まさしく「途中下車のすすめ」にもなってしまう。

*高齢や長寿の延伸の意味は、

ただボケっと「長くこの世にいる」ことではなくて、

その活力を周囲の人や社会に及ぼすことにある。

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何度でも言うが、

「自分は1人で存在しているわけではなく、

多くの人に支えられているのだから、

時間があるときには、少しでもお返しに充てる。

そのことが、結果として自分の人生を活性化し、

日々が楽しくなる」

(「終活」などと言って、人のお役に立たないことに

時間や労力を使っているヒマはない)

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*前人未踏の長寿時代には、

イキイキ人生のお手本が少ないから、

世のため、人のための「お返し人生」は

あとに続く人のお手本になる。

そのお手本の一端を担うことを

仮に「お手本活」とでもしておこうか。

(語呂が悪いので「てほん活」とでもするか)

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*歳を気にする人、歳の話題が好きな人に対しては、

こんな問いかけを用意してはいかが?

「この会には年齢制限があるのですか」

「チコちゃん式に言うと、5歳プラス……どうしましょう?」

「あなたの歳と足して何歳になるか、暗算してみません?」

「90歳のご自分のイメージは?」

(「そこまで生きているはずないじゃない」と言われたら)

「では、60歳のイメージは? 

(現在の年齢にプラス10歳まで、ハードルを下げてみる)」

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「あなたが知っている長寿の人には、

どんな方がいらっしゃる?」

(☆きんさん 107歳 ☆日野原重明 105歳、

☆淡谷とし子 104歳 歌手・淡谷のり子の妹)


なんだかんだ言っても、歳には強くなろう。

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# by rocky-road | 2024-03-22 22:40 | 「食ジム」