日本や世界の健康は、わが家から。

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321日(月/祝)、

108回「食ジム」が終わった。

(横浜市技能文化会館)

テーマは、

栄養士として、家族の健康と食生活を

支えるには、どんな方向性があるか。」

 

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このテーマの趣意は、

人の健康を支える栄養士自身、

自分の家庭・家族の健康や食生活を

どう支えているのか、どう支えるべきかを

考えることである。

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昔は「医者の不養生」とか「紺屋の白袴」

(こうやのしろばかま)とかの諺(ことわざ)が

よく使われたが、

いまは、知る人も使う人も少ない。

意味は、「とかく専門家というものは、

自分のことはあと回しになりがち」ということ。

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今回の食ジムは

栄養士は、家族の健康管理、

家族の食生活維持に手抜かりはないか、

それをチェックするのがテーマ。

栄養士の場合、

自分の健康管理、食生活管理の怠慢は、

医師の場合以上に

健康支援をする相手への影響が大きい。

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無表情、不愛想な栄養士や、

「外食はダメ」「飲酒はダメ」

「豚カツの衣は、はがして」などと

「指導」している栄養士は

むしろ、人々の健康向上にブレーキをかけている。

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そこで今回の話し合いの話題は、以下のとおり。

1.私がいま、このように健康(不健康)なのは、

わが両親のこんな育て方、健康観、食生活……

 

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このコーナーでは、自分の健康の理由を

コトバで説明するトレーニングと

健康・不健康の理由を分析する機会とした。

家族から刷り込まれる健康観がいかに大きいかを

実感するきっかけになれば幸い。 

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2.家族や、だれかさんが、私の「健康のカタチ」や、

食行動、お料理などについて、

肯定的に指摘してくれたこんな事例、大公開!!

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だれもが人からほめられた経験をもっている。

それを振り返って見つけることで、

今度は自分が人の利点を認める視力を養うことができる。

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3. 「隣の芝生は限りなく灰色」あのお宅の、気になる

ライフスタイル(考え方、言動、食生活、ほか)。

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好ましくない事例を見つけ、それを反面教師しとして

自省のきっかけとする。

この場合「隣の芝生」は、かならずしもご近所だけを

指すものではないという見込みであったが、

「隣」に引っ張られて、話題が「ご近所」になりすぎた。

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昔のクラスメイト、先生、職場の同僚、

仕事で出会った人などに、

健康上、気になる人は少なくないはず。

それを分析してみる意味はあるだろう。

それにしても、

ご近所には、心の病に近い人が

少なからずいることが明らかになった。

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4.家族や、接する人の食と健康を支えるための、

ライフスタイルに関する12か条。

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このコーナーの狙いは、

健康支援者がどういう「食と健康」に関する

哲学をもっているか(いわば大原則)、

その適正度や自負、自信が

人を支えるときのバックボーンになることを

確認し合った。

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人の健康を支える人がもつべき必要条件として

こんな事項があがった。

*明るい・大きな声でのあいさつ。

*憧れをもち続けること。

*余暇活動(趣味や旅行など)の充実。

*好奇心をもつ。

*寛容さ、受容性。

*食卓をはじめ、いろいろの楽しいシーンを

コーディネートする能力を磨くこと。

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ここであがった「好奇心」については、

少し補足が必要だろう。

好奇心は自然発生的に生まれるものではない。

人に話す、人から聞かれる、

日記や手紙を書く、文章を書く、絵を描く、

写真を撮る、俳句や短歌をつくるなど、

情報発信がまずあって、

その素材として、

情報収集への動機が高まる。

これが「好奇心」のメカニズムである。

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12か条」は、

時間的な制約で十二分には出しきれなかったので、

以下に大橋案をあげてみよう。

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*社会や人と連帯感をもつ。

人は持ちつ持たれつで生きている。

自分が人によって支えられていることを自覚し、

死ぬまで人への貢献に努める。

(「孤独のすすめ」などは犯罪的)

「生かされている」は流行語化して

軽いニュアンスになったが、

確かに人は生かされている。

「人のお役に立つ」を習慣にすると

強いモチベーションになり、

生きがいや自分の健康を支えてくれる。

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*「ライフスタイル観」を持つこと。

 「人はなぜ生きるのか」ということと同じだが、

 人の健康を支えるとき、

 その人がどういう方向に向かって

どう生きようとしているのかを

話し合いの中から推測し、

それを補強するようなアプローチをする。

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もちろん生き方を定めて生きている人はマレなので、

「どんな生き方をしたいですか」「人生観は?」などと

問いかけるのは野暮中の野暮。  

衣服の選び方、食事の内容、

自分の仕事の説明の仕方、

余暇活動などから、それを推測する。

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*接する人たちに、

食事時刻を守ることの意味、

1日に、何を、どれくらい食べたらよいのか、

どれくらいがスタンダードなのかを

自主判断できる能力をつけさせることこそ、

栄養士にとって、生涯にわたる使命の1つと心得る。

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*人は健康になるため、病気にならないために

生きているのではないことを

肝に銘じる。

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では、なんのために生きているのか。

いろいろの意味で「楽しむこと」である。

(社会秩序を守りつつ)「楽しみ」を求めることは、

結果的に健康法の基本。

「楽しみ」は享楽ではなく、創造である。

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*そして最終的には、

「健康の6大要素」を実践すること、

人々に実践することを(それとなく)すすめること。

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栄養。計画性のある食事(時刻、何をどれだけ、 団らん)

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運動。歩く、出かける、筋トレ、肉体労働。

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質のよい休養(グタッと寝ていることではない)

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ストレスコントロール(この6か条を実践すること)。

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よい人間関係の維持・発展。(人に生かされている)

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生きがい。いつもテーマをもって暮らすこと

(今晩の予定、あしたの予定など)。

「生きがい」とはモチベーションそのものである。


# by rocky-road | 2022-03-23 23:29 | 「食ジム」  

最初の「食哲学者」はスゴかった。

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227日(日)の午後、

日本テレビの番組、

「香取慎吾&渡辺直美の

さいしょの人はスゴかった!!

日本の偉業発掘 第2弾 感動の開発物語」に、

香川 綾先生の業績が取りあげられた。

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昭和初期、当時は料理レシピに

食材や調味料の量を容量や重量で示すことはなく、

「少々」「ひとつまみ」「適宜」「適量」などと表現していた。

それを、香川先生は数値化した。

調理人が作業する現場にくっついて、

使った分量を量って記録していった(残量から推計)。

さらに、調理量に対する加熱時間なども

表示できるようにする。

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その結果、レシピはよりわかりやすくなり、

しかもその料理は、

名人のワザをベースにしたものだった。

その後、計量カップやスプーンが考案され、

ますます計量がしやすくなる。

その結果、日本中、どこにいても、

同じ料理が作れるようになる。

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ほかに、胚芽米の普及への尽力も紹介されていた。

番組にはなかったが、

胚芽米は、のちに「胚芽精米」になる。

「胚芽米」当時は、胚芽を残すために、

精米度を低くしていたために、

ボソボソした食感であったが、

精米会社と話し合って、

胚芽を残して精米するという技術を開発した。

このころは、

私が女子栄養大学出版部の職員だったので

綾先生が、

「胚芽米」を「胚芽精米」にした喜びを語るのを

身近で聞いた。

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今日では、ビタミンB1の欠乏は

顕著な疾患ではなくなった。

しかし、胚芽精米のファンは少なくなく、

いまも何種類もの商品が流通している。

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この話も番組には取りあげられなかったが、

綾先生の功績の1つは「四群点数法」の体系化である。

1日に卵1個、牛乳コップ1杯(第一群)、

魚か肉、2~3皿、大豆製品1皿(第二群)、

野菜350グラム、芋1個、くだもの1個(第三群)、

穀物(ご飯、めん、パン)各自の満足量(第四群)。

このスタンダードを頭に入れて食生活を送れば、

大きな過不足は避けられる。

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この食事法は、

中学、高校の一部の教科書にも載ったので、

少なからずの人が学んでいるはずだが、

世間やメディアの話題にならないことから推測すると、

あまり実践されているようには思えない。

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わかりやすい理論だから、

理解できないはずはないが、

それでも実践しないのは、

自分の食事をコントロールしようと思う人が

きわめて少ないからだろう。

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バックグラウンドとしては、

卒業生が、これを魅力的に伝えていないこと、

お膝元の大学で、

いま、この食事法をしっかり教育していないこと、

などの原因が考えられる。

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長年、実践している者からすると、

これは単なる健康法や病気予防法ではなく、

快活に生きるための「哲学」の一部といえる。

「四群点数法」を哲学だなんていうと、

ますます普及にブレーキをかけることになりかねないが、

あえていう、「四群点数法は哲学の一部である」と。

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フツーに頭が働く人なら、

朝、起きたら、

きょう1日の行動計画をイメージするはず。


もっと頭の働く人は、

1週間、1か月、1年の予定を

カレンダーや日記などに記入するだろう。

「先を読む」のは「知ることを愛する」哲学の原点。


「予定」は、まだ存在しない「あした」を知ることだから、

きょう、あした、なにを食べるかを考えることは、

「知を愛すること」以外の何物でもない。

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そう考えると、

四群点数法の普及を栄養士だけに任せておくのは

「宝の持ち腐れ」なのかもしれない。

栄養士に任せておくと、

「免疫力をつけよう」「フレイル予防に」などと

話がチャッチクなりがち。

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いやいや、「話がチャッチク」なるのは、

対象者が、つまり日本人が、いや人間が、

チャッチイからである。

つまり、食行動に関しては、

まだ動物からは脱しきれておらず、

トカゲやハイエナ、カバなどと同様、

テキトーに摂食行動を行なっているに過ぎない。

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テレビや雑誌などで、

胚芽精米だ、健康補助食品だ、食事の栄養バランスだ、

などと伝えても、

いざ食品を前にすると、

釣り堀の魚と同じで、ナーモ考えず、

餌にパクつくのである。


その程度にやっていても、

100歳高齢者が7万人にまでなったのだから、

カタイこと言わなくてもいいんじゃない?」

ということにもなるが、

哲学は、健康寿命を延ばすことが主目的ではない。

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哲学は、

自分の心身をコントロールしながら

人生を旅するための「(絵図のない)コトバによる地図」だから、

それを食生活に使わなくてどうするか。

(言うとくけど、

四群点数法に示される卵は、その段階では、

物体でも絵でもないでぇ。

世界にある数百兆個の卵をコトバで表わしたものなんや。

「理念」や「思考」と同じ、コトバの中の存在や)

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天国の香川 綾先生に申しあげます。

「四群点数法を哲学と称してはいけないでしょうか。

 さいしょの人はスゴかった、と叫んではいけませんか。

 今度、お目にかかったとき、

 ご意向、お伺いさせてください」


# by rocky-road | 2022-03-04 22:24 | 香川 綾先生  

写真は、コミュニケーションである。

107回の「食ジム」では、写真の活用法について話し合った。

テーマは、

「栄養士は、諸活動において

写真をどのように活用すればよいか。」

写真は、わがフィールドでもあるので

座長を務めさせていただいた。

座長/大橋 禄郎

アドバイザー/影山 なお子さん

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項目は以下のとおり。

1.私の写真歴(スマホも含む)、大公開!!

(ゼロの場合、その理由)

2.私が、いままで撮った・人からもらった写真

(人物に限らず)の中で、

気に入っている1点をあげるとすれば……

   (ポストカード、フォトブック、新聞、雑誌も含む)

3.(こう見えて)私の写真が、こんなところでお役に立ちました。

4.栄養士、食関係者が写真を活用したいこんな場面、

こんな分野――99のリストアップ。

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写真に関するセミナーや話し合いでは、

撮影テクニックに関する話題が中心になるが、

今回、フォトテクニック論はお預け。

人とのコミュニケーションのメディアとして、

さらには、健康支援者の仕事に

写真をどのように生かすか、

という点に話題を絞った。

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まずは、みなさんの写真歴披露。

パルマローザでは2007年以来、

毎年4月か5月に写真教室を開いているし、

あらゆるイベントが、撮影会を兼ねているケースが多いので、

大半の人にカメラ歴がある。

ただ、以前から悩むところではあるが、

スマホを「カメラ」と認めるかどうか、である。

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以前は、カメラに比べると機能が限られていて、

フォトテクニックを学ぶには不適と考え、

「カメラ持参」を条件にしていたが、

近頃のスマホは、

レンズ交換に近い機能がついているようだし、

撮ったものをすぐに送信できるという点では、

むしろカメラ以上に現代生活には役立つようである。

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が、自分自身にスマホ経験がないので、

適・不適の判断ができない。

長い写真歴からすると、

撮影会で、大半の人がスマホを持って

被写体に迫るという図を見たくはないし、

そんな料簡では、どうせ大した写真は撮れないだろう、

という思い込みもある。

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おっと、撮影テクニック論になってきた。

話を戻して、

撮った写真をどう活用するか、

いや、どう活用するために、

どういう写真をどう撮るか、

という話に戻ろう。

今回の話し合いでの発見は、

「2.私が、いままで撮った・人からもらった写真

(人物に限らず)の中で、気に入っている1点を

あげるとすれば……

(ポストカード、フォトブック、新聞、雑誌も含む)」

というコーナーでは、

みなさんに実際の写真を持ってきていただいて

プレゼンをしていただいたところ、

ほとんどが、自分の被写体写真を掲げた。

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ここで写真選びにも男女差があることを知った。

男に対して、同じ質問、

「キミが気に入っている写真を1点持ってきて」と注文したら

どうなるだろう。

少なくとも私は、自分が写っている写真は対象外とする。

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「それは、アンタがいろいろ傑作(?!)を

撮っているからでしょ?」

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いやいや、そうではなくて、

男性100人に「気に入っている写真を持ってきて」

といったら、100%とはいかなくても、

8879%は、自分以外の人やモノやコトが

写っている写真を持ってくるだろう。

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これは男性と女性の心理分析の

おもしろい研究対象になるだろう。

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「いい・悪い」の問題ではなくて

なにをもって「気に入っている」とするか、

その違いである。

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男は、自分からは少し離れたところに

「気に入った1点」を選ぶだろう。

カッコよく言えば、「社会性」にポイントを置く。

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これに対して女性は……

どっこい、ここは軽々しく分析をしない。

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男は、女性の心理分析をうかつにはできない。

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話をいきなり飛ばすが、

かつてサルの行動学者は、男性が多かった。

その男学者は、群れの1位(俗にボスザル)や2位に

観察のポイントを置く傾向があったが、

女性の学者がふえてくると、

彼女たちは雌ザルにポイントを置いて観察する傾向があった。

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その結果、下位のサルや若いサルは、

成長すると群れから出ていくのがキマリであるが、

なかには出戻って、また、元の群れに交じるという。

上位のサルに攻撃されることもあるので、

まずは、群れの端のほうにいて、

子ザルの面倒を見るなどして、

母親ザルの信頼感を得て、受け入れてもらう。

こうして以前いた群れに、それとなく復帰するという。

こういう観察は、女性の学者の観察によって明らかになった。

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生物学は自然科学だとはいえ、

学者の雄、雌……いや男性か女性かで、

分析ががらりと変わる。


で、「気に入っている写真1点」を選ぶとき、

なぜ女性は自分がモデルの写真を選ぶのか、

男性学者(?)としては

軽々に判断はしない。

推測はできるが、どのみち男の独断になる。

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結論を急ごう。

で、栄養士、健康支援者は、

諸活動において、写真をどのように活用すればよいか。

これは1日中話し合っても出し切れないだろうから、

いくつかの例をあげておこう。

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*献立写真――よい例、悪い例、 

  外食の場合、中食の場合など。

  一汁一菜から一汁五菜くらいまでの献立。

  これらはホルダーをつくって保存する。

  食事相談や講演、ホームページなどで

  使うことがきっとある。(以下も同様)

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*食事の1回のエネルギー、塩分量など。

  カレーライス、ラーメン、お寿司1人前、

  牛丼、食パンなどなど。

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*食材の写真――1日にとりたい食材の量を

  撮っておく。野菜の量(緑黄色、淡色の割合)、 

  1人前のみそ汁に入れる野菜の量(写真と重量)。

  重量はキャプションで入れてもよいが、

  ハカリに乗せた状態で撮るとか。

  (みそ汁でも、けっこう野菜がとれるという話)

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*箸の持ち方、茶わんの持ち方、汁わんの持ち方、

 フォーク、ナイフの持ち方。

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などなど、業種ごとに「使える」写真は

いくらでもあるはずである。

ここで大事なのは、

「そんなの撮っても使い道がない」

と決めつけないことである。

写真がたまってくると使い道が出てくるものである。

この場合、まず「卵が先」である。

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いまは、写真をアルバムに貼ったりする人は

減ってきていると思うが、

フォトブックは、

コミュニケーションの具としては、

もっともっと活用してもよいと思う。

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写真は、パソコンのホルダーに押し込めて

鑑賞するものではないし、

スマホの小さな画面を見せ合って

ヒソヒソ語り合うものでもない。


複数の人が同時に見て、あれこれ論じ合うことは、

人と人との心理的・文化的距離を縮めるうえでも意味がある。

額入り写真やフォトブックなどは、

今後、いっそう大事にしたい方式である。

紙の手触り、冊子の重み、額に収めた写真の黄ばみなどは、

生きていることを実感するうえで、

けっして軽視はできない文化財である。

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# by rocky-road | 2022-02-18 21:02 | 「食ジム」  

引き締まった日本語を。

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20217月から数回、

わがロッコム文章・編集塾の各クラスで、

「引き締まった日本語表現を心がける。」

という講義を行なった。

そのあとの宿題は

コトバウォッチング――気になる「引き締まらないコトバや表現」

とした。


各クラスから宿題が提出されたが、

その中に、テレビコマーシャルにある表現が

「引き締まらない表現」の例としてあげられていた。

それは、洗口液《リステリン》のCMで、

マスクをかけて活動している女性が

自分の口臭を気にすると、

擬人化されたマスクがしゃべり出す。

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マスク君は言う、

「口内には手の40万倍もの雑菌がいる」と。

リステリンは、それを除去する商品だとのアピールである。

マスク君は、なぜか大阪弁で、それを言ったあと、

「知らんけど……」で結ぶ。

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塾生の提出評論では、

「つけ足しのこの一言は、引き締まらない表現」とした。

大阪弁のニュアンスはわからないが、

講師・大橋としては、

この「知らんけど」のギャグを肯定的に受け取っていたので、

提出者に、「これはギャグとして、よいのではないか」と述べた。

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自分のメッセージを減ずるような「知らんけど」の一言を

あえてCMに使いたいと考えた起案者や

それをチェックする係、さらにはスポンサーの度量とユーモアセンスを

東京人は「粋」ととらえた。

一歩引くことで、むしろ親近感や信頼性を高める、

なかなかのテクニックではないか。

以来、このクラスでは「知らんけど」が流行っている。

(「流行る」という当て字だけは「ひらがな」表記がしにくい)

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かくするうちに、年が明けて、

元旦の読売新聞「よみうり歌壇」欄に、

俵万智さんの、この歌が載った。


「知らんけど」はツッコミ防御するための

便利な言葉です、知らんけど

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万智ちゃんが、リステリンのCMを見たかどうかは知らんけど、

「知らんけど」は、それなりにユーモラスな表現である。

信憑性のうすい耳情報であることを前提とした、

それなりに誠実な表現でもある。

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そういえば、世の中には、

少なからずの「ツッコミ防御」表現が〝蔓延〟している。

いや、すでに日本語の標準的言語表現として定着しつつある。

*「オミクロンの収束は当分ないんじゃないかな、と思います」

*「自殺を憐れみすぎることは、

自殺を容認、促進することになるんじゃないかなと言いたい」

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この場合の「……かな」も、語尾をぼかすことで

確信度を弱め、仮に反論されることがあれば、

「疑問を述べただけ」「言い切ってはいない」と

逃げることができる。

実際には、けして反論を予想しているわけではないし、

ギャグとして使っているわけでもない。

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子供は、こういう表現を好む。

「早く学校へ行けるようにならないかな

「サンタさん、うちにも来ないかな

これは脳内にある願望(内語)の表出。

内語をつい口に出してしまう。

大人がこれを使うと、幼く見える。

もっとも、昔は新聞などを音読する大人が多かった。

電車の中でさえ。

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社会が社会性を強め、いわば「おすまし」に、

あるいはクールになると、

内語はしっかり脳内にとどめておく習慣が身につく。

そして、表現をするときには、

思い切り婉曲表現になる。

「お茶とかしない?」

なんか、違うと思う」

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かつて日本人は、

……当分、ないと思う」「……促進することになると言いたい」

として、自分の発言に責任を持った。

が、それは人生50年時代であったかもしれない。

「言語表現に幼さがあったほうが

健康寿命の延伸に有利」

なんていう考えに基づいて使っているはずはないが、

結果として、この場合は、

幼い〝ふり〟をすることは、成熟を遅らせる効果がある。

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社会心理学的に見れば

日本人の社会意識、世界観が

内向きになっていることの反映とも言える。

ヒトは外的ストレスが弱まると

身近なところにストレス因子を見つけたくなる。

身近なところに外敵を想定して、

警戒心を育て、対策を講ずる。

まさに「杞憂」の世界である。

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天変地異や空襲で命が脅かされている時代には、

沈黙するか、端的なコトバで意志を伝えるかして、

自分を守った。

人の悪口を言っているヒマや、

婉曲表現で自分を守る必要もなかった。

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「ツッコミ防御」心理や、

人との接触を過度に和らげようとする心理は、

一種の内的ストレス因子の緩和である。

いずれにしろ、人はストレスを必要とし、

それを緩和するモチベーションで動く。

インターネットの世界における「炎上」なども、

やることが見つからない当事者のストレス緩和法である。

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現実には、外的ストレスが高まっているのだが

(日本の近環境を見よ)、

そこに目を向けようとしない、

「一億総認知低下症」状態にある。

もともと日本は外圧によって

重い腰をあげる傾向がある。

それを「他律的」という。

鎖国好きは、地政学的な必然なのかもしれない。

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そういう国では、

政府のリーダーシップは低く、

国会議員は無気力、

マスメディアは〝事なかれ主義〟の報道を続ける。

それらによる相乗効果によって、

言語表現は幼児化、軟弱化する。

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言語文化は、

おもに親など、年代の上の者から年少者に継承されるが、

「ツッコミ防御」表現の場合、

若年層から上へと昇ってゆくものも少なくない。

たとえば、こんな表現。

「不安って言うんじゃないけれど、なんだかこわい」

「懐疑的じゃないけれど、信じられないよ」

「渋滞じゃないけれど、車で5時間かかりました」

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自分のコトバを自分で打ち消しておきながら、

実は、「発言のとおり」、ということになる。

このややっこしい表現、

まともな神経とは思えないが、

こんな表現を、毎日、数千万人がしているのが現実。

「よう知らんけど、どっちやねん?」

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言語コミュニケーションの世界にも

「悪貨が良貨を駆逐する」法則があるから、

こういう表現を駆逐することはできない。

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言ってもムダだが、

少なくとも自分は使わない、

そう誓い、それを実行するのがセンスのある者、

教養のある者の責務であろう。

感染させないことも、

社会人としての務めであろう。

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# by rocky-road | 2022-02-02 22:33 | 大橋禄郎 文章教室  

新春、京都、大阪で「QOL」

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昨年秋ごろから予定していた

年明けの京都、大阪の旅をしてきた。

1人旅のつもりでいたが、

大阪のダイビング仲間のご案内のおかげで、

初めてのところを見物することができたし、

京都、大阪の味覚も大いに楽しませていただいた。

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友人の夫は、終末医療の道を選んでからやがて20年、

たまたま、当日は大学での講演があったとのこと。

終了後、お招きいただいた料理店でお目にかかった。

医師の田村 学先生から、

まだ湯気が出ているほどの講演テキスト(パワーポイントコピー型)を

いただき、拝見しながらの会食となった。

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講演の演題は『APCと在宅看取り』

adenomatouspolyposis col=大腸がん発症にかかわる遺伝子/大橋調べ)

そのテキストの中に、

「QOL」(生の質)と対比して

「QOD」(Quality of Death 死の質)という用語があり、

さらに、「Sanctity of Life」(生の神聖性)という

キーワードに目が止まった。

終末医療では「生きていること自体、それだけでありがたい」

という意味のようである。

わかっていれば、まずはこの講演から

京都、大阪の旅をスタートすべきであった。

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完全ベッド生活を余儀なくされている妻の介護を続ける身にとって、

身近な問題であるが、それはそれとして、

医療が「生や死の質」や「生の神聖性」など、

哲学や信仰の世界に

真正面から向き合っている現状に触れるのは

喜びであった。

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ちなみに、「QOL」(生活の質)というコトバ、

使われ始めてから30年くらいたつのではないかと思うが、

昔、ある講演を聞いていたら、

女性の講師が、しきりに「QOL」を繰り返すので、

質疑応答のとき、

「先生のおっしゃるQOLとはどういう概念ですか」

と質問したら、その講師は絶句し、

「その件は、あとで個別にお話ししましょう」と

即答を避けられた。

けっきょくのところ、しっかりとした定義をもっていなかった。

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いまは、インターネットなどでも、

「(QOLとは)患者様の身体的な苦痛の軽減、精神的、

社会的活動を含めた総合的な活力、生きがい、

満足度という意味が含まれます」

などという説明を見つけることができる。

(「患者様」に限るものではないが)

医療関係者は、

立場上、患者の苦痛の軽減のほうにポイントを置きがちだが、

忘れてならないのは、「生きがい」のほうである。

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症状が治まったり、退院したりすることは、

QOL向上の基礎的プロセスであって、

それが最終目的ではない。

病気や苦痛を抑えながら、

可能な限り、周囲の人が、そのときどき、

その日、翌日、週末の楽しみなどを

見つけてあげることである。

それが、その人にとっての生きがいであろう。

 

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「医師は病気を診て、人を見ない」とは

昔から言われ続けており、

その傾向は、全体として見れば、

いまもそう大きく変わった、とはいえなそうだが、

それでも、現代日本では、

人生100年時代を迎えて、

医師は、患者や高齢者の生き方や、

生きることの意味や目的を示す必要に

迫られているというのが近年の現状であろう。

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欧米では、従来、宗教者が晩年の生き方について

ヒントを与えてきたのではないか。

日本には、その役割を担う職業はないので、

私の知人、安達文子さんは、「尊厳カウンセラー」という

専門職を育てる仕事を長く続けている。

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これらは、わが大橋予暇研究所の仕事とも接点があって、

大いに関心があり、連帯感を感じる。

健康な人に限らず、病床にある人の「QOL」のあり方も、

わが「健康の6大要素」でカバーできると思う。

(栄養、運動、休養、ストレスの緩和、よい人間関係の維持、生きがい)

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ところで、

先述の田村医師の現職への転向には、

わがダイバーの友人、由美子夫人の提案が

大きく関係していると、今回の旅でうかがった。

彼女の父母の晩年を見ていて、

終末医療の必要を強く感じ、

その経験から、

夫に、耳鼻咽喉科から終末医療への転向を提案したという。

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ダイビングのインストラクターでもある

「ユーミン」こと由美子さんは、

ご両親を看取った経験に加えて、

インストラクターのキャリアもあるので、

サポートの必要性を人一倍強く感じるのであろう。

いまも障害のある人のダイビングサポートを

組織的に続けているという。

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話が硬くなったので、旅の話を。

冬の京都も大阪も、何回か経験しているが、

歩き回り型ではなく、

車でポイント、ポイントに向かうという経験は初めてだった。

南禅寺あたりの、いつもの道を

夜、9時過ぎ、人通りのまったくない道に立つというのは、

初めてであった。

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暗さと冷たさ、深さが迫ってきて、

平安か鎌倉か、当時の闇の中にいるように思えた。

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大阪で2泊、

大阪城公園をしっかり歩いた。

そして、きれいになった道頓堀のリバークルーズ、

梅田のスカイビルにある「空中庭園展望台」などを楽しんだ。

ルートの一部をキャプションなしで掲げた。

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今年も、海以外の旅も、たびたびの予感。

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# by rocky-road | 2022-01-19 22:46 | 大橋禄郎