
先日、塾生の人が私的な旅行で
岐阜県の白川郷に行ってきた、
という話をしてくれた。
「ボクも一度は行ってみたいところ」と言ったら、
別の人から、
「そこへは行ってるはずですよ」と指摘された。

言われてみると、
合掌造りの家が並ぶ村落の風景は見覚えがあるし、
写真も撮ったような気がする。
さっそく、パソコンのホルダーをチェックしたが、
何回トライしても探し物は出てこない。
ひょっとして、CDにでも移したかと思って探したが見当たらない。

そもそも、あれほど印象的な合掌造りが並ぶ旅行経験を
まったく思い出せない、
などということがあっていいものか。
「認知症というのはこうして始まるのか」と
密かに案じつつ、テータ探しに十数時間かけた。


そういうタイミングで、
NHKのテレビ番組、『歴史探検』で、
「白川郷と五箇山 歴史を動かした合掌造り」という放送があった。
当地は観光地としてますます有名になっているが、
昔、合掌型の屋根裏では養蚕が行なわれていて、
それまでは輸入していた絹製品を輸出できるようになり、
幕府の経済的ピンチを助けたとか。

床下に廃棄しておいたカイコ(蚕)の糞が
そこの土と混じり続けることによって化学変化を起こし、
火薬の原料となり、それが鉄砲を普及させる一因ともなったとか。
戦国時代の戦(いくさ)のカタチを変えた鉄砲とも
白川郷は、間接的につながっていた、という秘話が紹介された。

これを見れば、ますます、
わが白川郷訪問の真実を確かめずにはいられなくなった。
そんなタイミングで救いの神が現われた。
同行してくれた人から
「それは2013年6月16日に富山県で行なったセミナーの帰途、
主催者側の案内で、立ち寄った所でしょう」

「えっ、そうだったの?」
ここでようやく、2013年6月16日のテキスト、
そして写真データのファイルを見つけ出すことができた。


そもそも主催者は「能越(のうえつ)栄養士会」という、
特別仕立てのチーム。


能登と富山の栄養士さんによるコラボレーション企画だった。
これでは「能登教室」というホルダーには収納されにくい。

あれこれ探っているうちに、
「とりあえず」というホルダーの中に
「富山研修会」というファイルを見つけた。
やはり、白川郷には、12年前に訪れていたのである。
こういうイベントを、すっかり忘れてしまうとは、どういうことか。


昔、政治家や重要人物が
国会や、しかるべきところで証言を求められると、
「記憶にございません」と開き直るシーンをテレビで何度も見た。

そのたびに、「嘘をつけ。記憶にないなんていうこと、
あるわけないだろう」とつぶやいたものだが、
いまにして思う。
なるほど、「記憶にございません」っていうこと
確かに、ございますね。

ここは認知科学的に分析をしておく必要があるだろう。
つまり、こうだ。
写真教室やコミュニケーション関係の講義を行なって、
その帰りに五箇山に立ち寄った、ということを思い出した。

いまさらのことだが、
正しくは、五箇山は富山県、白川郷は岐阜県、
隣接はしているが、所在県は異なるという。

なんとか初期認知症の発症ではないことがわかった。
このケースは、
そもそもストーリー性のない体験は、
最初から認知度が低く、記憶に残りにくい、ということの事例となる。
メインはセミナーだった。

そのあと、どういうコースで帰るか、
そういうルートの説明はあっただろうが、
お任せコースなので、こちらの認知度が低かった。


「それを言っちゃぁ、おしまいよ」には違いない。
遠来の出張者を喜ばせようと、
いろいろと計画を練った主催者側の努力は
なんだったのよ。

ここから教訓を得るとすれば、次の点である。
人を案内するときは、
「これからどこへ行くのか、そこはどういうところか」を
何回でも、要所要所で説明する必要がある。

さらに、コース終了時には
「いかがでしたか。印象に残ったことはありますか」
くらいの念押しをしておくくらいがいい。


「けっきょく、案内したほうに責任がある、っていうこと?」
写真にも写っている、いまは故人となった栄養士さんから
突っ込まれるだろうが、
あくまでも認知科学的考察である。
「まあ、そこは抑えて抑えて!!」

ともあれ、わが心の白川郷は、
雲1つなく、すっきりと晴れ渡った。

折を見て、ログブック(旅行記録ノート)を
見返すことにしよう。

懐古(蚕)のためというよりも、
認知科学の研究資料として。

# by rocky-road | 2025-03-05 22:10 | 白川郷