あなたの師弟関係は?

あなたの師弟関係は?_b0141773_11392287.jpg
愛読誌『文藝春秋』の9月号で、
「日本の師弟89人」という大特集をやっているので
少しずつ読み始めている。
「師弟」からは、古くさいイメージを描く人も多かろう。
それは、このコトバが単に師匠と弟子
(または生徒)のことを指すだけではなく、
師が弟子に期待し、弟子が師を尊敬し、
それを互いに誇りに思う関係をいう場合が多いからであろう。
菊田一夫と森光子、松下幸之助と中村邦夫(現松下電器産業会長)
などの関係は、確かに従来型の師弟関係に近いかもしれない。
あなたの師弟関係は?_b0141773_1140124.jpg

しかし、これでも師弟関係といえるのかな、と
首をかしげたくなる関係もある。
自分の処女作というべき本の書評を書いてくれたことに感謝し、
以後、師の主催するシンポジウムに参加しているうちに、
「敬慕」する気持ちになったという。
が、師と「出会ったのは」という書き出しで始まる文章
(「お目にかかった」でしょ?)は、
師を「さん」づけで呼び、いわば世話になった人への
いくらか深い感謝という程度の文体で書かかれている。
つまり、よくいえば親しげ、悪くいえば馴れ馴れしい。
あなたの師弟関係は?_b0141773_11405150.jpg

古いイメージの「師弟関係」を好まない人は、
こういう薄くてドライな師弟風の「イマドキ関係」もあると、
少しは安心するがよい。
こんなのに「師」と呼ばれたくない、と
読んでいて思えてくるが、
師も師で、そのことにあまり迷惑を感じていないらしい。
あなたの師弟関係は?_b0141773_1142025.jpg

話は少し変わるが、
わがスノーケリングピープルは、満30年記念のツアーとして
伊豆の中木というところへ行ってきた。
スノーケリングクラブには「師」はおらず、
「師弟関係」はありえないが、
30年、あちこちの海に旅をし、
イベントを続けてくると、互いに学び合って、
専門知識や技術を共有する関係ができあがる。
怪しげな師弟関係よりもずっと実のある
フレンドリーなシステムが持続する。

パルマローザも、現在、そういうシステムづくり、
ネットワークづくりへの道を歩き続けている。
30周年記念の日には、どんなイベントが企画されるのだろうか。

栄養士の世界には、
これまで育成型の師弟関係はあまりなかった。
そうだとすると、パルマローザは、
サークルという点ではスノーケリングピープル型だが、
勉強会やセミナーも実施しているので、
大学での研究室機能に近いのか。
さらにセンスアップと勉強、
そして社会進出志向……その目標はとても大きい。

これは大学に見られる師弟関係どころではなく、
1911年に平塚らいてふが結成し、野上弥生子、
岡本かの子らが参加した「青鞜社」(せいとうしゃ)ではないか。
もしそうであれば、
人材の宝庫になるのは10年、20年先か。
ケチな師弟関係とは大きく違う、
「同志」の結束を誇る、価値ある存在になるだろう。

# by rocky-road | 2008-09-01 10:16  

マニュアル アニマル

マニュアル アニマル_b0141773_23284100.jpg
私の「文章・編集塾」では、毎月宿題を出しているが、
7月に出した宿題「好きなコトバ 嫌いなコトバ」が、
この8月、各クラスごとに提出されつつある。
その中に、こんなエピソードが紹介されていた。

病院で順番待ちの番号カードを渡されたお年寄りが、
「4番という番号は縁起が悪いから嫌いだ」と、駄々をこねた。
それに対応した保健師が「ヨン様の4でしょ」と一言。
これでそのお年寄りは収まったとか。

この対応法は、たぶん日本中で採用されるだろう。
世界のナベアツではないが、
4のつく数字のときには「ヨン様」が登場する。
かくして「死に番回避マニュアル」ができあがる。
マニュアル アニマル_b0141773_2334295.jpg
               ↑アニマル大橋が手がけたマニュアルの一部

何を隠そう、私は天下のマニュアルアニマルである。
人に何かを教えるとき、行動や手順を定型化したがる。
箇条書きを多用し、その序列を重視する。
長年手がけてきた料理書や雑誌のレシピは、
正真正銘のマニュアルである。
フライパンに、にんじんを先に入れるか、
卵を先に入れるかは重要な問題である。

よい人間関係の保ち方、UFOの信じ方、
破局が近い恋の修復法まで、
世にマニュアル化できないことはないと思っている。
影山 なお子さんの『食コーチング』
(食事相談が変わるコミュニケーションスキル)
(医歯薬出版(株)刊)も、
もちろん食事相談のマニュアルである。
マニュアル アニマル_b0141773_23364084.jpg
               ↑『ニコノスⅤフルガイド』の中の大橋担当ページ

しかし、どんなにすぐれたマニュアルでも、
活用する人の熱意と創意工夫の余地は残している。
楽器の教則本をいくら読んでも、
ピアノやウクレレは弾けるようにはならない。
「3の倍数のときアホな顔をし、5の倍数のとき人を探す」と、
ナベアツさんがいうとき、
そのマニュアルに従う人は、
独創的なアホ顔ができなければならないし、
人を探す振りをリアルに演じられなければならない。

すべてはマニュアルどおりにはいかない。
それは百も承知、
だからこそ、マニュアルアニマルの生存動機は
永遠に尽きないのだ。

# by rocky-road | 2008-08-20 23:31  

生き物から食品へ

生き物から食品へ_b0141773_992890.jpg
珍しく、魚屋にタカベが出ていた。
日本列島の太平洋側では、夏から秋にかけて、
どこの海でも見られる魚だが、
漁獲量が少ないせいか、最近、東京ではあまり見かけない。

海の中で見ると、背から尾にかけて黄色いスジが走っていて
観賞魚といいたいほど美しい。
海の中をタカベが泳ぐのを見て「おいしそう!」と
叫んだ女性がいる。1度ならず2度までも。
偶然か必然か、2人ともミセスであった。

生きている魚を食品と見る、そのオバサン感覚が許せない。
「動物園でウシを見ておいしそういうのか!!」と、
憤然と詰問した。
生き物から食品へ_b0141773_994780.jpg

日本列島では、生物としての魚が、
食品となる瞬間が日常風景として見られる。
すし屋でいきなり手振りの鐘が鳴り出して、
「いま、アジをおろしています。ご注文をどうぞ!」
と、板さんが叫ぶ。
水槽に泳いでいる魚をとり出して、
その場で調理をする。

が、半分生きている魚をうまいと思うのは、
自分の舌に忠実でない人の言である。
本当のうまさを知っているのかね?
生き物から食品へ_b0141773_910571.jpg

石毛直道氏は、英語の「cook」というコトバは
火熱(ママ)を含むので、日本料理を代表する刺身は、
cookのカテゴリーに含まれない、
と不満げに書いている(『食卓文明論』中公叢書)。

刺身のうま味を知っている日本人は、
まだ身が生きていて、コリコリした歯ごたえのものを
「うまい」なんぞと、それをいっちゃぁ、おしまいよ。

生き物が食品に変わる瞬間を見ないのが
人間の品格であり、食物連鎖の一端を担う
生物たちへの思いやりである。
ウシやブタが食品に変わる瞬間を
見たいという人は少なかろう。

遊びとしての魚のつかみ獲り、
活き作り、躍り食い、ハンティング……、
そういうことは密室でやってほしいと思うのだが、
いかがなものだろう。

1.写真はタカサゴというサンゴ礁の魚。
  タカベはデジタル化していないためご紹介できず、失礼。
2.撮影中の大橋
3.ミナミイスズミとスノーケラー

# by rocky-road | 2008-08-17 09:10  

いざ、鎌倉!!

いざ、鎌倉!!_b0141773_21465294.jpg

けさ、ゆうパックで新刊本が届いた。
『野菜の達人 レシピ』
日本文芸社編、B5変型のハンディな料理書。
構成はフレンチ、イタリアン、
中国、日本、ベトナムの料理人が
担当する30ページ、
後半の90ページは高橋幸乃さんが
受け持っている。

この春、わがロッコム文章・編集塾の塾生の1人、
高橋さんから「書籍の料理制作の依頼があったけれど、
どう対処しようか迷っている」と相談を受けた。
フードコーディネーターで、
ネットで食関係の情報提供の仕事をしている人だから、
この程度のことに対応できないはずはない。
「なにも迷うことはない。イージス艦に乗ったつもりで
やりなさい。いくらでも応援するから」と励ました。

いざ、鎌倉!!_b0141773_2149379.jpg

出版プロデュースとは、
企画からプロジェクトチームの編成までを請け負う仕事だが、
今回のケースは、後方からの援護射撃にとどまる。
とはいえ、いつ援軍出撃の命が下るかわからない。
が、案ずることもなく、
彼女は仲間の援助を得て、2か月足らずで
128ページ本をさらりとやり遂げた。
突貫作業で銭ハゲができたといっていたが、
申し分のないできばえである。

いざ、鎌倉!!_b0141773_222208.jpg実用書専門の出版社だけあって、
社内にしっかりした編集者がいるらしく、
初登場の料理研究家をうまいこと使いこなした。
著者名が出ないのは残念だが、
実績には違いない。

自分で売り込まないかぎり、
めったなことでは本の依頼などない。
一生に2度とないチャンスを逃す手はない。
少なからずの慎重派の彼女だが、
どうやらそれは、世をはばかる仮の姿らしく、
なんということもなく100点ほどのレシピから
料理づくりまでを受け持った。
見返しにサインを頼んでおいたら、
何回か練習をしたのち、「恵存」と毛筆の書を書き込んで、
ようやく送ってくれたのである。

こうしたケースは、だれにもあるとはいえない。
それならば、自分で企画して売り込めばいい。
版元には優秀なプランナーがいると思うのは錯覚である。
近年、編集者教育が不十分で、
どこの版元にも、そうそう優秀なプランナーなどいない。
未来の著作者には、「専門分野は自分こそ最高のプランナー」
という自負が必要。
よい企画は、自分で売り込まないと、向こうからはやっては来ない。

いずれにしろ、「いざ鎌倉!!」(わかるかな?)に備えて、
適応力やファイトという「槍」(やり)を
いつも枕元に置いておきたい。

# by rocky-road | 2008-08-13 21:51  

耳で見る、倉敷

耳で見る、倉敷_b0141773_805048.jpg耳で見る、倉敷_b0141773_82656.jpg









岡山での講演後、少し時間をつくって、
地元の人に案内をしていただき、
市内で行なわれていた「うらじゃ踊り」と、
倉敷見物をしてきた。

「うらじゃ」とは、「鬼だぁ!」という意味の方言とのこと。
各地の夏祭りのつきものとなりつつある、
よさこい型の踊りである。
アップテンポの民謡(?)とチームごとの衣装が特徴。
そして踊り手は若者から少年・少女まで。

夜中まで踊り続ける、エキサイティングな祭だが、
踊り手が進行方向ではなく、
見物人のほうに向いて踊る、
という方式に温かさを感じた。
観客も音楽に合わせて手拍子を打つ。
ローカルな風景というべきか、
祭の先進的なスタイルというべきか、
教えられることが多かった。
耳で見る、倉敷_b0141773_842850.jpg耳で見る、倉敷_b0141773_852169.jpg









倉敷では、
たまたま写真を撮らせてもらった男性の話術に、
無抵抗に引きづられた。
町並み研究所のようなものを
考えているという人なのだが、
「あのお店は何屋さんかご存じですか」
「伊豆の松崎は知っていますか」と、
まずは問いかける。

ザルや熊手を売っている店なので、
「荒物屋さんでしょ?」と答えると、
「そう。それを知っている人は少ない。
若い人は雑貨屋さん、さらに若い人は
ホームセンターといいます」

問いかけコミュニケーションの威力を
再認識させられるガイドぶりであった。
けっしてガイドを頼んだわけではなく、
むしろ急いで写真を撮って、
帰りの新幹線に間に合う見込みだった。
が、この「行きづりガイド」から離れられなくなり、
2筋分の道を一緒に歩くことになった。

その土地の知識だけではなく、
各地の古い街並みについての知識、
倉敷を訪れる人の県民性など、
矢継ぎ早に話題が続く。
それはそれは、ただ者ではない見識なのだが、
適度に問いかけてくるので、会話が成立し、
けっして知識を押しつけられているとは感じない。

コミュニケーションの達人は、
どこにでもいるものである。
私の倉敷初体験は、
「問いかけコミュニケーションの街」と
いう印象を残しそうだ

# by rocky-road | 2008-08-08 08:06