バッグがよろしいようで……。

バッグがよろしいようで……。_b0141773_10333427.jpg女性の社会進出を象徴するものに
スカート姿よりパンツ姿が多くなったこと、
「オレ」「ヤベー」など、男コトバを使う人が増えたことなどがあるが、バッグが大きくなったというのも、その1つ。
もうポシェットなどという、財布くらいしか入らない小物は、
やる気のある女性の持ち物ではなくなった。

その昔、日本の兵隊は背嚢(はいのう)という、
一種のバックパックを背負って行軍した。
その中には寝袋にする毛布や食器などが入っていて、数十㎏。
つまり、バッグの大きさは、戦力と無関係ではない。
「玄関を出たら7人の敵があると思え」と格言にあるが、
バッグの大きさは、臨戦態勢を示すものかもしれない。

バッグがよろしいようで……。_b0141773_10344393.jpg女性が大きなバッグを持つようになったのは、
それだけ戦闘シーンが増えたということか。
ケイタイがいる、カメラがいる、ホチキスがいる、電子辞書がいる、催涙スプレーがいる、そしてもちろん、化粧道具がいる……。
「さあ、いつでもかかって来い!!!」ということか。

女性のバッグも、ブランドの話よりも、そろそろ機能論に入っていってもいいのではないか。
ダイビングの世界では、ダイビングバッグの詰め方論をずいぶん昔に何度もやった。
ダイビング用品にカメラ機材、そして旅グッズ……。
くつ下は3足はいらない、アロハは日本の海辺には
不適……などと論じた。

そこで、現代バッグ論をいくつか。
1.目的によってA4サイズのバッグが必要。
  たとえば講演会。資料やテキストはA4サイズが多いから。
  外出時に週刊誌や新聞を読む人はB5サイズはほしい。
  知性はバッグの大きさにも表われる。

2.大きなバッグには仕切やポケットが必要。
  中に小さなバッグを入れて仕切るのもよいが、
  それ自体があちこちに浮動するので具合はよくない。
  やっぱり仕切--それも、ゆとりのあるもの。
  いちど、バッグメーカーと話し合ってみたい。

3.風袋(ふうたい)はより軽く、材質は濡れやシワに強いこと。

バッグがよろしいようで……。_b0141773_10414980.jpg

4.生活の乱れは、バッグに現われる。
  いつのものとも知れない領収証だの映画の入場半券だの、
  ティッシュの残りビニールだの、楊枝だの、
  そんなのがたまっているとすれば、
  「あなた、お疲れじゃないの?」

5.人前(たとえば車中)でバッグの中をかき回さないこと。
  これって、おばさん、いや、おばあさんに多いみたい。

6.バッグの中身を移し替えるときは、命をかけるくらいに集中して。
  移したつもりのものがなかったときの悔しさ、自責の念!!!
  外出に際しては、前日にバッグの中身チェックを。

  まだまだあるが、いずれまた。
  

# by rocky-road | 2009-03-02 10:37  

キミは神風となって、国民の健康を守れ!!!

キミは神風となって、国民の健康を守れ!!!_b0141773_2341094.jpg

高校入学当時、さしあたって入りたい運動部がなかったので、
テニス部に入ったら、その直後の体育祭にテニス部員として出るようにいわれた。

これまでは野球一点張りだったので、
ラケットなどという軟弱な用具(当時はそう思っていた)を持ったことがなく、
握り方さえわからない。
しかもダブルスだという。ダブルスのルールなんて、「聞いてないよ」
いくら「ムリだ!!」と言っても、上級生は受け入れてくれないので、
しぶしぶ出場した。
キミは神風となって、国民の健康を守れ!!!_b0141773_2351661.jpg

結果は悲惨で、とても形にはならず、あっさり敗退した。
負けた悔しさよりも、30分ほどの特訓だけで
人前で競技をされられたことで、大きくプライドが傷ついた。
もちろん、即刻、テニス部は辞め、
以後、野球部、陸上競技部、美術部、写真部など、
自分の好きな部を作ったり再興したりした。

さて、いま、特定健診の流れで、検診結果がよくなかった人に対して
栄養士が、対面および文書で、食事相談をすることになった。
文章による食事相談で苦労している栄養士を見ると、
すぐに、わが人生の汚点、テニス部事件を思い出す。
キミは神風となって、国民の健康を守れ!!!_b0141773_2362532.jpg

食事相談のトレーニングもまともに受けていない栄養士に、
対面はともかく、文章で食事相談をさせるなんて、
テニスのルールも知らず、ラケットの握り方も知らない新人を
試合に投入するようなもので、これは、栄養士にとっても
クライアントにとっても、世界残酷物語以外のなにものでもない。

以前、ある会社で「食生活カウンセラー」を養成し、
企業の健保組合をクライアントとするビジネスにかかわったことがある。
このとき、クライアントに渡す質問項目を作るのに10年かかった。
だれでもマニュアル化を考えるが、すでにあるフレーズを
いくら巧みに組み合わせても、血の通った文章にはならない。
キミは神風となって、国民の健康を守れ!!!_b0141773_2365836.jpg

一時はやった、コピー機を使った手相診断も、
画一的な回答しかないことをクライアントに見破られて、すぐに衰退した。
そういう例を見ていたので、回答は手書きとし、
1件1件、しっかりトレーニングを受けた数十人の栄養士が、
自宅で深夜まで回答文を書いた。
しかしやはり、回答者の力不足で、あまり採算が合わなくなった。

いま、この失敗が繰り返されようとしている。
現在の方法はもっと荒っぽく、
カウンセリンク、文章力、手紙の作法などの、
基本となるスキルアップにあまり時間をかけているようには見えない。
これで食事相談が改善されると思っているとしたら、
こうした一連のプランナーは、よくよく人間学がわかっていない。

しかし、現在進行中の特定健診制度に異議を唱えるのはよそう。
神風特攻隊員に「君の死は、本当に生かされるのか」と問うのは、
残酷すぎる。わずかとはいえ、数回のサポートで
生活習慣を変えようと思うクライアントがゼロであるはずはなく、
やや無謀な突撃命令ではあるが、1ミリ前進を「よし」としよう。

が、サポートがうまくいかず、悩んでいる栄養士には言いたい。
うまくいかないのは、キミの努力不足のためではない。
キミはテニス部にきのう入った新人選手なのだ。

それに、人は、そう簡単には変われない。
「行動変容」は、一定の縛りの中(たとえば病院)にある人には可能でも、
野良犬のように自由自在に動き回る、
働き盛りの人たちにはなかなか通じない。
時間的に急かされ、焦れば焦るほど、獲物は逃げる。

結果を出せないことで悩むくらいなら、
「手紙の書き方」のような実用書を探して、
仕事のためというよりも、自分のコミュニケーション環境の向上のため、
と考えて、親しい人たちと手紙コミュニケーションを楽しんだほうが
結果として、自分の健康、世の中の人の健康に有効だろう。

# by rocky-road | 2009-02-19 23:07  

流行語大傷

流行語大傷_b0141773_02159.jpg

毎年行なわれている「流行語大賞」の選定と授賞は、
国民の言語感覚を磨くうえで、大きな貢献をしている。
同時に、流行の流行たるゆえん(一過性)を再認識させることでも
貢献するところが大きい。

が、現実には、流行語らしくない流行語というものもある。
NHKが大好きな「立件を視野に捜査を進めている」
「注目を集めている」「成り行き不透明」、
「警察官が駆けつける」なども、
やや長めの流行表現である。
観察していたら、すぐに民放にも伝染して、
最近は民放の取材記者たちも頻発するようになった。
流行語大傷_b0141773_0224680.jpg

マスメディアが自作の流行語を使う場合、
一見、正当な表現のように見えるから、
潜伏的に蔓延することが多い。
かつては、「言ってみれば」が大流行したし、
もっと遡ると、「突然の事故に近所の人は目をこすりこすり」というのがあった。
さらに遡れば、「紅蓮(ぐれん)の炎はあたり一体をなめ尽くし……」という、
火事の記事の定番があった。

記者は、短い時間に記事を書かなければならないから、
つい、だれかの使い古しに飛びつく。一種の思考停止状態である。
「立件を視野に」とまで言ったのなら「(視野に)入れて」を省くな。
「注目」はわざわざ集めなくたって、「注目されている」で充分。
「成り行き不透明」って、別に壁があるわけではなし、
未来を見通せなくて、それでもプロか。
未来は視覚で見るものではなく、知恵で見るものと、昔から相場が決まっている。
予測能力が及ばないときは、視覚(不透明)のせいにしないで、
素直に「予測しにくい」「予測不能」と言いなさい。
ちなみに、ひと昔前には「予断を許さない」がはやった。
流行語大傷_b0141773_0241033.jpg

それにしても、警察官が〝駆けつける〟姿とか、
夜中に近所で事件があったとき、
〝目をこすりこす〟家から出てくる人を見かける確率は、どの程度のものだろう。
少なくとも、記者は絶対に見てはいないはずである。
以前、北海道だったか、お巡りさんが太っていては容疑者をつかまえられないと、
ウエートコントロール命令が出た、との新聞記事を読んだが……。

健康支援の世界にも、ちゃんと流行語はあって、
このブログでも、それとなく話題にした。
それはつまり、
「食の欧米化」「生活習慣病の急増」「自給率が世界でもまれなほど低い」
「粗食のすすめ」「食の安心・安全」などである。
流行語のご他聞にもれず、これらの表現の真偽のほどは定かでない。

気になるのは、健康支援界の流行語は、
はやりの期間が長すぎるということ。
「食の欧米化」なんて、もう30年も流行している。
30年もはやっていて、流行語っていえるか。

それはたぶん、この世界の時間が
ゆったりと流れているからだろう。
それはネズミの時間ではなく、ゾウかクジラの時間なのかもしれない。
無風状態は、進歩が遅いアカシなのかもしれない。

# by rocky-road | 2009-02-14 00:24  

集合写真、最近撮りましたか。

集合写真、最近撮りましたか。_b0141773_1241663.jpg

上の写真は、1月のロッコム文章・編集塾、遠距離クラスの人たちの
ランチタイムのときのものである。撮影は影山 なお子さん。

「集合写真」の定義はむずかしいが、
ユーミンが歌うところの♪「卒業写真」♪、
つまり直立不動型がスタンダードであって、
以下のような定義が可能なのではないだろうか。
「3~4人以上の人が一定の場所に集まり、カメラに目線を向ける、
記念とすることを目的とした写真」
ちなみに、2人の場合は、近年、はやりの和製英語の「ツーショット」
(厳密には男女だが)、1人の場合はポートレート(肖像写真)と呼ぶ。
何人写っていても、撮られるほうがカメラ目線でないと集合写真とはいえない。
それはスナップ写真に近づく。
集合写真、最近撮りましたか。_b0141773_1251147.jpg

デジカメは、集合写真の撮影範囲を画期的に変え、
その表現技法に多様性をもたらした。
冒頭の写真でいえば、コンパクトカメラながら、
レストランのテーブルに着席している人たちを
ストロボを使うことなく、1画面に収めてしまうのである。

カメラには「被写界深度」(ひしゃかいしんど)という光学的な原理がある。
ピントの合う範囲は、狙った被写体の前後、数ミリから数十センチに限定されるが、
デジカメ(おもにコンパクト型)では、その範囲が、
フィルムカメラに比べて飛躍的に広くなる。
そのうえ、暗さにも強いので、ストロボはほとんど使わなくてもよく、
遠くの人にはストロボ光が届かない、というようなこともない。
集合写真、最近撮りましたか。_b0141773_126325.jpg

そのことがわかっていると、いろいろの集合写真が撮れる。
従来、集合写真というと、いわゆる「ダークダックス」風に、
(昔の男性コーラスグループ)
重なるように横並びして撮るものと決まっていたが、
いまは、被写体グループは、もっと自由にポジションやポーズを選ぶことができる。
そんな例をいくつかご紹介しておこう。

写真を撮らない人も、撮られ方は学習しておいたほうがよさそうだ。
そのポイントは、
①ダークダックスにこだわらない。座る、立つなど、前後にも並んで変化をつける。
②人の肩の間から顔を出すとか、前の人は中腰になるとかといった、
 前世紀のポーズはとらない。三々五々、好きなようにポーズする。
 人と人との間隔をあける。
③カメラマンも、卒業写真的配置のワンパターンにならないように注意する。
④かならず目をつぶる人がいるので、少なくとも3枚は撮る。
 それでも目をつぶる人はいる。何回か経験したら、
 その人には次の声かけをする。
 「◎○さん、目をつぶって!!」……「ハイ あけて」  (パチリ)
集合写真、最近撮りましたか。_b0141773_1272614.jpg

いつ、だれと、人生のある空間を共有したか、
その証拠写真に、もっと個性を出せないものか。

# by rocky-road | 2009-02-06 01:28  

安心・安全な健康情報とは

安心・安全な健康情報とは_b0141773_23304365.jpg
世界的な不況に関連して、
内外の著名な経済学者の見解をテレビで聞く機会が増えた。
それはうれしいが、「資本主義の弱点が露呈した」「経済にもルールが必要」
「派遣社員のシステムは問題」「経営者に倫理観が問われる」
「哲学が求められる」といったコメントを聞いていると、
「専門家にして、それかよ」と失望せざるを得ない。
ウソでもいいから、「私は20年前から警告していた」くらいのことをいってほしい。

紙幣の時代とは、価値がバーチャル化(虚構化)することであろう。
そのくらいのことは、素人にもわかる。
お金を、いまさらながら定義すれば「労働力の約束手形」ということだろう。
バーチャルなゲームがどのような展開になるか、
いちども実のある警告を発しなかった経済学者に、
経済を語る資格があるのか、と素人としては思う。
安心・安全な健康情報とは_b0141773_23312894.jpg

この一件でわかることは、学者というのは、過去を見る人であって、
未来を見ることが得意でない職種だ、ということである。
未来学者もまたしかり。
洞察力や人間の生理・心理の理解力に「かなり難あり」ということである。
未来は、人間の生理と心にある……のでしょ?

これを他山の石として、
食や健康を論ずる専門家は、
日本人の健康をどう維持、発展させるべきかを、まじめに考えたほうがいい。
「食の洋風化が進む結果、生活習慣病が急増し」
「食の安心安全が脅かされ」
「食糧自給率の低さをなんとかせねばならぬ」などと
流行フレーズを、脈絡もなく、毎度くり返しているうちに、
日本はますます世界の健康超先進国となり、
ますます憂えることがなくなってしまうだろう。
安心・安全な健康情報とは_b0141773_23321179.jpg

いまや日本は、健康管理において、世界のリーダーである。
リーダーには、リーダーの自覚と理念、そして風格が求められる。
悲観論や「オオカミがでたぁ」の脅しからは実りは生まれにくい。

などといっても、そうしたエセ オピニオンリーダーは、
思考力に欠けるから、自分の哲学を持つ可能性はゼロに近い。
そこで、健康支援者としての最良の選択は、
上記のような発言をするリーダーは、二流以下だから、
そういう人の論説を不用意に引用しないことである。
二流を除外し、安心・安全を期するには、
よく表示を見て、「日本人の食生活は欧米化している」
「生活習慣病が急増している」という字句があったら、
それは買い控えることである。

食の安心・安全を説く以上、
自分自身も、安心・安全な「健康・食行動理論」を購入しなければならないし、
自分自身も、危ない情報の発信者にならないように注意しなければならない。

ちなみに、現在の日本は、ご飯食をベースに、
ときにインド化し、ときに中国化し、ときに韓国化し、
ときにタイ化し、ときに洋風化している、
つまりはグローバル化している。
地産地消運動には敬意を表するが、
それでも、食のグローバル化は、
依然として、日本人の健康をますます助長している、
それが現実である。

# by rocky-road | 2009-01-31 23:32