
「動機」というもののおもしろさを実感した。
以前、講師を務めていたスクールの教え子から、
初めてメールをいただいた。
突然の近況として、
沖縄に行って、こんな写真を撮った、
と伝えてくれた。

なぜ、そういう話になったのか。
それは、20年以上前に、
彼女たちと沖縄の座間味島へ行ったことがあるから。
今回は家族と、その古座間味(ふるざまみ)ビーチで
スノーケリングをした由。
そのあと、沖縄本島を旅して、
今帰仁(なきじん)にある乗馬ツアーに参加して
海に入る馬に乗ったとのこと。
写真は息子さんとのツーショットであった。
ツアーのスタッフが撮ってくれたとか。

こちらとしては、
秋の海行きをどこにしようかと
決めかねている段階だった。
海に立つ馬の写真を見て、
これを半水面で撮ってみたいと思った。

「半水面」という写真が撮られるようになったのは、
一眼レフを水中ケース(ハウジングという)に入れて
撮ることが普及した1980年後半あたりだろうか。
さらに、超ワイドのレンズを使って、
水面上と水中を同時に撮れるシステム、
「半水面写真」の機材と技術が開発された。

年に10~15回のペースで
スノーケリング中心の旅をしていたころには、
まだこのシステムは未発達だったので、
これを採用したのは、その時期よりもたいぶあとのこと。
タイミングとしてはかなり出遅れた。
この分野の先達は少なくないが、
それでもまだ、新しい映像を発見する余地はある。




遅ればせながら、
半水面作品をフォトコンに応募してみると、
意外なほど短期間に受賞した。
いまもいろいろとアイでテアはある。
(写真は読売写真大賞 第一席「わんマンショー」
富士フイルム フォトコンテスト
ネイチャー部門優秀賞「フエダイ夏模様 )


テレビでは、海を泳ぐゾウ、カモメ、
沼地のカバなどをキャッチした映像を見たことがある。
日本では、ウマが海に入るのは、
壇ノ浦の源平の合戦の絵などでもおなじみだが、
なぜか撮りたい欲求を刺激された。
これがキリンならばなおさら絵になるが。

もう1つ、
久々の沖縄本島行きを考えた理由は、
やはり8月に沖縄を旅した塾生の1人から
「娘が魚に手をかまれた」という体験を
聞いたからである。

すぐに思いついたのは餌づけの可能性である。
本島周辺の海は、
すでに人間から、かなりインパクトを受けていて、
魚などは少なくなっているのだが、
そこで手をかまれるということは、
餌づけが日常的になっていることを物語っている。

直感したとおりで、
ガイドがソーセージを持って行って
与えていたという。
沖縄に限らず、餌づけは野生生物の生態を変えるので
エコツーリズムにおいては大禁止事項である。

そうではあるが、
海の自然が失われた地域では
餌づけも観光資源の1つにはなる。
人間が自然環境の中に入っていく現状では、
共存する方法の1つとして、
餌を介して共存する方法もある。
教条的に餌づけを禁ずるのではなく、
好ましい餌づけの方法を指導し、
管理していくほうが、
禁止を唱える裏で、
こっそり不適切な餌づけをするよりは現実的ではないか。
見落としてはならないのは、
田畑も、動物たちにすれば餌場(えさば)なのである。

ともあれ、
手をかまれるほど魚たちが近いということは、
被写体としての魅力もある。
海の中に立つ馬と、
至近距離の魚たち、
今年の沖縄のテーマはこれだと決めた。
動機が強すぎたのか、
写真の出来栄えは自己採点で60点前後。
「急いては事を仕損じる!!」
53年のキャリアが
そういうことを言っていていいのか。

しかし、旅としては快適だった。
スノーケリングの初歩さえ講習していない人が、
ジンベイザメと向き合っている様子は、
涙なくしては見られない。
ダイビングビジネスの発達のおかげである。
アマチュアには、
ここまでのサポートはできない。


ほとんどのツアーには年齢制限があり、
それが60歳までというのは気に入らないが、
キャリア50年という80歳のゲストは
そう多くないはずだから、
やむをえない。


であるならば、
好みのビーチを見つけ、
1人ででも「地の果てから始まる旅」を続けたい。
それはスノーケリングを始めたころのスタイルである。
「旅をだれかに管理されたくない」
その原則があったから、
あえてスノーケリング中心の旅を続けてきたのである。


多くの発見のある沖縄本島、
久々の旅であった。
なんだかんだいっても、
海は地球上で
もっとも自然と未知に出会えるエリアである。
なお、この旅行は、
2017年6月5日の
誕生日に
パルマローザのみなさんからの
プレゼントを充当したもの。
みなさまに深謝します。




▲ by rocky-road | 2017-10-20 21:29