
ロッコム文章・編集塾/能登教室が
この7月で10回目を迎えるという。
年4回のペースだから、
2年半が経過したことになる。
もっとも、その前から、
単発ではうかがっているので、
それらを計算に入れると
10年近くにはなる。

任意の栄養士会が、
活発に活動をしてるのを見ると、
地域や、わが国を代表する栄養士会に
積極的に参加している人と出会う機会が少ないのはなぜだろう、と、
しばしば思う。

地域の栄養士会や、
さらに大きな栄養士会の内部事情は知らないが、
学会誌を見る限り、
これでは人が集まらないだろうとは、
だれもが思うことだろう。
「だれも」の中には、
当然、関係者も含まれているはずだが、
しかるべき対策が練られないまま
年を重ねているのを見ていると、
ひよっとして、いまの行き方でよいと、
少なくとも関係者は思っているのかもしれない。

関係者といっても、
一定の任期で役員は変わるから、
新任者は、しっかり下積みを経験しないまま、
ほぼいやいや役員を引き受ける、
あるいは押しつけられるかして任につくから、
そう簡単には気合が入らないのはわかる。

そういう組織が定期発行する学会誌は、
編集経験者から見ると、
ほかの学会誌と横並びしたくて、
精いっぱい背伸びしているように見えて痛々しい。
テーマの多くに読者(会員)のニーズが感じられない。
こういう雑誌について、
出版界では「ページに風が吹いていない」という。

掲載されている論文の多くは建前論で、
読者の1人1人と語り合おうという姿勢が感じられない。
役員をはじめ、多くの筆者の論点整理がうまくいっていない。
文章がぎこちなく、下手くそ過ぎる。
編集部のチェックが入らない、
成り行き任せの編集である。
レイアウトがなっていない。
1行が23字というのも、
栄養士の一般的な読解力からすると長すぎる。
なかには1行が43字、なんているページがある。
ビジネスを伴う版元だったら、
こんな雑誌には読者がつかず、編集長は、即クビだろう。

「投稿規定」が載っているページがある。
これも、どこかの学会のまねなのだろうが、
A4ページの左右1行48字のベタ組みの7ページ。
こんなにハードルを高くしておいて、
何を期待しているのか。

それでいて、ある人が応募したところ、
受け取ったでも不採用でもなく、
返事がないままにボツ。
自分が編集長であったときを振り返ると、
想像不可能な横柄な態度。
何様のつもりか。
この十数年、
あるNPO法人が発行する機関誌の編集のお手伝いをしてきた。
ここでは4人のプロの編集経験者に外部委託をし、
発行済みの雑誌の評価と、
次の号の企画についてアドバイスを受けるために
定期的にミーティングを続けている。

このほか、いくつかの組合から
機関誌の新任編集スタッフ向けのレクチャーを
依頼されたこともある。
そこでは、新聞社や雑誌編集者を講師に
そのつど講義を受けているという。
アマチュアが、
プロの評価を受けることなく、
どこかの学会誌のまねをしようと思っても、
そうは問屋が卸さない。
まねをするにしても、それなりの素地がいる。
このケースでは、
目線は他誌のほうに向いていて、
自分の読者のことなど考えてはいられない。
読者不在の編集は、こうして踏襲される。

NHKテレビの「プロフェッショナル」ではないが、
「編集のプロとはなにか」と問われれば、
「読者の深層心理と向き合うこと」である。
・・・・・なんていう話を、
ビジネスの成功者が耳にしたら、
「ちゃんちゃらおかしい」というだろう。
消費者ニーズの的確な把握は、
ビジネスの基本中の基本。
それなくして仕事なんぞ、できるわけはない、と。

が、世の中には、
閉店への道を歩んでいるデパートがあり、
遠からず、買収されるスーパーマーケットがある。
ということは、ニーズを読めない、
言い換えれば、人の深層心理を読めない人間が
少なくない、ということである。
学会の役員や編集担当の救いのなさは、
自分がビジネスにかかわっている、という自覚がないことである。
「食コーチング」は力説する。
「栄養士はサービス業である」
「対人コミュニケーションを基本スキルとする接客業である」と。
本業はなんであれ、
学会の役員になったからには、
精いっぱい会員にサービスをしなければならない。

自分が平会員だったときに感じていたこと、
不満に思ったことを緩和すべく、行動すべきである。
もっとも、やる気のない人というのは、
人の話さえ聞きたがらない。
人から参考意見を聞こうという人は、
そのこと自体、才能と考えるべきである。
会員不在の学会誌、会員不在の学会。
こういう難題と直面したとき、
現在の担当者だけを責めてはいけない。
「♪こんな女にだれがした♬」という歌が終戦直後にはやった。
そう、そんな人間にした先輩がいるはずだ。
と、源流を訪ねていくと、
けっきょくは「伝統だから」「前例に沿って」となる。
これぞ日本文化の典型である。
現アメリカ大統領ではないが、
まずは「チェンジ」である。
前任者がどうあれ、
まずは、変えることを最初の仕事にすべきである。
どう変えるかはあとから考えればいい。
まず「変える」ことをコンセプトにする。

次に、しかるべきプロのアドバイスを受けるべきである。
1回、2回ではなく、
継続的にアドバイスを受け続けることである。
学会が企画する研修会なども、
Aという講師にaというテーマの講義を依頼し、
Bという講師にbというテーマの講義を依頼する。
これを何十年も続けている。
摂食障害に「ドクターショッピング」という困った傾向がある。
自分を甘やかしてくれるドクターを求めて、
次々とドクターを変えてゆく。
栄養士の会も、多分に「講師ショッピング」傾向がある。
1つのことをしっかり勉強しない。
次はA、次はBと、
テーマや講師はルーレットのように代えていく。
これでは1つのことさえ身につくはずがない。
A講師にaの講義、bの講義、cの講義を受けたほうが、
実効性がある。
ルーレット式は、
「セミナーコレクター」のような、いやなタイプをつくる。
「ああ、A先生の話、聞いてたことあるわ」
「B先生ね、聞いたことあるわ」
「あなた、C先生、知らないの?」

こういう懸案は、
どう解決していけばよいのか。
それは、小さなグループが、
エネルギッシュに、やりたいことをやっていけばよい。
それがいつかは、新しい潮流をつくっていく。
パナソニックもホンダも、
かつては小さな町工場だったという。
小回りが利くということは、うれしいことである。
いいや、本当のところは、
ディスカッションのシステムさえ維持できれば、
どんなに大きな組織でも、
小回りは利くものである。
▲ by rocky-road | 2016-04-20 00:11