
横浜でおなじみの「元町」商店街で買い物をした人が、
お客さんサービスのくじ引きを引いたら、
横浜港のクルージングのペアチケットが当たった。
ご自身は遠方のため、影山さんと私に
チケットをプレゼントしてくださった。

出航は6時、ざっと数えて100名が乗船していた。
小型客船の完全チャーターである。
商店街のサービスとしてはかなりビッグであり、
横浜のイメージを十二分に生かしたプランといえる。



湾内のクルーズとはいえ、それなりに揺れるので、
全員、食卓に着席。料理はビュッフェ。
とはいえ、席はかなり狭いので、
料理をとりにいったり座ったりするのは窮屈だった。
約2時間のクルーズ、大半の人は席に釘づけだった。
2月の湾内は、甲板に出て海を眺めるには寒すぎる。
というよりも、クルージングは、かならずしも海好きの人の楽しみではない。
洋上で食事をする、仲間と過ごす、
それだけで充分ということだろう。

『食文化の風景学』(小林 亨著 技報堂出版刊 2007年)
という本では、食と風景との関係を〝景観工学〟の視点で論じている。
水の近く、高いところ、花のあるところ、雨を見ながら……
というシチュエーションは、食事の楽しみを増大させる。
確かに、富士山頂、水深10メートルにある海底ハウスでの食事は、
ひと味もふた味も違っていた。

ダイビングや、海への旅では、ずいぶん船には乗った。
伊豆七島への旅は、片道7~10時間はかかる。
小笠原は12時間以上。
こういう船旅を「クルージング」とはいわない。
所要時間の長さをどう紛らわせるか、
そんなことに知恵を絞った。

伊豆七島の場合、行きは夜行なので、眠っていればよい。
が、週末の島行きは混んでいて、眠るスペースの争いになる。
ヒトは寝ることにこんなにも貪欲になるのかと、いつも憂鬱になった。
帰りは、甲板の居心地の良い場所を確保して、
レンタルのゴザを敷き、そこを陣地にして
トランプをしたり、人生を語り合ったりした。

最悪の船旅は、伊豆八丈島への往復だった。
台風が近づいていたが、東京の竹芝桟橋から出航。
翌朝、八丈島に着いたが、波が荒く、接岸ができない。
沖で数時間揺られたのち、結局東京へ舞い戻った。
そのまま家に帰るのも悔しいと、その足で伊豆への旅に切り替えた。
タフな時代であった。

こんな辛い船旅でも、得をする人はいるもので、
船内のレストランで働くウエイトレスが、
食器もテーブルも左右に吹っ飛んでゆく大揺れの中で、
にこやかに働く姿を見て、同行の仲間が恋心を寄せた。
後日、コンタクトして、2人はデートをするところまでいった。
(ハッピーエンドではないので、後日談は省く)

伊豆七島との往復を「クルージング」と呼んでいいのなら、
わがダイビング史は、同時にクルージング史でもある。
建設中のベイブリッジ(横浜)、レインボーブリッジ(東京、台場)を
下から撮った写真もどこかに残っているはずである。

今回の横浜湾内クルーズでは、
場所柄なのだろうが、中華街に住む人と同じ席になった。
初老のその男性によると、15年ほど前から、
中華街の客層が変わったという。
ある人が中華まんじゅうを売り始めたら、
多くの人がそれを立ち食いして、腹を満たすようになった。

ファストフードで腹を満たしてしまうので、
店に入ってしっかり食事をする人が少なくなった。
それは若者を増やすことにもなっている。
客単価の低落はいまに至っているという。

いかにもにぎわって見える、中華まんじゅう立ち食い風景には、
まったく別の意味があることを知った。
クルージングよって見えてきた横浜中華街の風景である。

▲ by rocky-road | 2013-02-28 00:10