
午後のニュースショー、なんとか屋という、
妙な屋号のついたテレビ番組を見ていて、
飲みかけのお茶を吹き出しそうになった。
この番組を仕切る男性キャスターが、
「いわゆる……」にブレーキがかからなくなって、
「いわゆる大統領」「いわゆる親書」などと
口走りだしたからである。
ヘルスコミュニケーション論的にいうと、
「いわゆる」の連発は、病理学の対象になる。
単なる口癖ではなく、
けっこう強い内的動機が、
かれを動かしていると思われる。

目をこするとか、あごをさするとかの癖は、
自他にさほどの悪影響を及ぼさないが、
「いわゆる」は、それを真似る者、いや
それに感染する者があり、
社会に少なからずの迷惑をかける。
「いわゆる病」の感染は圧倒的に男性に多い。
「いわゆる」とは、「世間でいわれている」
「俗にいう」の意味で、昔は「所謂」と書いた。
平安時代ころから使われている
古来の日本語表現である。

あるコトバが、完全に一般化していない段階、
または、流行語や造語のように、
自分は使いたくないが、
世間が使うのでそれに従って使う、
というニュアンスで使うのが一般である。
「いわゆる在日二世に当たります」
「いわゆるマニフェスト政党の特徴は……」などと。
したがって、「大統領」や「親書」にまで
「いわゆる」をつけ始めると、
使うコトバのすべてに
「いわゆる」をつけなければならなくなる。

そういえば、以前、NHKラジオの深夜放送で、
新米らしい気象予報官が、「いわゆる低気圧が……」
「いわゆる日本海に……」と口走っていた。
アガッてしまって、
自動制御が効かなくなったようだ。
くだんの屋号クンの場合は、
アガるほどウブではないかわりに、
むしろ本来のお調子者気質が前面に出てきて、
「エエカッコシー」が露骨になる。
一定の分別や教養があれば、
「いわゆる」の乱発がどれほど恥ずかしいことか
自覚があるものだが、
勢いだけでやってきた人間には、
それに気づくことを求めるのはムリだろう。

不思議なのは、番組関係者や家族が、
それを指摘しないらしいことである。
テレビ、ラジオとも、人気番組のキャスターや、
人気番組に常連出演するコメンテーターにも、
「いわゆる病」患者は少なくない。
これをチェックする(「いわゆる」をつけずに)
自浄作用は、
民放にはなさそうである。
つまり「校正マン」がいないのである。
怖いといえば怖い組織である。
では、なぜ「いわゆる病」が
病理学の対象になるのか。

1.強い虚勢癖は、ウソに近い誇張表現をしたり、
その場の雰囲気で思わぬことを
口走ったりして、
周囲や、自分自身を傷つけたりする。
2.もともと知的レベルや言語能力が
低いわけではないが、
公の場に出ると、必要以上に自分を大きく、
または知的レベルが高いかのように
見せたくなり、
コトバのハンドリングが効かなくなる。
その一面によって社会的信用度を損なわせる。

3.コトバ表現は、
比較的セルフコントロールがしやすい、
自分サイドの行動だが、
それさえも
コントロールできないということは、
ピンチに弱いということでもあり、
情緒的に不安定で、
今後の行動の不確実性が大きい。
ちなみに、この病気、30歳代くらいから発症し、
遅くとも50歳代くらいで自然に治癒する。
が、例外もある。
50歳を過ぎても持続するようであれば、
ホンモノのアホということになる。

そこまでいかなければ、
何回かのセッションで改善する。
まだ病気としての
コンセンサスが得られていないので、
病院では扱わない
(場合によっては精神科で扱ってくれるかも?)。
ところで、
「ヘルスコミュニケーション論」とはなにか。
すでに、そういう学会もあるらしいが、
私が提案するものは、
言語行動から、
その人の困った性癖を早期発見したり、
社会的言語現象の
好ましくない点を指摘したりして、
是正し、健康度をあげることを目指すものである。

たとえば、人と話していて、自分が発言するとき、
かならず「でも……」「っていうか……」
で始める現象、
歩きながら(階段の昇降時にも)
ケイタイ機器をいじる行動、
全党員が社会的発言をするとき
「しっかり」というコトバを
ほぼ100%使う政党の虚言性、
トレーニング不足で、できもしないくせに、
対象者の「行動変容」を迫る栄養士など、
それらの人や現象を見つけ、
改善する理論および技法――
それがヘルスコミュニケーション論である。

その病気性、
リスクの大きさに気づいている人は少ないから、
治療を望む人も治療機関もない。
当面は、わがロッコム文章・編集塾のメニューに
加えてもよいかもしれないと思っている。

▲ by rocky-road | 2012-08-29 13:20