
3月25日(日)、予定どおり、
「『給食だより』『広報メディア』を10倍楽しくする
編集 スキルアップセミナー」が終わった。
この企画は、各地で開かれた
「給食だより」「広報メディア」の編集スキルを学ぶセミナーに呼ばれ、
編集入門的なお話をさせていただいたことから生まれた。

当然のことだが、受講者の大半が、
編集のなんたるかのレクチャーを受けることなく、
それぞれのメディアの編集をしていて、
その負担の大きさを改めて実感したからである。
この状況を「見て見ぬ振りをする」のは、
不親切というより、生きることへの怠慢である
とさえ思ったからである。
慣れない仕事に振り回されている現実、
情報ともいえない情報をばらまいている現実から
目をそらすことは、社会的責任の放棄でもあろう。

「給食だより」についていえば、
給食の献立表をどう読みやすく組むか、
そういう基本的なことを習う機会は少ないか、
まったくないのが現状だろう。

そういう人が、不完全な表組みに加えて、
あれこれの情報を記事にして編集メディアにする……
それはいわば、車の運転をしたことがない人に
「高速道路を走ってみろ」といっているようなものである。

いまは、パソコンで簡単に表組みができるようになったが、
以前は「表組み5年」などといわれるほど、
編集者にとっても修練を要する技術なのである。
表と、その中にある数値や文字、表の罫との間隔、
いやそれ以前に、表に使う文字の書体や大きさにも
一定の約束事がある。
オートマチックが進むパソコンも、
そこまではソフト化してはくれない。

表以外の記事については、ますます準備性のなさが感じられる。
車の無免許運転が危険なように、
情報発信についても、準備のない人がそれをするのは、
同じくらいの危険が伴う。
不確かな情報、怪しい思想、人を傷つける情報は、
まさしく危険物なのである。
以前はそれを「情報公害」といった。

かつて共産圏のある国では、
新聞記者や編集者には国家資格が必要だった、と聞いた。
体制に批判的な情報を抑える目的があったにせよ、
情報には危険が伴う。
いや、昔のことてはなく、最近のロシアでは、
大統領に批判的な記事を書くジャーナリストが、
複数人、消された!!!
そこまで大そうなことではなくても、
基本を知らぬままに仕事を続けることの苦しさは
十二分にわかっているから、なんとかしてあげたいと思った。
それを影山なお子さんに話したところ、
シリーズ研修として企画していただいた。

従来、「編集」は職業的スキルだった。
しかし、いまはパソコンが普及し、
だれもが日常的に編集を行なうようになった。
ホームページ、ブログ、パワーポイント、各種掲示……。

ほんとうは、手書きの時代にも「編集」は必要だった。
掲示やポスターを書く人、回覧を書く人、案内を書く人、
社会活動のリーダーなどは、
手書きやガリ版やタイプ印刷で
編集メディアを作っていた。
回を重ねるにしたがって、
それでも自己流で、編集ワザを身につけていった。

が、いまは、編集をする人の数が違う。
社会と直結する編集メディアを、
トレーニングなしで作って、
いっきにばらまいてしまうのである。
手書きと違って、一見しただけでは、
プロの仕事かアマチュアの仕事か、区別がつかない。
そこが情報の受信者にとっても、
発信者にとってもこわいところ。
本人は、そこそこカッコがついていると思うから、
セルフコントロールがきかない。
無免許運転とそっくりではないか。
その危険は、社会にも、自分にも及ぶ。
自分に及ぶ例の1つは、
無知や不見識を全世界にアピールすることである。

今回のセミナーでは、受講者のうち、
「給食だより」の関係者の割合が思ったより少なかったのも、
自分の危うさに気がついていないためだろう。
これでは、「食育」や食・健康情報は、
数年、いや数十年は足踏みを続けるだろう。
それはそれとして、健康支援者や食関係者の中に
「編集」の必要性を感じる人が増えたことは喜ばしい。
それは、社会に向かって一歩を進めたことになるからである。
コーディネート力がリーダーシップの発露であるように、
編集力も、オピニオンリーダーとしての基礎的スキルの1つである。
社会的な仕事をしようと思ったら、
コーディネート力と編集力は、基礎体力としてつけておきたい。

昔、『暮らしの中の編集技術』という本を
書きかけたことがあるが、
これを完成させる時間ができたら、
『生き方としての編集力、コーディネート力』
というタイトルにするのがいいだろう。

演習に、インタビューの実際や、
自分の「売り」をキャッチフレーズ化する
文章力強化法を入れたが、
にこやかにインタビューをする表情、
真剣に原稿に向かう表情を見ていて、
改めて「編集力」は万人のスキルであることを実感した。

受講者の中には、健康支援者以外の人もおられた。
編集力をボランティアに生かしたいという。
私も、かつて東京都板橋区のボランティアとして、
編集技術や、会報の発行を手伝ったことがある。

さらにさらに、その方は、『栄養と料理』の
30年来の読者だという。うれしい出会いである。
昔、『栄養と料理』の編集部に問い合わせのハガキがきた。
「大橋編集長は、ダイビング雑誌のあの大橋さんですか」
ダイビング雑誌の編集を手伝っていた時代である。

あのときの感動を思い出す出会いであった。
編集は、やはり人生を豊かにするスキルである。
「編集には愛があること」と、
講義で述べたが、キザでいったのではなく、
こういうシーンを想定して、
責任のある編集をしよう、という提案をしたいのである

▲ by rocky-road | 2012-03-27 17:51