
長期にわたって掲載が続く看板企画である。
この欄に、50歳代後半の男性から「妻にやせてほしい」という相談が載った。
妻も同世代で、身長150㌢、体重60㌔以上、血圧が少し高く、薬を飲んでいる、とのこと。
20年以上、やせるように話し、健康器具も買ったりしたが、
最近は腹が立って「やせよう」と口にするのも嫌になった、とか。
おもしろい質問なので、わがロッコム文章・編集塾の塾生にも
「あなたならどう答えるか」という宿題を出した。
40人近い塾生が宿題としての回答をしてくれだが、
その多くが「栄養指導」や「ダイエットアドバイス」をしていた。

20年も「やせてほしい」と言い続けてきた夫に、
ウエートコントロールの方法を説いても意味がないどころか、
むしろ害がある。小うるさい夫は「援軍来たる」で、またまた妻に
「やせろコール」を繰り返す可能性がある。

回答のうち、多い失敗は、夫と妻とを同一視している点。
投書者である夫に、ウエートコントロールの理屈を伝えても、
それが妻に伝わるとは限らない。
それを伝えることで対立感情が生まれる可能性もある。
夫婦間の情報伝達は、伝言ゲームの1人目ように、
原文が比較的正確伝わるとは限らない。
省略されたり、歪曲されたり、つまり色がつく可能性がある。

新聞紙上の回答者(ライター)は、
「では、どうすれば妻に(ウエートコントロールの続行を)決断させられるのか。
身も蓋もないようですがそんな方法はありません、皆無です」と書いている。
しかし、回答の終わりで「シークレット・ダイエット計画」として、
登山や旅行に誘って、知らず知らずのうちにからだを動かすようにし向ける
ことを提案している。


私にいわせれば、これでもまだ楽天的で、
夫にそこまでして妻のウエートコントロールに協力する意志があるとは思えない。
夫は、妻の体重を非難することによって妻の上に君臨しようとしている、
そんな気配を感じるのである。
こういう微妙な話になると、栄養学や食事学で対処しきれない。
「栄養士は人間学を学ばなければならないかも」と言ったら、
「人間学はどこで学べるのか」とつっこまれた。

「人間学」をビジネスにしている機関も多いが、
私がイメージしているのは、人間とはなにかを、生物学や文化人類学、
哲学、社会学などから迫る思考ルートだから(学問というには広すぎる)、
いくつかの本を読んで「そのあたり」を把握するしかない。
インターネットでもいくつかのことが学べる。
しかし、ポイントはそこではない。
つまり栄養士の守備範囲は、こんなふうに広がっていくだろう、ということである。
ある学者が「人間栄養学」を提唱しているが、この場合の「人間」が、
なにを指すのか、いくつかの著述を読んでもわからない。
「イヌの栄養学」や「ネコの栄養学」と区別する程度の「人間……」であって、
「人間学」とはほど遠い。

夫婦とはなにか、親子とはなにか……などは、栄養士が扱うテーマではないが、
上記の人生案内に答えたり、食育論を展開したりしようと思ったら、
そのあたりにも目を向けないと、机上の空論ばかりを展開する
「メルヘンチック職業人」で終わってしまう。
スポーツ栄養や産業栄養学がうまくいかないのは、
軸足を栄養学に置きすぎて、コンパスが広がらないからである。
「現場を知れ!」とはよくいわれるが、そうではない、「人間を知れ!!」である。
おおざっぱに言えば、理系の栄養士が文系的思考法を身につけると、
「生涯現役」の実現性は飛躍的に高くなるように思う。

▲ by rocky-road | 2011-06-25 08:42