カテゴリ:大橋禄郎 文章教室( 9 )

 

あなたがいま燃えているものは?

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17412403.jpg

遠距離クラスの第48
回が終わった。

104日、横浜・技能文化会館)

ロッコム文章・編集塾は

毎月、数クラスを開講しているが、

遠距離の方、毎月参加がムリな方を対象に、

3か月に1回の割合で

1日研修の教室を開いている。

このクラスは、

20089月の開講して12年目になる。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17415167.jpg

今回の講義は

「思考と発想力をシステム化する。」

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17421916.jpg

ものを考える最良の場所として、

中国の欧陽脩(10071072年)は

「三上」をすすめたと伝えられる。

「馬の上」「枕の上」「トイレの中」(厠上/しじょう)

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17531833.jpg

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17443044.jpg
あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17420862.jpg
いわば「沈思黙考」にふさわしい場所である。

1000年前でも、

モノを考えるには

やはり人との「密」を避けて

静かに集中したほうがよい、

と考えていたところがおもしろい。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17441005.jpg

1000年後の現在、

思考法はさらに進化して、

「創造的集団思考法」

つまり「ブレーンストーミング」に至った。

アメリカ人、A・F・オズボーンの考案だという。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17450142.jpg
この方式は脳の中から

是が非でもアイディアをひねり出そうという、

超・積極的思考法である。

これに比べると「三上」方式はいかにものどか。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17454830.jpg

もっとも、日本人は、

「ブレスト」方式は苦手のようで、

自分でも雑誌の企画会議などで試みたが、

トントンと発言が出てこない。

仕方がないので、

レストランを借りて、

アルコール飲料も「あり」でやってみたが、

結果は同じである。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_18004464.jpg

欧米人のように

幼いときからディベートなどによって

討論する基礎トレーニングをしておかないと、

いきなりブレストをやっても、

アイディアがあふれ出すどころか、

シーンと静寂だけがあふれ出す。

なんとも息苦しい困惑の場面になる。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17451663.jpg

その点、食コーチングプログラムスが主催する

「食ジム」は、目的も方法も異なるものの、

「ブレスト」に近い形式になっている。

日本にブレストを定着させるには、

この「食ジム」形式を経験するとよい。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17563639.jpg

「頭がよい」とはどういうことか、

それは、定義によって意味が大きく変わるが、

少なくとも「思考力」や「発想力」は、

かならずしも頭の良し悪しには左右されない。

けっきょくのところ、システムとトレーニングである。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17583461.jpg

思考力や発想力は天性のものとか、

素質であるとかとはいえない。

そのことを認識するのが

今回の講義の目的であった。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17584539.jpg


この講義の過程で、

またまた新しい難題に気がついた。

思考力や発想力はシステム化によって

ある程度は強化できるが、

では、生きるエネルギー、生きがいを感じる情念、

社会参加を助長する情緒は、

システムによって強化できるのか。

知性と同じように、

感性もコトバで磨けるのか。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_18024694.jpg


新聞や雑誌を開くと、

「捨てることのすすめ」とか、

「がんばらなくていい」とか、

「終活」とか、

健康寿命の延伸を迷惑に思っているのではないか、

と思えるような提案が少なくない。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17504447.jpg
あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17513874.jpg

また、塾生に

「人は(私は)なぜ生きるのか」という

エッセイを書くように課題すると、

反省や是正点の記述が中心であったり、

モチベーションの低い青春時代を

振り返ったりする文章が少なからずある。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17510534.jpg

こういう状況を見ると、

現代は、生きるエネルギー、

つまり将来への展望や、野心や野望、

3日や1週間にも及ぶ感動や興奮が

ほとんどないことがわかる。

その結果、コロナ感染を恐れることを

最大のモチベーションにして

生きている人が少なくない。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17512013.jpg

もともと、すべての人が目標をもち、

生きがいを見い出すというのはムリな話で、

だからこそ、古来、

集落ごとに、地域ごとに、

国ごとに目標を設定して

それを共有することで、

自分の方向を考えることができた。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17525954.jpg

最高のモチベーションは「お国のため」だったが、

通信機器の発達のおかげで、

国の中で「内輪の話」ができなくなってしまった。

人の国の子や人をさらったまま

まったく返えそうもしない国を「とっちめよう」とか

わが国の領海を、物ほしそうにウロウロする

某国の船を「叩きのめしてやろう」とかと、

国のリーダーが口にできなくなった。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_18022044.jpg

「ほしかりません勝つまでは!」

「一億火の玉」

「米英鬼畜」

そういうスローガンによってまとまれることは、

一般大衆にとっては、生きる目標を設定しやすかった。

いやいや、いまだって、

go to travel!」や

go to eat!」などのスローガンで

多くの人が小さな生きがいを見い出している。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_18021436.jpg

しかし、人生の目標を

go to travel」にするわけにもいかない。

もっと内面から燃えるものがほしい。

情熱をかき立てるシステム、

情念を燃やすシステムとはなにか。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17400931.jpg

かつて、フランス文学者の桑原武夫氏が、

司馬遼太郎氏との対談で、

「感情の論理学」という概念があることを語っている。

フランスの心理学者が使ったコトバだとか。

さて、

わが《ロッコム文章・編集塾》で、

これをテーマにすることができるのか。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_18040707.jpg

「それって、文章の問題? 編集のテーマ?」

というなかれ。

文章も編集も、

感情やスキル、理念や思想を伝える道具である。

いやその前に、

論理的にモノを考える道具、そのものである。

目的のない橋や鉄道がないように、

伝えたい内容のない文章も編集もありえない。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_18043123.jpg

わがロッコム文章・編集塾は、

「がんばらなくていい」なんていわないし、

「捨てること」を急がない。

「終活」なんて無意味なことをせず、

まだまだ「習活」(学ぶ活動)を続ける。


あなたがいま燃えているものは?_b0141773_18044876.jpg
講義の途中や終了後、

みなさんが持ってきてくださった

新刊『栄養士のための ライフデザインブック』に関して

編者と監修者によるサイン会になった。

ありがとう。

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_18054727.jpg

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17541953.jpg

あなたがいま燃えているものは?_b0141773_17540373.jpg


by rocky-road | 2020-10-08 18:06 | 大橋禄郎 文章教室  

新聞をゆっくり読む時間ができた。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00210995.jpg
コロナウイルス肺炎の拡散の話は、

それぞれの専門分野に任せて、

こちらは、いつものように、

自分の生活習慣を守っていこう。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00161493.jpg

少しだけコロナに触れるとすれば、

「読売新聞」の328日の朝刊に

養老孟司氏(脳解剖学者)へのインタビュー記事が載っていた。

そこで氏は、「症状が軽いから広がるんですよ」

と指摘していた。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00223225.jpg

なるほど、そうに違いない。

感染した人がすぐに倒れてしまえば、

ウイルスは拡散されにくい。

宿主に感染したかどうかを知られないうちに、

新規の宿主を見つけて拡散してゆく。

宿主が亡くなってしまうと、

自分たちもそこで終わる。

それは彼らにとっても誤算である。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00241896.jpg

感染の怖さを考えていたら、

戦時中の、B29や艦載機(航空母艦から発進する戦闘機)による

空襲と比べることになった。

相手を選ばないという点では、

敵機もコロナウイルスも同じだが、

命を狙ってくるという点では、

空襲の恐怖はハンパではない。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00202162.jpg

夜中の空襲が終わって、

横穴の防空壕(崖などの掘った壕-ごう)から出て、

家に戻るやいなや、

第2波の攻撃が始まる。

なぜか、この2波のときに

足がガタガタと震える。

真冬の寒さと恐怖とが同時にくる。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00255238.jpg
のちに、昭和20年3月10日の空襲では

100万人が犠牲になったことを知るが、

空が真っ赤に染まるほどの、遠くの大火災を感じながら

死の恐怖が迫ってくるのは子ども心にもわかった。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00195694.jpg
コロナウイルスの怖さは、

これほどのものではないから、

油断してヒョコヒョコと出歩くことになる。

コロナウイルスが爆音でもたててくれれば、

みんなは家にこもっていられる。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00171355.jpg
空襲警報下ではないから、

灯火管制(電灯を消すか漏れないようにすること)がないので、

部屋でミラーボールを回そうが、

大音響で音楽を聴こうが、

ウイルスに狙われることはないし、

町内の警防団(自警団のようなもの)から

とがめられることもない。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00235052.jpg
「こわくない」というのは、

実はこわいものである。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00340153.jpg
さて、ようやく本題に。

以下は、

2020330日の「読売」朝刊に載った広告である。

日本人が国語の勉強を始めて150年くらいたつが、

文章の表記法がいまだに定まっていない現状を

見事に証明してくれているという点で

貴重な資料となる。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00244977.jpg
上の書籍の広告は、

読点「、」を打ちながら、句点「。」は打っていない。

句点は、単に誤読を防ぐ、文章の末尾を示すだけでなく、

人が使ったコトバというニュアンス(ぬくもり)を生み出す。

その効果を認知していない人は多い。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00391541.jpg

しかし、それをわかる人もふえつつある。

「バイトを守れ。」のマルは主張を強めている。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00395241.jpg

さらにわかってくると、

補助符号(テンやマル、「」!などの総称)

自由に使い分ける。

フジッコの広告制作者に💮(ハナマル)をあげたい。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00151905.jpg

感嘆符についていうと、

パソコンには「!」しか入っていないので、

以来、どれも「直立型」になる。

なぜ、直立型がよくないかというと、

1(イチ)や「I(アイ)の紛れるから。

!」斜体をかけると、オドロキ度が増す。

ちなみに、

この広告、感嘆符を打ちながら、句点は使っていない。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00154826.jpg
新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00163552.jpg
新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00162719.jpg

ジャパネットたかたも、

感嘆符は直立型。

それにしても!のオンパレード。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00364656.jpg

「自分に合う。が見つかる。」は

句点の使い方のミス。

「自分に合う」が見つかる。

とすればよいのに。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00333066.jpg

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00425675.jpg

新聞の見出しや雑誌のタイトルには

句点を使わない伝統がある。

これが新聞記事を冷たくしている理由の1つにはなる。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00305298.jpg

しかし、こんな例も出始めている。

新聞は、今後も部数を減らし続けるだろうが、

読者対策として、


出しにも句点「。」を入れたり
補助符号(! ?)を積極的に使ったりする日がくるだろう。

その前にコチコチの文章を和らげる段階があるだろうが。

その日は50年後か、100年後か、

いずれにしても遠い未来の話である。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00282192.jpg
最後に、珍しい手描き広告。

手描きをするとこんなにも補助符号がふえてくる。

見かけは別として、

ぬくもりとは、こういうことである。

手で描くと、自然に補助符号(? !〝〟などなど)

出てくる。

これを見ても、

パソコンが、

いかにわれわれの文章表現を

制約しているかがわかるだろう。

新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00444214.jpg
新聞をゆっくり読む時間ができた。_b0141773_00463918.jpg


by rocky-road | 2020-04-01 00:46 | 大橋禄郎 文章教室  

「エッセイ」は続く、どこまでも……。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00013193.jpg

わが「ロッコム文章・編集塾」では、

エッセイのトレーニングによって塾生を悩ませている。

有名人や著述家でもなければ、

エッセイなど書く機会は「一生ない」

と言いたいところだが、

現実は、そうではない。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00020928.jpg

そのことに改めて気づいたので、

しばらくはエッセイ攻めをすることにした。

フランスを発祥とする「エッセイ」の定義はむずかしいが、

ここでは日本国向きに、以下のようにしておこう。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00015208.jpg

「自由な話題(身近なものから深淵なものまで)

を選び、軽妙、ときにユーモラスなタッチで書き進める、

比較的短い形式の文章。

しかし内容は、深い知識や思考に裏打ちされていて、

たとえば、人間や人生、社会や宇宙内に起こる諸現象などに

触れることが求められる」

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00031521.jpg

かつては「哲学がある」などと言ったが、

いまは哲学そのものが正体不明の存在なので、

「深い知識や思考がある」と言ったほうがわかりやすい。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00030102.jpg

むずかしいのは、

「エッセイ」「随筆」と「雑文」との識別。

「エッセイ」と「随筆」とは

厳密に言えば別物だが、

日本ではほぼ同じものと考えてよい。

これに対して「雑文」は、

これと言ったテーマが感じられない、

どうでもいいような文章。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00041313.jpg

作家の林 望氏に言わせると、

「エッセイスト」と名乗る人の文章の多くは

「雑文」ということになる。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00044697.jpg

私として、雑文に加えたいのは

新聞の社説や匿名記者が書くコラムなど。

言いたいことがわかりにくかったり、

奥歯にモノが挟まったような言い方だったり、

決定的なのは筆者名がないこと。

「私」を隠した匿名の文章は、

雑文の典型である。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00093169.jpg
孤独や断捨離をすすめる文章も、

おおむね雑文であろう。

文章が軽妙であったとしても、

人を不健康に導いたり、寿命を縮めたりする

非道徳的な発想だから、

雑文であり、「公害的文章」でもある。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00053819.jpg

さて、

なぜ塾生にエッセイを書かせるのか。

それは思考力のある大人になってもらいたいからである。

戦争体験や災害体験を語る大半の大人(超高齢者も多い)

「戦争は絶対にいけない。若い人にそう言い続けたい」

2度とこんな悲劇をくり返してはいけない」

と、何十年間も言い続けている、

そういう「雑文的コメント」を繰り返す、

考えない大人には

なってもらいたくないからである。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00080647.jpg

「右を見て、左を見て! クルマは急に止まれない」

というリズムのある標語は、

覚えやすいが実効性は低い。

耳に快いと、むしろコトバの意味は忘れられる。

そこで都内の警察が

道をまたぐ横断幕に

「コラッ スピード出しちゃいかん!!」とやった。

オリジナリティが必要である。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00105419.jpg

自分の経験は、

自分の解釈、自分のコトバで語ってもらいたい。

1010様の内容を、1010様のコトバ語ってほしい。

空襲を防ぐ方法、災害から助かる方法にも

100100様があるはず。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00103690.jpg

ロッコム文章・編集塾

塾生にエッセイを書かせるのも、

自分の思考を育ててほしいからである。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00141571.jpg

「人はなぜ生きるのか」

「人はなぜ笑うのか」

そんなことを600字のエッセイによって

考えることは、

災害対策であり、戦争対策であり、

幸福への道のりである。

「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00094511.jpg
「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00150400.jpg
「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00152161.jpg
「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00153991.jpg
「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00155696.jpg
「エッセイ」は続く、どこまでも……。_b0141773_00163035.jpg


by rocky-road | 2020-03-13 00:06 | 大橋禄郎 文章教室  

話し合って、はいジャンプ!!

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01212495.jpg

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01222001.jpg
話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01215007.jpg
話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01230605.jpg
話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01235764.jpg
「≪コミ研 ひろしま≫ in
 福山 20197

と題するセミナーが終わった。

広島の栄養士の有志が始めた

コミュニケーション研究会も

この721日で5年目・第5クールの、

その4回目の講義が終わった。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01243944.jpg

今回は、福山城のすぐ下にある

福山福寿会館。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_17383462.jpg

こういう由緒のある会場で講義ができる

わが身の幸福を感じる。

当日、和室広間では、

「日韓トップ囲碁対局・鞆(とも)」なるものが
行なわれていた。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01394223.jpg

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01262668.jpg

私の講義は

複数の人との話し合いに強くなるには……」
である。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01271970.jpg

日本人の会議下手は、

たぶん世界でもワーストランキングに入るだろう

(アジアの国々は同じようなものだろうが)。

民族性だの歴史的なものだのと言って

逃げに入らないで、

ここはトレーニング不足と認識し、

いまから50年以上はかけるつもりで

改革してゆく必要がある。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01280984.jpg

会議に入る前の段階として、

3人以上での話し合いがきちんとできるか、

という問題提起をした。

私的な、自然発生的な話し合いが
ちゃんとできるか。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01292399.jpg

井戸端会議であれ、
ランチタイムのおしゃべりであれ、

今度行く旅行の相談であれ、

方向性のない、
ただの時間つぶしの話し合いではなく、

そのときどきで、

「見えないテーマ」
「見えないプログラム」を見つけて、

ゆる~く、
その話題を転がしてゆくことができるか。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01283483.jpg

司会や座長はいない、

しかし、3人が3人、

そこでの「見えないプロクラム」に従って、

それをふくらませてゆく。

タイトルやプログラムがなくても、

バラケルことなく、

話を進めていけるか。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01300049.jpg

近所のだれかが、

バナナの皮を踏んで転んだとか、

息子がスマホ依存症状態だとか、

参院選の投票率が50%を割ったとか、

そういう話の11つを着地させて

(芸人ふうに言えばオチを、

ある程度はつけて)

次へと進んでいけるのか。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01305831.jpg

日本人だって、

昔から「話、変わるけどさ……」と言って

テーマ変更を告知する会話術を持ってはいる。

が、全体としてはまとまりが悪い。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01302776.jpg

日常的に会話トレーニングをしていないから、

会議ともなると、ますます苦手意識が強くなる。

発言者がいつも決まってしまうのは、

発言者が悪いわけではなく、

発言をしない人が多過ぎるからだし、

そもそも議長や司会が未熟だから、

参加者の発言の整理や撹拌ができない。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01304384.jpg

杜氏が飯に酵母を混ぜるように、

話し合いも、話題をじょうずに撹拌しないと

それが全体に行きわたらなかったり

ダマになって固まってしまったりする。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01335732.jpg

今回、複数(3人以上)による話し合いの

たいせつさを説いたのは、

言語技術の向上のためという問題以上に、

話し合いは、
高度の思考のプロセスであるとともに、

創造のスキルであることを

認識していただきたいからである。

(3人寄れば文殊の知恵)

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01324047.jpg

今回、時間がなくて

お話しできなかったが、

以下の話を書いておこう。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01345261.jpg

もう5年前になるが、

NHKテレビで、

ディズニー映画『ベイマックス』の

制作裏話を放送した。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01352726.jpg

このとき、

映画製作のスタッフが

合議(セッション)をするシーンが

いくつか出てきたが、

3050人が集まっているのに
司会らしき人がおらず、

それでいながら、主人公の心理描写の仕方とか、

すでに出来上がっているシーンのチェックとか、

かなりデリケートな話を

みなが楽しそうに論じ合っていた。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01355257.jpg

これが、
会議慣れをしている人たちの話し合いなのかと、

強い印象を受けた。

こういう話し合いができるから、

人類で最初に
月に人を送ることができたのだろうし、

100年以上も世界のリーダーでいられるのだろうと思った。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01362492.jpg

以上が、

今回のセミナーに関する補足的な話である。

もう1つの話題は、

発表された宿題の回答を聞いていて、

みなさんの中には公的視点というものが

あまり定まっていないと感じられた、

ということである。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01363551.jpg

前回の3月に出題した宿題は、

「おしゃれの私的・公的意義について

できる限り簡潔を心がけて書いてください」

というもの。

これを全員に発表していただいた。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01371733.jpg

「おしゃれの公的意義」について、

こんな回答が多かった。

「仲間意識を持つことができる」

「おしゃれはマナーの一端である」

「ユニフォームを着ることで仕事モードに切り替える」

「社会参加意欲を維持する」などは、

まったく見当違いではないが、

個人が社会活動をするに当たっての意義の範囲であって、

社会側からの視点にはなっていない。

軸足が自分であり過ぎる。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01374794.jpg

「おしゃれの公的意義」という立場で書くならば、

こんなふうな表現になるだろう。

 

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01385978.jpg



1.警察官や医師、看護師、客室乗務員、配達業の場合では
  職種を明らかにするとともに、組織や同僚間の規律や秩序を保ったり、

  利用者からの信頼や親近感を得たりするのに有効。

2.職場では整った服装によって
  組織の品位を保ったり、
  作業服などによって作業効率を高めたり、

  セクションや仕事内容を
  把握しやすくしたりする。

3.冠婚葬祭の服装では、

  儀式の厳粛さや華やかさの効果を高める。

4.街やコミュニティの景観や環境を
  美化することによって

  人々の社会に対するケジメ感や愛着を強め、

  それらによって心身の健康度をあげる。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01404334.jpg

なお、今回は前日の20日に福山に入り、

城周辺を下見したりした。

福山城は終戦直前に空襲で被災したため、

再建されたという。

その分、城としては真新しく、

燦然と輝いて見えた。

大いに楽しい小旅行であった。

話し合って、はいジャンプ!!_b0141773_01413505.jpg


by rocky-road | 2019-07-23 01:41 | 大橋禄郎 文章教室  

なぜか気になる「いわゆる」

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23271180.jpg

このブログの「記事ランキング」では、

2012年8月に書いた
「『いわゆる病』にご用心。」

つねに上位にランキングされている。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23285007.jpg
電波メディアでは、

毎日のように「いわゆる連発症」

というべき事例を確認できるが、

自分が、これまでつき合ってきた人の中には、

この症状の人は皆無だから、

「いわゆる病」がなぜランクインするのか、

その理由を推測できない。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23275311.jpg

この話題に初めて接する人のために

少しおさらいをしておこう。

「いわゆる」とは、

「世間で言われている……」

「俗に言う」というのが本来の意味。

昔は「所謂」と書いた。

「いわゆる『働き方改革』のとばっちりで……」

「いわゆる『激レア』な人物なんです」

「いわゆる『自分らしく』っていう生き方ですよ」

などと使う。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23304827.jpg
ときに、

相手があまりなじんでいないかもしれないコトバに

「いわゆる」をつけて

注意力を促すこともある。

「いわゆる『学際的』に協力し合っていますよ」

「いわゆる『言語本能』を刺激する意味でもね」

このほかの使用例では、

「いわば」に近いニュアンスで、

「いわゆる『風前の灯』ですよ」

「いわゆる『自然消滅』かな?」

というケースも少なくない。

このコトバの禁則は、

あとに「という」をつけること。

「いわゆる『働き方改革』というヤツのとばっちりで」

「いわゆる『自分らしく』という生き方ですよ」

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23332462.jpg

「いわゆる」には、

すでに「言うところの」という意味があるから、

それに「という」をつけると、

二重に「言う」を使うことになる。

これほど野暮な使い方はない。

さらに困惑するのは、

「いわゆる」で話し始めながら、

しばらく言いよどんで

「いわゆる……なんていったらいいのか……」

これをやる人間は、

かなりのお調子者と考えてよい。

(バカ野郎!! 最初のコトバも決まらないうちに

『いわゆる』なんて、もったいぶった言い方をするな!!)

もう1つの、超禁則使用例は、

特別の意味がない一般名詞に「いわゆる」をつけて、

「いわゆるパソコン」「いわゆる満月」

「いわゆる幸福」「いわゆるコトバのクセ」

などとやること。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_00275421.jpg
上の写真は、「平成最後の満月 419日深夜」

これらの誤用は「うっかりミス」では済まない、

野暮、能天気、はったり屋などが丸出しとなる。

とはいえ、実際には

これらは、あらゆる局のラジオ、テレビ出演者が

毎日のように事例を見せてくれる。


この種の実例に触れたい人は、

TBS系テレビの「ひるおび」のキャスター・恵某、

ラジオならこの3月末に放送終了した

「荒川強啓 デイ・キャッチ!」にレギュラーで出ていた

国際ジャーナリストと称する小西某、

日本テレビ系なら「ミヤネ屋」のメインキャスター。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23343313.jpg

国際ジャーナリストの場合、

国際会議の同時通訳をすることを売りにしていたが、

ここまでセルフコントロールの効かない男が

正確な同時通訳なんかできるのか、

大いに怪しんだものである。

2人のテレビキャスターのほうは、

ともに「急性期」は過ぎて、

その頻度はだいぶ減ってきてはいる。

ところがつい最近、「ひるおび」で

ボード解説を担当していた若いアナウンサーが

シールをめくりながら、

突然「いわゆる」を頻発し始めた。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23351206.jpg
ここに、このコトバを使う言語心理が見事に現われている。

「クセ」(癖)には「やまいだれ」がつくが、

厳密に言うと、

「いわゆる」の頻発は、

「あのォ~」や「え~と」などのように

うっかり出てしまうクセとは違って、

もう少し自覚的、確信的である。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23361399.jpg
したがって、罹患者に対する同情はまったくご無用。

それどころか、その小心ぶり、

衒学性(げんがくせい=ひけらかし根性)、

品性の貧しさなどについて、大いに突っ込んでよい。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23364109.jpg
いつも原稿を読むくらいのアナウンサーが、

フリートークで話ができるようになると

(実際には、パネルに従って話しているだけなのだが)

急に自分が偉くなったように錯覚して

無意識的に自分の立場をひけらかし、

視聴者に対して上から目線で「いわゆる」とやる。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23371965.jpg

人のコトバの癖を論う(あげつらう)のは

あまりよい趣味ではないが、

上記の事例は個人的な「クセ」というよりも、

マスメディアという公器を使っての

国語の汚染だから

環境問題として認識する意味はある。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23365889.jpg
それでなくても、

「注目を集める」「真摯に受け止める」

「多岐にわたる」「だから戦争はいけない」

「先行きは不透明」「しっかり対処します」

「忖度する」

などなど、

マスメディアや政治家からは、

空虚で、手アカのついたコトバを

ずいぶん刷り込まれているはずである。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23381593.jpg

マスメディアには、

正しい情報を送ることと同等に、

正しい国語を使う責任と使命がある。

「コンプライアンス」とか「ガバナンス」とかは、

組織の弱点を指摘するときの

専用用語のようになっているが、

メディア自体、

こういうコトバづかいを平然と続けるのは、

まさしく組織のガバナンスに

問題があるからだろう。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23392051.jpg
なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23394319.jpg
おもにテレビ、ラジオが振りまく、

不適切国語に感染しないためには、

その大小にかかわらず、

指摘したり、警告したりすることが

今後も必要だろう。

なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23402139.jpg

そうか、

この「いわゆる」関連ページが、

もう少し「記事ランキング」の上位に

いてもらう意味はあるのかもしれない。


なぜか気になる「いわゆる」_b0141773_23415203.jpg


by rocky-road | 2019-04-25 23:42 | 大橋禄郎 文章教室  

メディア・リテラシーの磨き方。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22205019.jpg

大人のための文章教室「ロッコム文章・編集塾」は

2003年に開講し、今年で16年目になる。
当初は、岡山県や三重県、千葉県などから

通ってくれる人もいたが、

1回のペースで東京まで通うのはご苦労が多い、

と思われたので、

2008年に、

年に4回、1日かけて集中講義を行なう

「遠距離クラス」を、

おもに横浜で会場を見つけてもらって開講した。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22212003.jpg

講義内容は、毎月クラスと同じだが、

毎月クラスと遠距離クラスとの

両方を受講する人もいて、

そういう人によると、

メンバーが異なると、

強弱のポイントに差が出て、

雰囲気はだいぶ違うと言う。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22220124.jpg

遠距離クラスには

「近況報告」のコーナーを設けて、

各地の話題を提供していただいている。

このコーナーは毎月クラスにはない。

近況報告も

表現力強化の演習の一環として重要だから、

毎月クラスでも行ないたいが、

2時間授業の中では時間的にキツイ。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22221186.jpg

近況報告では、

職場の話、講演会に参加した感想、

ご自分が運営する料理教室の現状、

雪が凍ってアイスパーンになっている道を

何回か転んでやってきたなど、

鮮度の高いローカルな話には惹きつけられる。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22240016.jpg

当初は、1人で10分以上かけて報告をする人もいたが、

「あえて何分以内」と注文はつけず、

「これくらいの人数のときは、

1人がどれくらい話せばよいか、自分で判断して」

として、時間配分を各自に任せたら、

それぞれテーマを絞って

コンパクトにまとめられるようになった。

その前進ぶりは見事。

要領のよい報告スキルは、一生の財産になるだろう。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22232100.jpg

遠距離クラス、毎月クラスとも、

このところは、

以下の宿題に、みなさん苦労している。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22243409.jpg

 【出題】

 最近の新聞記事、テレビ・ラジオ番組の中から

 1つをとりあげ、(情報のまとめ方などについて)論じてください。

 10行で内容の概略、残りの20行で論評を

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22250556.jpg

この宿題の前段階として、

「メディア・リテラシーのセンスアップ」

という講義を行なった。

「リテラシー」については、

『ウィキペディア』で次のように定義している。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22261820.jpg

 (英: literacy)とは、原義では「読解記述力」を指し、

 転じて現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)

 適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」

 という意味に使われるようになり、

 日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。

 ちなみに、古典的には「書き言葉を正しく読んだり

 書いたりできる能力」と言う限定的に用いられる時代もあった。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22264598.jpg

そして「メディア・リテラシー」については、

大橋はこう定義した。

 「(おもに)テレビ、新聞、雑誌など、

 マスメディアによってもたらされる情報を正確に理解する能力。

 『正確』とは、個々の情報の理解力にとどまらず、

 情報提供者の意図、個々の情報の因果関係、

 その情報の影響、時代性などを含む。

 あえてデジタル情報は、ここでは除外する。(大橋)

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22323111.jpg

講義では、メディアを通じて伝えられる情報は、

無限にある「真実」のごく一部であり、

厳密に言えば、

「真実」は、

11人の認識以外のところにはない。

したがって、

メディアで「真実」を伝えることは最初から不可能。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22280170.jpg

かと思えば、意図的にある情報を

伝えないことをもって

情報発信者の意図を示す報道姿勢もある……

という話もした。

自分たちが好まない情報は、

ほかのメディアが報じても、

自分のところでは無視する、

などということは普通にある。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22324570.jpg

こういう講義に沿った宿題だから、

論評はメディアの情報提供の仕方について

問うものであった。

が、課題では、

前述の( )内の「情報のまとめ方などについて」

を入れておかなかったので、

メディアの情報提供についての論評ではなく、

中身そのもの(記事に登場する論者の意見や

施策の是非など)に入り込んでしまい、

情報提供のあり方について論ずるものは、

1割にも達しなかった。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22333660.jpg

最初のクラスの反応を見て、

あくまでも「情報の提供の仕方」

についての論評であることを補足したが、

2回目も惨敗だった。

出題内容がうまく伝わらなかった責任を感ずるが、

メディアのあり方について論ずるという

経験も情報もほとんどない、

というのが、

現在の日本の状況であることを

認めざるを得なかった。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22341430.jpg

つまりは、

テレビ、ラジオの視聴者、

新聞、雑誌の読者の大半は、

内容について楽しんだり、

うんざりしたりはするものの、

制作者または編集者の思想、センス、

姿勢などに視線を向ける習慣がなく、

寛容に受け入れる傾向がある。

われわれは、そういう風土の住人ということだ。

とは言え、

メディアのあり方を論ずる雑誌は少なからずあるし、

新聞でも、月々の雑誌の論調を紹介する記事はある。

しかし、

それを読むのは「専門家」と思われがちなのだろう。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22343475.jpg

メディアの利点・弱点を見抜く能力の強化は、

メディアにミスリードされないため、

または、

自己防衛のためというばかりではなく、

けっきょくは、

自分の立ち位置、

これから向かう道への選択眼を磨くことに有利。

メディア・リテラシーは、

つまるところ、

自分の人生の方向を読み解く能力にもなる。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22352025.jpg

現在、宿題の再提出待ちのタイミングだが、

あえて、

テレビ番組を論ずる一例として、

NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」

という番組について、

ゆる~く論評してみよう。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22372161.jpg

 【番組の概略】

 1995年から始まった、笑福亭鶴瓶主演の

 「ぶっつけ本番」番組。

 おもに芸能人がゲスト出演し、

 そのゲストが望む地域を訪ね、

 鶴瓶とゲストが最初は一緒に、

 途中から分かれて、

 それぞれが出会った家族と語り合う。


 【論評】(肯定的に論ずる例)

 芸人鶴瓶による、出会った人への話しかけ、問いかけ、

 インタビューは、プロのアナウンサーや記者でも

 かなわないほどの超一級。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22363625.jpg

 テレビでは、事前に準備しておいて、

 いかにも「ぶっつけ本番」に見せる細工が大半だが、

 この番組では、ときに収録を断られる場面、

 放送には不適切な発言、

 訪問を受けた人たちの狼狽、 

 ガラスなどに反射する取材風景などを

 あえて写すことなどから推測して、

 「やらせ度」は比較的低いと見る。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22380463.jpg

 とは言え、ゲスト出演の芸能人に

 インタビュー力を求めるのはムリで、

 2人が現地で別々の行動をとるとき、

 ゲストのほうの言動にじれったさを感じる。

 制作者は、それもたぶん読み込み済みで、

 鶴瓶の老練ぶりと、芸能人のドギマギぶりの対比で

 むしろ視聴者を引きつけるのかもしれない。 

などとするのかな?

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22383118.jpg
メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22385931.jpg

ともあれ、

大人の文章教室は、

句読点の打ち方や

敬語の正しい使い方などのところで

足踏みしているわけにはいかない。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22172306.jpg
「人は文章で考える」であり、

「編集は豊かな人生のプログラムづくり」である。

メディア・リテラシーの磨き方。_b0141773_22401069.jpg



by rocky-road | 2019-03-31 22:40 | 大橋禄郎 文章教室  

「健康」が見えてきた、かな?

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23033998.jpg
コミュニケーション研究会 ひろしま≫開催のセミナー、

.「食コーチング」提唱から16年。

  いま想うこと

  (講師 影山なお子さん)

  20193月9日() 終日

2.記号としてのモノ、衣服、スタイル

  --その意味と活用--

  (講師 大橋禄郎

  同年3月10() 終日

  (ともに広島県三原市 市民福祉会館)

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23041791.jpg
この2つのセミナーが終わった。
ここでは、2日目のセミナーについて

少し補足しておこう。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23052952.jpg
この世に存在するものすべてに記号性がある、

という講義をした。

地球に人間がいなくても、

動・植物はもちろん、鉱物も、

昔っから記号性を持って存在している。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23071746.jpg

それは大宇宙のデザインにほかならない。

植物は、色や形、香りや発光性などを

記号として使って動物を惹きつけ、

地球上に分布している。

チョー後発の人類は、

こうした豊かなデザインに囲まれれることによって、

知性や感性を発達させてきた。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23064853.jpg
モノがそこにある、ということは

「記号性を持つ」ということと同義である。

空気もアミノ酸も、

裸眼では見えないが、

それでも人間は「ある」ことに気づいて、

それを記号化し、共有物とした。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23084896.jpg
衣服は、記号そのものである。

人類の一部は、

いまもって裸体をさらして生活をしているが、

それでも、鼻や首、手首や足首にリングを巻いて

なにかをアピールしている。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23083236.jpg
衣服の第一目的は、

かならずしも身体を外界から守ることではなく、

時と場合によっては、

記号による情報発信こそがおもな目的となる、

ということか。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23092967.jpg
健康支援者が

なぜ記号について学ぶ必要があるのか。

それは、「健康」という、目には見えない、

いやもともと実体のないものを

扱うことで商売をする仕事人だからである。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23100305.jpg
健康も病気も、

元気も強気も弱気も、

指さすことができない現象である。

それらが見えるのは、

それぞれを記号化して、

つまりコトバに置き換えて認識するからである。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23110448.jpg

健康支援とは、

見えないものをコトバにしてゆく作業である。

生きがい、希望、健康、協調、寛容、友好……。

それらのコトバを多く持っている者、

適切に使うことができる者には、

好ましい健康支援を行なう可能性がある。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23114189.jpg

その一方で、

あえて言語記号にしないままに、

健康情報を発信して効果をあげる時と場合もある。

それが表情であり、微笑であり、

姿勢であり、歩き方であり、仕草であり、衣服である。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23104008.jpg

今回、強調したのは、

自分が発信する記号情報の発信先は、

他者とは限らず、自分自身でもある、ということ。

「自分とのコミュニケーション」は、

記号をたくさん作り出した人間ともなると、

その頻度はハンパない。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23131138.jpg

「あしたは5時に起きよう」

「あの渋い顔、この会議を低調にしているようだ」

「母に、あそこまで言うべきではなかったかも」

などなどの自問自答は、

自分とのコミュニケーションそのもの。

脳内にプログラムを生み出すこと(アウトプット)にほかならない。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23135133.jpg

無表情、地味過ぎる衣服で

人に健康の大切さを説く者は

自分とのコミュニケーションが不完全である。

「地味過ぎる」とは、

たとえば、灰色、茶、カーキ色、

あるいは迷彩色系などのアウターを着ること。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23142278.jpg

聞けば、「カーキ」とは、

ヒンディー語で「土ぼこり」のことだというではないか。

別名「枯草色」、

戦時経験者に言わせると「国防色」、

当時の定義では「帯青茶褐色」だとか。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23160927.jpg

ついでに言えば、日本語には

灰色、茶色、カーキ色などの固有の語はない。

赤や白、黒のように、独自の名称は持たず、

「灰」や「茶」(お茶)、「土ぼこり」などの名を借りた、

仮の名である。

これって、幸いなことかも。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23152246.jpg

いずれにしろ、

21世紀の先進国で、

こんな色を身につけることは、

ほこりっぽい、冴えないライフスタイルを

自分に刷り込むことにほかならない。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23171104.jpg

≪コミュニケーション研究会 ひろしま≫の

次回の講義は今年7月21日である。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23075603.jpg

このとき、

彼女たちの衣服記号がグレードアップしていなかったら、

今回の講義は失敗ということになるだろう。

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23190117.jpg

「健康」が見えてきた、かな?_b0141773_23193885.jpg


by rocky-road | 2019-03-22 23:19 | 大橋禄郎 文章教室  

夢も希望も、愛もある2019年。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_23554463.jpg

1223日(日)の遠距離クラス(横浜)と、

一部の毎月クラスで、

「抽象語で表現の幅を広げる。」

というテキストを使って講義をした。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_23565893.jpg

抽象語とは、「本能」「理性」「自我」「希望」「健康」などなど。

カタカナ語にも「アイデンティティ」「イニシアティブ」

「ガバナンス」「モットー」「リテラシー」などがある。

目には見えない、指で指し示すことができないコトバである。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_23564514.jpg

やまとコトバには、抽象語がきわめて少ない。

心、魂、あした、あさって、美しさ、夢などは一部。

もし日本人が、漢字と出会っていなかったら、

週末や来月、来年、未来、希望、理想、平和、愛などを

認識することはできなかった。

講義の目的は、

目では見えないものを見る能力を高めること、

目に見えるものを脳で認識すること、

日々のコミュニケーションに

幅と奥行きを増すこと、

話を簡潔にすることなどである。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_23580098.jpg

健康支援者に限らず、

カウンセリング的コミュニケーションには、

抽象名詞が多くなる。

いやいや、抽象名詞を使わなくても、

カウンセリングはできる。

「晩酌のビールが大びん1本では多すぎますよ」

「食後は甘いものや穀物、アルコールは避けたいですね」

ダメ出しは、抽象語を使わなくてもできる。

(「ダメ」は抽象語だけどね)

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_23560179.jpg

(上記のうち、どれが抽象名詞? どれが具象名詞?

ちなみに、動詞や形容詞、形容動詞、副詞などは、

もともと抽象的なコトバだから、

わざわざ「抽象動詞」とか「抽象形容詞」とかとは言わない。

「美しい人」「美しい話し方」「美しい引退」「美しい人生」)

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00031147.jpg

「週末に、ご予定などおありですか」

「ご自分で健康だなってお感じになるときは、

どんなときですか」

には、「週末」や「予定」「健康」などの抽象名詞が入ってくる。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00032224.jpg

人生や未来、生きがいを話題にするときには、

「満足」「幸福」「安堵」「方針」などの

抽象名詞が多くなる。

「健康」も「不健康」も「病気」も「未病」も

抽象名詞である。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00040574.jpg

「抽象名詞は多く使うほどよい」

などというものではないが、

愛や健康や人生を話題にするときに、

「冷静」「寛容」「信条」「協調」などの抽象語を使わないと、

話が深まらない、心に響かない、という傾向がある。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00042753.jpg

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00063354.jpg
講義の初めに

「抽象語について学んでいる健康支援者は

世界中でも、そうそういないはず」と言ったが、

けっしてハッタリや大言壮語ではない。

健康支援者が、

今後、「人々にどのように貢献するか」

を考えるとき、

抽象語について着眼するのは

当然の成り行き。

いわばデコボコ道を平らに整地したようなもの。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00052654.jpg

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00050415.jpg
ここから話を変えて、

毎年、財団法人・日本漢字能力検定協会が

「この1年を漢字1字で表現するとしたら」

という課題で全国募集を続けているが、

なんとも無責任なポピュリズム(大衆迎合)である。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00084976.jpg

2018年は「災」(2004年にも)だと言い、

2017年は「北」だと言う。

過去には「金」「輪」「安」「愛」「絆」など、

ハッピーなものもあるが、

「偽」「変」「暑」「震」「倒」「毒」など、

アンハッピーなものも多い。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00100223.jpg

ちぐはぐなのは、

これの発表を京都の清水寺の境内、

つまり宗教施設で行なうという点。

人心を鎮めるべき宗教者が、

「災」だ「北」だと大書するのを

ヤイノヤイノと報道する無神経ぶり。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00110852.jpg

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00083315.jpg
夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00122528.jpg
夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00091197.jpg
「この字を書くことは、

当寺としては辞退させていただきます」

くらいのことは言ってほしい。

それが祈りの心というものではないのか。

宗教者には人を幸せにする責務があるのではないか。

時事評論家になる意味はまったくない。

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00145377.jpg

夢も希望も、愛もある2019年。_b0141773_00143686.jpg


by rocky-road | 2018-12-31 00:15 | 大橋禄郎 文章教室  

心にも栄養を与えられる人に。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18045547.jpg

過日、大学の健康栄養学科の3年生に

「特別講義を」とのご依頼をいただいた。

50人。

受講態度がよく、気持ちよくお話しすることができた。

演題は「文章力で支える生きがいと健康」

「文章力」とはいえ、メインテーマは「健康」である。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18063106.jpg

全員に課せられる、

講義受講後の提出レポート、

その一部を

担当の先生から送っていただいた。

それらに目を通してみて、

学生たちの吸収力に感心した。

受講姿勢の印象どおりであった。

以下、一部を引いてみよう。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18050661.jpg

 「今回のお話を聞いて、

 最も印象に残っているのが

 肯定的指摘をして、

 相手のモチベーションを

 高めるということである。

 今までは、はっきり褒めることが多かったが、

 『今日のネクタイ、今日の青空みたいですね』

 『そのブラウス、うちの庭のヒマワリの色です』など、

 褒めなくても相手のモチベーションを

 高められることがわかった」

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18073601.jpg

別の学生は、

 「私は日頃から日記を書いたり、メモとして

 記したりすることが多くあります。

 そのため、今日の講演会がとても楽しみでした。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18081328.jpg

 夏に個人的に参加したインターンシップの

 『コミュニケーション講座』で

 講師の人に覚えてもらえるくらい、

 目を合わせてリアクションをとることが大切と

 学んだので、

 本講演でも意識的に実践してみたところ、

 大橋先生と何度も目が合い、『〇〇知っている?』と

 数回、自分へ向けての問いかけがありました。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18080179.jpg

 加えて大橋先生は

 『講演用のよいノートを作りなさい』

 とおっしゃっていました。

 この機会に、ノートを作り、

 資料はファイリングする習慣をつけようと思います。

 また、着ている服の色でも

 相手から見た印象が変わるため、

 その日の予定や行事の雰囲気を考えて服を選ぶこと。

 普段、なんとなくやっていることだが、

 とても重要であることがわかりました」

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18084095.jpg

こんなレポートもあった。

 「『栄養素士』という言葉を初めて聞き、

 意味を知ったとき、

 とても悔しい気持ちが走りました。

 たしかに、栄養のことや体の構造を

 主に学ぶ私たちは、

 『健康』を心理面や行動面の切り口から

 見ることを見失いがちなのかもしれません。

 栄養士として、食だけでなく、

 心にも栄養を与えられる人に

 なりたいという夢が出来ました」

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18110927.jpg

「心にも栄養を与えられる人に

 なりたい」には、

こちらがシビレル。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18111723.jpg

学生たちは、

しっかりポイントをつかんでいる。

現役栄養士に負けてはいない。

人生100年時代を念頭に

栄養学を見直せば、

新しいセンスをもった栄養士は

いくらでも育ってくるだろう。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18121157.jpg

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18170730.jpg

ところが、社会の第一線で働く栄養士たちは、

501日ごとし」の賞味期限切れ栄養学を

社会に拡散しているのが現状である。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18160630.jpg

新聞を見ていたら、

『食べれば食べるほど若くなる法』

なる本を平然として出している管理栄養士がいる。

このいやらしい書名は

版元の発想なのか、

(まさかとは思うが)本人の売り込みなのか、

いずれにせよ、絶望的な現状である。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18172584.jpg

栄養学以前に、日本語がうまく使えない。

「食べるほど若くなる」なんていうことは、

論理的にありえない。

一方、

要介護認定を受けた高齢者の家を訪問する

管理栄養士を紹介する記事では、

その担当者が、

13回の食事のうち、

2回はご飯などの主食と主菜、副菜の3品が

そろった食事をとるように、

と指導しているという。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18180196.jpg

さらに「1日の食事に肉、魚、卵などの

たんぱく質を含む食品5種類と、

野菜、イモ類、果物などのビタミンやミネラルが

とれる食品5種類の計10種類がそろっていることが

バランス良い食事の目安」と。

言うのは簡単だが、

これを通院できない要介護の高齢者、

または家族がどう認識するのか。

栄養素と食品の数と、料理の品数と、

頻度とが入り混じっていて

カテゴライズが完全に分裂。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18192549.jpg

これでは、健常者でも頭に入らない。

かつての「130食品を」を想起させる。

それでいて量の目安がまったくないので、

ゴールのないマラソンレースに

無理やり出場させられた選手状態。

栄養学は、それなりに進歩しているはずだが、

その恩恵を受けるべき人間が

対象から外されている。

「病気を診て人を見ない」の道を

たどっている。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18210034.jpg

この状態は、

災害で孤立した集落に、

ヘリコプターで物資を投げ落とすのに等しい。

そこにどんな人が、

何人くらい住んでいるか、

どんな物資を優先して提供するのか、

それらを確かめることなく

過剰な物資を放り投げている感じ。

寸断されている道路を修復して、

適量の物資を搬入する手段を

真っ先に考えるべきだが、

栄養学は、その知識を伝えるための

コミュニケーション力の強化について

ほとんど考えることなく

物資の調達ばかりを続けている。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18213030.jpg

5種類だ」「10種類だ」と、

認知能力が低下している人に、

健常者でも覚えきれない数値を示すのではなく、

朝食から夕食まで、

とるべき食材または料理の絵を

図表にして持っていって、

冷蔵庫にでも貼ってもらえば、

ずっと実践しやすくなる。

場合によっては、

1か月ごとのチェック表を配布することも可能。

かつて、私が担当した食生活雑誌では

毎年1月号に「365日 献立カレンダー」を

付録としてつけていた。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18224548.jpg

数種類の薬を

正確に飲むことができない高齢者に

13食のメニューを伝えるのは至難の業。

いよいよ栄養学も

流通サービス業に当たる

「健康コミュニケーション学」を

新設する必要が出てきたのではないか。

「ヘルスコミュニケーション学会」は

すでにあるが、

さて、どの程度の実績をあげているのか、

学会員に聞いてみたい。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18225481.jpg

栄養士の卵たちの

「栄養士として、食だけでなく、

心にも栄養を与えられる人に

なりたいという夢ができました」

との願望に、

栄養士教育は応えられていない。

まずは、教員たちの再教育に

すぐにでもかかるほかに道はない。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18365535.jpg
それに当たる「教員の教員」の養成には

どうすればよいか。

いつでも相談に乗る準備はある。

以上は理想論ではない。

できもしない空論を述べるのは大嫌い。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18251157.jpg

さあ、
「♪ あなたなら どうする?

泣くの 歩くの 死んじゃうの?♪ 

あなたなら あな~たな~ら……♪」

   (なかにし 礼  作詞)


by rocky-road | 2018-12-04 18:25 | 大橋禄郎 文章教室