新聞をゆっくり読む時間ができた。

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コロナウイルス肺炎の拡散の話は、

それぞれの専門分野に任せて、

こちらは、いつものように、

自分の生活習慣を守っていこう。

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少しだけコロナに触れるとすれば、

「読売新聞」の328日の朝刊に

養老孟司氏(脳解剖学者)へのインタビュー記事が載っていた。

そこで氏は、「症状が軽いから広がるんですよ」

と指摘していた。

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なるほど、そうに違いない。

感染した人がすぐに倒れてしまえば、

ウイルスは拡散されにくい。

宿主に感染したかどうかを知られないうちに、

新規の宿主を見つけて拡散してゆく。

宿主が亡くなってしまうと、

自分たちもそこで終わる。

それは彼らにとっても誤算である。

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感染の怖さを考えていたら、

戦時中の、B29や艦載機(航空母艦から発進する戦闘機)による

空襲と比べることになった。

相手を選ばないという点では、

敵機もコロナウイルスも同じだが、

命を狙ってくるという点では、

空襲の恐怖はハンパではない。

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夜中の空襲が終わって、

横穴の防空壕(崖などの掘った壕-ごう)から出て、

家に戻るやいなや、

第2波の攻撃が始まる。

なぜか、この2波のときに

足がガタガタと震える。

真冬の寒さと恐怖とが同時にくる。

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のちに、昭和20年3月10日の空襲では

100万人が犠牲になったことを知るが、

空が真っ赤に染まるほどの、遠くの大火災を感じながら

死の恐怖が迫ってくるのは子ども心にもわかった。

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コロナウイルスの怖さは、

これほどのものではないから、

油断してヒョコヒョコと出歩くことになる。

コロナウイルスが爆音でもたててくれれば、

みんなは家にこもっていられる。

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空襲警報下ではないから、

灯火管制(電灯を消すか漏れないようにすること)がないので、

部屋でミラーボールを回そうが、

大音響で音楽を聴こうが、

ウイルスに狙われることはないし、

町内の警防団(自警団のようなもの)から

とがめられることもない。

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「こわくない」というのは、

実はこわいものである。

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さて、ようやく本題に。

以下は、

2020330日の「読売」朝刊に載った広告である。

日本人が国語の勉強を始めて150年くらいたつが、

文章の表記法がいまだに定まっていない現状を

見事に証明してくれているという点で

貴重な資料となる。

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上の書籍の広告は、

読点「、」を打ちながら、句点「。」は打っていない。

句点は、単に誤読を防ぐ、文章の末尾を示すだけでなく、

人が使ったコトバというニュアンス(ぬくもり)を生み出す。

その効果を認知していない人は多い。

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しかし、それをわかる人もふえつつある。

「バイトを守れ。」のマルは主張を強めている。

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さらにわかってくると、

補助符号(テンやマル、「」!などの総称)

自由に使い分ける。

フジッコの広告制作者に💮(ハナマル)をあげたい。

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感嘆符についていうと、

パソコンには「!」しか入っていないので、

以来、どれも「直立型」になる。

なぜ、直立型がよくないかというと、

1(イチ)や「I(アイ)の紛れるから。

!」斜体をかけると、オドロキ度が増す。

ちなみに、

この広告、感嘆符を打ちながら、句点は使っていない。

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ジャパネットたかたも、

感嘆符は直立型。

それにしても!のオンパレード。

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「自分に合う。が見つかる。」は

句点の使い方のミス。

「自分に合う」が見つかる。

とすればよいのに。

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新聞の見出しや雑誌のタイトルには

句点を使わない伝統がある。

これが新聞記事を冷たくしている理由の1つにはなる。

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しかし、こんな例も出始めている。

新聞は、今後も部数を減らし続けるだろうが、

読者対策として、


出しにも句点「。」を入れたり
補助符号(! ?)を積極的に使ったりする日がくるだろう。

その前にコチコチの文章を和らげる段階があるだろうが。

その日は50年後か、100年後か、

いずれにしても遠い未来の話である。

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最後に、珍しい手描き広告。

手描きをするとこんなにも補助符号がふえてくる。

見かけは別として、

ぬくもりとは、こういうことである。

手で描くと、自然に補助符号(? !〝〟などなど)

出てくる。

これを見ても、

パソコンが、

いかにわれわれの文章表現を

制約しているかがわかるだろう。

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# by rocky-road | 2020-04-01 00:46 | 大橋禄郎 文章教室  

本業でも、副業でも輝く。

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86回の「食ジム」では

次のテーマで話し合った。

(2020年3月21日 かながわエルプラザ)

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ダブルワーク(副業)によってますます輝くには、

どんなアクションがあるか。」

司会/岩田博美さん

アドバイザー/影山なお子さん 大橋禄郎

プログラムは以下のとおり。

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1.こんな副業・ダブルワーク経験、事例紹介。

  (友人・知人の例も歓迎)

2.「副業」の範囲は広く、定義は定まっていない。

  私が考える副業とは……。

3.いま、やってみたい……こんな副業、こんなダブルワーク。

  (趣味、栄養士の他業界、資格取得、そのほか)

4.副業・ダブルワークにどんな意味があるのか。

5.副業・ダブルワークのルールブック。

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近代以降の日本では、

「内職」や「アルバイト」のイメージは、

貧しさや「苦学」を連想させ、

マイナーなニュアンスが強かった。

しかし、いまや労働人口激減の時代、

そのため、持てる気力と時間とを活用して、

公私にわたって長期的に生産活動に参加することは

肯定的に評価されつつある。

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さらに言えば、

いまやどの分野でも、

労働環境がよくなり、

1人の生産能力が飛躍的に高まった。

「テレワーク」などという働き方も可能になった。

おまけに、終身雇用の伝統がうすれ、

雇用者に対して過度の遠慮がいらなくなり、

副業も、いくらかオープンなものになってきた。

(とは言え、身の安全のためには、

同僚に自分の副業はクローズしておくほうがいい)

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個人の側から見れば、

栄養状態が天井知らず的によくなり、

寿命も長くなっているので、

むしろ副業は、

心身の活性化の好条件の1つ、

つまりは健康向上の促進要素になっている。

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そもそも、人間の歴史から見れば、

副業や兼業は有史以前から存在していた

と言ってもいいだろう。

一次産業(農水産業ほか)には、

繁忙期と閑期とがあり、

閑期には地域の共同作業や

イベント、そして、争いごとや戰(いくさ)にも

戦士として駆り出されたことだろう。

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それでも

兼業農業などの伝統は生きているし、

地主や家主、投資、貸し金業などは

今も昔も変わらず続いている。

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副業が憚(はばか)られたのは、

仕事を「修業」ととらえ、

住み込み従業員となった「丁稚奉公」の時代であり、

近代では、

中小企業や公務員などのように、

終身雇用が慣例になってからのことである。

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食ジムでは、「副業」の定義を試みた。

ここでポイントとなるのは、

本業と副業の区分け。

参加時間の長短で決めるのか、

収入の多少で決めるのか……である。

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が、これはポイントにはならないことが

すぐにわかる。

アパート経営と勤め人の兼業の場合、

どちらの収入がが多いかはケースバイケースだし、

参加時間も計り方でいかようにも変わるので、

本業と副業のランキングはそう簡単ではない。

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勤め人と、株の売買の兼業の場合では、

労働時間で計るといっても、

肉体的労働と知的労働との分別が、

これもなかなかスカッとはいかない。

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もっと言えば、

「副業」とは言いながら、

かならず収入を前提としているとは言えない例も多くある。

災害地でのボランティアを続けていた人が

テレビの出演依頼を受けたのがきっかけで、

ポランティアコーディネーターになったり、

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ダイビングが好きで、何百万という金を

海に流し続けている人が、

ダイビング雑誌の外部スタッフとなって

何十年も編集者として働いたりする人もいるから、

収入を前提としないボランティアや趣味の段階と言えども、

「副業」は始まっている、と言えそうである。

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誤解がないように言うが、

以上は、けっして、

余暇活動を収入源にするとよいと言っているのではない。

そうではなくて、

気合を入れて行なう余暇活動は

熱意において、心身を使う労作において

「本業」と変わるところはない。

仕事と余暇についても「主」と「副」の関係ではなく、

双方が人生において不可欠のもの、

つまりワンセットのものである。

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しかし、30年前くらいまでは、

「あなたは仕事派? 余暇派?」などという比較が

新聞記事になっていた。

それに疑問を持って、

「予暇」と書くことを提案し、

自由時間は仕事から「余った暇」と考えるのではなく、

「予定しておくべき暇(時間)(予暇)である、とした。

ここから「大橋予暇研究所」がスタートする。

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この立場から言えば、

仕事と「予暇」との関係においても、

「本業」と「副業」の分別は可能ではあるが、

「予暇研究者」の理念から言えば、

双方をメインとサブとに分けるべきではなく、

それに関わっているとき、

そのときどきが「本業」である、となる。

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それでは理念が強すぎて、

世間の相場とは開き過ぎるので、

とりあえずは拘束時間が長いほうを「本業」

ということにしておいて、

その他のもの(別の収入源や余暇活動)

「副業」としておけばいいだろう。

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昔、民放のテレビ番組に

『必殺仕事人』というのがあったが、

ここでは主人公が夜は悪人を「必殺」する

副業を持っていた。

この場合は、「副業」は絶対に闇の中で、

明かさないからこその「予暇活動」である。

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社会通念としては、

「趣味やボランティアは副業とは言わんでしょう」

なのだが、

自分の中では、

「本業」と「副業1」「副業2」「副業3」を

収入の有無、多少では区分しない、

というコンセプトを貫いたほうが、

結果として、

人生における収穫は多いことは確かである。

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# by rocky-road | 2020-03-25 22:04 | 「食ジム」  

「エッセイ」は続く、どこまでも……。

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わが「ロッコム文章・編集塾」では、

エッセイのトレーニングによって塾生を悩ませている。

有名人や著述家でもなければ、

エッセイなど書く機会は「一生ない」

と言いたいところだが、

現実は、そうではない。

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そのことに改めて気づいたので、

しばらくはエッセイ攻めをすることにした。

フランスを発祥とする「エッセイ」の定義はむずかしいが、

ここでは日本国向きに、以下のようにしておこう。

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「自由な話題(身近なものから深淵なものまで)

を選び、軽妙、ときにユーモラスなタッチで書き進める、

比較的短い形式の文章。

しかし内容は、深い知識や思考に裏打ちされていて、

たとえば、人間や人生、社会や宇宙内に起こる諸現象などに

触れることが求められる」

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かつては「哲学がある」などと言ったが、

いまは哲学そのものが正体不明の存在なので、

「深い知識や思考がある」と言ったほうがわかりやすい。

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むずかしいのは、

「エッセイ」「随筆」と「雑文」との識別。

「エッセイ」と「随筆」とは

厳密に言えば別物だが、

日本ではほぼ同じものと考えてよい。

これに対して「雑文」は、

これと言ったテーマが感じられない、

どうでもいいような文章。

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作家の林 望氏に言わせると、

「エッセイスト」と名乗る人の文章の多くは

「雑文」ということになる。

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私として、雑文に加えたいのは

新聞の社説や匿名記者が書くコラムなど。

言いたいことがわかりにくかったり、

奥歯にモノが挟まったような言い方だったり、

決定的なのは筆者名がないこと。

「私」を隠した匿名の文章は、

雑文の典型である。

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孤独や断捨離をすすめる文章も、

おおむね雑文であろう。

文章が軽妙であったとしても、

人を不健康に導いたり、寿命を縮めたりする

非道徳的な発想だから、

雑文であり、「公害的文章」でもある。

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さて、

なぜ塾生にエッセイを書かせるのか。

それは思考力のある大人になってもらいたいからである。

戦争体験や災害体験を語る大半の大人(超高齢者も多い)

「戦争は絶対にいけない。若い人にそう言い続けたい」

2度とこんな悲劇をくり返してはいけない」

と、何十年間も言い続けている、

そういう「雑文的コメント」を繰り返す、

考えない大人には

なってもらいたくないからである。

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「右を見て、左を見て! クルマは急に止まれない」

というリズムのある標語は、

覚えやすいが実効性は低い。

耳に快いと、むしろコトバの意味は忘れられる。

そこで都内の警察が

道をまたぐ横断幕に

「コラッ スピード出しちゃいかん!!」とやった。

オリジナリティが必要である。

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自分の経験は、

自分の解釈、自分のコトバで語ってもらいたい。

1010様の内容を、1010様のコトバ語ってほしい。

空襲を防ぐ方法、災害から助かる方法にも

100100様があるはず。

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ロッコム文章・編集塾

塾生にエッセイを書かせるのも、

自分の思考を育ててほしいからである。

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「人はなぜ生きるのか」

「人はなぜ笑うのか」

そんなことを600字のエッセイによって

考えることは、

災害対策であり、戦争対策であり、

幸福への道のりである。

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# by rocky-road | 2020-03-13 00:06 | 大橋禄郎 文章教室  

行動療法、「これまで」と「これから」

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パルマローザ主催の輪読会で、

今回は足達淑子編

『栄養指導のための 行動療法入門』

(医歯薬出版 臨床栄養別冊 199812月刊)

をテキストに選んだ。

2020224日 横浜市技能文化会館)

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「行動療法」というコトバを知ったのは

1970年代の終わりのころ、

月刊『栄養と料理』の編集にかかわることになってからである。

1980年の新年号から始めた「健康の最前線シリーズ」の2年目、

1981年新年号で「心身症としての肥満」という特集をした。

(編集長になってすぐから、肥満や心身症をしばしば記事にした)

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その中に、

野添新一先生(鹿児島大学医学部第一内科/当時)による

「肥満の行動療法の実際」という記事がある。

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それは、こんな書き出しである。

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 「行動療法とは、『不適応的な習慣を克服するために

 学習の原理、すなわち条件づけの原理と

 その関連諸現象の原理を適用していくことである』

 と定義されている。

 学問的にはパブロフの古典的条件づけと、

 スキナーによって詳細に研究された

 オペラント条件づけを二本の柱としている」

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その後、1987年には、

8回 日本肥満学会の抄録の中に

気になる研究発表を見つけた。

それが、当時は福岡市の保健所に勤務されていた

足達淑子先生である。

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さっそくコンタクトをとって、

「ダイエットをするなら自分の食行動を

記録することから始めよう。」

という原稿を書いていただいた。

(細かいことだが、タイトルには句点を入れてある)

以後、先生にはしばしば誌上にご登場いただくことになる。

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行動療法から、私が強い教示を受けたのは、

1.「行動」を広くとらえる点。

  呼吸をすることも、しないことも行動、

  夢を見ることも、1日寝転んで怠惰に過ごすことも行動。

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  かねがね動物行動学に関心があったので、

「行動」というコトバには期待と親近感があった。

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2.人間を動物の一種ととらえ(そうとは言ってはいないが)、

  刺激を与えることで(動機づけ)いろいろの反応が起こり、

  刺激の与え方で自分および他者の行動を

  望む方向へとあと押しできる点。

  脳の研究では、海に住むアメフラシは

  脳を持ってはいないが、

  いやな刺激(強い放水、電気刺激)を受けると

  その経験を記憶し、

  のちに回避する行動をとる、という研究が有名。 

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3.セルフモニタリングによって

  自分の行動を客観視する冷静さと手法を持っていること。

  注目行動を無心に記録し、

  その記述内容から行動傾向を把握したり、

  強化したりする、その沈着冷静さ(冷徹さ)。

   

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そのころ、ダイビング目的の海や島への旅では、

  自発的に(まだログブック記入の制度がない1960年代)、

  水温、深度、見た魚の種類や数、参加人員、

  経路、宿泊地の住所、食事のメニューなどを記録していた。

  こういう下敷きがあったので、

  手書きによる行動記録(セルフモニタリング)の

  意味がよくわかった。

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足達先生のご指導を受け、ときにお手伝いをして、

その後、行動療法の書物を企画したり

編集にかかわったりして今日に至る。

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そんなこんなの3040年、

そのかいあって……

行動療法は健康支援者の基本スキルになった、

と言いたいところだが、

そうはいかない。

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その理由は、

その考え方にしろスキルにしろ、

一朝一夕には身につかないほど、

人間としての総力が求めれること。

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人を変えるなんて「そうは問屋が卸さない」。

「行動変容だ」「認知だ」「介入だ」と、

百万回唱えても、

人間または動物についての基礎知識がないと

自分および人の行動は変えられない。

いや、「変える」のではなく

「変わる」のを待つ忍耐力と洞察力、

そして、自分の心身のゆとり。

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それほど難儀なスキルを人に教えるとなると、

ますます指導する適任者は少なくなる。

1000人に1人、いや1万人に1人かな?

そういってあきらめてしまえば、

「それを言っちゃぁ、おシマイよ」

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いま、若者に限らず、日本人の国語力が急落している。

自国語の勉強をせずに、

英語で会議なんかやっている場合ではない。

「……ていうか」「なんか……」「いわゆるコロナ」

「このぉ、マスク不足っていうか……」

なんて言っている場合か。

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同様に、動物や人間を知らずに、

「行動療法」なんて言っている場合か。

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「はい、バヤイ(場合)です!!!

みそ汁で顔を洗って、

おとといから出直しましょうよ。

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もう少し、人間学と行動科学関連の書物の輪読を

続ける必要がありそうだ。

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# by rocky-road | 2020-03-01 21:20 | 大橋禄郎  

「輝き度数」87点のあなたに。


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もう10年以上前になるか、

栄養士会のリーダーが、

「栄養士の専門性」の自覚や強化を

しきりに強調していたのを覚えている。

この場合の「専門性」とはなにか、

そこがはっきりせず、

ご本人に聞いてみたいと思っていたが、

伺うことなく今日に至っている。

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一般論で言えば、

国家試験なり資格認定基準なりによって

「資格あり」とされれば、

それをもって第一段階の「専門性」を

身につけたことになる。

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しかし、その後も「専門性」を磨けという。

このあたりから論点がボケてくる。

資格を得て、それぞれが職場に配置されたとき、

そこでの「専門性」とはなにを指すのか、

そこが論点になる。

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フードサービスの業界に入った人、

病院に入った人、

デパ地下で食品を売る人、

料理教室を開いた人などなと。

これらの人にとって「専門性」とはなにか。

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どんな資格、どんな専門性があろうとも、

それはそれとして、

まずはその職場で必要とされる知識やスキルを習得して、

それを「専門性」としてもらわなければ、

現場は困る。

現場での専門性をつけたからといって、

養成校で学んで得た資格や専門性は

上書きされて消去される、

というものではないのだから。

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なんだかポイントのはっきりしない

いくつかの「専門性」の必要を説く文章を読んだとき、

要は社会人になっても、

勉強を怠るな、ということなのか、

あるいは、

一種の原理主義的思想によって

後輩に喝を入れ、

そのことで自身の権威を高めようとしている

……そんなふうにも感じられた。

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現場で働く栄養士たちは、

さぞや当惑したことだろう。

権威主義が、

コトバの下にチラチラ見える。

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それはさておき、

85回「食ジム」では、

これとは真逆のテーマで話し合った。

「『栄養士以外の部分で輝く』とは、

どういうことか。」

座長/奥村花子さん

アドバイザー/影山なお子さん

       大橋

202029日 横浜市技能文化会館)

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内容は、

. ここまで生きてきて

  「……らしい」「……らしくない」

  と言われたのは、

  あんなとき、こんなとき――そのときの気持ちは?

  (子ども、女、あなた、学生、

  栄養士、日本人……など)

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2.「栄養士らしさ」

  (その他の職業を含む)で輝くスタイルや言動で  

  「見習いたいな」と思う人の、こんなところ。

 

3.「栄養士らしくない」

  (その他の職業を含む)スタイルや行動で

 「見習いたいな」と思う人の、こんなところ。

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4.栄養士(健康支援者)が、

  本業以外のところで輝くことに、

  どんな意味があるのか。

  そもそも「輝く」とはどういうことか。

5.栄養士(健康支援者)が、

  本業以外のところで輝くには、

  どんなアクションがあるか。

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昔の日本人は、「らしさ」にこだわった。

私自身、「日本男児らしく」「男らしく」

「日本国民らしく」を強く説かれてきた。

メソメソしてると「男らしくしなさい」と

親から叱りつけられた。

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栄養士の場合、

かつては「地味でおとなしい」とか

「白衣を着て、ソロバンを持っている人」(古いね)

とかと言われて、それが「らしさ」だった。

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現代に生きる、その日のみなさんの発言には、

しっかり者ゆえに、

失敗したりすると「〇〇さんらしくないね」と指摘されたり、

(いわゆる婚期を迎えているために)勉強のために

遠出をしようとすると、

親から「そんなことしている場合か」と突っ込まれたり。


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「栄養士」に関しては

おおむね、よい意味で「栄養士らしい」

と言われることが多くなってきたようである。

もう、「地味でおとなしい」は

過去の「らしさ」になりつつある(かな?)

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ときに、

保健師や看護師と一緒に働く栄養士で、

その人たちと互角か、むしろリードするくらいに

輝いている人がいるという。

その場合の「輝き」とは、

栄養士としてのものなのか、

もともとその人が持っている性格やタイプなのか。

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やはり後者の「タイプ」であるらしい。

今回の話し合いの目標の1つは、

そのあたりに着目する視力を

強化することにあった、とも言えそうだ。

社会は、いろいろの専門家の分業によって

維持されている。

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しかし、協調する場面では、

むしろ各自の専門性を押さえて、

共通の話題を見つけて転がしてゆく。

待合室、スポーツジム、スポーツ観戦、サウナ風呂……。

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こんな場面で、1時間話し合っても

「あの人の職業がわからない」なんてなったらカッコいい。

いや、職業の詮索などするヒマもないほど、

話を弾ませることができたら

その場にいる全員がカッコいい。

(「♪仕事、聞くほど野暮じゃない♪」)

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つまりは「専門性」と「多様性」とを
合わせ持つ社会人。

それが輝きのある社会人ということになるのか。

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栄養士にとっての「輝き」とは

「心身の健康がカタチとして表われ、

健康環境の強化、拡大に影響を与える状態」

とでもしておこうか。

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健康支援者としての栄養士の場合は、

フツ―の人とフツ―の場所で

フツ―に話し合いながら、

いや、コトバさえ交わすことがなくても、

それでいて、

相手の健康度をあげる、

という時代に入ってきている。

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今回の「食ジム」では、

栄養士の輝き度、正確には資質を自己評価する

基準をつくる必要がある、

ということも話題にあがった。

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他人の能力を査定する目的ではなく、

自分の「専門性」や「非専門性」を

自らが見極め、

さらなるスキルアップの動機づけをするために。

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そんな「輝き度スコア」を

「栄養士全般版」

「食事相談栄養士版」

「スポーツ栄養士版」

「給食施設栄養士版」

「高齢者施設栄養士版」

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などと作ってゆくのは

このうえなく楽しい作業となるだろう。


# by rocky-road | 2020-02-13 23:02 | 「食ジム」  

年賀状を何歳でやめますか。

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年末から数日前まで、
今後、年賀状を「失礼する」というハガキを
何通かいただいた。
いつもの年より多い気がする。

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その主な理由は体調不良のために
年賀状が続けられなくなった、というのである。
交流がなくなったので「つき合い終了」
というよりも、自己都合のニュアンス。

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いずれも60代か70代。
気力・体力をどこで使うかは個人の勝手だから、
励ましたり残念がるのは野暮。
ここは、コトバどおりに受け止めて、
「残りの人生を楽しく、愉快に!!
「よい友情をありがとう」などと
その人への最後の返事を出した。

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人との縁の切り方には、
大別して、フェイドアウト型と
宣言型、死別型があるが、
やはりケジメをつけたほうが
相手は落ちつくし、
本人の心の健康にもプラスになりそうだ。

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それにしても、
年賀状には「もうすぐ70歳」
70を過ぎて体力が低下し……」
などと年齢にひっかけたものが目立つ。
つまり、暦の年齢に
自分の老化を合わせようとしている。
これが日本文化なのだろう。

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季節で言えば小寒とか大寒とか、
年齢で言えば、還暦とか古希とか米寿とか。
いずれも中国由来の概念だろうが、
生活環境が大きく変わって
およそ現代日本の気候、
現代日本人のライフスタイルとは
かけ離れたものになっている。

天気予報では
「大寒」だの「立春」だの「啓蟄」(けいちつ)だのと
温暖化が進む現在の日本に
まったく合わなくなった話題を
どういうつもりか、しばしば繰り返す。

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気象は話題の宝庫で、
いくらでも「話題化」が可能なはずだが、
予報官らの話題力では
「きょうの話題」づくりはムリなのか。

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もっとも「立春」や「啓蟄」のたぐいは
「苦笑・失笑ネタ」の程度で
さしたるリスクはないが、
「還暦」「古希」「卒寿」「米寿」などとなると
少なからずの実害がある。

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いずれも長寿を祝う習わしだが、
千数百年前の中国人の寿命を元に
提案された長寿感覚を
21世紀の日本人に当てはめるムリは
少なからずの日本人が理解していることだろう。

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しかし、健康論として考えると
これは笑ってはいられない問題を含む。
つまりこの中国文化は、
われわれの寿命を縮める方向で
深層心理の中に刷り込まれてゆく。

60歳で赤ん坊の年に還る(還暦)
一巡ということか。
70歳は「稀()(まれ)な長寿である(古希)
だなんて、笑わしてくれるな、と言いたいが、
年賀状には「今年は還暦を迎える」
「私も、もう還暦の年」
などというフレーズがいくつもある。
「だから、なんなの?」

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それはつまり、
現代日本人の年齢を
ダンピングすることにほかならない。
100円のものを
60円や70円、80円で売っちまっていいんかい?

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映画にたとえれば
最後まで見ないで映画館から出てくるようなもの。
列車で言えば、
北海道旅行を目指している人が
福島か宮城で途中下車してしまうようなもの。

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「自分の人生の長短を自分で決めて
なぜ悪い?」と言うなら、
こう反論しよう。

「そりゃ、おヌシが悪い。
それは一種の食い逃げだよ!
キミがここまで人生を楽しんできたのは
いったい、だれのおかげ?
親や兄弟や親戚、その他、
いろいろの人のおかげだろう。
その借りをお返しをするには、
60歳くらいで還暦なんて言って
自分を甘やかしてはいけないよ」

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人生100(目標)時代。
もう1000年以上前の年齢尺度で
老若を計るのではなく、
もっと遠くまで計れるメジャーを
使う必要があるだろう。

新規にメジャーを作るか、
一種のリデノミネーションを図って
「還暦」を80歳に、
「古希」と「米寿」は捨てて、
90歳の「卒寿」や99歳の「白寿」、
100歳の「百寿」はそのままに。

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マラソンのレース中に
ゴールラインを遠くに持っていかれた感じだが、
人生とは変化に富んだ、そんなもの。
「楽しむ時間が増えた」と、
早いとこ切り替えることが大事。

言うのは簡単だが、
伝統文化は改変をしにくい。
いっそ、そういう祝いをやめて
毎年の誕生日を大事にする、
できれば自宅以外の場所、
公園やその他の屋外、
飲食店、理想的には旅行先で祝うなどと。

折しも、
尊敬する栄養士からハガキが届いて、
「いわゆる老人ホームに入った」との
お知らせをいただいた。
「お目にかかれたらうれしいけれど、
うまく脱出しないと……」との添え書きが。

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わが自家用機はいま修理中だし、
楽器を入れるボックスは持ち合わせないが、
国外逃亡でなければ、
どうっていうこともない。
「近くまで伺いますから、
脱出劇を演じましょう」と、
ご返事しておいた。

 

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# by rocky-road | 2020-01-26 22:33 | 年賀状何歳でやめる?  

栄養士は、どこまでイニシアティブをとれるか。

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恒例のパルマローザ・新春セミナーが終わった。

(2020112日(日)かながわ エルプラザ)

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タイトルは

「日本人の健康支援を、栄養士が

主導するためのアクションプラン。」

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内容は以下の項目。

1.栄養士が日本人の健康支援を主導したい、これだけの理由。

2.健康支援を主導するために基本となる準備性。

3.健康支援を主導するための社会的行動。

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日本は世界でトップクラスの長寿国だが、

「それはなぜか」と言えば、
1つには地政学的条件。
気候が温暖で、干ばつや冷害が少ない。

水害や地震によるダメージは小さくはないが、

長い歴史の中で見れば、その頻度は限定的で

平均寿命を左右するまでには至っていない。

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文化的、経済的、政治的には、

医療水準が世界的にも高く、

経済的には経済大国の地位を保っているし、

政治的にもきわめて安定。

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文化面では、

東アジアの米食文化圏にあって、

しかも、一汁三菜とか季節感とか、

「いただきます・ごちそうさま」の習慣とかの、

結果としては心身の健康を支える

多くのシステムを生み出している。

これらは道徳的、教育的なレベルを

反映したものであろう。

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俯瞰的に見ればそういう解釈になるが、

人為という点から見れば、

なによりも高い教育効果として

健康意識が高い国民であること、

各人各様に

自分の職場で最善を尽くす人の割合が高いこと、

などにによって、

全国民が直接、間接に

日本人の健康維持・向上に貢献している。

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つまり、

日本人の健康は、

「健康支援者」だけに支えられているわけではなく、

一次産業から三次産業まで、すべての職業、

そして、ここに住むすべての個々人によって

支えられているということになる。

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職業的に見た場合には、

社会の健康教育の面で、

栄養士は、このところ自分の専門分野を

あとからやってきた一部の医師に

少なからず荒らされている。

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「ゴボウ茶を飲むと20歳若返る」とか、

1日3食をやめなさい」とか、

「白米をやめなさい」とか、

栄養学の基礎ができていない医師に

好き勝手な珍説をバラまかれている。

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「荒らされている」と言ったが、

職業的な専門分野を奪われるということより、

フードファディズム(食のまやかし情報)

日本中にバラまかれている

という点が問題であり、

ドクターごときに、そこまで言わせておいて、

この分野のプロとして責任を感じないのか。

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少なくとも食や栄養に関する情報提供は、

栄養士がイニシアティブをとる必要がある、

というのが、今回のセミナーのコンセプトである。

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ただし、相手は医師だけではない。

というよりも、

元凶は医師ではなく、マスメディアである。

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医師がマユツバ情報を

メディアに売り込んでいるとは思いにくく、

むしろテレビや版元が企画をし、

そのプランを、

引っかかりやすいドクターに持ちかけている、

というのが実態であろう。

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栄養士は、書けない、しゃべれない、

一見、論理的に思えるデタラメを

振りまくだけの勇気がない、

などなどの理由があるにしても、

対岸の火事のように感じていては

職業的責任は果たせない。

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フードファディズムのバラまきを

放っておくことは、

箱の中に隠れた容疑者を、

missmiss国外逃亡させてしまったことによる

ダメージなど問題にならないくらい

国民的には損失が大きい。

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その対策をいくつかあげた。

なによりも本人が見た目も健康であること

思想、人生観、表情、姿勢、
歩き方、身だしなみなどの点で。

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さらには、

いつでもスピーチや講演に応じられるように

トレーニングをしておくこと、

そのためのテキスト作りの準備性を高めておくこと

(パワーポイントにおんぶに抱っこの講演はしない)

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あるいは、テレビ出演のときの心得、

同意できないコメントをするように

求められたときの対処法など、

いくつかのポイントを示した。

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要は、メディアを使って社会的発言ができるように

自分を思いきり鍛えておくこと。

医師にしても、

養成中に社会的発言法を学んでいたわけではない。

社会に出てから見つけるスキルである。

依頼があってからの対処ではなく、

日頃から準備性を高めておくこと、

そのポイントを示した。

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さて、受講してくださった人たちが

ピカッと光る食情報を

メディアで披露する日はいつか、

楽しみは10年後か、50年後か、

いやいや100年後か。

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13日は、有志の方々と

「ルノワールと パリに恋した

12人の画家たち」を横浜美術館で鑑賞した。

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ルノワールの作品以外の

当時(1800年代中期以降)の画家たちの作品を

少しずつ見られたことを喜ぶか、

ルノワールの作品が少なかったと悲しむか、

画家たちの作風(うまいヘタ?)の多様性を感じるか、

各作品に付してある解説文の

なんとも味けのない文章を分析するか、

作品よりも解説文にクギづけになる

入場者の、絵ではなく文章の鑑賞力に

感心するか、

美術館にもいろいろの楽しみ方がある。

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その前後の写真も掲げておこう。

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# by rocky-road | 2020-01-14 23:31 | パルマローザセミナー  

押しても引いても動かすセンス。

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2019年1222日(日)に行なわれた

食ジム」 第84回

『「あと押し型リーダー」のセンスとは。』

考えることの多いテーマであった。

(座長/影山なお子さん、アドバイザー/大橋。

横浜市技能文化会館)

改めてこの問題を考えて、まとめておこう。

押しても引いても動かすセンス。_b0141773_23081150.jpg

押しても引いても動かすセンス。_b0141773_23174217.jpg
プログラムは以下のとおり。

押しても引いても動かすセンス。_b0141773_23074645.jpg

1.これまでの人生で、私をあと押ししてくれた、

  あの人のあのコトバ、あのアクション。

2.「ひょっとして、あの人を

  あと押ししたことになるかもしれない」と思える、

  あのときの私のアクション(問いかけ、ほか)

3.健康・食事相談のときに「ひっぱり型リーダー」

  として役割を果たしたあのとき、あの場面。

4.「引っぱり型」と「あと押し型」の

  リーダーシップを発揮する、時と場合。

5.「あと押し型リーダーシップ」のセンスアップのためには、

  どんなトレーニングが必要か。

押しても引いても動かすセンス。_b0141773_23085132.jpg

辞書で「リーダーシップ」を検索すると

「①指導者としての地位または任務。指導者。

 ②指導者としての資質・能力・力量。統率力。」とある。

そして「リーダー」を「①指導者。先駆者。先達。首領」

としている。(広辞苑)

押しても引いても動かすセンス。_b0141773_23092350.jpg

どこの国のコトバでも、

リーダーは指導者であり、率先垂範者であり、

先駆者であり、先達である。

これらは要するに「引っぱり型」。

このコトバから、ベビーカーを押す人のカタチ、

「あと押し型」をイメージする人は少ない。

押しても引いても動かすセンス。_b0141773_23095492.jpg

リーダーと言えば、大統領であり首相であり、

将軍であり、議長であり、監督であり、

社長であり、部長であり、家長であり、

先生であり、親である……、

そのリーダーに従う人にとって……。

押しても引いても動かすセンス。_b0141773_23101869.jpg

食事・健康相談やカウンセリングの場合、

「このようにしなさい」

「そんなことをしてはダメです」

という指示や断定、禁止を極力控え、

まず相手の考え方や現状、そして背景を

確かめるというプロセスをたいせつにする。

押しても引いても動かすセンス。_b0141773_23110336.jpg

従来の「ダメ出し食事相談」の場合は、

率先垂範型(模範を示したり指示したり)であって、

未熟な担当者の中には、

いわば舞いあがって、

相談者に対して高飛車に出る者が少なくない。

押しても引いても動かすセンス。_b0141773_23112978.jpg

「こういう姿勢はよくない」

という注意が行き届いたせいか、

「引っぱり型リーダー」は、

敵役みたいに敬遠されがちになった。

しかし、「引っぱってはいけない」

とまで考えるのは誤解である。

そして、

引っぱり方にも無限のバリエーションがあることを

見落とすべきではない。

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たとえば、

こんな問題を考えてみよう。

 「次の3つの食品のうち、

 いちばん太りやすいのはどれでしょう?

 ①砂糖 ②カシュ―ナッツ ③バター」

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この設問をした栄養士は、

いま、ゆるやかに対象者を引っぱっている。

食品を3択から1つを選ばせる、

という設定は、

ほかならぬ栄養士のリーダーシップである。

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と同時に、相手の判断力を引き出すという点で

「あと押し」的でもある。

それは、ベビーカーを押している母親が、

「ケンちゃん、公園と桜川と、ワンちゃんのお店と

どこにいちばん行きたい?」

と尋ねるパターンと同じである。

相手の意志を尊重する、という点で

「引っぱり」的ではなく「あと押し」的である。

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さて、①砂糖 ②ピーナッツ ③バターに戻ると、

「③でしょう」と答えた相談者は、

栄養士から「ブー」と、外れの信号音を出される。

「えっ? じゃあ、やっぱ①か」

「ブー」

「えっ? えっ? まさか②ではないでしょ?」

「ブー」

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栄養士は言う。

「食品のエネルギーは、食べた分だけ高くなります。

食べる量がわからない状態では、

『どれが太りやすい』とは言えないでしょ?」

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「……てことは、全部間違い? 

そんなのズルい!! やだぁ~」

「いや、どれでもないって、いうことです」

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この状態は、

押しながら引っぱっている「超リーダーシップ」。

ここで相談者が興味を示せば、

1日にとりたい食品の種類と量を

4つに分けて説明することになる。

ダイエットは、そこからである。

その瞬間、栄養士はベビーカーの前に立って

引っぱることになる。

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つまり、リーダーシップとは、

いつも引っぱることではなく、

いつもあと押しすることでもない。

日本語では、

どうにもならない状況のことを

「押しても引いても動かない」と言うが、

リーダーシップとは、

押したり引いたりして、相手を動かすことである。

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「引っぱり型」と「あと押し型」は

東と西のように向き合う関係ではなく、

砂時計のように上下が逆転したり、

カクテルのようにAとBが

瞬時に、不規則に混ざり合ったりするものである。

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食事・健康相談やカウンセリング、

コーディネートにおけるリーダーシップとは、

砂時計とカクテル(シェーカー)を駆使する話力である。

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しかしそれは、

日常会話とはかけ離れたスキルではなく、

日々の生活の中にあって、

周囲の人をよりハッピーにしてゆくスキル、

いや、ハッピーを願う理念であろう。 

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# by rocky-road | 2019-12-28 23:21 | 「食ジム」  

忘年会を満喫する健康とは……。

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NHKラジオの夕方の番組で、

「忘年会シーズンに太らない対策」を

栄養士を招いて、

2人の男性(1人はアナウンサー)が

尋ねていた。

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若い栄養士、いわく。

「ビールはたくさん飲んでしまうので、

アルコール度の高い、蒸留酒を

ちびちび飲むとよい。

お料理は、大皿に盛ってあるものでも

じかに食べないで、小皿に自分のものを取り分けて

ゆっくり召しあがるのがよい」

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かつて(30年以上前)、

自分が編集する雑誌でも、

忘年会やお正月の食べ過ぎ・体重増加対策を

記事にしたことがあるから、

あまり偉そうなことはいえないが、

いまだにこの手の話が、

公共放送の企画になる現実を知った。

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「人生100年時代」などといわれるようになった今日、

こういう企画は

火だねのうちに完全に消火させる必要がある。

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まず、「忘年会対策」や

「正月対策」なんていう発想を抑止する。

年に一度の楽しいシーズンに

体重増加のことを考えているようでは、

愉快な「人生100年」なんて送れない。

泥酔癖のある人や、

自宅が遠方な人、

医師に食事に関する注意を受けている人などを除けば、

同僚や仲間たちとの宴席は、

思いっきり楽しめばいいではないか。

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こういう「うしろ向き企画」を

持ちかけられた栄養士は、

2度や3度の食事会くらい

大いに楽しめばいいじゃないですか。

肥満と忘年会とはなんの関係もありません。

大事なのは、1週間単位、1か月単位、

1年・3年単位の食生活のほうじゃぁ

ありませんか

と対応してみてはどうだろう。

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その瞬間、この企画は流れる可能性が高く、

したがって、自分のラジオ出演もお流れになるかも。

それを避けたいので、

栄養士は迎合して(?)、

「お料理は小皿に取り分けて……」などと

宴席がシラケること明らかな、

非現実的な提案をする。

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食生活ってそんなに窮屈なものなのかね?

仲間との心からの交流を押さえてまでも

自分のウエートコントロールを優先させる。

そんなセコイ「人生100年」を

栄養士はすすめるわけ?

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いま、令和2年1月12日に開催予定の

パルマローザ新春セミナー

「日本人の健康支援を

栄養士が主導するためのアクションプラン」

(大橋担当)のテキストを作成中だが、

現在の、医師が主導する健康論を

栄養士が取り戻すには、

上記のような迎合的で弱腰の姿勢では、

日本人の食のセンスは、とても向上しない。

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単にハッパをかけるだけでは
状況は改善されないだろう。
まずは「人生100年」の意味について理解を深めること、
そして、現実的で骨太の食生活論を持つこと
(栄養素論ではない!!)、
次には、その情報を遠くへ飛ばすこと、
つまりは情報発信力をつけること。

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最近、各地でイベントを主催する人が
「発信していきたい」をよく口にするが、
祭をやったり、魚や野菜の市を開いたりするだけでは
情報を発信したことにはならない。
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どんなイベントも、
コトバで補足したり、解説をしないと
発信力も、持続力も弱い。
つまり人の共感を呼ばず、
そしてすぐに忘れられる。

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セミナーでは、
「情報化」のスキル、
情報を遠くに飛ばすスキルについて
いくつかの提案をしてみたい。

それはそれとして、
クリスマス、忘年会、新年会……の
シーズン、
「チマチマ食生活」から脱皮する
チャンスである。

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# by rocky-road | 2019-12-20 18:24 | 忘年会と栄養士  

「話力」は、あしたを生み出す。

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「食ジム」第83回のテーマは、

「男性の健康意識を高めるには、

どんな『話力』が必要か。」

であった。

20191124日(日)、

横浜市技能文化会館)

座長、三上 聡美さん

アドバイザー 影山 なお子さん、大橋。

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プログラムは、

1.男性(親、兄弟、夫、友人、同僚、クライアントほか)を

  喜ばせた(怒らせた)あの一言――あるある「話力体験」

2.家族や、その他の男性の健康観や食習慣などについて

  「男って、ここが違うな」と思ったこと、思うこと。

3.食生活や健康習慣に関して、「この人、私の手には負えない」

  と思った事例(私生活、仕事の場などで)。

4.男性の健康意識、食習慣を改善・向上させた私の経験、

  私の流儀。

5.男性の健康意識や食習慣を向上させるための話力強化法、

  その傾向と対策。

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このテーマを選んだのは、

男性の健康意識が女性に比べて低いこと、

食事の選び方に不得手な人が多いこと、

食事相談を受けるとき、開き直ったり、

専門家のアドバイスを聞かなかったり、

言い訳や反論が多かったり、

決めたことを実行しなかったりする傾向があること、

そして、

そもそも男性は、女性より平均寿命が短いこと、

などなどの事情によるものである。

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実際、みなさんの体験を聞いていると、

お酒を飲んだあとラーメンを食べる、

食事を抜いても気にしない、

ことさら脂ものを選ぶ、

などというケースもあるが、

その一方で、

「いつ死んでもいい」とよく言う父が、

毎日、卵を1個、きちんと食べている、

などという涙ぐましい現実もある。

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つまり、家族や食事相談、病院の現場で

じかに男性と接している人たちの報告によると、

かつて私が体験してきたような

暴飲暴食型や、

人に酒を強要するようなタイプの男性は

激減しているということか。

平成から令和に至る過程で

食習慣や運動習慣から見る限り、

男性の健康意識はかなり高まっている、

と、見てよさそうである。

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下には下があるから、

みなさんが接している男性は、

平均的レベルよりは高い人であるのかもしれない。

そういう傾向はあるにしても、

全体としては、

さすがは世界の長寿国に住むニッポン男子である。

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ところが、

以下のような人も少なくないと言う。

それは食事相談において、

ほとんど意志を表明しないだけでなく、

生活習慣などについても、

疑問や迷い、不安などを示さないタイプ。

「まあまあ、です」

「別に問題はありません」

「そうですね」「はい、そうします」

などと、まったく逆らわない。

「暖簾(のれん)に腕押しタイプ」とでも言うのか。

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かつては

「飲みたい酒も飲めないくらいなら、

好きなだけ飲んだり食ったりして、

死んだほうがマシ」なんていうタイプが

少なくなかった。

が、現場の栄養士さんは

「死にたい」という人には、

まだ「取りつく島がある」とのこと。

暖簾に腕押しタイプには、

かつては、腕利き(?)栄養士さんが

「はっきりご自分のお考えをおっしゃってください」

「そこんとこ、どうなんですか、わかっています?」

なんて、上から目線で迫ったりもした。

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いまは「ほめる」時代だから、

叱ったり諭(さと)したりすることは

少なくなった。

「私の言うこと聞かないと、

1年後にはあの世ですよ」

「いまは医療が発達しているから、

ベッドの上で5年でも10年でも

過ごすことになるんですよ!!」

などと言う医療関係者は、

皆無になったか激減したかであろう。

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しかし、

諭したり注意したり、

叱ったりすることも、ときには必要か。

と言って、

孫の年代が、

おじいちゃん、おばあちゃん年代のクライアントを

諭したり注意したりすることは

現実としてむずかしい。

とすれば、

お説教口調にならない新しいスキルを

開発する必要を感じる。

日本では、

神を応援に引き出すことはしにくいから、

別の情緒や情報をよりどころにして

説得する方法を考えねばならない。

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ロボットにお願いして、

「♪ ダメ、ダメ、アー、ダメよ、ダメよ、

SOSSOS、ほらほら呼んでいるわ、

きょうもまただれか、〇○さんのピンチ♪」

などと歌ってもらうか、

食コーチングが

諭しと説得の「話力」を開発するか、

人生100年時代は、ますますおもしろい。

いずれにしろ、

食事相談、健康相談は

新知識を伝えるだけの場ではなく、

モチベーションアップ、

言い方を変えれば、

モチベーションを注入する場となっている。

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この話につなげて言えば、

過日、東京で開催された

「第40回 世界健康フォーラム 2019・東京

――人生100年時代の生き方上手――」

いうイベントを受講した。

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複数の医師やアスリート、冒険家などによる

講演やシンポジウムの会であったが、

ここでの結論は、

栄養、日本食、野菜や大豆製品も魚の効用、塩分制限、

そして運動、若いうちからの病気予防などであった。

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その結論は「健康の3大要素」の範囲。

「人生」というコトバを使うとなれば、

健康を「健康の6大要素」(ストレスコントロール、

よい人間関係、生きがい)で考える必要があるが、

ここでの中心話題は、身体の栄養補給の話止まり。

心の栄養(よい人間関係、生きがい)に関しては

主催者、講師ともに

視野には入っていないことがわかった。

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1000人の大イベントと、

20人の食ジムとでは、

話題の鮮度において

少なくとも50年の開きがあるのを実感した。

念のために言うが、

食ジムは、現在からあしたに向けて

話し合っているのに対して、

くだんのフォーラムは、

いまから50年前を歩いているのであった。

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人生は、生きる目的を持ち、

その意義を感じている人のものである。

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# by rocky-road | 2019-11-27 23:48 | 「食ジム」