「余暇」から「予暇」へ。

「余暇」から「予暇」へ。_b0141773_045209.jpg名刺にある「大橋予暇研究所」とは、
どういう意味か、と久々に聞かれた。
この名称を使い始めてから17年たったせいか、
このところ、その説明をすることを
忘れていたようである。
写真左:『予暇で自分を組みかえる』 (株)三五館 
私が、前職を辞して「大橋予暇研究所」を
開設したのは1991年。
「余暇から予暇へ」をメインテーマに掲げた。

1980年代の前半は、高度成長期で、
海外からは「日本人は働き過ぎ」との外圧を受けた。

日本で余暇の必要性を最初に唱えた省庁は
厚生省ではなく、通産省であった(いずれも当時の名称)。
健康向上が目的というよりも、
労働者の生産性を高めることと、
外圧への対策がおもな動機だった。

働く人がもっと休養をとろう、といわれたのに対して、
主婦(当時は専業が多かった)の休養については
まだほとんど目が向けられていなかった。
 『栄養と料理』という、女性向けの生活雑誌の
編集長をしていた関係で、専業主婦の余暇不足が気になった。
ビジネスマンに「余暇とはなに?」と問いかけると、
「仕事から余ったヒマ」と答える人が多かった。

「余暇」から「予暇」へ。_b0141773_833389.jpgダイビングクラブの運営などを通じて、
余暇活動が健康やライフスタイルの質と
おおいに関係があることを実感していた。
生活習慣病対策を説く医師の論説にも、
余暇の必要を説くものがあったが、
具体的な対策は示されない。
医師は余暇の専門家ではないから、当然である。
写真右:『ハッピーダイビング』 水中造形センター 
平成平成3年、定年を10年前にして、
大学出版部を退職し、いまの研究所をつくった。
「健康は人生の目的ではなく、
自己実現のための手段である」という趣旨の本を書いた。
「予暇」とは、つまりライフデザインのこと。
私はそのためのアドバイザーまたはサポーターとして
著述の仕事を始めた。

「余暇」から「予暇」へ。_b0141773_0503119.jpg人生は仕事と余暇(自分の時間)とでワンセット。
仕事にスケジュールがあるように、
余暇にもスケジュールがあってしかるべし。
「予定のある自由時間」-それが「予暇」である。
「余暇」と「予暇」とは意識の違いにすぎない。
ただし、心身の健康を支えるものでありたい。
からだに悪い活動は「予暇」とは言いにくい。
写真左:予暇を楽しむ筆者

栄養士、保健士、医師、看護士などのヘルスサポーターは、
健康や生活の質の向上を支援するわけだが、
健康や長寿だけが最終目的でないことを忘れてはなるまい。

「生活の質」(QOL)とはなにか、については
熟慮する必要がある。
単に生活行動ができる程度が「QOL」の終点ではないことを
心にとめておきたい。
「予暇」もまた、生活の質の向上、というよりも
人生の質を高めることを念頭に置く。
質のよい人生とは、
健康の期間が長いこと、
人から支持されたり人に貢献したりする要素が多いこと、
それが、結果として、個人の幸福感を満たし、
それがさらにまた健康度を高める。

人生の目標と、幸福の追求、そして健康への願望、
いずれも、着地点にそう変わりはない。

by rocky-road | 2008-06-28 00:54  

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