「ご近所」という健康環境。
《食コーチング プログラムス》の
身だしなみセミナーに、
アドバイザーとして参加させていただいた。
(8月10日(日) 11時~18時。横浜開港記念会館)
タイトルは、
『ご近所で注目される身だしなみ――小さなおしゃれ』

プロットは以下のとおり。
1.ごあいさつ (影山なお子/大橋 禄郎)
2.〝ご近所〟って、なあ~に? 「定義」。
3.きょうの身だしなみプレゼンテーション 全員。
4.身だしなみクリニック――みなさまのコーディネートを
診断させていただきます。
5.ご近所ファッションに採り入れたいTシャツ(インナー)が、
歳を重ねると合わなくなる理由。
6.インナー対策。
①Tシャツや、その他のインナーのネックラインを確認し、
変更する。例(丸首からスクエアに)

これらのうち、
「きょうの身だしなみのプレゼンテーション」のところで、
「ご近所」について、私見を述べさせていただいた。

「ご近所」の概念は、
昔と今とではずいぶん変わってきている。
交通機関が発達したし、車も自転車もあるので、
「ご近所」は、自宅周辺とは限らなくなった。

実際、自転車で買い物に出た先で、
予定を変えて、近くの駅に自転車を預けて、
電車を使って別の街に出かけることはよくある。
昔、ある映画監督が、
「玄関を出たら7人の敵がある、と思え」と、雑誌に書いていた。
予想外のことが起こり得るから、
それなりの準備をしておけ、という意味である。

確かに、交通ルールのことで、すれ違った人ともめて
パトカーで警察署まで運ばれたことがある。
武士の時代でなくても、敵は歩道にもいるし、
パトカーでもやってくる。

21世紀といえども、玄関を出れば
敵はかならず存在する。
そういう時代に適応する自分づくりの一手段として、
まずはおシャレを楽しむこと。
ゴミ捨てだの郵便受けのチェックだの、
台所仕事だのと、
1日の中でも衣服を変える必要に迫られる。

いや、「迫られる」のではなくて、
そのバリエーションを主体的に楽しむ。

「ヘルスコミュニケーション論」として考えれば、
自分に密着する環境(大橋は「衣環境」と呼ぶ)を
TPOに応じてチェンジすることは、
自分のモチベーションを高めることになって、
結果として自分の適応力、
つまりは認知機能を保持・強化する。

刀や武器を携えなくても、
それなりの戦闘態勢には入れるはずである。

そこに、社会参加意識を加味すれば、
社会環境の健全・健康化に貢献することにもなる。

職場のご近所、副業職場のご近所、
予暇活動の場所のご近所……
つまり、「ご近所」は、自分の居住地とは限らず、
自分がしばしば行くところに、
それぞれの「ご近所」が生まれる。

「玄関を出たら7箇所の健康環境がある」
そういう意識は、
何よりも自分をハッピーにするのではないか。

身だしなみセミナーで、
そんな話し合いをしていて思い当たることがあった。
それは、以下の社会現象の分析である。


『エンパル』54号にも書いたが、
「自分らしく」「私らしく」「あなたらしく」というフレーズが
おもに女性の間で流行している。

「らしく」を『広辞苑』で見ると、
文法の品詞があちこちに変わるし、
意味もいろいろ、使い方もいろいろなのに驚く。

なにしろ、万葉集の時代から使われてきた
歴史と由緒に富んだコトバである。


「あしたは雨らしい」(推測)
「その結婚には親が反対しているらしい」((伝聞を基にした推定)
「なんと愛らしいお嬢さん」
「そんな買い物をするなんて馬鹿らしい」
「教員らしからぬ言動」(接尾語/状態の評価)

名詞に接尾語としてつく場合の「らしい」には、
主観的な価値判断が入っている場合があって、
しかもリスペクトするニュアンスがある。

「主観的評価」だから、
「愛らしいお嬢さん」に対して、
「そうかなぁ?」という反応もありうるし、
「馬鹿らしい買い物」にも、
別人は「いや、目が高い買い物だよ」と評価するかも。

かつては日常的に使われた
「男らしい」「女らしい」「日本人らしい」には
あいまいながら、一定の高い評価を含んでいた。


だから昔の親は
「もっと男らしくしなさい」
「そんな女らしくない口を利くのをやめなさい」
などと言って注意をした。
それは、相手の評価を下げて、反省を促すパターンだった。

ところが現代は、
「男らしい」「女らしい」「日本人らしい」は、
差別用語と受け取られる可能性が出てきた。

それを皮膚感覚で感じた女性は、
それでもプライドを保ちたいと感じて「自分らしく」を
使うことを思いついた。

「自分らしく」には、ハイジャンプ競技に例えれば、
自分の目線より上には「バー」を設定しない選択である。
軽~く予選通過できる高さ。
もちろん、これでは、いまのレベル以上には
記録の更新は永遠に生まれない設定だが、
それによって、人さまからは異論は出る心配はない。

つまり現在の日本は、
アメリカ真似っこの、過剰な差別意識の結果、
「男らしく」「女らしく」「日本人らしく」生きることを
遠慮するようになった。

かといって、「人間らしく」「地球人らしく」では
抽象的すぎて目標にはならない。

抽象的ながら、自分の精神的主柱を捨てた人間、
つまり、理想とする「らしさ」を持たない人間は、
とりあえず「自分らしく」、人生を〝流して〟行くしかない。
一見楽に見えるが、価値観も目標もなく、
したがって、何年生きても向上もないので、
結果的には短い人生を送ることになる。

そういう風潮に対する代案というつもりはないが、
身だしなみをTPOに応じて整えることは、
自分および周囲や社会の健康度を上げること、
と考えると、少しは心の柱がシャンとするかもしれない。

もっとも、「健康人らしく」だって、
「差別用語」のレッテルを貼りたがる人間がいそうだから、
表向きは「認知症予防人らしく」「健康寿命を願う私らしく」
とでもしておけばよい。

それにしても、「日本人らしく」や「男らしく」「女らしく」を
手放した日本人はどこへ行くのか。
国が弱小化する予兆の1つのようにも思える。
ここは一発、健康行動として、
「私の住むご近所らしい環境」のために、
身だしなみを整え続けよう。

使命感のない者は、
人を強くも、美しくも、ハッピーにもすることはできない。

どうしても「自分らしく」を使いたい人は
「(農業一途、人々の健康に貢献した
織田家の末裔である)自分らしく」

「(神風特攻隊として戦った
おじさんの子孫である)自分らしく」

などと、
心の中で形容句をつけて
「自分らしさ」を主張するようにしてはいかが?

by rocky-road | 2025-08-12 21:43 | 身だしなみセミナー

