和食は世界の食文化に。

「日本人の「食」の現状と
今後の方向性を考える。」が終了した。
2025年7月19日(土)
座長/永野幸枝さん
アドバイザー/影山なお子さん 大橋禄郎
会場/横浜市 関内ホール

進行プロットは、以下のとおり。

1.食シーンや食習慣に関して、
「私って日本人だなぁ」と、
つくづく感じることのあれやこれや……?
2.今回の「米騒動」によって、日本の食料環境や、
日本人の行動様式について感じたことは?
3.日本の食品や食文化、日本人の食行動、健康観が、
今後も、世界にどういう影響を与え続けるだろうか。
4.健康支援者として、日本人の健康や幸福度を
高めるために、公私にわたって、どのような
アクションが求められるか。

個々の経過はほかの方に譲るが、
「駅弁が食べられるし、車内で食べる食事は格別」
「おにぎり文化と、種類のバラエティ」
「世界の料理を日本流にアレンジし、
それが自己満足ではなく、
本場の人にも『うまい』といわせる」などの指摘が印象に残った。

米騒動については、
私の見解をご披露させていただいた。

「マスメディアは、パニック情報を好むところがあって、
品薄とか物価高騰とかを、各メディアが競って追いかける」

それらは、マスメディアの習性であって、
「いつもと同じ」では「ニュース」にはならない。
その昔のオイルショックがきっかけとなった
トイレットペーパーの買い占め騒動、
「黄変米(おうへんまい)騒動」(輸入米に青カビ)、
そして2年前のコロナ禍。

マスメディに「心休まる情報」を期待するのはムリ、
と考えておいてほうがよい。
話が飛躍するが、
現在進行中の各地のクマ被害がよい例。

クマは怖いが、しかし、いきなり猟友会が駆除するのではなく、
共存の方法を探りたい。
「人間は厄介な存在」であることを
クマたちに知らせる方法はいくらもあるはず。
(駆除してしまったら、そういう情報は
クマの社会に伝承されない)

ではどうするか、その対策を専門家に取材するなどして
報道すればよい。
しかし、専門家といわれる人とは言え、
クマを追い払うアイディアは、あまりなさそうである。
撃退法は、素人でも、1時間も考えれば、
50個や100個くらいのアイディアは浮かぶはず。

ハンドサイレンの携行、各種スプレーの噴射訓練、
クマ追い払い用の花火や水鉄砲(薬液入り)の携行、
さらに徹底するなら、
弓道・棒術・槍・薙刀(なぎなた)愛好家による威嚇、
スポーツ選手による、クマ追い払い競技……などなど。

マスメディアは、〝あったこと〟は派手に報道できるが、
まだないことの対策の提案は苦手。
このあたりの傾向を前提に、
「何かあったら、対策は自分で考えこと」を
自分用の信条として準備しておくとよい。
防災対策に専門家が生まれたように、
クマとの共存法対策も、
資格制度をつくって活躍してもらえばいい。

クマには休んでもらって、
ここは、「食ジム」の話。
話を戻そう。

日本の食文化の普及は、まだ始まったばかり。
文明は先進国によってリードされるが、
いや、文明(ライフインフラの普及や、
船舶や飛行機、武器などの開発など)を
リードした国が先進国となるのだが、
文化というものは、文明とは別の筋道で進化する。

日本のような島国には、
他国の影響を受けても、
それをアレンジして独自のものを生み出す地の利があった。
豊富な水資源、湿潤環境ゆえに腐敗が早い、
そこから生まれる衛生感覚、
海外の雑音に惑わされることなく、
使い勝手のよい物品を生み出す実験室のような国土と、
非専制的、非収奪的な為政者……
などのお陰で、文化的洗練度を高めた。

先進国の人たちは、
ようやくそのオリジナリティとクールさ(「イケてる」「カッコいい」)に
気がついた、というわけである。

米を「主食」とする献立の知恵とバリエーション、
箸を前提とした茶わんをはじめ食器各種、
しょうゆと、しょうゆ差し、
正座して、集中しての食事--「いただきます/ごちそうさま」
食材と献立の季節感、朝・昼・夕食らしさ、
魚、肉、野菜の調理法のバラエティ、
日本酒の産地の多さに応じた味のバラエティ、
食材や料理の鮮度を保つ知識と技術……。

それらは当たり前のこととして
2000年以上、伝承されてきたが、
地球規模で見れば、
培養器の中で発達実験を行なってきたようなものである。

日本酒愛飲家としては40年程度の〝駆け出し〟だが、
日本酒は〝つまみ〟を前提とした酒である。

この点は、味や度数の強い焼酎やウイスキー、ウオッカとは違う。
日本酒は、食塩を〝つまみ〟にしても旨い飲料である。
日本酒を基準にすれば、
ワインでさえ、味や香りを主張し過ぎる。

欧米人に〝つまみ〟の習慣がないのは、
酒そのものを味わう文化だから、ということだろう。
日本酒の場合、口の中で酒とつまみとが混じると、
旨味のエキスでくるむ状態になる。
まさしく〝つまむ〟ための飲料である。

培養器のフタがあけられた。

日本型食生活も、寿司もおにぎりも、
箸も食器も、日本酒も
世界の食文化の中に組み込まれることだろう。

サラダは、
ボウルの中の食材を、
フォークで追いかける料理ではなく、
コーンもミニトマトもマッシュルームも、
箸で、つまんで食べる料理であることが常識になるのは、
そう遠い話ではない。
1つの懸念案件は、
生ものの扱いに慣れていない人たちによって、
いつか、大規模な集団食中毒が
引き起こされる可能性があること。
数十人、いや、数百人の被害者が出るかもしれない。
このとき「日本食は危ない」という、
誤った認識が生まれないことを祈る。

最後に、
「食ジム」プロットにあった
「健康支援者として、
日本人の健康や幸福度を高めるために、
公私にわたって、どのようなアクションが求められるか。」
について。
この日の「食ジム」が終わった帰り道、
参加者の1人が、バスの中で
高齢の女性から声をかけられたという。
「ステキなバッグですね。あなたの雰囲気に合っているわ」と。

ここから始まって、
その女性がシアトル(アメリカ)から数十年ぶりで
帰国中であることも話題になった。
打ち解けて話しているうちに、
その女性が言ったという。
「おしゃれしてる方を応援したくなっちゃうの」

このご報告を受けて感じたのは
これぞ「健康と幸福のカタチ」ではないか。
ステキなバッグを持っていると声をかけられる、
とは決まっていない。
声をかけたくなる温かさが、
声かけをしやすくさせる。

このケースでは、
食ジム帰りの人の表情が、
バスの中の健康環境そのものであった。
身だしなみや、魅力的なバッグだけでは、
声をかける決め手にはならない。

ここでのポイントは表情。
表情にはお金だけでは調えられない情報がある。
「表情は社会に対する、文字のない伝言板」と
言ったことがあるが、
まさにその事例。

日本人の健康度を高めるアクションのポイントで
案外、面倒なのは表情や言動であろう。
昔の日本人は、見知らぬ人に声をかけた。
行列のときの前後の人、乗り物の中で隣の人、
病院や公共施設での隣の人。

それがいまは、スマホをのぞき込むだけで精一杯。
日本の食文化が世界の食文化になりつつあるいま、
健康支援者に求められるのは、
日本人の心身の健康度を、
言動で表現することではないか。

戦後しばらくは、
道で外国人旅行者に声をかけられると
逃げ出すのが日本人だった。
世界の食文化の新発祥地に住む日本の健康支援者としては、
国内・国外を問わず、
フレンドリーではあるが品格のある態度、
それを「健康のカタチ」として示すことであろう。

by rocky-road | 2025-07-25 18:57 | 「食ジム」

