2025年1月は、「心の栄養士」誕生の年。
《パルマローザ 新春スペシャルセミナー》から
スタートした。

テーマは
「心の栄養補給」のサポートもする
「人生100年時代」の栄養士のカタチ。
2025年1月11日 講師:大橋禄郎
横浜市技能文化会館

「心の栄養補給」となにか。
大橋の造語を、
テキストの冒頭で、こう定義した。
「『心の栄養補給』とは、
日々の食行動(食物を入手する、作る、食べる、提供するなど)を
通じて、感性、心理、精神、思想、行動様式などの充足を
得ることをいう。
〝栄養補給〟が身体の健全性を
維持・増進するのに対比していう。
あえて〝栄養〟という、比喩的コトバを使うのは、
栄養素やエネルギー摂取と同様、
あらゆる食行動に完全に伴うものだからである」

動物の摂食行動は、原初的には生命を維持し、
心身の調子を整えることにある。
要するに食欲に応じて腹を満たす。
そのことで、とりあえずは命を支える。

しかし、宮崎県の幸島(こうじま)に住む
ニホンザルは、
人からもらったさつま芋を
海水で洗うという〝食文化〟を
持っていることが知られている。

一方、ある動物学者によると、
イリオモテヤマネコは、
捕らえた鳥の羽や毛を、まずはむしり取って、
毛のないところから食べ始めるという。
これに対してエジプトヤマネコなどは、
いきなり丸ごと食べ始めて、
口に入った羽や毛は
あとから吐き出すのだとか。

ここにも「食文化」と言える現象があって、
イリオモテヤマネコは、
食べやすいように、
いわば「下ごしらえ」をする、
という食文化を身につけていることになる。

電気や飛行機などのように、
文明とは、合理性を求めた結果である。
「どうしたら夜も明るくできるのか」
「人は空を飛べないだろうか」

これに対して文化は
様式や所作(いつもと同じ/ルーティーン)、
調和や美しさなど、
精神性や感受性を重んじる。
ここでは、かならずしも効率を求めない
(司馬遼太郎氏の視点)。

では、幸島のサルは、
芋洗いに美や精神性を感じているのか。
たぶん、こうだろう。
海水に浸すと砂などが落ちる、塩味がつく……
その結果として
口当たりがよくなり、旨さが増す。
そういう意味で感受性を高めることになる。

若いサルが、
たまたま海に落とした芋を拾って食べたら、
旨かった。以後、それを繰り返すようになる。
それを見ていた別の個体が、
「なんや知らんけど」と、それを真似たら
「これ、ええじゃんか」
……さらにそれを、年長組が真似るようになって、
海岸にやってくるそのグループは、
みんな芋洗いをするようになる。
(幸島のサルが大阪弁かどうかは不詳)

(宮崎県観光協会のHPから)
海水で洗っても洗わなくても、
芋の栄養価はほとんど変わらない。
が、みんなでそういう食べ方をすることで、
なぜか食欲もアップした。

意識はしていないだろうが、
同じ行動をすることによって、
仲間意識も強くなる。
かくして、幸島のサルは、
世界中で、いまだ観察されてはいない、
独自の食文化を持つことになる。

ここで、
パルマローザの新春セミナー、
「心の栄養補給」の話に戻る。

日本人は昭和史の中で、
とりわけ太平洋戦争以降は、
食事に栄養価を求めるようになり、
さらには生理的効果を気にするようになる。
よくいえば、食品学、栄養学に目覚めた。

「たんぱく質が足りないよ」
「魚に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸)を
とると頭がよくなる」
「卵にはコレステロールが多く含まれるので
食べ過ぎに注意」
「ビタミンCをとるとお肌がきれいに……」
「塩分のとり過ぎは脳卒中やがんの元」

そこに、栄養学オンチの医師が入り込んできて、
ますますワケがわからなくなる。
「白米を食べるとバカになる」
「食品添加物や農薬に気をつけよう」
「魚は尾頭つきを食べよう」

食品の成分にこだわる風潮、
よくいえば科学的(科学ぶった)思考法。
これは「文化論」ではなく「文明論」に分類できるが、
「誤った文明論」「偏った科学思考」にもなる。
これらに感染したばかりに、
日本の食文化に込められている
知恵や精神的効用について見失いがちなった。

少なからずの栄養士は、
直接・間接的に、
これらの怪しい栄養学の伝播に力を貸してきている。
「お味噌汁は1日1杯に」
「フレイルにならないためにサバ缶を」

しかし、ヒトや、その他の動物の健康は、
食品の成分(栄養素)によってのみ
支えられるものではない。

ヒト、そして日本人にとっては、
定刻に食事をする習慣。
食事の前に手を洗う習慣。
正座をして、食事をとる習慣。
最初と最後に「いただきます」「ごちそうさま」を
誦する習慣。
箸や茶碗を正しく持って、
それを正しく、美しく使う習慣。

などなどが、
いかに日本人の心身の安定、健康を支えているか。

その点に気づく必要があること、
そして、その不備をだれが補うのか、
というのが、新春セミナーでの話である。
食文化と栄養学の2本柱を〝売り〟にするのは
いまのところ、「食育アドバイザー」など、
「食育」系しか思い浮かばない。

しかし、「食育系」は、いまひとつ認知度が低く、
国民からのニーズも高いとは言えない。
それに比べると、
栄養士は、法的にも配置が決められていたりして、
認知度もニーズも高い。

問題は、栄養士の食文化に関する知識と伝達経験。
しかし、それを言っていると、
日本人は、自国の豊かな食文化への関心を
ますます低めてゆくばかり。
ここは四の五の言わないで、
最短距離にいる者が、
なんとかしないわけにはいかないでしょう、
という話である。

だからと言って、いまから
「日本の食文化のすばらしさを一から学び直せ」
などとシンドイことは言わない。

食文化と言っても、
そんなむずかしい話ではなくて、
「お食事時刻をしっかり守っていらっしゃいますね」
「お食事のときの姿勢がいいですね」
「お箸の持ち方がきれいですね」
などと、ちょっとした瞬間に肯定的指摘をするだけでいい。

それを続けていると、
いつの間にか、自身の食文化の素養が高まってくる。
クライアントにとっても(人間関係のすべてにとっても)
「心の栄養補給」になる。



2025年1月は、
日本における「心の栄養士」誕生の年月として
記憶と記録にとどめておきたい史実である。



by rocky-road | 2025-01-20 21:13 | 大橋禄郎