「食育」のメンテナンス診断書。
9月22日(日)の「食ジム」 第133回では、
次のテーマで話し合った。
「日本の『食育』を、今後、どういう方向に
展開させていけばよいか。」
(座長 永野幸枝さん
アドバイザー 影山なお子さん 大橋禄郎
於:神奈川近代文学館)
進行プロットは……。
1.子ども時代、家庭や学校で食生活や健康面で
ほめられたこと、あるいは、叱られたり、注意された
りしたこと……?
(当時の家庭や学校では、どういうことに重きをおいていたか)
2.近年、食生活や健康についての考え方が、
自分の子ども時代とは変わってきたと思うところは?
(食べ方、マナー、食習慣、食感覚など)
3.義務教育時代の「食」や「健康」についての教育は、
活かされているか(自身or世間)。活かされてい
ないところがあるとすれば、どんな対策が必要か。
4.健康支援者として、人々の「食事力」を向上させ
るアクションプラン10~99か条。
平成17年(2005)に施行された食育基本法が、
ようやく20年が経としている。
現時点で、食育の現在位置を確認することは意味があるだろう。
参加者のほとんどは、
「食育」以前の世代だから、
伝統的な「食事のしつけ」を体験している。
みなさんがそれを語るとき、
誇らしげである。
「箸を正しく使う」「残さずに食べる」
「食器を正しく配置する」
「買い物の手伝いをした」
「高い所のモノを取るのを手伝った」などなど。
こうした「しつけ」には、
「人に見られても恥ずかしくないように」という
伝統的な価値観が根底にあった。
しかし、1960年代あたりから、
社会は「食育」を法律にしなければならない時代へと
動き始めていた。
一般的であった三世代家族の「最若年世代(若者)」が、
都会へと移転をし始めた。
新しい欧米型のライフスタイルに憧れ、
それらを実体験したくなった。
核家族時代の始まりである。
それは、伝統的な家長制度を揺さぶることにもなる。
戦後、伝統を重んずる父親は、
ときに、子どもから「封建的だよ」「古いよ」と指摘されるようになる。
アメリカ型の民主主義の普及に伴って、
平等意識が強くなる。
「お父さん用のお刺身」「お父さん用の〇△」は過去の話に。
また、「価値観は人それぞれ」とみんなが考えるようになり、
お父さんのリーダーシップは低下する。
同時進行的に、
「三種の神器」(「じんき」=白黒テレビ、洗濯機、電気冷蔵庫)や
「白物家電」(「しろもの」=上記に加えて電子レンジ、エアコン、
炊飯器など)が普及し始める。(以前の冷蔵庫は氷使用)
その一方で、
街にはファストフード店や中食店が増え、
スーパーやコンビニが急増する。
お母さんたちは「手抜き」と自嘲しつつも、
それらのお世話になる時代に。
さらに同時進行的に、
「企業戦士」となった父親は、
早朝から深夜までお勤め仕事に専念した。
女性も社会参加を始める。
家には子どもの部屋が設置されるようになり、
子どものプライバシーが守られるようになる。
そして子どもは言った。
「いま宿題をやっているから、
冷蔵庫に入れておいて、あとでチンして食べるから」
ご飯の炊きあがりが「食事どき」ではなくなってゆく。
団らんにヒビが入り始めたが、
危機意識をもつ人は少なかった。
一家団らんの伝統は、こうして急速に薄れてゆく。
そんな傾向を懸念した評論家は、「食育」の必要を説いた。
『栄養と料理』にも、
「子供にはまず食育と体育が必要」
などの記事が載るようになる。
(座談会/阿部裕吉 砂田登志子 香川芳子
平成3年12月号)
こうした風潮を受けて、
政府主導の「食育基本法」が生まれる。
しかし、国が、各家庭内の食事スタイルに干渉することには
限界がある。
毎日が忙しく、
そして、「価値観は人それぞれ」と考えるお父さんや、
パート仕事で忙しくなったお母さんは
一家団らんを維持する意欲も時間もスキルも、
すでに失いつつあった。
食育基本法が生まれたからと言って
「やっぱり、朝夕くらいは、
家族がそろって食事をしよう」と考えたりはしなかった。
例によって例のごとしで、
それを補うことになったのが学校であり、
学校給食である。
学校というところは、
家庭では手が届かないところを
フォローするために生まれたシステムだから、
勉強に加えて、しつけ、コトバづかい、マナー、
食事の作法、健康管理など、
本来、家庭でやってきたことを
請け負わされることになる。
学校とて、人材的にも、時間的にも、予算的にも
そうそう家庭のトバッチリを引き受けているわけにはいかない。
当然の成り行きとして、
「食育」のプロが生まれ、
学校は、「食育」の一部を業者に丸投げするようになる。
かくして、人類が数十万年間継承してきた
一家団らん式の食事スタイルは風前の灯となった。
地球的視野で見れば、
民主主義や平等主義、
分業化=「自己家畜化」(小原秀雄氏 造語)などの
濁流にのみ込まれて、
家族の結束力はますます緩まってゆく。
もう絶望なのか。
「それを言っちゃあオシマイよ!!」
家庭に自己回復力はないと割り切って、
家庭の外から、家庭的な情報を送り続けるしかない。
「箸の使い方は健康の育て方」
「茶碗をきれいに持つ人の幸せ」
「外国人とニッポン人のためのお箸入門」
「『いただきます』『ごちそうさま』から始まる人格のカタチ」
「お父さん、お母さんのための 食卓コーディネート入門」
「お父さん、お母さんのための食育入門」
「栄養士が選ぶ全日本の外食メニュー100選」
「魚の種類別、食べ方図鑑」
「日本酒を楽しむ晩酌百科」
本でいくか、雑誌でいくか、番組でいくか、教室でいくか、
人間は、そうおバカではないはず。
家庭を当てにはせず、外から攻めればいい。
栄養士の出番はいくらでもある。
専門性を広げ、専門性で稼いではいかが?
by rocky-road | 2024-09-25 20:52 | 「食ジム」