持て余さない人生のカタチ。
2024年5月19日(日)の《ひろしまコミュニケーション教室》から、
6月5日の誕生日までの19日間に、
宿泊を伴う4回の出張があった。
このところ「人生を持て余す人が多い」と指摘し続けているが、
この間のわがスケジュールに関しては、
「人生に追われ過ぎている」という感想を持った。
その内容は、以下のとおり。
*5月18日~20日 広島。
セミナー後、広島の夜の街歩きを楽しみ、
翌日は、こちらがリクエストした、
尾道にある《耕三寺》と《未来心の丘》を見物した。
そして、現地の2か所に宿泊。
海友(うみとも)のお嬢さんが、
当地のホテルで結婚式を挙げるということで、
主賓として招かれ、久々に結婚式に参列した。
《ル・グラン軽井沢ホテル》泊。
新緑が見事な軽井沢だった。
恒例のバースディ・スペシャルセミナーが
《横浜市技能文化会館》 で。
演題は『人生100年時代における
〝モチベーションアッパー〟の存在意義とアクション。』
充分に温めているテーマなので、うれしい限りではあるが、
スケジュールに追われて、
テキスト作りの時間の捻出に骨が折れた。
が、なんとか、まとまって、
みなさんのモチベーションをあげることができたか。
(当地、《ホテルコメント 横浜関内》泊)
*6月2日、横浜市開港記念会館で、
食コーチング主催の《食ジム 第130回》
テーマは『各種栄養士会が活性化しないのはなぜか、
その分析と対策を考える。』
進行プロットは……
1.各種栄養士会や栄養士サークルが開催するイベントに
参加して感じたこと。
「ここがよかった」「ここが△〇☒だった」……
2.パルマローザや食コーチングのイベントに
初めて参加したころ、まず感じたことと言えば……。
3.私は、日本・地域の栄養士会の会員で
「ある」or「ない」……その理由。
そして、学会誌についての感想。
4.「栄養士」としての拠り所、職業意識、
社会的使命、プライドとはどういうものか。
5.日本の栄養士の職業意識や活力を高めるためには、
どのようなアクションプランがあるか。
ここでは座長を務めたが、進行表にある1~5項目のうち、
「2」でタイムオーバー。
みなさんの発言が多く、大いに傾聴すべき指摘があった。
ここは、「時間」を理由に後半をカットするのは野暮で、
残った分は、次回の《食ジム》で、じっくり論じ合うこととした。
*6月5日、本人の88歳の誕生日。
影山なお子さんの呼びかけで、
有志が集まってくださった。
横浜の《ホテル ハイアットリージェンシー》でランチをいただき、
そこで1泊。昼に参加できなかった方も加わってくださった。
以上の数日間、年齢の話は何回も出たが、
自分からは「米寿」というコトバを使うことは避けた。
日ごろから、干支は3000年前の中国の暦と年齢尺度。
人生100年時代の日本で、
こんなものを使っていてはダメ、と言っているので、
いまさら「私、米寿なんです」なんていうことは言えない。
しかし、両親を含め、一族では最高齢にはなったことは
近しい人に伝えた。
若いころ、「自分の寿命は63歳(父の寿命)」と言っていたが、
それを大きく超えた。
最近会った知人のドクターも、
〝遺伝説〟信奉者で、
人の健康や寿命は、遺伝的要素が大きいと、
力説していた。(ご自身も父親より20年も長生きしているのに)
かねがね、医師は栄養学に弱いと思っていたが、
またまたそのことを実証してくれた。
医療関係者には、ハワイの日系人の食生活と健康、
家森幸男先生(武庫川女子大学名誉教授)による
ブラジルの日系人の食生活に関する研究などを
ご存じない人が多いことだろう。
医師が信じるのは医薬品の効果だろうか。
しかし、いまの栄養学の常識(一部、大橋説)は、
「人種や血統による健康への影響よりも、
生活歴、食事歴、モチベーションの持続性のほうが
大きいケースが多い」である。
医薬品の効果は、それに付随してある。
かくして、激動の(?)の19日間が過ぎた。
どれも楽しいことばかりだから、
苦痛を感じることはないが、
ランチ後の〝シエスタ〟がなかったので、
睡眠欲求がついて回った。
6月1日のセミナーでは、
心の栄養としてのモチベーションの大切さを強調したものの、
これをもって、世の中の多くの人が、
同様のモチベーション環境にあると思ってはいけない、
と自省した。
「人生を持て余す人が多い」のは事実だが、
いま、それを言っても対応できない人が多い。
人生は、長年にわたって積み上げる砂山だから、
高い山を造ろうと思ったら、
土台となる底部を広く取って、
砂を叩いてしっかり固めて築く必要がある。
2024年3月4日の『読売新聞』の人生案内に
「88歳 〝終活の教科書は〟」という相談が載っていたが、
回答者の樋口恵子さんは、
「円滑に小学校に進めるよう、国が手引きを作って、
就学前の子どもの入学準備を進めているように、
高齢者への『老いを迎える準備教育』を提唱したい」
と述べている。
なかなかのアイディアである。
問題なのは、
そうした準備教育のためのカリキュラムをだれが作るか、
そして、指導士をどう養成するか、である。
ふと、そんなマニュアルを作ってみたいと思った。
ああ、
やっぱり、残り少ない時間を、
どう効率的に使うか、である。
「時間をじょうずに使いこなすトレーニングが
しっかりできているのかね?」
もう1人のロッキーが、こう迫ってくるのである。
by rocky-road | 2024-06-10 23:31