歳を気にする、これだけの理由。
「食ジム」 第128回、
テーマ「年齢にこだわりすぎる日本人の世代観を
栄養士の立場で改善するためには、
どのようなアクションがあるのか。」
(座長/山同紀子 神奈川技能文化会館)
このテーマに沿って、日本人と年齢観について考えておこう。
話し合いの項目は次のとおり。
1.「聞かれてもいないのに、
自分の〝歳〟を口にする人」「歳の差にこだわる人」
「歳のことを話題にしたがる人」……といえば、
まず頭に浮かぶのは……「あの人」や「この人」!!
2.①日本人が歳にこだわる理由をいくつあげられるか。
②それでも利点は……。
➂では難点は……。
3.歳を気にしない人といえば、この人。
その人から、どんなことを学べるか。
4.日常生活や、健康支援の場面で〝歳〟の話題が出たとき、
どんな対応をすればよいか。
このテーマ設定のコンセプトは、
年齢に過度にこだわることを、
プラス/マイナスで天秤にかけたとき、
多分にマイナスに働く、という前提による。
後述するが、人生100年時代ともなると、
還暦だの古希だのといった概念は、
新幹線の乗車券を東京から大阪まで買ったのに
目的地前の、
静岡や名古屋あたりで途中下車することを
すすめる結果になるのではないか。
年齢を話題にする文化は、
日本に限らず、ほぼアジア全域に広がっている。
そのルーツは中国にある。
中国の十干十二支(じゅっかん じゅうにし)、
1か月を10日間という単位で3つに区分すること(上旬、中旬、下旬)、
子、丑、寅,卯(ね、うし、とら)など、
年代を12の動物単位にして表わす暦(こよみ)の発案。
2100~2200年前の時代としては
先端的な学術的、科学的な思想であり、知見であったから、
アジア全域に広がったのも当然である。
そのうえ、2000年以上たったいまも
〝現役〟として、立派に通用しているのである。
アジア人にとって、
これぞ、世紀の大発見であり、
行動の原点となる人生観にもなっている。
その利点としては、
1歳でも年長の者を敬う思想が定着し、
人々に自制的、抑制的なライフスタイルを植えつけた。
この価値観は、家庭から大小のコミュニティ、
さらには、広く社会全体にまで浸透し、
家庭から地域、さらには、国の秩序の維持に役立っている。
この点は、欧米の能力主義とは対照的である。
礼儀正しい行動様式は、
たどっていけば、
「年齢を気にする」文化の延長線上にある。
……というようなことは、
こういうテーマで話し合う機会がないと、
なかなか思考の対象にはなりにくい。
(儒教の裏打ちはあっただろうが)
しかし、その一方、「年功序列」のシステムが定着し、
「抜け駆け意欲」や、ギラギラした野心を抑制するほうに作用し、
独創的な思考やシステム、発見・発明が
生まれにくい社会を生み出した。
食ジムでの話し合いでも、
年齢に関しては、みなさん、たくさんの体験や事例を持っていて、
話題は尽きない。
*初対面の人から、最初に年齢を聞かれる。
*しばらく話し合ったあとで、「40代と思っていたけど30代なのね」
*保護者会のときに集まったお母さん方から、まず歳を聞かれる。
*年長の男性は自分から歳を〝名乗る〟傾向がある。
*人のうわさをするとき、年代を話題にする。
*職場では歳の話は出ないのに、
トイレなどで(油断していると)「あなた、おいくつ?」
日本人の多くは、話題づくりを苦手とするが、
その原因は、年齢を話題にするあまり、
話題づくりの能力が発達しなかったことにあるのか、
いやいや、もともと話題づくりがヘタだから、
歳の話題に逃げるようになったことにあるのか、
これは「鶏が先か卵が先か」の議論で、
結論は出しにくい。
なにはともあれ、
アジア人が、欧米諸国とそれなりに共存しているのだから、
「十干十二支」が致命的なリスクにはなっていないことは
認めなければならない。
それどころか、
災害時に互いに助け合う協調性や
公共の場や物品を壊したり汚したりしないマナーは、
多大なメリットと考えるべきであろう。
もっとも、年長者を敬う文化は、
日本人の場合、「親方日の丸」的体質、
つまり「長いものには巻かれろ」
という価値観を生み出したところもある。
そして、アジアに独裁国家が少なくないのも、
「権威に弱い」文化が根元にあるからだろう。
さて、栄養士・健康支援者にとって、
年齢は、どういう意味を持つのか。
前述のように、
60歳未満の〝青年〟に
「もう、オレも、今年還暦だから……」
などと言わしておくのは、
目的を果たさずに途中下車をする
いわば、「食い逃げ行為」のようなライフスタイルを
助長することになるから、
ここは、なんとかブロックする必要がある。
少し前に、このページにも書いたが、
88歳の能天気人間が、
新聞の人生案内欄に「終活の教科書はないか」
などと、第三者に意見を求める投稿をしていた。
別の日、この欄には、
20代の女性から、
「自分は現実主義で夢がない、夢はもったほうがいいか」
との投書があった。
これに回答した哲学教員が、
「夢はもたなくてもいい」と、答えていた。
この現状は、
人生を持て余している者がいかに多いかを
如実に物語っている。
米寿を迎えた高齢者も、
大学生に哲学史を講じる教員も、
「人生の使い方」が、
まだよくわかっていないようである。
21世紀の日本には、
人生100年時代を迎えながらも、
個人または国家の方向性が定まっていない、
という、悲しくも恐ろしい現実がある。
だからこそ、栄養士・健康支援者の出番なのである。
「年齢を気にする人が多い」
「歳に関する話題が好き」という文化を逆手にとって、
年齢のデノミネーション(単位切り下げ)を促進すればいい。
そのための基本知識として、
次のことを自分のものにしておくことである。
*「十干十二支」は、2200年前の暦学によるものであること、
当時の中国の平均寿命はわからないが、
おそらく30~50歳の範囲であろう。
その時代だからこそ、
還暦(60歳)や古希(70歳)、米寿(88歳)に
深い意味と価値があった。
それから2000年以上たった現代日本の
「人生100年時代」に当てはめると、
まさしく「途中下車のすすめ」にもなってしまう。
*高齢や長寿の延伸の意味は、
ただボケっと「長くこの世にいる」ことではなくて、
その活力を周囲の人や社会に及ぼすことにある。
何度でも言うが、
「自分は1人で存在しているわけではなく、
多くの人に支えられているのだから、
時間があるときには、少しでもお返しに充てる。
そのことが、結果として自分の人生を活性化し、
日々が楽しくなる」
(「終活」などと言って、人のお役に立たないことに
時間や労力を使っているヒマはない)
*前人未踏の長寿時代には、
イキイキ人生のお手本が少ないから、
世のため、人のための「お返し人生」は
あとに続く人のお手本になる。
そのお手本の一端を担うことを
仮に「お手本活」とでもしておこうか。
(語呂が悪いので「てほん活」とでもするか)
*歳を気にする人、歳の話題が好きな人に対しては、
こんな問いかけを用意してはいかが?
「この会には年齢制限があるのですか」
「チコちゃん式に言うと、5歳プラス……どうしましょう?」
「あなたの歳と足して何歳になるか、暗算してみません?」
「90歳のご自分のイメージは?」
(「そこまで生きているはずないじゃない」と言われたら)
「では、60歳のイメージは?
(現在の年齢にプラス10歳まで、ハードルを下げてみる)」
「あなたが知っている長寿の人には、
どんな方がいらっしゃる?」
(☆きんさん 107歳 ☆日野原重明 105歳、
☆淡谷とし子 104歳 歌手・淡谷のり子の妹)
なんだかんだ言っても、歳には強くなろう。
by rocky-road | 2024-03-22 22:40 | 「食ジム」