「食育」の担い手としての栄養士とは……。
第127回の「食ジム」について書いておこう。
(かながわ労働プラザ/11時~18時)
座長は米澤須美さん。
アドバイザーは、影山 なお子さん、大橋。
話し合いのテーマは、
「若いお母さんや若い世代に「食育」の理念や
方向性をしっかりと身につけていただくには、
どんなアプローチが必要か。」
進行プログラムは以下のとおり。
1.子供の頃、親から受けた食に関するしつけ
(いまの「食育」)のうち、しっかり身についてよかった
と思うことと言えば……。
2.身近な人や、テレビなどのメディアで見る人たちの、
ちょっと気になる食に関する行動や考え方、あれや、これや……。
(献立、食事時刻、食べる場所、食事・栄養・健康観など)
3.親として、大人として、若い世代に
「これだけは伝えておきたい」と思う食習慣、栄養知識、
食の考え方をあげるとすれば……。
4.サポートする側が、食育の理念や思想を身につける方法と、
それを人々に伝えるには、どんなアプローチがあるか。
「食育基本法」が施行されたのが2005年7月。
すでに19年目になろうとしている。
この法律では、「食育」の定義はないが、
そのコンセプトを断片的に拾うと、こんな具合である。
「子どもたちが豊かな人間性を育み、
生きる力を身に付けていくためには、
何よりも『食』が重要である。」
(「付けて」は原文のママ)
(中略)
「社会経済情勢がめまぐるしく変化し、
日々の忙しい生活を送る中で、
人々は、毎日の『食』の大切さを忘れがちである。
国民の食生活においては、栄養の偏り、不規則な食事、
肥満や生活習慣病の増加、過度の痩身志向などに加え、
新たな『食』 の安全上の問題や、『食』の海外への依存の面からも、
自ら『食』のあり方を学ぶことが求められている」
いま、読み返してみて改めて感じるのは、
当時の世相を反応した、マスメディア的、網羅的な発想によって
作文されている点である。
国が定める法律としては、
国や国民性と、「食」との関係を、
もっと明確に語る要素があってもよいと思う。
すなわち、
食文化や食習慣を維持することは、
自分および国民としてのアイデンティティを維持することであり、
「自分らしさ」「日本人らしさ」を自覚し、誇りに思うことにもなり、
その精神を軸に行動すればこそ、
行動にパワーと持続性が得られる、と。
「人間性」は、これらの意識によって弾みがつく。
私が提示している「人間の食の意味」の表では、
「食」は、栄養補給やエネルギー補給という、
動物としての人間にとって基本となる目的以外は、
「団欒」(だんらん)や「おもてなし」など、
ほとんどがコミュニケーション行動といえるものをあげている。
しかし、「食育基本法」の理念提示には、
「コミュニケーション」「情報交換」「信頼性・親近感」など
人間関係にかかわる字句は見当たらない。
つまり、食育基本法を定めるようになったいちばんの理由は、
「いただきます」で始まり、「ごちそうさま」で終わる食事の作法、
正しい姿勢を保つ、箸や食器を正しく、美しく扱う……
などなどの、「食文化」の根っことなる「食習慣」の継続であったはず。
それをもって、日本人としての誇りと自信をもつ。
それこそが、「生きる力」や「人間性」を身につける基礎的行動であろう。
しかし、現実は、
それを支える異世代同居家庭が激減したため、
法律によって問題提起をするしかなかった。
かつて、おじいさんやおばあさんが口を酸っぱくして言ってきた
「人さまに迷惑をかけない、恥ずかしくない生き方」までを
代弁するだけの心の準備がなかったため、
時評的な、ジャーナリスティックな発想止まりとなった、
ということだろう。
さて、食ジムでは、イントロダクションとして、
みなさんが
「子供の頃、親から受けた食に関するしつけ)のうち、
しっかり身についてよかった」と思うことを発言していただいた。
「箸の持ち方」「魚の食べ方」「残さないで食べる」
「いただきます、ごちそうさま」
「旬の野菜をいただく」「茶碗にご飯粒をつけて残さない」
「食材をご近所に分けたりいただいたり差しあげたり」
「肘をついて食べない」「フォークとナイフの使い方」
「夕食は7時のNHKニュースを見ながら黙って……」
「牛乳を飲む習慣」
「食事時刻に遅れた家族には多めに取り分けておく」
(公平感を身につけるために)
以上の発言を聞けば、
いまから40年以前の「食育」は、立派なものであった。
それがいまでは、
茶わんやお椀の鷲づかみ、ぎこちない箸の持ち方、
ケイタイとニラメッコの食事、
子どもに話しかけないお母さんなどなど、
食育基本法の理念とは逆の方向に進んでいる。
家庭に「食育」担当の、お父さんやお母さんが
少なくなったのだから、当然の成り行きである。
「食育」に関しては、
学校でできることはあまりにも限られる。
そもそも、「食」を学校に任せるのはお門違いである。
なんといっても、担当者は親である。
いま、街では、外国の食材だけを売る店がふえている。
それは見慣れた風景になりつつあるが、
それだけではなく、
それらの食材を生産する農場もふえていると聞く。
白菜や大根の畑の近くに
パクチーやタイミントの畑が広がる……
そんな田園風景がフツーになる日も遠くはない。
「故郷とは」「国土とは」という概念やイメージが
急速に変わりつつある。
侵略は平和的に、のどかに進むケースだってある。
「平和的なら結構なことじゃないですか」と
考える日本人もふえていることだろう。
「カラダの栄養士」に加えて
「心の栄養士」を自認する一部の栄養士としては、
食文化戦争に参戦する必要に迫られているのではないか。
幸い、「食ジム」では、
親たちに「食」に関する社会教育を行なう担い手が
生まれる可能性が感じられた。
祖先に頼れないのであれば、
「食」のプロ、そして「心の栄養士」が、
言論によってダメ親、ダメ大人を
目覚めさせるときが来たようである。
by rocky-road | 2024-02-11 21:25 | 「食ジム」