「食育」の担い手としての栄養士とは……。

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2024年2月4日(日)に開催された

第127回の「食ジム」について書いておこう。

(かながわ労働プラザ/11時~18時)

座長は米澤須美さん。

アドバイザーは、影山 なお子さん、大橋。

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話し合いのテーマは、                         

「若いお母さんや若い世代に「食育」の理念や

方向性をしっかりと身につけていただくには、

どんなアプローチが必要か。」

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進行プログラムは以下のとおり。

1.子供の頃、親から受けた食に関するしつけ

(いまの「食育」)のうち、しっかり身についてよかった

と思うことと言えば……

2.身近な人や、テレビなどのメディアで見る人たちの、

ちょっと気になる食に関する行動や考え方、あれや、これや……

(献立、食事時刻、食べる場所、食事・栄養・健康観など)

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3.親として、大人として、若い世代に

「これだけは伝えておきたい」と思う食習慣、栄養知識、

食の考え方をあげるとすれば……

4.サポートする側が、食育の理念や思想を身につける方法と、 

それを人々に伝えるには、どんなアプローチがあるか。

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「食育基本法」が施行されたのが2005年7月。

すでに19年目になろうとしている。

この法律では、「食育」の定義はないが、

そのコンセプトを断片的に拾うと、こんな具合である。

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「子どもたちが豊かな人間性を育み、

生きる力を身に付けていくためには、

何よりも『食』が重要である。」

(「付けて」は原文のママ)

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(中略)

「社会経済情勢がめまぐるしく変化し、

日々の忙しい生活を送る中で、

人々は、毎日の『食』の大切さを忘れがちである。

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国民の食生活においては、栄養の偏り、不規則な食事、

肥満や生活習慣病の増加、過度の痩身志向などに加え、

新たな『食』 の安全上の問題や、『食』の海外への依存の面からも、

自ら『食』のあり方を学ぶことが求められている」

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いま、読み返してみて改めて感じるのは、

当時の世相を反応した、マスメディア的、網羅的な発想によって

作文されている点である。

国が定める法律としては、

国や国民性と、「食」との関係を、

もっと明確に語る要素があってもよいと思う。

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すなわち、

食文化や食習慣を維持することは、

自分および国民としてのアイデンティティを維持することであり、

「自分らしさ」「日本人らしさ」を自覚し、誇りに思うことにもなり、

その精神を軸に行動すればこそ、

行動にパワーと持続性が得られる、と。

「人間性」は、これらの意識によって弾みがつく。

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私が提示している「人間の食の意味」の表では、

「食」は、栄養補給やエネルギー補給という、

動物としての人間にとって基本となる目的以外は、

「団欒」(だんらん)や「おもてなし」など、

ほとんどがコミュニケーション行動といえるものをあげている。

しかし、「食育基本法」の理念提示には、

「コミュニケーション」「情報交換」「信頼性・親近感」など

人間関係にかかわる字句は見当たらない。

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つまり、食育基本法を定めるようになったいちばんの理由は、

「いただきます」で始まり、「ごちそうさま」で終わる食事の作法、

正しい姿勢を保つ、箸や食器を正しく、美しく扱う……

などなどの、「食文化」の根っことなる「食習慣」の継続であったはず。

それをもって、日本人としての誇りと自信をもつ。

それこそが、「生きる力」や「人間性」を身につける基礎的行動であろう。

しかし、現実は、

それを支える異世代同居家庭が激減したため、

法律によって問題提起をするしかなかった。

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かつて、おじいさんやおばあさんが口を酸っぱくして言ってきた

「人さまに迷惑をかけない、恥ずかしくない生き方」までを

代弁するだけの心の準備がなかったため、

時評的な、ジャーナリスティックな発想止まりとなった、

ということだろう。

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さて、食ジムでは、イントロダクションとして、

みなさんが

「子供の頃、親から受けた食に関するしつけ)のうち、

しっかり身についてよかった」と思うことを発言していただいた。

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「箸の持ち方」「魚の食べ方」「残さないで食べる」

「いただきます、ごちそうさま」

「旬の野菜をいただく」「茶碗にご飯粒をつけて残さない」

「食材をご近所に分けたりいただいたり差しあげたり」

「肘をついて食べない」「フォークとナイフの使い方」

「夕食は7時のNHKニュースを見ながら黙って……

「牛乳を飲む習慣」

「食事時刻に遅れた家族には多めに取り分けておく」

(公平感を身につけるために)

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以上の発言を聞けば、

いまから40年以前の「食育」は、立派なものであった。

それがいまでは、

茶わんやお椀の鷲づかみ、ぎこちない箸の持ち方、

ケイタイとニラメッコの食事、

子どもに話しかけないお母さんなどなど、

食育基本法の理念とは逆の方向に進んでいる。

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家庭に「食育」担当の、お父さんやお母さんが

少なくなったのだから、当然の成り行きである。

「食育」に関しては、

学校でできることはあまりにも限られる。

そもそも、「食」を学校に任せるのはお門違いである。

なんといっても、担当者は親である。

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いま、街では、外国の食材だけを売る店がふえている。

それは見慣れた風景になりつつあるが、

それだけではなく、

それらの食材を生産する農場もふえていると聞く。

白菜や大根の畑の近くに

パクチーやタイミントの畑が広がる……

そんな田園風景がフツーになる日も遠くはない。

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「故郷とは」「国土とは」という概念やイメージが

急速に変わりつつある。

侵略は平和的に、のどかに進むケースだってある。

「平和的なら結構なことじゃないですか」と

考える日本人もふえていることだろう。

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「カラダの栄養士」に加えて

「心の栄養士」を自認する一部の栄養士としては、

食文化戦争に参戦する必要に迫られているのではないか。

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幸い、「食ジム」では、

親たちに「食」に関する社会教育を行なう担い手が

生まれる可能性が感じられた。

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祖先に頼れないのであれば、

「食」のプロ、そして「心の栄養士」が、

言論によってダメ親、ダメ大人を

目覚めさせるときが来たようである。

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by rocky-road | 2024-02-11 21:25 | 「食ジム」  

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