低い「話力」はこの先も……。
いま、わがロッコム文章・編集塾では、
「話力」について講じている。
講義のテキストは
『「話力」のブラッシュアップ。』
ちなみに「話力」というコトバ、『広辞苑』の七版にも記載がない。
「話力」は、個人の社会行動の基本になる能力だが、
まだ日本語としての使用例は少ないのだろう。
共通語にはなっていないのである。
そういえば、
以前、「食事力」というコトバも造語したことがある。
「力」というコトバは、能力を表わすコトバだから、
いろいろのコトバにくっつけて造語できる。
「眼力」「説得力」「」復元力」「政治力」「経済力」……。
しかし、造語するときには、
定義をして、それが社会に受け入れられなければならない。
もちろん、「食事力」にも「話力」にも定義をした。
定義が不完全だと、社会の財産にはなりにくい。
「くしゃみ力」「ふてくされ力」「睡眠力」などとやっても、
共有されなければ、共用言語にはならない。
それにしても、「食事力」などは、
「咀嚼力」「記憶力」などと同様、
個人の資質にかかわる能力なのに、
共用言語にはなっていなかったのが不思議である。
ここでは定義を省くが、
「コロナにかかって食事力が落ちた」
「オヤシラズが抜けて食事力が落ちている」なんていう表現は
必要ではなかろうか。
「フレイルの予防には食事力の強化も必要」なんていう表現、
使える日が来るといいのに。
さて、「話力」、定義はこうだ。
「話力」とは、音声言語による表現能力のこと。
一般的には、成人に達するころまでには、
母国語で周辺の人と会話を行なうことができるようになる。
この意味において大半の人は「話力」を身につけている。
(まれに「話力のある文章」などと、表現した論者がいた)
これだけのことなら、
あえて「話力」を見直すこともないが、
以下に、次の解説を入れている。
基礎的な「話力」は発達段階を経て身につくものではあるが、
もろもろの体得経験の結果として能力差は生じる。
「基礎的話力」の評価ポイントとして以下の点があげられる。
①相手の特性(性別、年齢、属性、関係性)、状況、
➁相手の人数、距離、話題などに応じて、
適正な表情、音量、口調(速さ 滑舌)
コトバづかい(ていねいさ 用語 敬語 謙譲語)が適切であること。
言うのは簡単だが、
日本人の話力不足は歴代の総理大臣から
国会議員、接客業種の従業員、タクシーの運転手、
幼稚園から大学院までの教員などなど
しゃべりがメインとなる職業人の話力の低さは
全国民が知るところ。
そもそも「話力」というコトバがないのだから、
そこに気を配る文化がなくて当たり前。
これではいかんと、
まずは健康支援者から、
話力強化に意識を向けてもらおうと、
ささやかながら、
その傾向と対策について改善策を示している。
くわしくは「講義で……」とはなるが、
基本的なことは、まず表情の改善から。
「話力強化」の基本は、
無言の表現力から。
曇天なのに日傘を差したり、
ギャングみたいな覆面マスクをしたり、
国防色(オリーブ色というのか?)や
ベージュの衣服を常用している人の80%は、
「話力」を放棄している人と見ていい。
話力強化のトレーニング法としては、
雑誌や新聞を音読すること。
しかし、現実は、
トレーニングをしようにも雑誌も新聞も手元にはない人が
多いのではなかろうか。
それならいっそ、
「ケイタイ画面を音読しなさい」と言いたいが、
ケイタイで文字情報を読む人さえ少数派の可能性もあるし、
通勤車内で音読を始めたら、
車内がお寺での法事のようにもなって、
「車内ではも音読をお控えください」
となることは必定。
で、けっきょく、日本人の「話力」不足は、
輝く伝統として、
百年続きますように。♪
by rocky-road | 2023-11-10 23:00 | 大橋禄郎 文章教室