ハワイのラハイナ、いつかまた。

去る7月8日、ハワイ、マウイ島で発生した山火事は、
強風にあおられてラハイナの街に広がり、
ほぼ全域を焼け野原にしつくした様子。
その焼け野原の映像を見て、
東京空襲のときの風景を思い浮かべた。

というのは、
ラハイナの街は、ほとんどが木造であるらしく、
火災のあとが、文字どおり「野原」になっている。
この1年余り、
テレビで、しばしば見ることになる、
ウクライナの空襲後の光景とは大いに異なる。

すなわち、木造の街は、
焼けるとビルなどの残骸が残ることなく、
黒々とした、まさに〝原っぱ〟となる。
それでも、東京大空襲の場合と大きく異なるのは、
ラハイナでは、自動車の残骸が限りなく多いことである。
1945年の東京では、自家用車を持っている人は皆無に近かった。

車の残骸のことを除けば、
ラハイナの火災は、
1945年3月11日に、私が見た東京大空襲後の
本所、深川あたり(現在は墨田区の一部)の光景と類似する。

ラハイナはアメリカ合衆国に属するが、
焼け跡が、78年前の東京を思い出させるとは
妙な感慨である。
(厳密にいうと、本所、深川では、
焼死した遺体があちこちに転がっていた)

さて、大火前のラハイナ情報に初めて接したのは
いまから20年近く前のこと。
そこを訪れた海仲間の写真から、
その風情のある街並みに強く惹かれた。

商店街にはアーケードが続いており、
あまり見かけたことのない観光地の風景に感じた。
あえて言えば、日本の雪国で見られる、
雪除けのアーケードを思わせる。

もちろんハワイでは雪除けではなく、
強い太陽光除け。

のちの知識だが、「ラハイナ」とは、
ハワイ語で「残酷な太陽」の意味とか。
いわば「暑くて暑くてカンベンしてくれよ」というところか。
しかし、日本の夏に比べれば、もちろんラハイナは超爽やか。

こういうきっかけから、
2008年、2009年、2013年と、
続けざまに3回、訪れた。

このページの写真は、それらの日々の記録である。
このうち、スノーケリングは2回だけ。
ダイビング雑誌の編集に長くかかわってきたが、
ダイビングスポットとしてのハワイの記事は
ほとんど扱ったことがなかった理由が
よくわかった。

噴火か隆起か、
その歴史が浅いせいか、
沖縄など、サンゴ礁の海のように、
サンゴ砂の白いエリアが広がっていないので、
海底からの反射が少なく、水中景観は暗め。
海洋生物も豊富とは言えない。


サーフィンが盛んなことでもわかるように、
ビーチに向かってくる波は強く、
そのうえ、引き波も強いし、水温も低め。
のどかに水につかっている海ではない、
というのが2回だけ観察した者の感想。

今度の火災のニュースで知ったのだが、
この地にあった、日本人が建立した浄土院も消失したという。
テレビを見ていたら、
この寺の住職が、辛い現実を涙をこらえて語っていた。

ちょうど10年前に訪れたとき、
1人で街歩きをしていたら、
たまたまこの寺に出会った。

歴史的には日本の幕末から明治時代にかけて、
日本人の多くが移民したことは知ってはいても、
アメリカ国に属するハワイで
日本の寺に出会うのは意外である。

妙に懐かしい感慨を覚えて、
当たり前のように門をくぐった。
同じ墓地に、墓石と十字架が交じって立つ光景は
もちろん初めて見るものだった。
ある墓石には、
熊本県の村、字までの住所があり、
「〇〇の妻、〇〇 三拾七才 二月三日 永眠」とある。

別の墓石には、
「基督曰はく 我に従はぬ者は……」などと
とても墓石とは思えぬ文言が書かれていたりする。


今回の大火では、
海の中に逃げた人にまで
火焔やガスが襲ってきたというから、
この墓地を見逃す可能性はうすい。
ここは1旅行者の感傷は控えて、
とにかくより多くの写真を示しておこう。




by rocky-road | 2023-08-31 23:25 | ラハイナ