ゆる~くなり続ける日本。

この4月に、新聞の人生案内欄に
「20代女性 夢がないのは変?」という相談が載った。
これについての回答者は、
大学教授でもある哲学者。

相談内容は、いとこから「夢がないのはおかしい」と
言われて以来、もやもやしているという女性。
その親戚からは
「なにか目標を持たないとだめ」と、「軽く説教された」とか。
本人は「現実主義的なところがあって、
今日、明日を生きるのに精いっぱいです」とのこと。
これに対する回答の要点は、
「はたして夢を持って生きる必要があるのかどうか」と
相談者に寄り添う姿勢。
そして、「人間には、三つの時間の区分に分けて、
過去、未来、現在という3種類の生き方がある」という。

そうなの?
生後1か月の乳児にも、御年100歳の高齢者にも、
主観的には、現在、過去、未来があるはず。
過去だけに生きている人、現在だけに生きている人、
未来だけに生きている人に
いままで会ったことはないが、
もしいるのなら、ぜひ会ってみたい。

「3種類の生き方がある」とは、
哲学者の思考パターンがわからない。
この地球上の生物は、
春夏秋冬を前提にして、
まさに現在、過去、未来を生きている。
過去の経験があるからこそ現在に適応しているはず。

サクラは春の開花のタイミングを考えて(?)繁栄してきたし、
キリギリスやリスは、冬に備えて食料を備蓄している。
現代の哲学者は、人間どころか、
生物学の基本がわかっているのだろうか。
ソクラテスの弟子のプラトンは、
目的に向かって生きる意味と、
かならずしも結果を求めない行動の意味を
対比的に論じている、と聞いたことがあるが。

21世に生きる大学のセンセイが、
将来のある学生に
「夢はもたなくてもいい」などと語っていると思うと、
日本の将来に、ホント、夢を持ちにくくなる。

もっとも、5月3日に新聞に掲載された意見広告は、
以上とは真逆に、「夢だけに生きている」人たちが広告主。
「人工衛星」と称するミサイルが領海周辺に落ちてきているのに、
防衛力は持たないほうがいい、と主張し、
しかも、日本が「大軍拡」を意図しているなどと、
ウソを承知で誇張表現を使う。
夢は必要だが、夢想、空想との区別はできる程度の思考力はほしい。

国が低落する予兆は、いち早くコトバに現われる傾向があって、
その1つが、自国のコトバや伝統を尊重しなくなる。
「マイナ」だ、「ひもつけ」だ、「ジャンクション」だ、と。

過去、現在、未来に生きているフツーの人間にとって、
NHKラジオの「子ども科学相談」という番組で、
質問を寄せた子供との通話が終わるとき、
進行役のアナウンサーが「ありがとうございました」とまとめる。
すると子供も、反射的に「ありがとうございました」と応じる。
かくして、子供には「ございました」が刷り込まれ、
日本語の「ありがとうございます」は遠のいてゆく。

かつて、そのNHKも、
以前、受けた好意に対してお礼をいう場合も、
「謝意」(感謝の気持ち)は、いまも続いているのだから、
「〝ありがとうございます〟が適切」と放送していたのである。
「先日は、お中元、ありがとうございます」(×「ありがとうございました」)
のカタチである。

とはいえ、日本中をカバーする新幹線も航空会社も
「本日は新幹線をご利用いただきまして……」
「本日はご搭乗いただきまして……」
「ありがとうございました。」と、
とっくのとうに、過去形で表現している。
デパートもスーパーも、同様。

が、気骨のあるスーパーもあって、
某スーパーは、上からの厳命で、
「ありがとうございます」を守っているという。
やっぱり、夢は持とうではないか。

伝統的な、やや「ぶった」(偉そうな振りをする)コトバを
なんとか使おうとする例もあるが、
トレーニング不足、基礎勉強不足のために、
むしろ、だらしのない、お笑い表現になってしまう例を、
TBSテレビ、「ひるおび」という番組で学ぶことができる。

前にも、このページで書いたことがあるが、
このタレントあがりのキャスター、
「いわゆる」「要するに」を連発し続けると、どうにも止まらない。
そもそもこの用語、語彙の豊かな著述家が、
いろいろの現象を、別の表現で端的に示すときに用いる。
そのため、「カケダシ」(初心者や未熟な人)は、
背伸びしたくて、しきりにこの表現を使いたがる。

言語心理学の研究対象として、
このコトバから始めるフレーズに法則性はあるのか、
しばしば観察しているが、
ただの口癖なので、法則性はゼロ。
思いつくままに冠しているだけ。
「いわゆる大谷」「いわゆるウクライナ」
「要するにワグネル……」「要するに洪水」
(言われなくても大谷は大谷だよ!!)

自分では、気の利いたことを言っているポーズとして
連発するが、かえって教養の低さが引き立つ。
スタッフは、ミーティングのときなどに
それを指摘することはないらしい。
意外にチーム力の低い番組のようである。

公共の施設を破壊したりすると「器物損壊罪」で
罰せられるが、
それならば、自国語を損壊させてはいけないという
「言語損壊罪」という法規があってもいいのかもしれない。
現行犯逮捕はむずかしそうに思えるが、
かならずしも、そうでもない。

1つの番組の中で、「いわゆる」「要するに」
「ありがとうございました」を5回以上使ったら、
×ポイント1点、10点になったら逮捕……とか。
「表現の自由」と「言語損壊による社会的リスク」とを
どう天秤にかけるか、その議論だけでもおもしろい。

中国の報道官の、ニコリともしない厳しい表情と用語、
北朝鮮の浪曲のような節回しのニュース番組、
そこには上り調子の国のコトバの緊張がある。
日本は、その時代を80年前に終えた。

歴史は、振出しに戻って、繰り返すことはできない。
くやしいが、「もう、ダメなんじゃないカナ?」
「衰退に向かうんじゃないカナ?」
「成熟社会っていうんじゃないけれど、仕方ないじゃない?」
「国の方向性が定まらないっていうんじゃないけれど、
先が見えなくなっているんじゃないカナ?」

せめてせめて、個人としては、
そういうカッタルイ話し方をしないように
気をつけることである。
「要するに」それは、予算のいらない「国防」である。

by rocky-road | 2023-07-03 09:47