食と健康の新情報をどう発信するか。
今年も、私のバースディに合わせて
パルマローザ主催の「スペシャルセミナー」を
開催していただいた。
(2023年6月4日 終日。横浜市技能文化会館。
ちなみに当方、1936年6月5日生まれ)
演題は
「いま、栄養士には、どんな〝情報発信力〟が
求められているか。」とした。
一般論として、
情報は、あとからついてくるのが通常のカタチ。
たとえば、まず、ケモノが歩く「ケモノミチ」があって、
そこをヒトが歩くようになり、
それが、いつのまにか木道になり、
さらに、いつのまにかアスファルト舗装がされたりして、
やがて国土地理院の地図にも登録される。
ここに至って、正式に情報化される。
食や健康に関する情報も同じ、と言いたいが、
〝現状〟が〝情報化〟されるのは
ケモノミチが地図に登録されるのよりも
ずっとずっと時間がかかる。
つい先日の新聞では、
ある大学教授が、
健康の定義として、WHO(世界保健機関)のものを使っていた。
すなわち、
「健康とは、単に病気がないとか、虚弱でないとか
というだけでなく、身体的にも、精神的にも、
かつ社会的にも完全な状態をいう」
という、アレである。
この定義は、1946年のものだから、
77年前の「健康」解釈である。
この定義の弱点は、
ヘレンケラーやスケボーに乗ったケニー、
「五体不満足」と自ら名乗った
乙武洋匡(おとたけ ひろただ)さんも
活躍時代において「健康」ではなかったことになってしまうこと。
これを現代の大学生が学んでいると思うと、
「光陰矢の如し」とはいうものの、
時代というものが、いかにゆったりと流れているかがわる。
コトバの定義は、時代によって、場所によって、
人によって変わって当然である。
ある定義に不備を感じたら、その人が更新すればよい。
そういう理由で、「健康」の定義については、
20年ほど前に、大橋が更新した。
「健康とは、日々の思考や行動の自由度が
個人の中で比較的高く、心身に著しい不安や苦痛、
重篤な病気がない状態」
さて、スペシャルセミナーで演題とした
「情報の発信力」の話。
この「情報」というコトバも曲者(くせもの)で、
国語辞典では、とても満足できないので、
これも大橋流に定義してみた。
ここではそれは省くが、
要するに「情報」とは、
有形・無形のメディア(媒体または記号)によって
運ばれる、というもの。
飲食店で注文した料理を待つとき、
「ずいぶん待たせるな」と感じさせたり、
「畑に食材を採りに行ったのかな?」と想像させたり、
「よほど手の込んだ料理なのだろうと」期待させたりする。
この場合、「時間」という「無形のメディア」が、
上記のような情報を運んだことになる。
時間は、時計があれば有形ともいえるが、
時の流れや、待ち遠しい心や、苛立つ心は無形である。
なんていう話になると、
またまたコムズカシイ話になるので、
演題のメインテーマである
「栄養士に求められる情報発信力」に限って
話を進めよう。
「情報発信力」とは、簡単に言えば、
話題を作って、人に伝える能力のことである。
「きょうは、晴れましたね」
「あら、お出かけ? お買いもの?」
「ご興味があれば、1日に何をどれだけ食べればよいか、
目安の1つをお伝えしましょうか」
などの声かけは、話題力であり、情報発信力の一端である。
「いつも、お召し物がステキですね」
と、周囲の人から、しばしばいわれる栄養士は、
情報発信力があるといえる。
情報は非言語的にも発信可能である。
そうであれば、
「あの人、いつも暗い表情ね」
「いちいち突っかかってくるので、イヤになっちゃう」
と、陰口される人にも、
それなりの「情報発信力」はある、ということになる。
確かにそうだが、
その情報は、アンヘルシーで、アンハッピーな
マイナス情報でしかない。
これは、世の中が求めていない情報を
発信している悪しき事例である。
ここで話がハイジャンプして、
「スペシャルセミナー」から1週間後に開かれた
「食ジム」第121回の話に(これって「情報の高飛び力」?)。
ここでのテーマは
「栄養士の社会貢献として、
マスメディアに参加するということは どういうことか。」
(食コーチングプログラムス主催
2023年6月11日 かながわ労働プラザ。
座長/佐藤由起子さん
アドバイザー/影山なお子さん 大橋)
この話し合いでは、食や健康関係の「有名人」をあげてみたり、
同じく食や健康に関して影響を受けたりしたメディアについて
話し合った(テレビ、教科書、書物、新聞、雑誌など)。
「スペシャルセミナー」の「情報発信力」と、
「食ジム」の「マスメディアへの参加」とは、
図らずもセットのテーマである。
したがって、けっしてハイジャンプをしたわけではなく、
隣の部屋に移った程度の移動である。
最初にあげた「健康の定義」のように、
70年も前のものを使っていてはダメ。
であれば、定義や概念もどんどん更新して
社会に提示すべきではないか。
私が関係するセミナーでは、
「健康の定義」も「健康の3大要素」も、
「幸福の定義」も「栄養バランスの定義」も
更新してきているし、
「食には栄養補給以外の多くの意味があること」や
「余暇活動」と「予暇活動」の違いなども
提案ずみである。
が、それらは、いまだに社会の財産になるどころか、
栄養士、健康支援者の99%は、
「聞いたこともない」という状態。
2020年に
『栄養士のためのライフデザインブック』
(医歯薬出版刊 大橋監修 影山なお子編
本体定価3200円)を世に問うたが、
いまだ「社会貢献」には、ほど遠い。
マスメディアは全方向に目を向けているから、
小さくてホット情報には気がつきにくい。
それ以前の問題として、
人は多分に心の目(この場合、体験から生まれる視力、
すなわち記憶)によってモノを見ようとするから、
経験のないものの存在には気がつかない。
早い話が、自分好みのものにしか見えない。
ということは、
こちらからメディアに向けて働きかけなければ、
あちらは、まったく関心を示さない。
いや、1回や2回のアプローチでは、
気配さえ感じられない。
「それくらいわかっているのなら、
さっさとやればいいじゃん?」
そうなんです。
わかっているようで、ポカンとしていること、
あるわけですよ。
「スペシャルセミナー」と「食ジム」とが
続いたおかげで、
そのことが改めて意識にのぼった。
では、どうアプローチするか、
狙いをどうつけるか、
どれくらいの期間を想定するか……、
時間と知力と体力を要するアクションだが、
やらにゃぁしょうがないでしょう。
それって、「社会貢献」だし、
歴史への参加だからね。
やりましょう。
といった、メディア情報は、
かなりの頻度でオープンにしているが、
これもまた、
人は経験で身につけた視力でしかモノを見ないから、
100回や1000回の発信では効果は望めない。
ま、とにかく、やりましょう。
by rocky-road | 2023-06-14 23:26 | パルマローザセミナー