『栄養と料理』は、生涯現役。
1935年創刊のこの雑誌は、
今年、米寿を迎えたという。
雑誌にも還暦がある、というのはおもしろい。
「料理」といっても、
栄養学とセットになっている理系の要素がある雑誌が、
「米寿」だという、
そのミスマッチな発想は、洒落ていて賛成である。
蛇足ながら、米寿を迎えた『栄養と料理』は
私より1歳年上のお姉さんである。
6月号では、スペシャル企画として、
歴代の編集長からのコメントを掲載してくれた。
自分が編集長であった時代、
こういうアイディアが生まれたかどうか、
やや心配。
取材は、メールでのインタビューではあったが、
そのおかげで、時間をかけて
自分の編集長時代を振り返えることができた。
登場した元編集長は、私を含めて4名。
3人は私の後輩の人たち。
私の前任編集長は、岸 朝子さん。
彼女は、女子栄養大学出版部退職後、
フジテレビ系列の「料理の鉄人」という番組のレギュラーとなって、
広く知られる人物となった。
その岸さんは2015年に91歳で他界されたので、
『栄養と料理』の元編集長で、
私の先輩編集長で生存している人はいない。
当時、趣味のスノーケリングとの関係から、
㈱水中造形センターの編集のお手伝いをしていた。
この会社は、『マリンダイビング』という雑誌を発行していたが、
社長の舘石 昭さんが、本気で出版活動を広げたい、
とのご意向を示したので、
新しい雑誌や出版物の企画や編集に協力することになった。
舘石さんは、日本における、プロの水中カメラマン第1号で、
水中写真のプロダクションを開設して、
映画の水中シーン撮影の請け負いや、
水中写真のフォトライブラリーとして、
フイルムの貸し出しなどをしていた。
私の参加で、この会社に出版部門が生まれ、
雑誌では『海と島の旅』や『マリンフォト』、
書籍では『沖縄 海の旅』 『ニコノス フルガイド』などの
刊行物がふえていった。
これらの企画・編集に30年近く、かかわることになる。
こういう時期だったので、
勤務先の女子栄養大学出版部で
『栄養と料理』の次期編集長候補として
名前があがり始めたころは、
会議などでは発言を控え、
顔をあまりあげないようにしていた。
しかし、けっきょくは指名され、
以後、通算10年間、
『栄養と料理』の編集長を務めることになった。
さらに、書籍編集課長を兼務する時期があって、
『食品の塩分早わかり』から始まった「早わかり」シリーズや
その他の単行本のプロデュースもした。
「早わかりシリーズ」は、いまも続いているようである。
40~50代というのは、
心身ともにタフな時期で、
食、健康、ダイビング、海の旅……
という、分野違いの複数の雑誌、書物を担当しながら、
スノーケリングの旅を続け、
クラブを運営し、それ以外にも、
ダイビング組織の連絡会議を立ちあげたり、
水中映像のサークルや、
水中写真の定期的な発表会を開いたり、と、
疲れを感じず、よく動いた。
今回の『栄養と料理』のインタビューに
当時、出会った筆者や、誌上で扱った記事で
「印象深かったヒトやコトは?」という問いかけがあった。
お答えしたのは、スペースの制約のため、
豊川裕之(ひろゆき)・東大医学部助教授(当時)と、
足達淑子先生(福岡市東保健所予防課課長/当時)のお2人。
もっとあげられるのであれば限りないが、
そのうち、さらにお2人と限れば、
摂食障害に関して、
鈴木裕也(ゆたか)先生(埼玉中央病院内科医長/当時)、
料理の位置づけに関する見解で
森本哲郎氏(評論家。元・朝日新聞編集委員/当時)。
この方々からも、今日につながる多くの示唆をいただいた。
さて、前述の
豊川先生からは、「健康は目的ではなく手段」という指摘を受けた。
当時、『栄養と料理』の表紙のキャッチフレーズに
前任者から受け継いだ「食事で健康を」謳っていたので、
先生の指摘は強い刺激となった。
現在、大橋は、「健康の6大要素」を提案しているが、
その発想の主要部分は、豊川先生の示唆による。
晩年の先生には、その旨をお伝えした(いまは故人に)。
足達淑子先生からは、行動療法を学んだ。
「行動」には血流や拍動、意志など、
見えない「行動」が含まれること、
「モチベーション」(行動の動機)の幅の広さ、
ライフスタイルの意味などは、
現在のわが健康論の基礎となっている。
編集長在任中に、精神医学の雑誌でその問題を知り、
これは『栄養と料理』でも扱うべきテーマだと思った。
なかなか専門医が見つからず、
あちこち当たった結果、鈴木先生にたどりついた。
摂食障害を記事にすると、
ご当人や親御さんから手紙や電話があり、
毎日、その返事に追われた。
しかし、長電話の相談を受けているうちに、
カウンセリングのなんたるかを知らず知らず学んだ。
テレビの取材のオファーもあったが、
個人情報満載の事案のため、もちろんお断りした。
読者からは、
「私は、そこから復活したから、その手記を発表したい」
とのアピールがあった。
それは読者のためになる、と思って掲載したが、
すぐに親御さんから電話があって、
「治ってなんかいない、いま真っ最中!!」との
お叱りを受けた。
「治りたいから、その振りをするのだ」と。
その後、障害に苦しむ人や親御さんたちと
接触を繰り返すうちに、
この病の遠因は、
当人の両親の夫婦関係にある場合が多い、
ということを学んだ。
コミュニケーションの少ない、冷めた夫婦、
リーダーシップが希薄な父親などが、
子供たち(おもに娘)の心の安定を失わせる、と。
摂食障害は、多分に精神医学の領域で
栄養士の守備範囲ではないが、
実際には、栄養士に相談を持ちかけるケースは多かった。
そのことから、
栄養士にも「カウンセリング」のスキルが必要と思った。
そこで、栄養士を対象とした「カウンセリングセミナー」を開催した。
教育を専門とする大学のシステムを通さずに、
編集部が独自にセミナーを開催することには
当然、反対があると危ぶんでいたが、
稟議書はすんなり決済された。
さて、話は変わって
1回だけのインタビューに終わったが、
森本哲郎氏の着眼には大いに納得した。
森本氏の弟は、元NHKのアナウンサーで、
のちにフリーになった森本毅郎氏。
当時、コンピューター用語の「ハードウエア」「ソフトウエア」が
普及し始めていたので、
哲郎さんは、「料理そのものはハードウエアですね。
レシピどおりに作れば、だれもが同じものが作れる。
しかし、そのお料理を人に出すとき、
どういう出し方をするか、つまりソフトウエアによって
おいしさは大きく左右される。
『栄養と料理』は、こういう点にも配慮することです」
この着眼はおもしろいと思った。
盛りつけ、献立、供するときの声かけなどによって
「おいしさ」は大きく変わってくる。
人の心とサービス精神の大切さを、
うまいたとえ話で伝えてくださった。
思い出語りはキリがないので、
このあたりでフィナーレに入りたいが、
戦中、戦後、そして出版不況などを越えて
わが『栄養と料理』が米寿を迎えられた理由はなにか。
ふと思い出したが、
『栄養と料理』をまねた『料理と栄養』という雑誌も
創刊されたことがある。
が、コンセプトも気合も希薄な雑誌は、
ほんの数号で消えていった。
したがって、
人間に欠かせない「食と健康」を扱いさえすれば、
安泰とはいかない。
情報の正しさ、読者に迎合しすぎない、
しかし、一定の方向を示しうる
〝あと押し型〟リーダーシップを失わないこと、
などなどは欠かせない。
しかし、それだけでは決め手にはならない。
大学に所属する出版部という点も、
利点になっていることだろう。
独立した出版社であったら、
この苦境には耐えられないかもしれない。
もしいま、編集長をふたたび任せられたら、
さらに話題性のある魅力的な雑誌にして、
健康寿命をさらに延ばしてあげるのに。
お互い、高いモチベーションで、現役を続けよう。
by rocky-road | 2023-05-13 17:42 | 女子栄養大学 『栄養と料理』編集長