ヘルス映像学会 発足か。
パルマローザの写真教室は、
今年で16年を数えた。
栄養士、管理栄養士が16年間、
写真撮影のトレーニングを続けている例は
世界にどれくらいあるのだろうか。
世界は広いから、
登山だの、ボウリングだの、カラオケだの、
専門以外の余暇活動を続けるグループは
少なからずあるはずで、
そのことによるモチベーション、健康向上の効果は
想像以上に大きいものがある。
であるならば、
「栄養士と写真撮影」にはどんな意味があるのか、
それを証明する必要があるだろう。
幸か不幸か、
いまのところ、そのことに気づいている人は、
あまりにも少ない、いや皆無に近い。
しかし、「食と健康」と「写真」との関係は、
5秒も考えればわかること。
その第1は、料理や献立の写真の利用。
記録として撮っておく、
それを献立表やチラシに使って
利用者(生徒・保護者、病院、各種施設)に
情報として提供する。
栄養士に限らず、
食にかかわる職種は、
写真を活用する機会が多いことは明らかである。
いやいや、そうではない。
写真を使う必要のない職業など、
実際には、この世に「ない」と言い切っていい。
総理大臣、農林水産業、弁護士、税理士、
交通機関の従業員、教員、刀鍛冶、
美容師、理髪師、医師、軍人、
スーパーマン、ウルトラマン……。
しかし、現実には、
写真の活用法に気づかない、
または撮影技術がない、
人や業種が圧倒的に多いと、きたもんだ。
いまは、100人中99人が
スマホカメラを持っているという時代である。
ほうっておいても、その活用法が広がりつつあり、
それが個々人の身体機能の発達、維持、向上に
深くかかわっていることを示す研究報告が
遠からず発表されるはずである。
ただ、心配なのは、
飲酒経験や、コーヒーを飲む習慣が
「成人病」のリスクではなく、
むしろ、メリットになるという研究のように、
とかく飲食物の成分のほうに原因を求める傾向があるから、
写真撮影の場合にも、
うっかりすると、
そのメリットを小さくとらえる可能性がある。
(ここでは、意味あって「生活習慣病」という用語は避け、
あえて「成人病」とする。理由は後日、ここで)
因果関係を、対症療法的に、
小さくとらえるもう1つの事例としては、
カラオケが健康上のメリットとして、
「肺活量」が云々と、述べる医師がいた。
どうも「娑婆」(しゃば)やライフスタイルについて
知識も思考も経験も少ない研究者は
その要因を浅薄にとらえる傾向がある。
で、以下は、写真撮影の習慣が、
人間の心身の健康にどれくらい有効か、
という仮説である。
いつか、健康論として参考にされる日がくることを予想して、
述べておきたい。
ちなみに、昔の著名カメラマンは、
こんな名言を残している。
「写真はフットワーク」
「写真はスポーツである」
「写真はコトバで(口で)撮る」
(モデル撮影など。「いいよ、いいよ、
いっそ、そのシャツ、脱いでみようか」)
「写真は、現在・過去・未来を撮る」
「水中写真はダイビング技術で撮る」
「水中写真は〝待ち〟である」
以下、「写真健康論」を。
1.まず、わが持論、
「好奇心」は、内的に自然に生じるのでなく、
その情報を人に伝え、受け入れられたときに、
生まれたり強化されたりする。
近年、事件があると、
かならず「スマホカメラマン」が、
報道担当となって現場の状況を発信する。
「知らせたい」「知らせられる」という動機が
好奇心を募らせるのである。
2.流動する世界の様子を、
静止画像として記録する意味。
カップに注いだミルクの表面に
1滴が落ちたとき、
その表面のミルクは王冠のように跳ねる、
その瞬間を撮ったカメラマンがいた。
物理現象の、なんという美しさ。
(いまは、撮影方法まで、ネットで知ることができる)
日常生活では、
事故を起こして逃げ去る車のナンバーを
証拠写真とした一発写真。
路上で交通ルールについて口論中、
道端の棒を持って向かってくる相手の写真を撮って、
警察で証拠品として提示したために
一転して自分が絶対有利になった一発写真。
すなわち写真は、数秒後に起こる現象・事象を
予測したり決定したりする能力を発達させることになる。
3.俯瞰ポジション、反対側のポジションからの視点。
人間は、飛行機を発明する以前から、
鳥の視線で地上を見ることができた。
そこから地図が生まれた。
そしていまは、自撮りシャッターや自撮り棒、
さらにはドローンを使って、
山頂やエントツの上、万里の長城の上に立つ
自分や自分たちを撮ることができる。
あるいは、橋の上に立つ自分たちを、
橋の向こう側から撮る……。
居ながらにして、向こうから見た自分を想像する、
脳内に、別の視点をもつ意味は、
動物としての感受性、人間としての客観性、
言い換えれば、
「心の目」をもつことによる
認知機能上の利点は計り知れない。
4.美意識、構成力を強化する効果。
異なる視点をもつことの、もう1つの利点は、
角度により、位置により、
独自の美的・構成のおもしろさを発見できること。
主たる被写体と背景、周囲の景観、事物との関係を
オリジナリティのある構図として記録することで、
広くて深い視野をもつことができる。
5.自分の人生の歴史をジャンルごとに保存する意味。
私の例でいえば、
写真歴が続くにしたがって、
いろいろのホルダーが生まれる。
「Rocky ヒストリー」「食ジム」「エンパル」
「シーズン」「横浜風景」「パルマローザ」
「水中写真」「沖縄水中」「能登水中」「半水面」
「料理・食品コレクション」「花コレクション」「写真教室」
「ロッコム文章・編集塾」「広島コミ研」「ブログ素材」などなど、
写真のホルダーだけで80項目ほどになった。
年ごとにカテゴリーをふやしてゆくことは、
認知機能の活性化につながることだろう。
6.ネーミングによって言語表現を刺激する効果。
これは一般的には知られていないが、
フォトコンテストに応募するときは、
タイトルが必要になる。
ネーミングは、作品の質とは無関係だが、
コトバとは無関係な神羅万象を
短いフレーズで表現することは、
言語能力や発想力を大いに刺激する。
これは俳句や短歌にも通じる。
写真が言語能力を刺激することを
認識している人は少ないが、
フォトコンに応募したり、メディアで発信いたりする人は、
この能力を棚から降ろす必要に迫られる。
昔、著名なコンテストで大賞を取った作品に
「餌場」とのタイトルがついているのに
なんとも淋しい思いをした。
海に出ていたサケが、
産卵のために激流の川を遡上して、
小山のてっぺんにある淀み(よどみ)で産卵し、
そこで最期を迎える。
が、自然界の厳しさは、
命が尽きるサケを狙ってタカのような
中・大型の鳥たちが集まってきて、
サケの亡骸をむさぼるシーンを現出する。
それを半水面で撮った(上にタカ、水面下に死んだサケ)、
すばらしい努力作品である。
が、それを「餌場」とネーミングしてはいけない。
人間が仕掛けた「餌場」などではなく、
食物連鎖の、リアルで切ない光景である。
ここは「旅路の果てに」 「天に昇る日」
とでも、してほしかった。
写真は、非言語的分野と思われがちだが、
前述のホルダー化も含めて、
なかなかどうして、言語的な要素も少なくない。
自慢ではないが、
「第29回 よみうり写真大賞」で1席を得た
私の作品のタイトルは「わんマンショー」である。
この1作については、タイトルも、受賞に貢献したと
深く深く思っている。
7.いうまでもないが、
写真はコミュニケーションのツールとしての存在価値は高い。
設置カメラやドライブレコーダーの普及で、
ますますその価値は高まっている。
こうした一連の写真撮影習慣が、
個々人のモチベーションを高め、
それによって居場所がふえる、
それが、
自他の健康度をどれくらいあげるものかは、
いくら強調しても、しすぎることはないだろう。
「ヘルスコミュニケーション学会」があるならば、
「ヘルス映像学会」というものも
あってもよい。
いま、設立を宣言するか、
もう少し地固めをしてからにするか、目下、思案中。
とすると、パルマローザの写真教室は、
健康支援者にとって、
パイオニア的イベントであると言えるだろう。
反発を覚悟で言うが、
「写真の撮れない食関係者は
表現力という点では2流以下」
と言われる日が、遠からず、くることだろう。
by rocky-road | 2023-05-05 17:29 | 写真教室