『生きる』タイミング。

影山なお子さんが立ち上げた映画鑑賞会の第2回は
イギリス映画『LIVING』であった。
(黒澤 明の『生きる』を、
カズオ・イシグロ氏が、リメイク脚本で完成させた作品)。
栄養士が、なぜ映画観賞会をつくって
定期的に映画を観ることの意味は?
……なんて考えるのは野暮中の野暮。

映画も、書物の輪読会(大学ではゼミの1形式)と同じで
複数で観ると、1人とは違う視点が加わる。
映画に見方の方法論など必要なく、
観たいように見て、好きなように解釈すればよいが、
人の見方を参考にすることの意義は大きい。
大学にある「映研」(映画研究会)には、
映画を多角的に観る場としての意味がある。

映画とは、フィルムおよびコンピューターに
記録された作品を鑑賞するもの、
と考えがちだが、
実際には、
それを観る人たちも、その作品に参加するのである。
1人で観るか、複数で観るか、どんな人と観るか、
映画館の前方で観るか、立ち見をするか、
ポップコーンを食べながら観るか、
ビールを飲みながら観るかによっても、
作品の解釈は違ってくる。

大きく変わるものである。
感じ方、認知のレベルや深さ、思考、解釈、評価……。

それだからこそ、
世の中には、観た映画の感想や解釈の違いで
キッパリと縁を切った友人、先輩と後輩、仕事関係、
恋人、夫婦、親子は少なくないはず。
映画を「総合芸術」と呼ぶ人がいたように、
観る側も、その「総合」にそれとなく参加させられるのである。

さて、イギリス国籍のカズオ・イシグロ氏は、
黒澤作品を、実に忠実にリメイクしている。
1950年代頃までは、
(たぶんイギリスでも)がんは死の病だったし、
健康観や医療への関心が今日ほど高くはなかったから、
怖いものには近寄りたくなかった。

そのせいか、症状の程度を示すシーンも、
治療や服薬など、医療的なシーンなどは完全に省かれている。
(「がん」はかな書き。
「ガン」とすると、「夕陽のガンマン」になるから)

というわけで、
この映画を、制作意図どおり、
いわば文学作品またはヒューマンドラマとしての感想を
もつ人が多くて当然である。
「死を悟った人間の生き返り方」
「真に生きることは、長生きすることとは限らない」
「人は熱しやすく冷めやすい。故人の業績を評価しても、
時間が過ぎれば、
次のがん患者を生み出す仕事振りに戻る」などなど。

(現代的に)「いまも昔も、生き方がわからず、
ボーっと生きている人はいる」と感じた人も多かろう。

しかし、健康論として観た人は多くはないだろうから、
その観点からの感想を書いておこう。
主人公の「予暇活動」のない、
職場と家との行き帰りだけのライフスタイル、
妻とは死別、息子夫婦と同居する冷たい家庭環境、
同僚とのコミュニケーションが少なく、
市民からのプレッシャーも弱い職場環境……、
これらが、「がん」の発症リスクの伏線になっている。
(いまならフレイルや認知症もプラス)

「ライフスタイルを見直そう」などという、
マジメなテーマをちらっとでも出すと、
文学作品の価値は急落する。
ここは、自分の生き方などを投影させないで、
「ゾンビ」とあだ名された(黒澤版の志村 喬の場合は「ミイラ」)、
夢遊病者のような主人公の敗者復活戦が見せ場に
没入するのが、制作者に対する素直な向き合い方かもしれない。
映画を視た翌日、『読売新聞』(2023年4月2日)に
「『8000歩』週1~2日、健康への第一歩」
という記事が載っていた。
京都大学と、カリフォルニア・ロス校のチームが
行なった研究結果だという。

上記の頻度と量を歩いている人は、
10年後の死亡リスクが14.9%低くなる、という。
以前には、別の機関が、
酒を2日に1合飲む人、コーヒーを1日1~3杯飲む人は、
それ以上飲む人、または、まったく飲まない人より
死亡リスクが低かった、という研究発表があった。

「研究」というのは、
選択したテーマのデータ中心になるので、
8000歩、歩く人、酒やコーヒーを飲む人が
どういうライススタイルなのかの調査はできない。
そのため、研究者自身でも、
酒やコーヒーに、健康にプラスとなる成分が
含まれているかのように早合点してしまう。

大事なのは、酒やコーヒーを適度に飲む人、
週に2回くらい、1日8000歩ほど歩く人は
どういう価値観、人生観、食生活、
交友関係、「予暇活動」などを持っているのか、
その内容、つまりライフスタイルのほうである。

人生観、価値観、家族関係、仕事、友人、
読書習慣、食習慣、食事内容などを
数千人に対して、
細かく調査することはできないから、
どうしてもピンポイント調査になってしまう。

しかし、映画「LIVING」の主人公、ゾンビ氏の生活を見れば、
この1作だけでも死亡リスクはわかる。
してみると、
被験者の選び方に偏りがなければ、
10人か20人か、その程度のデータでも、
それなりの成績が得られるはず。

映画は、
そんなことまでは言ってはいない(念のために)。
1950年代も現在も、
人の生きる目的は、そんなに変わってはいない。
しかし、地球上で見れば、生き方はさまざま。
1人にいくつかの生きるタイミングがある。
ウクライナやロシア、ミャンマー、その他の地域には、
死ぬことで生きる人が後を絶たない。

しかし、地球の人口の過半数は、
ゾンビやミイラのように、
最初から死んだまま生き続けている。

ヒトもまた、生きるタイミングを、
どこかで見失う動物である。

映画『生きる』は、
何人の人を、生き返らせるのだろうか。

by rocky-road | 2023-04-03 23:07 | 大橋禄郎 文章教室