人の人生にかかわるプロとして。
2023年3月12日に終わった。
テーマと、プロットは以下のとおり。
どんな集団の中でも、栄養士として、一個人として、
輝きを放つ存在になるためのアクションプラン。
座長/ 影山なお子さん
アドバイザー/大橋
1.ここだけのハナシ、子供のころ、「かわいい」「カッコいい」
「あなたイイ人ね」などなどと、人から言われた経験。
(いつ、どんなとき、だれに……)
2.私が、おしゃれや身だしなみ、話し方など、人格形成をする
ことに目覚めたころ、その必要を感じたとき。
3.今まで会った人物の中で、スタイル、身だしなみ、話し方、
立ち居振る舞いで感心した人をあげるとすれば……。
(パルマローザ関係者は除く)
4.いま、改めて、栄養士の社会性強化が必要と思われる
1~100のポイント。
5.「輝き」のある大人として生涯を送るための99のポイント。
人間の輝きとはどういうものか。
会場では、次のように定義した。
「思考、協調性、将来への方向性、そのための努力、
行動力、表現力、リーダーシップ、品格、表情、身だしなみ、
マナーなどの利点が、一定の集団の中で際立つ状態」
一般名詞の「輝き」は、
「光できらきらすること。立派で、はなばなしいこと」(広辞苑)
となるように、どこかに「キラキラ」や
「立派さ」があることが前提となる。
今回、119回のコンセプトは、
人の健康を支援する栄養士としては、
「健康」を「カタチ」として示し、
支援を受ける者が、その目標を定めやすくするためにも、
「際立つ存在」でありたい、
それを「輝く」というコトバで表わした。
かつての栄養士像の一面である、
「白衣姿」「ソロバン片手」(古いね)
「マジメだけど地味」「食事は栄養素をとることだけが目的」
というのでは、ナミの栄養士止まりで、
とても輝くことはできない。
イントロダクションとして、
子供のころ、どんなことで人から称讃を受けたかを
披露していただいた。つまり「輝き」の別表現である。
日常生活で、自分がほめられた話を公開する機会は
めったにないことだが、
自身のここまでの軌跡を
自慢話としてではなく、
歴史的事実としてたどることの意味は、
けっして小さくはない。
それは、自身のライフスタイルやアイデンティティを
自覚し、強化することにもつながるはずである。
人の人生に深くかかわる(左右する)職業として、
一般には、
医師(とくに産科)、助産師、教員、思想家、作家、
神職、僧侶、牧師などがあげられるが、
栄養士を含む健康支援者は、
好むと好まざるとにかかわらず、
「人生にかかわる職業」に
参入する存在になりつつある。
……などと言っても、日本中の栄養士の99%は、
「なんのこと?」と思うことだろう。
しかし残りの1%未満のうち、さらに一部の、
「食コーチング」の講義を受けた栄養士であれば、
健康支援とは、1日にどんな栄養素を摂取すべきか、
という問題にだけかかわっている職業ではなく、
食事や食生活の生物的・物質的・精神的環境としての
ライフスタイルにも目を向けるべきことを知っている。
このページで、再三、強調しているように、
英語の「ライフスタイル」は
「生活習慣」だけを指すのではなくて、
生き方や人生観をも含む「生き方の姿勢」をいう。
栄養補給も充分に人生にかかわるが、
それはおもにボディという、
マシーンの性能を補強するのが目的。
しかし、「食事」となると、
まずは、時刻、場所、食器、同席する人、
見た目のよさ、おいしさ、味覚的・栄養的なバリエーション、
季節感、食べる人の作法、話題など、
人間性を左右する要素があまりにも大きくなる。
その意味において、
食事は、健康を支える手段にとどまるものではなく、
人の生きる目的にもなっている。
「人は生きるために食べるのか、
食べるために生きるのか」などという
珍問答を楽しんだものだが、
いま思えば、
「生きるために食べる」に近いが、
改めていえば、
「輝いて生きるために食べる、
そして、どう食べるかによっても
人生の豊かさ、すなわち輝き度は変わる」
となるだろうか。
「桜の下で一杯やりたい」
「ホテル最上階ラウンジで食事をしませんか」
「子供食堂で働くことにした」
「イタリアで回転すし店を開業する」
などなどは、
「食べるために生きる」姿であり、
押しも押されもしない「人生の目的」の
重要な部分でもある。
栄養士は、その名称ゆえに「栄養指導」が
仕事であるかのように自らが錯覚しがちだが、
どんな職種にあっても、
栄養士としての基本的スタンスは、
おいしい、豊かな食事、それがある食生活によって
過不足のない栄養素とエネルギーの確保であり、
さらには、「心の栄養」の補給を図ることである。
「心の栄養」とはなにか。
それは、
豊かな人生を送るためのモチベーションであり、
理念であり、一定の目標であり、
人との交流の基礎となる協調性や寛容性、
肯定的な態度などを支える「情報」ということになる。
それらが備わったとき、
その人は、一定の集団の中で「輝く」はずである。
食生活は、
以上のような資質を育む最適、最強の場である。
その場を確保し、
そのレベルを維持・発展させるプロの1人が
栄養士であろう。
インターネットで検索すると、
「食育アドバイザー」「食育インストラクター」
「健康運動指導士」「音楽健康指導士」
「健康管理指導士」「フードコーディネーター」
「フードスペシャリスト」などなど
際限もなく、健康関連の「資格」のいろいろが出てくるが、
どこで、どんな活動をしているのか、
一般人が接触する機会はそう多くはない。
それらのプロが、
今後、活躍の場を広げることを願うが、
いろいろのルートがありながら、
にわか仕込みでは、
「健康とはなにか」という哲学と、
その地盤となる食生活のいろいろのスキルを
身につけるのは容易ではない。
ここは100年の歴史をもつ「栄養士」が、
「日常茶飯事」の重要性を示しつつ、
その先にある心身の健康のあり方をリードするのが
いちばんムリがない適役ということになろう。
そこで、まとめとして、
「栄養士の社会性強化が必要と思われる
1~100のポイント。」の
いくつかをあげておこう(ここは消去法で)。
*だれからも「地味」「暗い」といわれない。
*表情が暗くない。 *いつも伏し目がちではない。
*髪がぼさぼさではない。 *声が小さすぎない。
*「清潔感がない」などとはいわれない。
*猫背、うなだれ立ち、よたよた歩きをしない。
*身だしなみに無関心ではない。
*ていねい表現がいい加減ではない。
*話の趣旨があいまいではない。
*親しくない人などに上から目線の話し方をしない。
*約束を破ることはない。
*外出や、人との接触を避ける傾向はない。
*会食、外食が嫌いではない。
*メール、ハガキ、手紙のやり取りを
する相手がゼロでも、少なくもない。
*食事は栄養素をとることと思い違いをしていない。
*健康について、人に説明するのが苦手ではない。
*お尻が重い、億劫タイプではない。
*夢や希望を失ってはいない。
これもあげだしたらキリがない。
そして、栄養士であることと、
輝きのある社会人であることとは、
大きな違いはない。
さあ、栄養士よ、
人の人生にかかわる職業に参入する自覚をもとう。
by rocky-road | 2023-03-16 22:25 | 「食ジム」