日本国のモチベーション。

8月28日(日)、食コーチングセレクションによる
《Rocky サロン 》
「3回シリーズ/モチベーションを高める言語アプローチ」が
スタートした。
経過は影山なお子さんのブログ、
「スタンバイ スマイル」
(http://www.palmarosa.jp)にお願いして、
ここでは、わが日本国のモチベーションについて考えてみたい。

周知のとおり、現在の日本国は、
歴史上、もっともモチベーションが落ちている状態で、
深い深い谷底にある。
コロナとか円安とか、物価高とか、
そういうこととは直接関係ない。
根本的な問題は、
国として、いまどこにいて、どこへ向かおうとしているか、
合意形成がなく、
方向感覚を失っている状態にある。

「だれのせい?」というよりも、
自分の国を世界1の強国に守ってもらい、
他国から攻められる可能性をこれっぽっちも感じず、
自分ではなんの努力も必要ないと錯覚した状態に置かれた結果、
このような生物的適応性が身についた、
ということである。

人類の歴史は、
絶えることなく自然災害や飢餓の繰り返しだが、
それでも全体としては
災害のない、無風状態の期間のほうが長い。

なのに、波風の立たない生活というのは
ストレスの減少という、一見好ましい状態ながら
モチベーションは低下するという、
生物の進化のうえでは恐ろしい結果を招く。

そうなってはならぬと、
ヒトは身近なところにストレス因をつくり出す。
人の悪口、持てる者と持てない者との対立、
有能者と低能者との対立、
集落と集落との間に起きる対立感情など、
なんとしてもストレスを見つけ、
それを緩和するためのモチベーションを高めてきた。

それさえできないときは、
「いまに空が落ちてくる」と心配した。
それが中国の「杞の国」で、
そこから「杞憂」(きゆう=取り越し苦労)というコトバが生まれた。
「杞憂」とは、ヒトがストレスを手づくりすることを示す、生きた化石である。
ストレスとは、実はモチベーションのカプセルなのだ。

日本の場合は、先進国相手と戦争を始め、
強烈なモチベーションを体験することになった。
日々の食料をどう確保するか、B29の爆撃からどう身を守るか、
暑さ・寒さをどうしのぐか……といったストレスは
マイナスのモチベーションとなって
それなりに自分の健康を、というよりも自分の命を守った。

「撃ちてし止まむ」(うちてしやまん)
「欲しがりません勝つまでは」
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
「一億玉砕」
などのスローガンも、
それなりに心を支えた。
あとから思えば、この上なく辛いことも、
モチベーションの高いときには、
「幸か不幸か」などと考えているヒマはない。

打ち込むことに充足感を覚えるものである。
つまり、モチベーションには大別して
「プラスのモチベーション」と
「マイナスのモチベーション」とがあって、
ヒトは、それを使い分けて適応性を高めてきた。
当時の日本人は「ストレス」というコトバも
「ショック」というコトバも知らず、
空襲を受けている最中も、
空襲が終わったあとも
「ストレス」や「ショック」を感じようがなかった。

あれから70年あまり、
外国から国を守ってもらうことに慣れると、
国としてのモチベーションは低落して、
国として、どこへ向かって、どう動いたらよいか、
などということは、考える必要さえなくなっている。

「これではいかん」と感じ、考えたのが、
先日、非業な死を遂げた安倍晋三元総理大臣だった。
国としての顔、表情を示すために、
在任中は世界各国を回って、
「顔」を売ってきた。
それは国の存在感を示すことだった。

昔、池田勇人総理大臣は、
フランス大統領のドゴールから「トランジェスターのセールスマン」と
揶揄されたことがあるが、
安倍さんは、国の存在感をアピールするセールスマンだった。
安倍さんが総理大臣をやめても、
存在そのものが「安全保障」であるといわれた。
つまり、日本周辺の国々が核兵器を持つようになり、
かれらの攻撃的モチベーションが日に日に高まってきていることを
安倍さんは気づいて、
「同じ価値観」を持つ国々と行動をともにしようと、
あちこちの国に出向いて、チームをつくろうとした。

そんな人が、非業の死を遂げた。
その業績を知る人は、国葬として弔うことにしようと決めた。
ところが、その国葬に反対する政党やマスメディアは少なくない。
その理由は「費用がかかり過ぎる」「税金を使うな」などである。

モチベーションという観点から言うと、
かれらは、国葬に反対というよりも、
いちばんの理由は、自分の所属する政党、会社、番組の
存在感を示すことにあり、
それによって、自分の経済的基盤を維持することにある。
かれらのモチベーションのサイズはそこ止まりで、
国の将来とか、国の方向性とか、チームプレーとかの大局性はゼロ。
いや、ゼロを切って、マイナスの範囲。

モチベーション論として考えると、
彼らの所属する組織の活動や、
彼らの提供する情報に共感する人というのは
こんなタイプではないだろうか。

*現時点で人生に達成感を得られない人、
*日々がヒマで、かつビジョンのない人、
*遊びや運動、スポーツの経験が少なく、
チームプレーの楽しさ、豊かさ、フェアプレーの充足感を
体験していない人、
*接客のない事務系、インドア系、セクション固定系の人、
*リーダーシップの必要性を経験したことも考えたこともない人、
*もともと活動的・社交的ではないタイプの高齢者、
*国立大学を出た人などなど。

国立大学(とくに東京の)を出た人にリベラル派や左翼が多いのは、
税金で大学を出たことに対するコンプレックスによるものだろう。
だれも、「税金で大学を出た」なんて言ってはいないが、
彼らの中には、そう言われないようにと、
先手を打って、国の方針や方向性に冷めた態度をとる。
そうすることで、
国に恩義を感じていないことを示そうとする。
しかも、それが伝統となってしまったので、
それとは反対の態度をとることをひどく恐れる。
自発的に建設的なモチベーションを見つけられない人や組織は
人の悪口を言ったり、足を引っ張ったり、クレームをつけたり、
四六時中、文句ばかりを言っている。
月の光のように、自分では輝こうとせず、
太陽の光を反射させて目立とうとする。
「マイナスのモチベーション」で生きる個人や組織の
典型例である。

そういう組織の担当者や責任者は、
幼少時から「いい子」で、
勉強はできたかもしれないが、
スポーツなどでチームワークを経験したことがなく、
協調性はほとんどなく、
試合で負けた経験を持たない、親にとってだけ「いい気な子」が多い。

そういう連中は視野が狭いから、
外国の艦船が日本近海でしきりに軍事訓練をしていても
ほとんど気にならない。
以前、ある雑誌で、そういう連中の一部が
こんなことを言っていた。
「日本は住みにくい国だから
どこかの国に移住したいよ。
お前は何処へ行く? タヒチ? モナコ? アマゾン?」

ドカドカと他国の人間が入ってこられたら、
その国としては、たまったものでしかない。
冗談にしろ、雑誌上にこんな記事を載せる無神経さ、
ここにも、人のことなんて考えられない視野狭窄が露呈していた。

国のリーダーたちが決めたことに
決まって茶々を入れてまぜっ返す。
淋しくも悲しいモチベーションである。
冠婚葬祭にいくらかかるか、かかったかなどと
公の場で話題にするようなことは
下賤で〝はしたない〟こと。
それが日本人の品位というものであった。

これを「死者に鞭打つ」という。
亡き人にしてみれば、
そんなにガタガタ言われてまで、葬儀などしてほしくない、
と思っているに違いない。
ましてや、海外から国賓級の人をお招きする、
そういう方々に
「これ、みんなあの費用で賄われてするのか」と
無用な気遣いをされる。
日本人の民度は、ここまで落ちてきたのである。

国としてのモチベーションに関心がなくてもいい。
しかし、自分の人生におけるモチベーションは、
国の安定、平和によって維持・発展されることを
意識しておく必要はあるだろう。




by rocky-road | 2022-09-13 00:15 | 大橋禄郎