NHKテレビ/天気予報の国語力。
複数の人に向けて話をする機会がある人にとって、
注意したいことはなにか。
マニュアル的な書物はあまり見かけないが、
テレビからは簡単に学ぶことができる。
教材は、一例としてNHKテレビの天気予報。
仄聞(そくぶん)ながら、
天気予報はNHKの直轄ではなく、
別の法人組織に外注しているらしい。
それゆえ、
国語表現教育までは行き届かず、
反面教師となるヒントをいろいろと示してくれる。
これをテキストとして、
1対多数のコミュニケーションを行なう場合の
注意点を拾ってみよう。
1.口癖、書き癖。
NHKテレビの天気予報には
著しいコトバの癖がある。
それは「かけて」というコトバの乱用。
「今晩からあしたにかけて」
「土曜日から日曜日にかけて」
「九州から西日本にかけて」
5分くらいの間に「かけて」を10回以上
くり返すことはざら。連呼に近い。
天気予報に集中したいが、
「かけて」という口癖が気になりだすと、
かんじんの予報内容を聞き損なったりする。
「口癖」と言ったが、
実は、1予報官だけが言うのではなくて、
NHKテレビの天気予報では
どの予報官も、そしてアナウンサーも、
多かれ少なかれ「かけ」まくる。
ちなみに、
行政や組織の代表的な人が繰り返す「安心・安全」も
その1つ。一種の流行的口癖である。
NHKテレビの天気予報の場合、
下請けの組織のだれかが(テレビ担当の責任者か)
「かけて」が口癖(書き癖)になってしまって、
そこから抜け出せない。
予報官はいわゆる「理系」なのだろうから、
言語センスの低い者がいてもおかしくない。
だから、その原稿を元に画面で話す担当者も、
「これ、おかしくない?」などと、上役に指摘はしない。
同じ放送局でも、
ラジオの天気予報では、
ほとんど「かけて」を使わない。
この違いは、担当者の言語センスそのものであろう。
みんなして「かけまくって」いるテレビのほうは、
マヒ状態にあると言える。
外注先にクレームを入れるのは、
人のよい日本人が苦手とするところでもあろう。
余計なお世話だと思ったが、
ラジオのさわやか予報官にハガキを書いて、
「どうか『かけて表現』に感染しませんように」
と訴えた。
が、もともとセンスのよいチームなのだろうか、
当方の杞憂であった。
さてここで、
「かける」という動詞の意味を考えてみよう。
国語辞典で「かける」を検索すると、
このコトバのことについて1冊の本が書けるくらいに
同音異義が多い。
「3時間かけて説得した」「ハンガーにシャツを掛けた」
「夕食に間に合うように駆けて帰った」
「あすに架ける橋」
「賞金を懸ける」「空を翔けるオジロワシ」
「布団を掛ける」「電話をかける」
「二股かける」「ハカリにかける」「会議にかける」
「掛詞(かけことば)『松の木の下で待つことにする』」
「火にかける」「命をかける」「重心をかける」
さて、天気予報官の国語力の話に戻る。
天候というものは日にまたがっていたり、
地域にまたがっていたりするので、
これを「かけて」(「かかる」の連用形)
と表現することには問題ない。
と思いたいが、
「今夜からあしたにかけて雨になるでしょう」
という場合、岸から岸に橋を架けるように
「今夜」と「あした」の間にかかると解釈すれば、
あしたの早朝くらいまでが雨降りの期間。
拡大解釈しても午前中くらいか。
ところが予報担当者のいう「今夜からあしたにかけて」は、
翌日いっぱいまでを指すこともしばしば。
それだったら、
「今夜からあしたいっぱい」と言えないか。
今日の予報能力なら、雨があがる時刻くらい予測できるはず。
地域についても同様で、
「九州から近畿にかけて」
「関東から東北にかけて」
「東京から千葉県にかけて」
などとやる。
わが日本国とは
大きな島が4つ連なった地域という点で、
4島は「かかって」いるとは言える。
そして、空間としては、
地球の空の下では世界中が「かかって」いる。
「お天気さん」にしてみれば、
近畿と東海、甲信越、関東の区別なんて
知ったことではないから、
みんな1つ空の下に「かかっている」
しかし、日本では廃藩置県以降、
都道府県を設定し、市町村の区画を整えた。
それゆえ、
天気予報でも1週間の予報を表にして示すときは、
しっかり都道府県別に分けている。
表とは「かかって」いるものを見やすく区分したものである。
せっかくカテゴライズしたのだから、
「鹿児島から大阪にかけて」なんてアバウトに言わず、
かといって、県別まではムリとしても、
「中国地方では」「近畿地方は」「中部は」の地域名で説明すればよい。
2.主観的表現。
天気予報官は科学的データを
一般人にわかりやすく伝えるメッセンジャーである。
確か、アメリカあたりのやり方を倣って設置したはず。
カタイ情報になりすぎない、
人間味のある科学情報にするために、
予報官の個性が出る発言もよしとしている。
その趣旨には賛成だが、
それがいつのまにか、調子に乗るのが人間、
とりわけコミュニケーショントレーニングの低い者ほど!!
「洗濯は午前中がよいと思います」
「あしたは傘を持って行ってください」
などと、図に乗って個人の生活に入り込んでくる。
大きなお世話である。
洗濯の予定のない人も多かろうし、
傘は職場に置いてある人もいる。
そして、天気予報はあくまでも天候情報提供であるから、
夕方、雨が降る可能性は80%とでも言えば充分。
人のライフスタイルにまで口を挟むのは僭越である。
傘を持って行った人にしてみれば、
もし夕方、雨が降らなかったらどうするのか、
悪いことに、その傘をどこかに置き忘れて紛失でもしたら
「どうしてくれるんだ?」と言いたくなるだろう。
ちなみに、「洗濯情報」というコーナーもあるようだが、
この場合は、
複数の関係者による総合判断としての情報と受け止めるので、
「思います」とはニュアンスが多少異なる。
こういう、ちょっとした表現をノーチェックですましていると、
ますます過度な自信を持つようになって、
「傘を持って行ってください」などの、
「ください表現」が多くなる。
「ください」は、耳にやわらかい表現で、
「どうぞご自愛ください」のような、
お願いや、いたわりなどの表現になる一方、
ときには強い指示や命令にもなる。
「津波の恐れがあるからすぐに安全な場所に避難してください」
「氾濫のおそれがあるので川には近づかないでください」
などの警告の場合は、公共放送といえども
強い口調で注意を促す必要がある。
近頃、自然災害が多いので、
いきおい「ください」発言が多くなる。
結果として「傘を持って行ってください」が
フツーの(と感じてしまう)表現として定着する。
健康支援者の場合にも、
「たんぱく質不足に気をつけてください」
「塩分は控えてください」などの表現が
定番化しているのではないだろうか。
要注意の表現である。
3.上から目線。
1対複数の発話というものは、
情報を複数の人に提供する形式であるため、
情報提供者は、上から目線になりやすい。
予報官も例外ではなく、
「あれしてください」「こうしてください」と平然と言うようになる。
さらに、自分の情報に重みをもたせるために、
「あしたは朝から晴れます」と言ったあとに、
「しかし、天気は不安定で急な雨や落雷があるかもしれません」
と、心配のタネを示す。
「オオカミが出たぞ」の心理である。
相手に緊張を与えて、自分の存在感を大きくする。
それは新聞やテレビ、3流雑誌の伝統的な手口。
ハッピー情報は売れ行きがよくなく、
不安、不満、怒りの情報は
労を要さず高めに売れる。
「NPT会議 露の反対で決裂」
「文科省幹部6人懲戒」「安倍国葬に33億円」
買い手がいるから、売り手が存在できる。
モチベーションの低い人というのは、
とかくハッピーな情報には反応が鈍く、
アンハッピーな情報に反応しがち。
なぜなら、自分の無為無策、低迷ぶりを
他に転嫁して自分をごまかせるから。
NHKテレビの天気予報も、
このアンハッピー商法にうっすらと感染している。
「晴天」が快で、「雨天」が不快という理由はないはずだが、
予報官は、晴天情報のあとに、
雨天や荒天情報をつけ加えたがる。
「関東は晴れますが、東北はお天気が荒れます」
「きょうは洗濯日和ですが、あしたは朝から雨になりそうです」
さらに、
自分がその場を仕切っていることに自負を持つようになると、
主導権を発揮するようになる。
「午後はと言いますと……」「関東はと言いますと……」
お嬢さん予報官が、しばしばこの表現をする。
「溜め表現」(ため)とでもいうか。
間をつくって「もったいぶる」
一種の「上から目線」である。
情報を売る側(受信料の受け手側)は、
もっと謙虚に表現しろよ。
「午後は……」「関東は……」と言えばよろしい。
「午後はと言うと」などと、
解説口調、先生口調はやめたほうがいい。
先生は「なぜ、そうなるかと言うとだね……」
なんていう表現が多いのでは?
さらに進むと、
「あしたの天気を見てみましょう」
「来週の天気を見てみましょう」
普通に聞いている人も多かろうが、
この「よう」「う」という助動詞、
話し手の意志や推量、誘いを示す語。
「考えてみよう」(意志)
「さぞや痛かろう」(推量)
「お茶にしよう」(誘い)
ここで注目すべきは、「お茶にする」のは親しい仲間。
天気予報官が「天気図を見てみましょう」と言う場合、
視聴者を仲間に引き込む表現となる。
英語の「shall」を使った表現の転用であろう。
かつては、日本語としてはキザな表現だった。
天気予報図を見ながら
1つの場面を共有しているという点で
仲間意識を持ちたくなるのはわかるが、
情報提供者の謙虚さを保つなら、
「天気図をご覧ください」
「天気図を見てみます」がいい。
今日、「しましょう」表現を
上から目線と感じる人は少なくなっただろうが、
NHKアナウンサーのフリートークを聞いていると、
いつの間にか態度がデカくなっているのがわかる。
ウイークディの深夜に放送される『ラジオ深夜便』では
「アンカー」と呼ばれる、その夜の担当アナウンサーが、
番組冒頭、
「あしたの5時までの放送番組内容をご紹介しましょう」と言う。
しかし、
金曜日は関西局が担当する「関西発ラジオ深夜便」となって、
このときの担当アナウンサーの多くは
「あす5時までの放送内容をご紹介します」と言う。
この違いに着目している。
番組を制作した者は、
自分たちの企画した番組を聞いてもらう(いただく)のだから、
「ご紹介しましょう」などと、視聴者を誘い込まないで
「ご紹介します」と言ったほうが謙虚だし、知的である。
こんな例と比較してみればわかる。
自宅でお客に手料理を供するとき、
「さあ、いただきましょう」
「ご一緒に食べましょう」などと言ったら教養を疑われる。
ここは「さあ、お召しあがりください」
このあたりのニュアンスがわからないアナウンサーが
ふえているせいか、
数日前には「あす朝5時までの放送内容を
紹介しておきましょう」ときた。
「……しておきましょう」とはなんという尊大さ。
「これでけは言っておくぞ」という威圧的表現とも通じる。
定年を迎えたアンカー・アナウンサーにしてこの程度。
公共放送にかかわっている自負心が
こういう自信を生み出すのだろう。
思いあがりタイプの弱点は、
ちょっとした仕草にも現われる。
謙虚に生きたいと思う人は、
NHK関係者の番組内での発言を
注意して聞くことで、
貴重な反面教材と接することができるだろう。
by rocky-road | 2022-08-31 12:31 | NHKテレビ