食シーンを撮らせたら栄養士。

「食ジム」 第111回は、次のテーマで行なわれた。
「『食シーンを撮らせたら栄養士』といわれるような
フォトテクニックを、どのように磨けばよいか。」
(2022年7月9日 座長/楠崎聡子さん
アドバイザー/影山なお子さん 大橋)


1.私が気に入っているお料理、献立、食品写真。
自作、他作の実例プレゼンタイム。(各自持参)
2.私が食シーン(料理や献立ほか)を撮影するとき
気をつけていること。
3.撮影技術があることは、どういうメリットがあるか。
(人から頼まれた、ほめられたなど)
4. ステキな写真を撮るための基本と秘訣。
(演習)「この写真にタイトルをつけてみましょう」

ここでいう「食シーン」とは、食材、料理、献立、会食、
そして、それらの畑、農園、漁場など。
タイトルで大いに力んでいるが、
それくらいの気構えで臨むべきテーマである。

なんといっても、食シーンの撮り方について
1日かけて論じ合うグルーは世界広しといえども、ないはずだし、
ましてやそれが健康支援者となれば、「絶対にない」だろう。
その目的はもちろん、食シーンを通して自他の健康度をあげること。
美しい食シーンを見て健康を害する人はいない。

パルマローザ・ブラッシュアップセミナーとして、
2007年4月から年1回プラスαのペースで写真教室と、
そこで撮った作品のコンテストを続けているから、
メンバーの入れ替わりはあるにしても、
サークルとしてのスキルアップはしっかり続けている。
だからこそ、今回の「食ジム」のような話し合いができるのである。

みなさんからは、写真撮影スキルが役立っている事例が紹介された。
「人から写真をほめられた」「話題づくりに役立った」
「広報係の仕事を任された」
そして、高齢者施設に務める人は、こんな話を披露してくれた。

元カメラマンの入居者は、いまは認知症ではあるが、
カメラの話になるとシャキッとすると。
使い慣れないコンパクトカメラでも、
シャッターを切るときは手ブレなどがないとか。
まさに、写真を愛好することも、健康を助長する。

今回の食ジムでは、食シーンのあり方や撮り方に
話のポイントを置いた。
写真にも撮影技術論と鑑賞論があるが、
技術論といえども、鑑賞力と同時進行のようなところがある。

よい写真、好きな写真を意識的に見てきた人、
周囲に写真好きがいて、写真を撮ってもらったとか、
写真論を聞かされたとか、そういう経験を持つ人は、
一般論として、撮影の腕は低くはないはず。

「これを撮ろう」と思ったとき、
脳内では、過去に見た写真の記憶がアウトプットされる。
(脳内にイメージが浮かぶこと)
順序としては、過去の類似の経験が先にあって、
その記憶があるから、雑多な視界の中から
「よい被写体」を見つけ出すことができるのである。

今回の「食ジム」では、最初に
「私が気に入っているお料理・献立・食品写真。
自作、他作の実例」をプレゼンしていただいた。
どんな写真を選ぶか、どんなプレゼンテーションを行なうか、
それも撮影スキルの向上につながるだろう。

課題どおりであれば、なにを語ってもいいわけだが、
写真の同好会などでは、決まって技術論になる。

「このシャッターチャンスを狙った」
「鳥の飛ぶ姿をヒマワリに重ならないようにローアングルで撮った」
「料理もそうだけれど、みんなのうれしそうな表情がテーマです」などと。

が、「食ジム」は、カメラマンの集まりではないから、
まさに「想い出」や「おいしかった体験」
などのコメントがほとんどだった。
やむをえないが、いつか、写真技術論を闘わせたい。

ところで、名画や名曲には「晩鐘」とか「落穂拾い」とか、
「乙女の祈り」「ムーンライトセレナード」とかのタイトルがつけられている。
情報の発信先が狭く、限定的であった時代には、
自分でネーミングすることは少なく、
注目されるようになって、後世の人がネーミングするようになった。

絵画や写真、音楽ように非言語的ジャンルでは、
タイトルは必要ない。

見た風景、アッと思った瞬間を
描いたり、成型したり、音符で記録したりする。


したがって、制作者には、かならずしも言語的才能は求められない。
それでも、いや、それだからこそ、非言語芸術に集中できる。

しかし、言語系カメラマンの端くれとして、
または脳科学部外者としていえることは、
映像や音楽の制作中にタイトルをつけるなり、
近くの人に「こんな絵を描きたいんだよね」
「この気持ちを曲にできないかな」
「日本中にある、ご神体といわれるような巨木を撮り続けたい」
などと話すことは、けっして制作の邪魔にはならない。

名画や名曲に、あとからタイトルをつけるのは、
識別の必要からであろうが、
タイトルによって記憶の残存率が大いに異なる、
その点も軽視したくない。


数々の写真展を見てきて実感するのは、
カメラマンたちが、自作のネーミングに、
いかに苦手としているかということ。

その実態は「悲惨」というほどである。
が、それでも、タイトルをつけてみることはムダにはならない。


ときどきファインダー(いまは液晶パネル)をのぞきながらも
ふっと、タイトルが浮かぶことがある。

その状態でシャッターを切ると、「できあがりがいい」
というものではないが、
散漫な写真になるということでもない。

「どっちやねん? なら、タイトルを念ずること意味あらへん」
……そうには違いはないが、撮影へのモチベーションアップ、
「写真とはなにか」を哲学する思考回路をつくる意味はある。


こんな話、おそらく今日まで、
写真雑誌には載ったことはないだろう。

しかし、コンテストで、タイトルが悪いので
ランクを下げられたり、落選したりという例はなくはない。


「食ジム」では、何点かの写真を示して、
みなさんにタイトルを考えていただいた。



いまは種まき、いずれは花が咲くことだろう。



大橋作品への自らのネーミング例を示して、
本日の打ち止め。

「話せばわかる。」

「わんマンショー」
(第29回 よみうり写真大賞/第1席)

「イワシの春」
(『マリンダイビング』第11回 グランプリ)
ちなみに、水中生物を撮ったときは、
原則として種名をタイトルに入れることにしている。
自然界の生物名を示すことは
社会の自然リテラシーをあげることになるから。

by rocky-road | 2022-07-13 21:40 | 「食ジム」