健康行動としてのフォトブックづくり。
いま、パルマローザ関連のイベントごとに
フォトブックの制作が全開中。
旅やセミナーなど、
多種多様なイベントが終わると
かならずと言ってよいほど、
結果報告としてのフォトブックができあがる。
制作するほどに編集テクニックが磨かれてきていて、
プロの目で見ても
文句をつけようがないほど完成度が高くなっている。
編集テクニックとはなにか。
冊子(「ページもの」という)には、
もちろん起承転結がある。
旅なら、列車や飛行機に乗り込むあたりから始まって、
旅の終わりは、夕陽や解散場面などを配するのが定番。
しかし、このように時系列的、単純な配置は
当たり前すぎておもしろくない。
16ページものにしても30ページものにしても、
制作者のテーマ・イメージが先にあって、
それに沿って配置すると
その人なりの物語ができあがる。
世にある「ストーリーもの」には、
「起承転結」とか「序破急」とかといった
進行法の原則があるように、
「ページもの」の場合も、ゆるやかに始まって、
真ん中あたりで盛りあげる(「転」や「破」)。
そして、ゆるやかにエンディングへ。
次の原則は、
左ページ、右ページにふさわしい写真を選ぶこと。
「ページもの」の編集用語では、
冊子は、綴じ目を「のど」と呼び、
開く側を「小口/コグチ」と呼ぶ。
ついでに言えば、上を「天」、下を「地」と。
各ページの写真の絵柄は
「のど」を向いていることを原則とする。
飛行機や船の進行方向は、
「のど」を向いていることが原則。
人の顔の向きや視線なども「のど」向きに。
「小口」のほうを向いている人や動物の顔は
「逃げる絵」などと言われ、NG.
……なんていうことを書いていると
話が長くなるので、
編集スキルの解説はここまでとして、
パルマローザにおけるフォトブックについては、
主宰者・製作者/影山なお子さんは、
こういう、うるさいルールを
ほとんど身につけて実践している。
プロの編集者といえども、
絵や写真のページ構成に関しては
絶望的に無頓着な人が少なくない。
その編集センスは、
仕上がった雑誌や書物を
パラパラっと数秒めくればわかる。
写真のプリント業界では、
以前、「フォトブックコンテスト」
というイベントを企画したが、
いつの間にか立ち消えになった。
写真の1点1点の評価に加えて、
「ページもの」としての評価が求められるのだから、
キャリアのあるカメラマンといえども
的確に対応しきれないところがあったのだろう。
つまりそこでは、
美術的センスに加えて、文学的センスが必要になる。
美術的いうのは、動いているものを静止させて、
そこに美を見出そうというジャンル。
これに対して文学系や音楽系は、
単体の美術性に加えて
連続性の中に
美やドラマを見出そうとする。
静止と連続の同時進行。
ずいぶんややっこしい才能を
引き出そうとしたものである。
人間は、そういうややっこしい生物なのである。
そういえば、
かつて私が運営していた「水中8ミリフェスティバル」や
「水中映像サークル」(現在も後輩が継続中)も、
美術性と文学性、音楽性を楽しむ人の集まりだった。
「スライドショー」は、1人5分の時間内に
スチール写真(静止画)を配置して
音楽に合わせて映写する。
もちろん、タイトルもエンドマークも必要。
100人くらいの観客に対して
スライド映写機を操作する発表者の手が
震えているのを何度も見た。
アナログゆえの、美しい緊張シーンである。
パルマローザのフォトブックの場合、
他の追随を許さないのは、
現地での取材力。
サークルだから、
参加者の表情や身だしなみも
しっかり押さえておかなければならない。
服装によって立ち位置(配列)を変える、
バッグの持ち方、足の組み方などにも
あれこれとチェックが入る。
どんな風光明媚な旅行地でも、
ボケっと歩いていては平凡な写真しかとれない。
いまや「集合写真のパルマローザ」と
言われるくらいに(だれが言ってるの?)、
「集合側」(これ新語かも)も
撮られ方がうまくなった。
100メートルも先の橋の上に並んだグループを
周辺風景を最大限に生かして撮るなどというのは、
プロのカメラマンにもそうそうできることではない。
「集合側」も、
「ダークダックス」的に(古いね)、
半身重なって撮られる、なんていう
遠島罪にも匹敵する平凡なポーズをする人は
ほとんどいなくなった。
「写真は口で撮る」
「写真は足で撮る」などなど、
プロカメラマンの中には、
名言を残した人がいるが、
いまのパルマローザの集合写真は、
まさに、口で撮り、足で撮っている。
つまり演出力とフットワーク。
イベントがあるのでフォトブックができるのか、
フォトブックを作るためにイベントを行なうのか、
どちらが先かわからなくなるほどに、
先頭を競り合う関係になってきている。
制作者にとってはもちろん、
フォトブックを手にする人にとっても、
心身の活性化の一助になることだろう。
見る楽しみ、人に見せる楽しみ、
旅やイベントの内容を説明する楽しみ……。
フォトブックの弱点は、
文字情報を収載するページや、
そのためのシステムがないことだが、
それも利用者側のアイディアで
克服できそうである。
すなわち、文字情報を写真に撮って、
映像化してしまえばいいのである。
そのほうが、
ナマの手書きの書体が映像化されて、
文化的な価値が出るというものだろう。
自分のアルバムから
残したい写真をデジタル化しつつあるが、
100年後には、
こういう作業はまったく必要がなくなる。
複数の人が、同じフォトブックを
共有しているのだから。
これを「家の宝の希少価値が下がる」
と考えるのか、
「歴史を複数の人が共有することができる」
と考えるのか。
「ヘルスコミュニケーション」的に
考えるならば、
もちろん、後者のほうが、
人類にとって利点は大きい。
フォトブック作りも、
健康行動そのものである。
「フォトブック制作者のためのセミナー」
の開催は、時間の問題である。
by rocky-road | 2022-07-07 15:40 | フォトブック