そうめんから細々と記憶が……。
6月26日(日)、アクションクッキングが終わった。
(主催/食コーチングプログラムス)
昨年に続き、2回目の講師担当。

メニューは昨年同様「そうめん」
今回のタイトルは「猛暑に冷風 ほそぼそと……」

冷やしそうめんの1パターンで
さほどのオリジナリティはないが、
冷やし中華や冷麺からの連想ではない。

寝たきりの妻の朝食として
いかに食べやすく、かつ、適度に食材を載せられるか、
ということを考えていくうちにこうなった。

そうめんは1~3分と加熱時間が短く、
ヘルパーさんのベッドまわりの仕事終了のタイミングにも
合わせやすい。
手を充分に伸ばせない病人のために、
麺は半分に折って短くする。

半熟卵はダイソーの器具をフル活用して
レンジで1分40秒(2人分)、
第2群はしらす干し、
または魚肉ソーセージを小口切りして散らしたり
ときに夕べの刺身を数切れ載せたりする。

第3群は、にんじんのシリシリ、湯煎トマト、
かぼちゃの薄切り(チン加熱)などを
そのときどきで適当にあしらう。
少しピリピリ感を出すために刻みショウガを振ったりする。

汁は、前日、みりんとめんつゆで作ったものを
冷蔵庫から出すだけ。
出す直前にごまだれを少々。
汁にも多少のバリエーションを。

当然、数日で飽きると思っていたが、
これが意外にも、調理人ともども、そうではない。

のど越しがいいので、朝の1食として食べやすく、
1椀でバランスも図れるしで都合がよい。


かくして、介護・調理人の定番朝食となった。
すでに1年以上続けているが、
途中から、こんな考え方をするようになった。
寝たきりで、日時の観念がない病人にとって、
そうめんによって「朝」を感じることができるとすれば、
それはそれで利点であろうと。

文字どおりの介護食ながら、
食のプロのみなさんに味わっていただくことは、
いつか、どこかで
お役に立つことがあるかもしれないと考えて
ご披露させていただいた。
恐れ多いことではある。

しかし翌日、そのプロのお1人から
肯定的なご評価をいただいた。

そのメールには、
日々の教室や執筆、講義などの間に
料理作りも楽しんでいてよろしい、ともあった。

そして、
「竹槍?! 事件のときも奥様のお夕食の
白滝を買う途中でしたね」との一文が。

「竹槍?」
1年半前の悪夢の記憶がよみがえった。
夕食のおかずに白滝を加えることを思いついて
近くのスーパーへ自転車を飛ばした。
そのとき、対面から来た自転車と正面衝突しそうになった。

「左側通行をしなさい」と注意したら、
その男(40歳代か)、なにやらわめき始めた。
「何か言い分があるのか」と尋ねたが、
大声で叫んで話にならない。
「黙れ、少し話をしよう」と言ったが、
聞く耳を持たない。
「お前、年金生活者だろう」などと、
それなりに的を射たセリフも口にしたが、
とても話し合いにはならない。
黙らせるつもりで、
歩道の縁の植え込みにあった竹の棒を持って
構えたたら、いつの間にかスマホを取り出して
その雄姿を撮りおった。

そして「警察に来てもらう」とわめく。
望むところと、パトカーを待った。

当然、交通ルールの話になると読んでいたが、
どっこいどんでん返し。
彼の写真が証拠となって、
こちらが図らずもロシアの侵略軍になっていた。
2人は別々のパトカーに乗せられて所管の警察署へ。
約2時間、署員約6人と次々と話し合ったが、
交通ルールの話ではなく、
暴力を振るったかどうかということがテーマに。
相手は別の部屋にいて直接対決はできない。

ここで警察のキメぜりふ。(初体験だから知らんけど)
「そうやって頑固になっていると
お互いにあしたの朝まで、
こうやって押し問答を続けなければならない。
ここは大人になって謝ってしまいましょうよ」
所持品は財布の中まで
全部、トレイの上に出されて点検された。

昭和時代のケンカは、
当人同士が闘って決着をつけるものであった。
第三者に割り込まれることを恥としたものである。
ところがいまは、相手の写真を素早く撮って、
警察を味方につけるというのが流儀らしい。

件の料理のプロが指摘した「竹槍」とは
このときの竹の棒のことである。
これは竹槍ではなく、「竹棒力」である。
警察でのやりとりの結果は、「前科」にはならなかった……
とだけを書いて、あとは省く。
興味はむしろ「竹槍」

昭和20年8月15日、
学童疎開中の宮城県の鳴子温泉で玉音放送を聞いて
敗戦を知った。
小学3年生になったばかりの9歳だった。
「アメリカ軍は日本人を地球上から1人もいないようにする」
と、上級生から聞いていて、
男子は竹槍を作って山にこもって、最後まで戦い抜くと。
そして、草を相手に実戦訓練開始。
しかし、1時間もしないうちに、先生がやってきて、
「そんなことはないから、みんな宿に戻りなさい!」
ここで武装解除を余儀なくされた。

訓練不十分ながら、
その竹槍を実戦に使うところにまでいったのは
あれから、およそ80年後ということになる。

訓練の効果があったのか、なかったのか……。

ともあれ、2時間後、パトカーに送ってもらって
トラブルの現場まで戻った。

もし自転車が盗まれていたら、
警察に責任をとってもらおうと思っていたが、
カギのかかっていない自転車はちゃんと存在していた。

もちろん閉店間際のスーパーまで走って
白滝を買うことができた。
そのときの料理がなんであったか、
それが思い出せないのがくやしい。

そうめんにも白滝を入れたことはあるが、
夕食だったから、そうめんではないはず。

竹槍で演習をした鳴子では、
野生の蕨(わらび)や蕗(ふき)を
炎天下、採取作業をさせられたり、
東京に戻ってからは、焼け野原で蒸しパンを作ったり、
新聞紙1枚でご飯を炊いたり……などがあって、
大人になってからは、その経験を生かして、
スノーケリングツアーのキャンプ生活では
飯盒(はんごう)炊飯や料理の焚火係を独占したりと、
思えばわが人生、
「食」との関係が浅からずある。
そんな思い出が竹槍の節々からあふれ出してきた。

アクションクッキングで、
「新聞紙で1升のご飯を炊く」
という企画がないのが残念。
場所もないし、ブリキ缶もないし、
その必要もないことは重々わかってはいるが。

いまは「五目そうめん」を15分で仕上げられる
2020年代の幸運を細く、細く、
しかし深く深く感じている。

by rocky-road | 2022-06-28 22:33 | アクションクッキング