あしたがあるから「予暇」なのさ。
寿出版㈱の月刊『ことぶき』という冊子の取材を受けて、
久々に「予暇」について語った。
この雑誌は、薬局などを通じて家庭で読まれるという。
以前も取材を受けたことがある。
大橋予暇研究所を設立してから30年がたった。
いまも研究は続けているが、
コミュニケーション論、文章論、健康論へと発展し続けているので、
出発点の「予暇」について語ることは少なくなっている。
そのため、久々に、楽しんで、そして力を入れて話すことができた。
念のために「予暇」について。
国語の「余暇」は、中国由来の熟語で、
「自分で自由に使える時間」のこと。
ところが1980年以降、90年代に至るまでも、
日本では、高度成長期(1956年~1972年のころまでとされる)
の気分は残っていて、
「余暇」とは、「仕事から余ったヒマ」と考える人が多かった。
「食事で健康を」を提唱する書籍や雑誌の編集者として
「健康」についてはそれなりに考えていたので、
「余暇」は「仕事」に付随、従属するものではなくて、
「並列すべきものである」という提案をする必要を感じた。
すなわち、
人間の行動は大きく3つに分けられる。
1.生物的活動――食事、睡眠、身のまわりの用事(洗顔や入浴など)
2.人間としての社会的活動――学業、仕事、余暇、家事、育児、看病など。
3.保健的、文化的活動――くつろぎ、人との交流、買い物、
インターネット・新聞・雑誌・テレビ・書物などによる
情報との接触、装い、運動、娯楽、趣味、学習・研究、
政治参加(選挙など)、信仰、健診・受診・治療など。
これらのバランスが保たれないと、健康上のリスクとなる。
そのことを『「予暇」で自分を組みかえる』という書物を出して
アピールした。(三五館 1995年9月)
月刊『ことぶき』 のインタビューでは、
時節柄、コロナ禍の過ごし方について問われた。
いまは勤めがないので、
生活上の制約はほとんど受けなかった。
毎月のクラスや個人サポートが数回、中止になったくらいで、
予定していたセミナー、旅行、飲食はほとんど実行した。
インドア、アウトドアともに、〝安全に〟楽しむ意欲とスキルは、
人に負けないくらい身についている。
自重・自粛、不条理の昨今の時代背景を考えると
タイムリーなインタビューであった。
予定や夢や希望など、
健康を支える重要な要素であるモチベーションは、
コトバとして存在する、
どんなコトバを持つか、
どんなコトバを使うかなど、
持論の健康論についてはコラムで取りあげていただき、
強調できたと思う(大橋型・ヘルスコミュニケーション論)。
このブログについても、バッチリ紹介していただいた。
以下に掲げる新聞に載った書籍広告と記事は、
2022年5月29日、日曜日、
たった1日の『読売新聞』によるもの。
「50歳からは無理なく貯めておく」
「60過ぎたら〇〇をやめて幸せに……」
「70歳から老化の分かれ道」
「人生は70代で決まる」
「70代妹の通販やめさせたい」
ついでに「老いの福袋」
日本人の、なんと見事な「年齢中心主義」!!
タイムスイッチではあるまいし、
人間の人生を、そこまで年齢を基準にして
カテゴライズしていいものか。
個体差というものはないのか。
「百人百様」というコトバはどこへ行った?
わが大橋予暇研究所は、
こういう〝金太郎あめ的人生論〟には与さない。
いや、こういう悪しき伝統に縛られず、
自分で自分の人生を設計しろ、
山はいつまでも登り続けろ、
どんなに重い病気になっても、
「あした」に向かって登ろう、
と言いたくて存在を続けている。
前述の3つの基本的活動、
「生物的活動」「人間としての社会的活動」
「保健的、文化的活動」は、
男女にも、年齢にも、国籍にも関係なく、
いまできることばかり。
そして、日本の高齢者に言いたい。
「少し大人になったのなら、
人間は歳などには関係なく、
あしたに向かって生きる動物であることを認知していただきたい。
『この歳だからわかる』なんて、
思いあがっていてはダメだ」と。
by rocky-road | 2022-05-29 22:40