ランチタイムから始まった糸島セミナー。
福岡県糸島市末永への旅行が、
予定のないままに、にわかに実現した。
振り返れば、
2003年3月に仕事で出張した際、
福岡在住の元・スノーケリング仲間に会って、
福岡市内を案内してもらった。
そのとき、
古民家で営業している「お食事処」に行って
昼食のコース料理をいただいた。
1日に1組しかとらないとのことで、
もちろん彼が予約しておいてくれたのだが、
まさに野中の一軒家。
周囲に菜の花が咲いていて、
そんな風景を撮影した。
が、このときのことはほとんど覚えていない。
コース料理の器が、どれも角皿であったので、
その意味を問うたことは覚えている。
旅先での、ほんの一瞬のエピソードだが、
習慣として、お礼のハガキを書いた。
それがきっかけで、
以後、19年間、年賀状のやりとりが続く。
19年間とはいうものの、
実はその記憶はなくて、
今回、こちらから最初にお出ししたハガキを
先方の《のほほん 野の花》のオーナーが
保存しておいてくれて、
それを日時の確認のために郵送してくださった。
それによって確証を得ることができた。
1回の2時間足らずのお食事処での出会いが
19年後の再会につながったのは、
昨年末に、
オーナーから長文のお手紙をいただいたから。
私のブログを遡って読んでくださったと。
共感していただくところもあってか、
「当地でセミナーが開催できたら……」
とのフレーズがあった。
(今度の旅で知ったのだが、
彼女は年季の入った読書家である)
こういう人生の節目となる展開になったとき、
それに反応しないのは、
「予暇」(目的意識のある生き方/大橋造語)
という概念のない人の場合。
江戸風にいえば野暮の骨頂。
「講師として招くのではなく、
私が旅行をして、そのついでに伺う、
ということにすれば、
費用をかけずに実現できるのでは?」と
ご提案した。
関西系にも野暮でない人がいて、
パルマローザの影山なお子さんが
即座に、メインとなる旅行を企画してくださった。
長崎の《ハウステンボス》の旅+糸島セミナー。
旅好きの人が多いこの組織、
すぐに14名の方が参加表明をしてくださって、
5月14、15、16、17日、
3泊4日の日程が決まった。
現地の参加者は16名とのこと。
初日の14日がセミナー。
題して「糸島/コミュニケーション力&健康力
パワーアップセミナー」
1.講義 「きれいな話し方、きれいな文章を書く人は
なぜ豊かな人生を送れるのか。」(講師/大橋)
2.フリートーク(食ジム形式 座長/影山なお子さん)
「私がこんなに健康である3つのワケ」
3.夜通しトーク(自由な話し合い)(終了目標 23時)
関東の、いや、わが地元(この場合、横浜/赤羽)の
コミュニティであれば、
なかなか濃密な内容だとひそかに自賛していたが、
他流試合というものは、
そうは問屋が卸さない。
2時間のセミナーは、なんとか聞いていただいたが、
「食ジム」の形式など、世界中の人は知らないし、
約30名の自己紹介ともなると、
そうトントンと進むものではない。
こんなときは、プログラムに固執することなく、
「郷に入れば郷に従え」が大人の対応。
そのおかげで、ご自分の紹介ではなく、
天孫降臨・神代の時代にまで遡って、
日の出ずる国、
わが邪馬台国の紹介をしてくださる方がおられて、
悠久の時がゆっくりと流れ始めた。
そして、そして、
ついには卑弥呼さままで
お姿を現わしてくださって、
感涙にむせんだ。
こういう予測不能の展開があるから
「旅は人生の大学」
などという表現も生まれたのだろう。
自分たちが
神々によってつくられた子孫であることを知り、
ルーツを再認識する
よい機会になったことだろう。
セミナーが終わって、翌5月15日、
パルマローザのみなさんは長崎へ。
私は残って糸島の海岸、
芥屋海岸(けや)や能古島(のこのしま)を
案内していただいた。
モルディブ共和国のビヤドゥ(小島)で出会って
海仲間となった調 研一君(しらべ けんいち)にも
19年ぶりに会って、
糸島観光に同行していただいた。
野の花に最初に連れて行ってくれたのは、
いまも福岡在住の彼にほかならない。
初日のセミナーにもつき合っていただいた。
ここに使ったアウトドア写真は、
糸島観光の収穫である。
糸島観光後は、
長崎のハウステンボスまで
送っていただいて、
先行のパルマローザ組と合流した。
ハウステンボスでの話は
影山さんがご紹介になるだろう。
ここでも、話題や写真はたっぷり。
by rocky-road | 2022-05-22 23:08 | 福岡・糸島