自分の高齢期をどうイメージするか。

食コーチング主催の食ジム109回に
アドバイザーとして参加した。
(横浜市技能文化会館)

テーマは
「年長者、高齢者から何を学び、
自分の高齢期をどうイメージするか。」
座長は髙橋寿江さん。
ご自身は特別養護老人ホームに勤務し、
日常的に高齢者と接している方である。

プログラムは以下のとおり。
1.私が今までに出会った年長者、
高齢者(親、親戚を含む)で
「こんなところを学びたい」と思わせてくれた、
あんな態度、こんなコトバづかい、あんな生き方。
2.反面教師としての高齢者、
「こんな高齢者にはなりたくない」事例あれこれ。
3.いま思えば「これは失敗だった」と考えられる、
年長者、高齢者へのあの一言、あんな接し方。
4.なんとなくだけれど、「元気な高齢者」になるために、
いまから心がけているライフスタイルとは……。
5.「健康寿命」の延伸につながる家族、年長者、
そして自分自身との接し方とは、どういうものか。

人は親や祖先の背中を見て育ち、
それとなく生き方を学んでゆく。
では、何を学んだのか。
大人になってから、それを振り返ることは意味がある。
自分の立ち位置、今後の方向性を考える上で。

「1」の発表では、
学びたいこととして、親や親族をあげる人が多かった。
「自営業であったため、
食事時刻、仕事時間、休息時間、飲酒の量など、
ルーティーンのように決まっていた」

「人をねぎらう」「いろいろの人に一声かける」
「話題が豊富、コトバづかいがていねい」
「早起きだった。起きたらまず仏壇や神棚にお水をあげる習慣」
「女性ながら、よいこと・悪いことをきっぱり表現した」
「新聞をていねい読んでいた」

「コトバがていねい」「超高齢ながら日記をつけている」
「高齢者施設に入居中ながら
〝ひきわり納豆〟や牛乳をリクエストするほどのしっかり者」
「闘病中にメモなどで自分の死後のことを書き残していた」
「勤務先の学校長は、部下にフレンドリーに接する」など。

親族以外で学ばせてもらった人としては、
職場の上役や先輩、
食事相談やマッサージにやってくるクライアント、
所属する栄養士の会長、
高齢者施設の入居者などがあげられた。
このほか、
当日の参加者の名をあげる人が何人か。

以上に対して、
「2」の「こんな高齢者にはなりたくない」
反面教師としての年長者、高齢者のタイプ。
ここでは、年長者ぶる人、
年長であることを示して優位性を得ようとする人、
人の年齢を気にする(人の歳をあけすけに聞いて、
「私のほうが3日お姉さんね」などと言う人)。

子や孫に対して過干渉の人など、
定番的な「嫌われ高齢者」があげられた。
大橋のあげた反面教師的先輩は2例。
1つは、戦争を経験した人が、
バカの1つ覚えで、「戦争はいけない」
「平和がいちばん」と言い続けること。
当たり前のことを言ってカッコつけている
偽善的、思考停止のバカ高齢者。
(思考停止=戦争を起こさない、起こさせない方法を
考えようとも、示そうともせずに、
70余年間、同じことを言い続けている)

もう1例は、
加齢を「下山」とたとえる能天気作家。
孤独のすすめの本を書いたり、
健康志向を「病気」だと言ったりし続ける。
こういうマイナス思考の本を書いて
読者のモチベーションを下げ続けている。

どの本もヒットするということは、
マイナス思考の人が多いことの反映だが、
もしそうであれば、
そのマイナス思考を是正するのが
「大人」の高齢者というものであろう。
だが、こ奴、マイナス思考をあおって儲けている。

今年88歳、米寿を迎えて少しは心境の変化があったのか、
『捨てない生きかた』という、
多少はプラス思考を思わせる本を書いた。
だが、ある雑誌のインタビュー記事を読むと、
やっぱり脳天気ぶりに変わりはない。
断捨離ブームに一石を投じたいだけで、
「捨てない意味」をホントウに理解しているわけではない。

「捨てる」というキーワードを使って詭弁を弄する。
「これまでの仕事を眺めていると、
ルポも作詞もラジオの仕事も、
捨てずいまだに続けている。
とくに、捨てずによくやっているのが対談の仕事です」

バカ言ってんじゃねぇよ。マジかよ。
身のまわりにある物品を捨てるかどうか、
という話の中に、
オピニオンリーダーとしての仕事の話をもってくる、
そのアタマの回転の鈍さにがっくりする。

作家としての仕事を営々とし続けること、
それは「下山」ではなく、持続または「上り」でしょうに。
それを「生涯現役」というのです。
人に「下山」をすすめておいて、
自分は山を登り続ける、
この無責任さを「令和の無責任男」と呼ぼうか。


ちなみに、作家の仕事は、
テーマや設定、論法、文体などにおいて
つねに鮮度を求められるという点で、
道のりは「平坦」というよりも「上り」と見るべきではないか。

もう1つ、わかっていない点は、
自分はモノを捨てないと言いながら、
「新しいものは買わない」という。
ここも「モノ」の意味がわかっていないところ。

モノは自分の生きてきた歴史だというのなら、
新しくモノを買うことは、次の歴史をつくることではないか。
そしてまた、アンタはまたまた新刊を出して、
新しい歴史をつくっている、それでいいじゃないか。
新しいモノを買わないのなら、
人にもモノを買わせるなよ。
10万人もの人たちに新しいモノを買わせようとしながら、
自分では新しいものを買わないと誇る。

社会というものは、生産と消費の循環によって
活性化している。
中学校でちゃんと勉強し直してこいよ。

人生100年時代ともなると、
88歳なんて、まだまだガキなのかも。
だから、こんな矛盾だらけの本を出しても
恥じることなく、自分を捨てることなく生きていける。

『捨てない生きかた』という本の新聞広告には
「人づき合いは浅く、長く」などという項目を
あげているが、
実際に、どういうスタンスを考えているのか。

オリンピックで、金メダルを取るのではなく、
銅メダルを取ることを狙うなんていうことはできっこない。
ここまで人間がわかっていない小説家もいるのか。

後輩にバカな高齢者の見本として、
展示する意味はゼロではないにしても、
無責任な〝そそのかし〟によって
「下山型高齢者」を生みだす危険は大きい。

そのことに気がついて、
その「そそのかし言説」だけは捨ててほしい。
さいわい、突然、考え方を変えられる
若さと軽さをもった作家だから、
路線変更の可能性がないわけではない。
「食ジム」からだいぶ脱線したように見えるかもしれないが、
反面教師型高齢者として、
ここまで完璧無比な事例は少ないので、
あえて、しっかりと紹介してみた。

食ジム最後のまとめは、
「4」と「5」の、健康寿命延伸につながる
ライフスタイルとは……。
そのコーナーでは、
こんな提案がなされた。

*今年、やりたいことの10か条を書きだす。
*たくさん本や雑誌を読む。(雑誌は定期購読)
*タイムスケジュール、人との約束時刻を守る。
*取材モードで日々を過ごす。

*当用日記をつける。
*インドアとアウトドア両方の趣味を持続する。
*若い人とのつき合いも続ける。
*寄り道を楽しむ。

*ご近所、地元の人との交流も大事に。
*ジャケットを活用し、その場、その場で着こなす。
*社会参加ができない理由に「子供が……」をあげない。
*いつまでも学び続ける。

*外出するときには、カメラを携行する。
*社会、人生に対して使命感をもって生きる。
(生まれてきたからには、何をしなければならないか)
*生きているものを愛する。ヒト、動物、植物など。
(そのためには1年に1回以上、動物園や植物園、
海や山、川、高原などに出かける)

今回はここまで。
by rocky-road | 2022-05-03 22:23