最初の「食哲学者」はスゴかった。

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227日(日)の午後、

日本テレビの番組、

「香取慎吾&渡辺直美の

さいしょの人はスゴかった!!

日本の偉業発掘 第2弾 感動の開発物語」に、

香川 綾先生の業績が取りあげられた。

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昭和初期、当時は料理レシピに

食材や調味料の量を容量や重量で示すことはなく、

「少々」「ひとつまみ」「適宜」「適量」などと表現していた。

それを、香川先生は数値化した。

調理人が作業する現場にくっついて、

使った分量を量って記録していった(残量から推計)。

さらに、調理量に対する加熱時間なども

表示できるようにする。

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その結果、レシピはよりわかりやすくなり、

しかもその料理は、

名人のワザをベースにしたものだった。

その後、計量カップやスプーンが考案され、

ますます計量がしやすくなる。

その結果、日本中、どこにいても、

同じ料理が作れるようになる。

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ほかに、胚芽米の普及への尽力も紹介されていた。

番組にはなかったが、

胚芽米は、のちに「胚芽精米」になる。

「胚芽米」当時は、胚芽を残すために、

精米度を低くしていたために、

ボソボソした食感であったが、

精米会社と話し合って、

胚芽を残して精米するという技術を開発した。

このころは、

私が女子栄養大学出版部の職員だったので

綾先生が、

「胚芽米」を「胚芽精米」にした喜びを語るのを

身近で聞いた。

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今日では、ビタミンB1の欠乏は

顕著な疾患ではなくなった。

しかし、胚芽精米のファンは少なくなく、

いまも何種類もの商品が流通している。

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この話も番組には取りあげられなかったが、

綾先生の功績の1つは「四群点数法」の体系化である。

1日に卵1個、牛乳コップ1杯(第一群)、

魚か肉、2~3皿、大豆製品1皿(第二群)、

野菜350グラム、芋1個、くだもの1個(第三群)、

穀物(ご飯、めん、パン)各自の満足量(第四群)。

このスタンダードを頭に入れて食生活を送れば、

大きな過不足は避けられる。

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この食事法は、

中学、高校の一部の教科書にも載ったので、

少なからずの人が学んでいるはずだが、

世間やメディアの話題にならないことから推測すると、

あまり実践されているようには思えない。

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わかりやすい理論だから、

理解できないはずはないが、

それでも実践しないのは、

自分の食事をコントロールしようと思う人が

きわめて少ないからだろう。

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バックグラウンドとしては、

卒業生が、これを魅力的に伝えていないこと、

お膝元の大学で、

いま、この食事法をしっかり教育していないこと、

などの原因が考えられる。

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長年、実践している者からすると、

これは単なる健康法や病気予防法ではなく、

快活に生きるための「哲学」の一部といえる。

「四群点数法」を哲学だなんていうと、

ますます普及にブレーキをかけることになりかねないが、

あえていう、「四群点数法は哲学の一部である」と。

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フツーに頭が働く人なら、

朝、起きたら、

きょう1日の行動計画をイメージするはず。


もっと頭の働く人は、

1週間、1か月、1年の予定を

カレンダーや日記などに記入するだろう。

「先を読む」のは「知ることを愛する」哲学の原点。


「予定」は、まだ存在しない「あした」を知ることだから、

きょう、あした、なにを食べるかを考えることは、

「知を愛すること」以外の何物でもない。

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そう考えると、

四群点数法の普及を栄養士だけに任せておくのは

「宝の持ち腐れ」なのかもしれない。

栄養士に任せておくと、

「免疫力をつけよう」「フレイル予防に」などと

話がチャッチクなりがち。

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いやいや、「話がチャッチク」なるのは、

対象者が、つまり日本人が、いや人間が、

チャッチイからである。

つまり、食行動に関しては、

まだ動物からは脱しきれておらず、

トカゲやハイエナ、カバなどと同様、

テキトーに摂食行動を行なっているに過ぎない。

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テレビや雑誌などで、

胚芽精米だ、健康補助食品だ、食事の栄養バランスだ、

などと伝えても、

いざ食品を前にすると、

釣り堀の魚と同じで、ナーモ考えず、

餌にパクつくのである。


その程度にやっていても、

100歳高齢者が7万人にまでなったのだから、

カタイこと言わなくてもいいんじゃない?」

ということにもなるが、

哲学は、健康寿命を延ばすことが主目的ではない。

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哲学は、

自分の心身をコントロールしながら

人生を旅するための「(絵図のない)コトバによる地図」だから、

それを食生活に使わなくてどうするか。

(言うとくけど、

四群点数法に示される卵は、その段階では、

物体でも絵でもないでぇ。

世界にある数百兆個の卵をコトバで表わしたものなんや。

「理念」や「思考」と同じ、コトバの中の存在や)

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天国の香川 綾先生に申しあげます。

「四群点数法を哲学と称してはいけないでしょうか。

 さいしょの人はスゴかった、と叫んではいけませんか。

 今度、お目にかかったとき、

 ご意向、お伺いさせてください」


by rocky-road | 2022-03-04 22:24 | 香川 綾先生  

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