写真は、コミュニケーションである。
第107回の「食ジム」では、写真の活用法について話し合った。
テーマは、
「栄養士は、諸活動において
写真をどのように活用すればよいか。」
写真は、わがフィールドでもあるので
座長を務めさせていただいた。
座長/大橋 禄郎
アドバイザー/影山 なお子さん
項目は以下のとおり。
1.私の写真歴(スマホも含む)、大公開!!
(ゼロの場合、その理由)
2.私が、いままで撮った・人からもらった写真
(人物に限らず)の中で、
気に入っている1点をあげるとすれば……。
(ポストカード、フォトブック、新聞、雑誌も含む)
3.(こう見えて)私の写真が、こんなところでお役に立ちました。
4.栄養士、食関係者が写真を活用したいこんな場面、
こんな分野――99のリストアップ。
写真に関するセミナーや話し合いでは、
撮影テクニックに関する話題が中心になるが、
今回、フォトテクニック論はお預け。
人とのコミュニケーションのメディアとして、
さらには、健康支援者の仕事に
写真をどのように生かすか、
という点に話題を絞った。
まずは、みなさんの写真歴披露。
パルマローザでは2007年以来、
毎年4月か5月に写真教室を開いているし、
あらゆるイベントが、撮影会を兼ねているケースが多いので、
大半の人にカメラ歴がある。
ただ、以前から悩むところではあるが、
スマホを「カメラ」と認めるかどうか、である。
以前は、カメラに比べると機能が限られていて、
フォトテクニックを学ぶには不適と考え、
「カメラ持参」を条件にしていたが、
近頃のスマホは、
レンズ交換に近い機能がついているようだし、
撮ったものをすぐに送信できるという点では、
むしろカメラ以上に現代生活には役立つようである。
が、自分自身にスマホ経験がないので、
適・不適の判断ができない。
長い写真歴からすると、
撮影会で、大半の人がスマホを持って
被写体に迫るという図を見たくはないし、
そんな料簡では、どうせ大した写真は撮れないだろう、
という思い込みもある。
おっと、撮影テクニック論になってきた。
話を戻して、
撮った写真をどう活用するか、
いや、どう活用するために、
どういう写真をどう撮るか、
という話に戻ろう。
今回の話し合いでの発見は、
「2.私が、いままで撮った・人からもらった写真
(人物に限らず)の中で、気に入っている1点を
あげるとすれば……。
(ポストカード、フォトブック、新聞、雑誌も含む)」
というコーナーでは、
みなさんに実際の写真を持ってきていただいて
プレゼンをしていただいたところ、
ほとんどが、自分の被写体写真を掲げた。
ここで写真選びにも男女差があることを知った。
男に対して、同じ質問、
「キミが気に入っている写真を1点持ってきて」と注文したら
どうなるだろう。
少なくとも私は、自分が写っている写真は対象外とする。
「それは、アンタがいろいろ傑作(?!)を
撮っているからでしょ?」
いやいや、そうではなくて、
男性100人に「気に入っている写真を持ってきて」
といったら、100%とはいかなくても、
88.79%は、自分以外の人やモノやコトが
写っている写真を持ってくるだろう。
これは男性と女性の心理分析の
おもしろい研究対象になるだろう。
「いい・悪い」の問題ではなくて
なにをもって「気に入っている」とするか、
その違いである。
男は、自分からは少し離れたところに
「気に入った1点」を選ぶだろう。
カッコよく言えば、「社会性」にポイントを置く。
これに対して女性は……、
どっこい、ここは軽々しく分析をしない。
男は、女性の心理分析をうかつにはできない。
話をいきなり飛ばすが、
かつてサルの行動学者は、男性が多かった。
その男学者は、群れの1位(俗にボスザル)や2位に
観察のポイントを置く傾向があったが、
女性の学者がふえてくると、
彼女たちは雌ザルにポイントを置いて観察する傾向があった。
その結果、下位のサルや若いサルは、
成長すると群れから出ていくのがキマリであるが、
なかには出戻って、また、元の群れに交じるという。
上位のサルに攻撃されることもあるので、
まずは、群れの端のほうにいて、
子ザルの面倒を見るなどして、
母親ザルの信頼感を得て、受け入れてもらう。
こうして以前いた群れに、それとなく復帰するという。
こういう観察は、女性の学者の観察によって明らかになった。
生物学は自然科学だとはいえ、
学者の雄、雌……いや男性か女性かで、
分析ががらりと変わる。
で、「気に入っている写真1点」を選ぶとき、
なぜ女性は自分がモデルの写真を選ぶのか、
男性学者(?)としては
軽々に判断はしない。
推測はできるが、どのみち男の独断になる。
結論を急ごう。
で、栄養士、健康支援者は、
諸活動において、写真をどのように活用すればよいか。
これは1日中話し合っても出し切れないだろうから、
いくつかの例をあげておこう。
*献立写真――よい例、悪い例、
外食の場合、中食の場合など。
一汁一菜から一汁五菜くらいまでの献立。
これらはホルダーをつくって保存する。
食事相談や講演、ホームページなどで
使うことがきっとある。(以下も同様)
*食事の1回のエネルギー、塩分量など。
カレーライス、ラーメン、お寿司1人前、
牛丼、食パンなどなど。
*食材の写真――1日にとりたい食材の量を
撮っておく。野菜の量(緑黄色、淡色の割合)、
1人前のみそ汁に入れる野菜の量(写真と重量)。
重量はキャプションで入れてもよいが、
ハカリに乗せた状態で撮るとか。
(みそ汁でも、けっこう野菜がとれるという話)
*箸の持ち方、茶わんの持ち方、汁わんの持ち方、
フォーク、ナイフの持ち方。
などなど、業種ごとに「使える」写真は
いくらでもあるはずである。
ここで大事なのは、
「そんなの撮っても使い道がない」
と決めつけないことである。
写真がたまってくると使い道が出てくるものである。
この場合、まず「卵が先」である。
いまは、写真をアルバムに貼ったりする人は
減ってきていると思うが、
フォトブックは、
コミュニケーションの具としては、
もっともっと活用してもよいと思う。
写真は、パソコンのホルダーに押し込めて
鑑賞するものではないし、
スマホの小さな画面を見せ合って
ヒソヒソ語り合うものでもない。
複数の人が同時に見て、あれこれ論じ合うことは、
人と人との心理的・文化的距離を縮めるうえでも意味がある。
額入り写真やフォトブックなどは、
今後、いっそう大事にしたい方式である。
紙の手触り、冊子の重み、額に収めた写真の黄ばみなどは、
生きていることを実感するうえで、
けっして軽視はできない文化財である。
by rocky-road | 2022-02-18 21:02 | 「食ジム」