スノーケリングという健康のカタチ。

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6月のパルマローザ主催のスペシャルセミナーのとき、

私の誕生日のお祝いとして、

パルマローザとその関係の方々から、

「沖縄ツアー」をプレゼントしていただいた。

恒例となった、うれしいプレゼントである。

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今年も、出立は12月になってしまったが、

2日から6日まで、

沖縄本島の瀬良垣島(せらがきじま)と

那覇に滞在する旅行が実現した。

同行してくださった栄養士が10人、

にぎやかな旅であった。

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この旅のメインイベントは

みなさんとのスノーケリング。

しかし、これが土壇場まで隠しテーマであったことは

あとから聞いた。


主催者の影山なお子さんによると、

あまり早くから公開すると

冬のスノーケリング体験にビビる人が出る可能性があるので、

直前まで伏せておいたのだとか。

スゴイ読みである。

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幸い、直前の告知ながら、

不参加に切り替える人はなく、

予定どおりの全員参加となった。

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全行程の振り返りは省くことにして、

スノーケリングについて書いておこう。

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私がスノーケリングを始めたのは1964年だから、

今年で57年目になる。

親友の誘いに応じて、

クラブ設立の手伝いをした。

28歳のときだった。

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規約づくり、新聞による会員募集、

会員名簿の作成など、会の土台づくりに参加した。

当時は幹事として会員になった。

会の名称は《東京潜泳会》(とうきょうせんえいかい)。

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当時、日本では「スノーケリング」というコトバは知られておらず、

「素潜り」といった。

それ以前からマスク(当時は水中メガネ)や

足ひれ(いまはフィン)を使って遊んでいたが、

1964年を私のスノーケリング元年としている。

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当時は朝日新聞や産経新聞などの

読者欄で会員募集をすることができた。

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すぐに会員が集まり、

10人、20人とふえていって、

5~6年後には70人にまでなった。

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この間、発起人の畠山八朗は、

海とは関係のない事故で他界し、

以後、別の1人と私とで

会の運営、発展を促進した。

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当時の規約では、

新会員は水泳で200メートルを泳げることとし、

実際にプールに行ってチェックをした。

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それくらい、泳力を重視し、

マスクのかけ方、スノーケルの使い方、

フィンの使い方などのトレーニングをした。

ウエットスーツを購入できない会員も少なからずいて、

水温8度くらいの正月の海に

肌着姿で入る人もいた。

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「素潜り」はいかにもダサいと感じるようになり、

アメリカ語に従って、

「スノーケリングの東京潜泳会」と

名乗るようになった。

当時、ダイビング雑誌『マリンダイビング』や

海洋雑誌『海の世界』に

連載記事を書いていたので、

「スノーケリング」はすぐに広まった。

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ダイビングは「マリンスポーツ」ではなく、

「地の果てから始める、もう1つの旅」であることを

雑誌で主張し、「旅」というポジションを得た。

「スノーケリング」(シュノーケリングではなく)というコトバは、

『マリンダイビング』誌が用語統一を図ったときのものである。

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こういう経験を重ねてきた者からすると、

現在の沖縄での、

いきなりフル装備(ウエットスーツ、マスク、スノーケル、フィン)で

海に出てゆくという体験ツアーの大胆さには

驚きというよりも恐怖を感じる。

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が、その大胆を可能にしているのは、

発泡スチロールのライフベストの普及にある。

現地のガイドが「潜るほうがむずかしい」といっていたが、

まさに「おっしゃるとおり」

わざわざウエイトベルトを送っておいた「昔ダイバー」が

アホに思えた。

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初スノーケリング体験というのに、

こちらが構えるカメラに向かって手を振ったりVサインで応じたり、

その余裕に感心する。

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「みんなで渡れば怖くない心理」というのは、

こういうものなのだろう。

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57年目にして、まだスノーケリングを教えるのか」と

人生の足踏み状態を少しばかり憂いたいと思っていたが、

それはまったくの杞憂であった。

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さっきも書いたが、

身の安全を保障する器具が発達し、

それに呼応して、

インストラクションスキルも進歩した。

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かつてのように、危険を想定し、

慎重に、慎重にと、トレーニングしていた時代は

そうとうに遠くにいってしまった。

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それと、

健康支援者たる栄養士の健康意識。

前向きに適応する準備性とチームワークが

初めてづくしのスノーケリングを

このように楽しいものにしたのだろう。

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世界中の栄養士が、

かようにスノーケリングに適応する、

というわけにはいかないことは言うまでもない。

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「健康をカタチにする」という思想を

完全に自分のものにしている結果として、

こういうことになるのだろう。

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海からも、

スノーケリングからも

栄養士さんたちからも

まだまだ学ぶところは多い。

それを体感した沖縄5日間の旅であった。

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by rocky-road | 2021-12-23 00:12 | 沖縄  

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