フォトブック作家、誕生。

いま、パルマローザでは、
フォトブック作りが盛んである。
各種イベントや、かつての海外旅行、
そして懸案になっていた、
わが海と島の旅を記録した作品集など。

「フォトブック」という商品が
カメラ関連メーカーやフォトラボから売り出されてから
だいぶ年月がたっており、
人のフォトブック作りにもいろいろと協力してきたが、
自分のものを作ろうと思う意欲は低かった。
なぜなのか。

出版・編集の仕事を続けてきた人間にとって、
自費で写真集とか、
ページもの(書物など)とかを作るとなると、
気合が入りすぎて、
あるいは「恐れ多い感」が強まって、
1歩がなかなか出ないのである。

さらに言えば、
そもそも自作の写真を展示することにあまり興味がない。

これまでにも、写真展を開く機会がないわけではなかったが、
その気になれなかった。(合同写真展はあったが)

それでいて、動画(8ミリフィルムからビデオまで)や
スライドショー(数十点のスチール写真をストーリーに仕立て作品にする)は、
そのためのサークルを作って通算30年間以上、続けてきた。
(水中映像サークルは、いまも後継者が続けている)

写真展示に消極的である自分を分析してみると、
こういうことになるのだろうか。

ストーリー性やテーマ性があるものならば、
自分の表現力を十二分に満たすことができるのに、
会場などで展示する写真展では達成感が得られない。

いやいや、
写真展会場の写真だって、
ただ無作為に並べているわけではない。
展示方法にも演出が求められる。
東京・銀座で開く、プロカメラマンの写真展のプロデュースも
何回か引き受けたことがある。
この場合は、数百点の写真をいくつかにカテゴライズして、
パートごと、作品ごとにタイトルをつける。
そして、写真展そのもののネーミング。
たとえば、「舘石 昭・水中写真展/ドラマティックブルー」などと。
鑑賞者が入り口から入って、どういう目線で作品を見るか、
そういうことを想定して作品の展示順序を決めてゆく。

静止画像の1点1点も、
並べ方によって幾通りものストーリーができる。
それはわかってはいるのだが、
見る人が、その構成に気づいてくれないことが多く、
漫然と見て、漫然と帰っていく。

自分が人の作品を鑑賞する場合には、
そうならないように、
タイトルや、鑑賞した感想をメモすることがある。

が、これも美術作品などの場合には禁止事項になっている。
筆記具を会場に持ち込むことが禁じられることが多い。

ともあれ、
自分の写真を展示することに関心がうすい理由は、
以上のように自己分析してみても、
実はあまり明快な答えは得られず、
「ただ、いまいち燃えなかっただけ」となってしまう。
つまりは、ホヤやタンなどの食品が苦手なのと同じである。


矛盾しているのは、
そのくせフォトコンテストは大好きで、
応募歴は中学生のころから数えると70年に及ぶ。
「フォトコン」の楽しさは、一種のゲーム感覚。
それとタイトルのネーミング。
人と競り合う楽しさ、いいところまで行った喜びは格別である。

こういう写真歴、ネーミング歴、編集歴、著作歴をもつ人間だが、
フォトブックには消極的だったのは、
ネーム(キャプション)が自由に入らないこと、
文字情報に対する準備性が、
このシステムを考えるメーカー側にまったくない。
「映像屋さん」の限界かもしれない。
つまりは、こちらにのニーズに応えきれていない。

そのうえ、周囲の人が作るものは、
素人よろしくブックサイズが小さく、
見た目にもチャチなものが多いことなどによる。
ある業界で表彰され、
海外への視察旅行というプレゼントをされた人の
フォトブックを見せてもらったが、
これほど名誉のある旅行だというのに、
フォトブックのサイズはB6版程度(週刊誌の半分)。

こういうのを見ていると、
「素人さん」には戻りたくない、という気分が強くなる。
そもそも、自分は著作者、編集者であって
フォトグラファーではない、
というスタンスの問題もあるのだろうか。

しかしその後、
友人や、フォトブック制作業を目指す人のものを
見せてもらったり、プロデュースに協力したりする機会があって、
フォトブックに対する印象は変わってきた。


影山なお子さんが積極的にフォトブックを作り始めた。


ハードカバーのものから始まって、
最近は中綴じの、ソフトカバーのものが多くなってきた。

仰々しいハート―カバーのものに比べると、
立ち読みもできるし、電車の中でも開きやすい。
これなら自分のこれまでの作品を
収めておくのもいいかもしれない、
と考えるようになった。

ブックまたは冊子にはストーリー性はある。
あるどころか、まさに起承転結の世界。
イントロから始まって、クライマックスからエンディングまで、
ドラマチックなページ構成が必要になる。
表紙はどうするか、巻頭ページはどうするか、
縦位置と横位置の関係、
写真の右向き、左向き、それを考えたレイアウト。

こういう基本ができていないフォトブックは、
とても鑑賞には耐えない。


ところが、影山さんは、よほど性に合っていたのか、
そういう基本をしっかりマスターしたようである。
それは高度の編集技術そのものである。

ということから、
いままで撮りためてきた「海と島の旅」のあれこれを
フォトブックにすることにした。
構成、表紙写真の選定など、
編集作業はいっさいお任せ。
「できあがったものに対して、いっさい苦情は言わない」
そう心に誓ってお任せした。
編集を人任せにする心地よさは、
ヤシの木に吊ったハンモックの中で眠るような、
久々にのどかな気分である。

それにしても、
栄養士のグループで編集者に出会うとは、
思いもしなかった。
できあがったものに満足し、
あれこれ不満を言うことがなかったとしたら、
影山さんの編集力はただ者ではないことになるし、
わが身も、少しは大人になったことを
認めてもよいのかもしれない。



by rocky-road | 2021-09-08 21:33 | フォトブック