坂を上り続ける、おおぜいさんに。

孤独や「独り」(ひとり)を肯定的にとらえる書物が
バカ売れする時代がずっと続いているのを見ながら、
わが国の社会背景について考えているが、
先日、またしても、『ひとりをたのしむ』という書物の
新聞広告を見て、改めて考えてみた。

1つは、新刊本だというのに、
広告で「200万部突破!」と謳っていること、
まさにバカ売れである。
この作家は、
3年前(2018年)には『誰かを幸せにするために』
という本を同じ版元から出していて、
これも185万部突破だという。

さらに翌年の2019年には、『ひとりで生きる』という、
今回の『ひとりをたのしむ』と類似の本を出している。
これも「195万部突破!」だという。

合計で580万部、すごい部数である。
どれくらいスゴいかがわからない人のために、
筆者が印税として受け取ると思われる金額は
5億円を超えることになりそうだ、と指摘しておこう(税込)。
(定価の10%=90円×580万部)
そのたくましい執筆力と稼ぎ高に驚嘆する。

部数の件は後述するとして、
まず注目したいのは
『ひとりで生きる』『ひとりをたのしむ』という、
「お1人なぐさめ型」と
『誰かを幸せにするために』のような
「人との関係性尊重型」の本を
1人の作家が短期間に出すという現実。
この作家の立脚点にも驚く。

どの本も、新聞広告による情報でしかないが、
『誰かを幸せにするために』については、
雑誌で関連するインタビュー記事を読んで、
「いいこというな」と感じたことを覚えている。

まさに「誰かのため」は、
人が輝くための最大のモチベーションである。
その他の、能天気「おすすめ作家」たちと比べて、
救いがある、と思ったものだが、
2021年3月に至って、やっぱり「ひとり」を楽しみだした。
「ブルータス、お前もか」である。

日本は、独裁国家ではないから、
「ひとりをたのしむ」自由があってもよいが、
心身の健康維持・向上を促すためには、
人とのネットワークのたいせつさを指摘する論述もあって、
両方のバランスをとることが望ましい。
400万もの人が「ひとりをたのしむ」ことに
関心をもつ社会というのは、
けっして健康度が高い状態とはいえない。

ここで思い出すのは、
カウンセリングの創始・普及者の1人といわれるC・Rロジャースと、
哲学者のマルチン・ブーバーという人との対談の話である。
斎藤 環著『心理学化する社会』(PHP研究所 2003年)で
紹介されているその部分を要約すると、
ロジャースが、1人の人間に寄り添い、
人間の無限の成長の可能性を語ったのに対して、
ブーバーは、それを批判して、
「人間とは、世界と現実的に接触し、真にきり結ぶ存在なのだ」と説く。
つまりは、いろいろの人との「出会い」、
その中から自分の立ち位置を見出してゆくものだ、と。

日本の「ひとり志向」に戻ると、
実際には、本を買わない人のほうが多いから
「ひとりたのしむ派」はその10倍と予測しても
まだ控えめの推定かもしれない。
仮に「ひとりたのしむ派」4000万人だとすると、
日本人は3人に1人は、その派といえる。
成熟社会の現実とは、こんなものである。

「ひとりをたのしむ派」と「家族や仲間とたのしむ派」との
健康度、幸福度を比較したエビデンスは見つからないが、
フレイル対策、認知症対策としては、
人とかかわるほうが有利であることは、
かつて話題になった「孤独死」などの例や、
引きこもりの人の現状からも予想できる。

500万もの読者をもつ作家に、
縁者や友人、知人が少なく、
没頭する仕事や余暇活動がなかった経験が
ほんとうにあるのか。
1冊書けば、200万部、
「いっちょ、あがり」という、裕福極まりない著名人に、
「ひとりをたのしむ」ことをすすめる資格があるのか……、
答えは、迷うことなく「ノー」である。

いうまでもないが、
200万の読者を待たせて、
黙々と、1人、執筆に向かう状態は「ひとり」ではないし、
孤独とは無縁の状態である。
そういう人間が、
「ひとりをたのしむ」ことや「孤独」をすすめることは、
明らかに「そそのかし」であり、
その健康上の実害は、有害薬物以上に大きく、広く、深い可能性がある。

「孤独そそのかし」作家に言いたい。
「お主らが自信をもって語れるのは、
人に囲まれてきた人生が、いかに健康で幸せなものか、
それを実現させるには、どんな行動が望ましいか、
どのようにビジョンを描き、どのように努力を重ね、
どのように人間関係をたいせつにしてきたか、ではないのか」と。

かつては町内会も無尽や青年団、消防団、民芸会などが盛んで、
むしろ、孤立することのほうが、むずかしかった。
ところがいま、「生き方自由」の時代になったがために、
そして、デジタル化によって、
かならず「どこか」につながることができるようになったために、
現実には、ますます「ひとり度」は高くなっている。

「おひとり」のすすめや、断捨離、ものを捨てる、
人を捨てることのすすめは、
情報や外界との接触を遮断するのことのすすめでしかない。

作家に健康論を求めるのは、確かに筋違いではあるが、
不幸を回避する行動様式であれば、
「餅は餅屋」の道理に沿うのであって、
作家のお仕事ではないか。

では、「お2人以上」のすすめは、
だれが論じればよいのか。
少なくとも、『脳の毒を出す食事』なんていう
いかがわしい本を出す、お調子者のドクターはお呼びでない。


幸いにして、日本には、
1990年に設立された日本行動科学学会というのがある。
これに属する研究者に、
社会活動と健康との関係を示す研究成果を
発表していただきたいと思う。

人生は、坂を下りて終わるのではなく、
坂を上りつつ終わるものである。


わが大橋予暇研究所の仕事も、
これからである。

by rocky-road | 2021-03-07 23:10 | ひとりを楽しむ