栄養士だって・だから「哲学する」

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恒例の「パルマローザ 新春セミナー」で

終日、お話をさせていただいた。

演題は、「栄養学を『哲学する』と見えてくること。」

2021110日 横浜市技能文化会館)

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哲学の定義はむずかしいが、

いくつかのポピュラーな国語辞典などから引用した。

その1つは、

『新明解 国語辞典 第六版』(三省堂)

「哲学」とは……

①宇宙や人生の根本問題を理性的な思弁により突き止めようとする学問。

②自分自身の経験から築き上げた人生観(世界観)。

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もっと簡略化すれば、

「この世の神羅万象を理性的に分析し、
理解すること」であろう。

「哲学」という熟語は動詞的で、

「知を愛する」「考えることを愛すること」である。

したがって、

もちろん、栄養学を「哲学する」ことも、
健康を「哲学する」ことも、

食事や食事相談を「哲学する」こともできる。

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栄養学や栄養士、そして食事相談や健康相談は、

最終的には、人の健康、人の幸せを支えることだから、

もろに哲学的である。

「栄養哲学」という学問ジャンルがないのが
不思議なくらいだ。

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わかりやすくするために、

こんなイントロクエスチョンを試みた。

同意するものに「〇」を、同意しないものに「」を。

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1)(  )哲学には「知を愛する」の意味があり、

      したがって、愛知県人はおおむね聡明である。

2)(  )栄養学はエビデンスを重んじる科学だから、

      文系の哲学とはなじまないところがある。

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3)(  )哲学とは知識を学ぶものではなく、論理的思考法であり、

      真理を求める探求心である。

4)(  )大学などで教える「哲学」は、おもに「哲学史」であって、

      「哲学」そのものではない。

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5)(  )「哲学」が示す真理は、

      各国のことわざや格言の中にも少なからず含まれている。

6)(  )哲学的思考法を持たない栄養士は、

      ダメ出し型、栄養素士型になる傾向がある。

もちろん、みなさん、全問正解である。

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かねがね頭にあるのは、

哲学の解説書も多く書かれた

田中美知太郎(19021985年 西洋古典哲学専攻)

昔、『文藝春秋』に書いていた

「哲学は一般論として普及したのは後のことで、

当初は、個別相談によって、

それぞれにしかるべき解釈や打開策を示していた」

という説。

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このくだりを読んだとき、

「いわばカウンセリングだな」と思った。

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最新の栄養学も、

すでに得た科学的知見をもとに

生活者の実践的スキルとして普及するのが、

21世紀における主要な仕事の1つではないかと思う。

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「健康とはなにか」「健康寿命の意味とはなにか」

「生きがいとはなにか」

これらは、かつてはまさしく哲学の領域。

それを一度でも考えた栄養士と、そうでない栄養士とでは、

まずは本人の「人生の質」や、

人への影響力において大きな差が出る。

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講義では、こんな事例を使ってみた。

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哲学用語に「演繹法」(えんえきほう)と「帰納法」(きのうほう)

という思考法がある。

演繹法とは「肥満はエネルギーの過剰摂取によって起こる」

という命題(テーマ)に素直に従いすぎると

「あなた、間食をしてはいけませんよ」

というような結論の出し方になったりする。

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これに対して帰納法(きのうほう)では

「Aさんは残業のときに夜食をとる習慣がある」

Bさんは晩酌にビール1缶と日本酒2合を飲むことが多い」

などの事例を重ねることによって、

「肥満はライフスタイルの中に原因がある」
のような結論になったりする。

問いかけは、帰納法的思考法といえる。

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振り返ってみると、

この種の思考は、もともと好むところで、

以前(1993)、ダイビング雑誌で、

「海と人生」というコラムの連載を
33
回にわたってしたことがある。

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「ダイビングの費用は投資か浪費か」

「魚たちとどう健康的につき合うか」

(人は)なぜ海に潜るのか」

などについて語った。

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いつか来た道で、

これを栄養士に置き換えれば、

限りなくテーマは広がる。

「ダメ出し栄養士と問いかけ栄養士とはどこが違うのか」

「栄養士が身だしなみを整えることにどんな意味があるのか」

1人職場の栄養士のライフスタイルは?」

などなど。

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いやいや、「いつか来た道」ではなくて、

こういうことは、つい先日(202010)出した

『栄養士のための ライフデザインブック』でも

論じたばかりではないか。

いまも歩いている真っ最中、っていうこと。


そうでありました。 



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同書は、未来に向けて十二分に
「哲学し続けていた」のである。

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新春セミナーでは、

「同書を読みましょう」などと

野暮なことは言わなかったけれど

(実は、この本との関連を見落としていたのだが)

「哲学書はとっつきにくい」という人には、

超近道の方法として、

とりあえずは「故事・ことわざ辞典」などを座右に置くと、

哲学的思考のオードブルくらいにはなるかもしれない、

とおすすめしておいた。

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「衣食足りて礼節を知る」

「急いては事を仕損じる」

「情けは人のためならず」

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「木を見て森を見ず」

「ローマは1日にしてならず」

「結婚へは歩け、離婚へは走れ」

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「戦争に行く者と結婚する者には、けして忠告をするな」

「金がなくて恋愛結婚をすれば、楽しい夜と悲しい昼を持つ」

「秋なすは嫁に食わすな」

哲学だねぇ。

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by rocky-road | 2021-01-13 18:49 | パルマローザセミナー  

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