免疫力や話力について問いかけます。
このブログでも「免疫」と
食事との関係などについて私見を述べた。
また、
4月26日に予定していた
「食コーチング 講師養成講座」が
コロナ騒動のために延期となったために、
ここでも受講者28名の方々に、
2回にわたって、
メール形式の課外講話を行なった。
そのメインテーマは、
「免疫」というコトバと
「免疫力」というコトバの意味やニュアンスの違い、
免疫や免疫力は、
食事や栄養とはあまり関係のないということ、
栄養士や健康支援者が、
いろいろの人から
「免疫力を高める食事法を教えてください」
と言われたとしても、
この問題は栄養学の領域ではないことを
健康支援者自身が自覚しておく必要がある、
というようなことをお話しした。
おさらいをしておこう。
少なくとも、
「免疫」の定義を頭に入れておく必要があるだろう。
【免疫】とは、
「生体が自己と異質な物質を識別し排除する
現象およびその機構。病原体や毒素、花粉、
ほこりその他の外来物、他人の臓器、
自らの変異したタンパク質などの異物は
抗原として認識され、
生物防御機構として免疫が発動する。……
……これにはマイクロファージや
その他のリンパ系細胞が直接抗原に
はたらきかける細胞性免疫と、
抗体を産生して体液中に放出する
体液性免疫(液性免疫)とがある。……
……抗原の侵入によって免疫力が発動するものを
獲得免疫というのに対して、
生まれつき備わった抗体や
非特異的なナチュラルキラー細胞の働きによるものを
自然免疫と呼ぶ。」(以下略)
(百科事典『マイペディア』電子辞書版による)
「免疫力を高める食事法を教えてください」
という質問があるだろうから、
そんなとき、どう対応すればよいか、
参考になる対応策があったら
教えていただきたいと、
声をかけておいた。
およそ50案あまりの応募があった。
さすがは食コーチングの研修を受けた人たちのこと、
いきなり「なによりも栄養のバランスです」とか、
「食事ではコロナウイルスの感染は防げません」とかと、
即答してしまう人は少なく、
まずは、質問の意味を確かめる、
いわば逆質問をする人がほとんどだった。
以下は、その中の一部。
*「外出される機会がおありですか」
*「ふだんから気をつけていらっしゃることはございますか」
*「毎日3食、定刻にお召し上がりですか」
もちろん、次の問いかけ、
さらには、その次の次の問いかけくらいまで
用意されているのだろうが、
それにしても、問いかけが遠回りすぎる。
あたかも、コンビニに行きたいのに
まずは交番への道を聞いているような感じ。
相手の誤りを正すためには、
その人の情報源をさぐりたいと思うのは好ましい。
*「テレビや雑誌、新聞など、
コロナに感染しない食事法について、
情報をご覧になったのですか」
*「食事で感染を防げるなら、
ワクチンや薬の開発を急がなくてもよいと
思いませんか」
なによりも、栄養士自身が、
食事や栄養によって
免疫力を高めることはできないか、
きわめて困難であることを
しっかり認識しておく必要がある。
多くの関係者に見られるのは、
「免疫」と「基礎体力」との混同である。
さっきの「免疫」の定義を見れば明らかなように、
免疫は生体内のいわば本能的機構。
たんぱく質を多くとれば、
短期間に本能が変化するというものではない。
(ワクチンは人為的な免疫補強)
これに対して、
食事でなんとかなるのは基礎体力。
感染はしても、
気力・体力がしっかりしているとか
基礎疾患や既往症がないとか、
つまり健康状態がよいと、
重症化はある程度抑えられる、という。
ウイルスの立場から見れば、
自分がとりつく島の健康状態など、
見極めるヒマはないはずで、
一発勝負、近づいた人に
何らかの粒子に乗って飛び込む。
そこで宿主を殺してしまえば、
元も子もなく、自分も死滅する。
が、微生物の世界では
個人プレーはなく、
多数のウイルスがワンチームになって、
たとえ宿主が遺体となっても
一部が別の宿主を見つけて、
リレー式に生存を続ける、
ということであろう。
こうした考え方を
「メール形式の課外講話」として
受講者に送信したが、
いま学校やその他のところでは
「オンライン授業」「オンライン出演」が
行なわれている。
が、これにはいろいろと弱点がある。
その理由は、
*レンズがワイドなので、顔がペタンコに見える。
(人権侵害級の画像に)
*「表情表現」が不得手な人が多い(日本人はとくに)。
*雑然としたプライベート空間は、公開に不向き。
*教員も各分野のプロも、日常会話が苦手。
*先生が生徒に
「きょうは、聞いてくれてありがとう。」
だって、なに、それ。そこまでおもねるなよ。
こんなにリスクがあるのなら、
静止画像を適宜使って、
メール送信したほうが、
相手の時間拘束がない、反復閲覧が簡単、
話下手が際立たない、
などの利点が多くていいように思う。
最近、はやっているアメリカ式「プレゼン」にも
異議がある。
講師が原稿を持たずに壇上に立って、
右左に動きながらしゃべる。
落ちつかない、内容がしっかりと頭に入りにくい、
話が散漫になりがち、など、利点はほとんどない。
日本人の場合、ああいう状態になるのは
トイレを我慢しているときくらいである。
自分だけが歩き回る不自然さ、
この形式を生み出したアメリカ人に聞きたい、
「そんなにじっとしていられないの?」
友人で科学ジャーナリストの工藤昌男さんが
昔、ビデオカメラが売り出されたとき、
うまいことを言った。
「ますますスチールカメラの価値が増す」と。
それゆえに、それを静止状態で記録することは、
どれほどすばらしいことか。
だからビデオができてから何十年たっても、
スチールカメラはなくならない。
オンラインコミュニケーションは向かない。
(組織内会議のことは知らないが)
少なくとも、いま程度のメカでは……。
それよりも、
静止画を中心にして、
どうしても音声が必要なら、
タイムラグのない電話によって
遠隔コミュニケーションを行なうこと。
壇上でソワソワと動く
スピーチ(プレゼンテーション)は
やめる。
さらにさらに話を広げれば、
近年の日本人男性のしゃべりが
幼児化していることを
自覚しなければならないだろう。
いろいろの人が発言しているが、
ある飲食店の店主は、
「当店にとって危機というか、
壊滅的状況じゃないかと……」
とテレビ取材に応じていた。
「……というか」「じゃないか」などと
語尾をボカすな。危機そのものではないか!
もっと危機感を表現せよ!
そして、日本を代表する、
大、大、大手の社長も、
こんな発言をしゃぁしゃぁとする。
「リーマンショックをはるかに上回る
状況ではないかな、と思います」と。
「……かな」なんて、
幼児のような独白的語尾はやめろ!
コロナ蔓延に加担したとされる
WHOの改革はもちろん、
国連には多くの機関があるが
(ILO WHO UNESCOなど)、
各機関のトップになっている日本人はいないそうだ。
拠出金が第4位だというのに。
まさしく、人望のなさ、
コミュニケーション能力の低さ、
それ以外に理由は見つからない。
「……というか」「……かな」(前出)
「起こりうる可能性」(テレビ出ずっぱりの医師)
「いわゆる感染」「いわゆる公共機関」
「いわゆるビジネス」(ニュースショーのキャスター1名)
なんて言っている場合か。
ここにも大きな危機があることを
忘れてはならない。
by rocky-road | 2020-05-18 20:43 | 新型コロナウィルス