「足袋」に誘われた京の旅。

わがロッコム文章・編集塾では、
エッセイについての講義を続けた。
塾生には、これまでにも、
宿題として、いろいろの文章を書いてもらったが、
さらに深い思考のある文章が書けるようにと、
ステップアップを図った。

文学や文学作品に関心の強い人はそう多くはない。
そこで、「エッセイ」というコトバのルーツとなった
モンテーニュや、
それに続くジャンジャック・ルソーの文体に接したり、
日本では、のちに「随筆」と呼ばれる
「枕草子」が「エッセイ」より500年前に
書かれていたことなどを学んだりした。
もちろん、「方丈記」の文体も……。






作家・堀江敏幸氏の「青蓮院辺りで、足袋を。」
と題する一文を輪読した。
このエッセイは、雑誌『クロワッサン』の
2007年1月25日号に載ったものを
コピーして保存しておいた。

エッセイの内容は、
網野 菊という作家(1900~1978年)が
書いた短編をベースにしたもの。
作家志望の女性(網野 菊)が、
福島に旅行中に関東大震災が起こる。
そのため東京へは「入京禁止」で戻れなくなる。

やむを得ず、同行の友人Yの実家である京都へ向かう。
せっかく京都に来たのなら、
京都に住む志賀直哉を訪ねて、
自分の書いた小説を読んでもらおうと思う。

アポなしで訪ねるということはよくあった。
彼女は、あしたに備えて、足袋を洗って、
志賀邸を訪ねる準備をする。

仕方なく、袂に入れて、素足のまま家を出る。
そしていよいよ志賀邸に近づいたとき、
ちょうど「青蓮院」(しょうれんいん)あたりで、
うずくまって足袋を履く。

「なんということもないエピソードだが、
この一節は、私の頭のなかに、
まるで映画の一場面のように立ち上がって、
いつまでも残った。」

そこで今度の旅では、
ここを訪ねる、というルートを考えてもらった。
「創る旅派」としては、
ルートをあまりキッチリ決めるのは好きではないが、
今回は、あのエッセイが「オレ流」を阻んだ。
哲学の道歩きも中断、錦市場も、新京極も、
清水(きよみず)もあきらめた。

訪ねてみれば、知恩院のすぐ隣で、
しばしば前を通っていた。
が、わが眼中にはまったくなかった。

僧侶でもある栄養士さんが同行してくれて、
なんと院内で、この寺の由緒について
レクチャーをしてくれるという。

「この寺は、天台宗総本山、
比叡山延暦寺の三門蹟の1つで……」
学生時代を京都で送ったという。
いつもは、京都通ぶっていた私の出番はなく、
それゆえに、新鮮な旅となった。

京都で中華料理を食べるとは思っていなかったし
(そこは、彼女が学生時代に通った店だとか)、
仏具店通りとでもいうのか、
本願寺近くの仏具店で、
栄養士さんたちが数珠を物色するのに
つき合うという体験もした。

若者も40、50歳ともなれば、
法事の機会も増えてくる。
「自分用のお数珠くらいは……」と
言ったことがみなさんに伝わって、
ここも僧侶・栄養士の先導のコースに
入れられたのであった。

そろってお数珠を購入する場面を
文学士が見届けるというシーンは、
この店、この町、この都市、
この国の歴史にはなかったはずである。
これもまた「歴史的瞬間」である。




今年は、桜の満開が少し遅れたかな、
と思わないでもなかったが、
そのことはどうでもよかった。


「しまった」と思ったのは、
旅行前、僧侶・栄養士が
「私も足袋を持っていきます」
と言っていたので、
それを確かめることを忘れたこと。

つもりはなかったが、
いま考えれば、
そんな写真も撮っておくべきだった。


by rocky-road | 2020-04-11 23:58 | パルマローザセミナー