新聞をゆっくり読む時間ができた。

それぞれの専門分野に任せて、
こちらは、いつものように、
自分の生活習慣を守っていこう。

少しだけコロナに触れるとすれば、
「読売新聞」の3月28日の朝刊に
養老孟司氏(脳解剖学者)へのインタビュー記事が載っていた。
そこで氏は、「症状が軽いから広がるんですよ」
と指摘していた。

なるほど、そうに違いない。
感染した人がすぐに倒れてしまえば、
ウイルスは拡散されにくい。
宿主に感染したかどうかを知られないうちに、
新規の宿主を見つけて拡散してゆく。
宿主が亡くなってしまうと、
自分たちもそこで終わる。
それは彼らにとっても誤算である。

感染の怖さを考えていたら、
戦時中の、B29や艦載機(航空母艦から発進する戦闘機)による
空襲と比べることになった。
相手を選ばないという点では、
敵機もコロナウイルスも同じだが、
命を狙ってくるという点では、
空襲の恐怖はハンパではない。

夜中の空襲が終わって、
横穴の防空壕(崖などの掘った壕-ごう)から出て、
家に戻るやいなや、
第2波の攻撃が始まる。
なぜか、この2波のときに
足がガタガタと震える。
真冬の寒さと恐怖とが同時にくる。

100万人が犠牲になったことを知るが、
空が真っ赤に染まるほどの、遠くの大火災を感じながら
死の恐怖が迫ってくるのは子ども心にもわかった。

これほどのものではないから、
油断してヒョコヒョコと出歩くことになる。
コロナウイルスが爆音でもたててくれれば、
みんなは家にこもっていられる。

灯火管制(電灯を消すか漏れないようにすること)がないので、
部屋でミラーボールを回そうが、
大音響で音楽を聴こうが、
ウイルスに狙われることはないし、
町内の警防団(自警団のようなもの)から
とがめられることもない。

実はこわいものである。

以下は、
2020年3月30日の「読売」朝刊に載った広告である。
日本人が国語の勉強を始めて150年くらいたつが、
文章の表記法がいまだに定まっていない現状を
見事に証明してくれているという点で
貴重な資料となる。

読点「、」を打ちながら、句点「。」は打っていない。
句点は、単に誤読を防ぐ、文章の末尾を示すだけでなく、
人が使ったコトバというニュアンス(ぬくもり)を生み出す。
その効果を認知していない人は多い。

しかし、それをわかる人もふえつつある。
「バイトを守れ。」のマルは主張を強めている。

さらにわかってくると、
補助符号(テンやマル、「」!などの総称)を
自由に使い分ける。
フジッコの広告制作者に💮(ハナマル)をあげたい。

感嘆符についていうと、
パソコンには「!」しか入っていないので、
以来、どれも「直立型」になる。
なぜ、直立型がよくないかというと、
「1」(イチ)や「I」(アイ)の紛れるから。
「!」斜体をかけると、オドロキ度が増す。
ちなみに、
この広告、感嘆符を打ちながら、句点は使っていない。



ジャパネットたかたも、
感嘆符は直立型。
それにしても!のオンパレード。

「自分に合う。が見つかる。」は
句点の使い方のミス。
「自分に合う」が見つかる。
とすればよいのに。


新聞の見出しや雑誌のタイトルには
句点を使わない伝統がある。
これが新聞記事を冷たくしている理由の1つにはなる。

しかし、こんな例も出始めている。
新聞は、今後も部数を減らし続けるだろうが、
読者対策として、
見出しにも句点「。」を入れたり、
補助符号(! ?)を積極的に使ったりする日がくるだろう。
その前にコチコチの文章を和らげる段階があるだろうが。
その日は50年後か、100年後か、
いずれにしても遠い未来の話である。

手描きをするとこんなにも補助符号がふえてくる。
見かけは別として、
ぬくもりとは、こういうことである。
手で描くと、自然に補助符号(? !〝〟などなど)が
出てくる。
これを見ても、
パソコンが、
いかにわれわれの文章表現を
制約しているかがわかるだろう。


by rocky-road | 2020-04-01 00:46 | 大橋禄郎 文章教室